2話 少年との出会い
街が見えてくる。
既に黒煙があちこちから上がっているため、場所の特定は容易だった。
高度を落として魔力の元へ降り立つと、そこには既に何人か死体が転がっている。
シャッターは凹み、電柱は斜めに傾き、悪魔が暴れた後だと伺える。
そんな生存者がいるかわからない絶望的な状況の中、ラフィアは見慣れていたはずの死体を見てキュッと唇を噛み締めた。
自分の中にまだ心が生きていたことを自覚し、多少ゲンナリしながら周りを確認する。
聴覚に意識を集中すると、悲鳴を上げて逃げている人の声が鮮明に聞こえるようになる。
天使は感覚操作という特技を持って生まれる。
それを強めるのか、弱めるのかは本人次第。
ラフィアはなるべく外界の刺激を受け取らないように、普段から感覚を可能な限り狭めている。だが、今回のように悪魔が現れた時に限り、感覚を開く。
この感覚強化は何度やっても苦痛でしかない。
転がっていた死体を見てから感覚を広げると、より鮮明に声が聞こえる気がしたから。
「お母さん……お母さん……!
助けて、嫌だ……来ないで」
子供が母親を求めて泣きながら助けを求めている。間に合わないかもしれないと考えながらも、ラフィアは一歩を踏み出し、瞬間的に加速し姿を消す。
残ったのは純白の羽が揺らめきながら一枚落ちるのみ。声の元へと自然と身体が向かっていた。
悪魔を視認する。
今まさに泣きじゃくる子供を掴み上げ、口元へ持って行こうとしていた。
戦闘経験だけは豊富に積み重ねた千年間。
流れるような魔力捌きで、片手剣ほどのサイズの魔力光を凝縮し、少女を掴んでいた腕を根本から切断し、落ちてきた少女を抱き抱える。
「怪我は?」
尋ねると、首を横に振る姿を見て安堵する。
周りに人はいない。
悪魔は斬られた腕を抑えながら、紫色の血が滴るのを握り潰して止血をする。
この生命体は、本当に謎だらけだ。
ラフィアはこの千年の間に悪魔の拠点や発生原因をしらみ潰しに探した。
しかし、よく発生する場所の特定はできても、拠点や原因の解明には至らない。
そもそも、いくら力をもった『個』がいても物量で押し潰される毎日。
助けられる人命には限りがあった。
今回のように一度に助けられる人間は少ない。
地道に救ってきたからこそ存続しているとも言えるが、減り続けるスピードを食い止めることはついぞ不可能。
理不尽なまでの暴力は、今も世界のどこかで起きているだろう。
苛立ちを感じながらも、握っている魔力光に更に魔力を込めて斬りかかる。
胸のど真ん中を狙った一撃は、数だけが取り柄だった悪魔を簡単に屠る一撃となる。
だが、今回は違った。
片腕となり瀕死の間際、木偶の坊だと思っていた悪魔はもう一本の腕でガッチリとラフィアの凝縮された魔力光を掴む。
「なっ……!?」
掴んだ腕をそのまま振り翳し、横一閃に薙ぎ払いが命中する。
完璧に捉えた力強い一撃は、建物を吹き飛ばしながらラフィアの身体を壊した。
勢いが収まり、瓦礫と化した家の一部に打ち付けられた。
すぐに立たなければ、魔力の高いラフィアを喰いに来る。
仮にこの変異体とも呼べる悪魔に捕食されれば、人類に残された時間の針が、更に進むのは間違いない。
ボロボロになった全身に鞭打つように、少しずつ体内で魔力を高め、そして唱えようと口を動かすが、寸前で止まってしまう。
もういい。
私はよくやった。
自分へ言い聞かせながら、与えられた責務を放棄していっそのこと楽になりたい。
ささやかな世界への抵抗もこれで終わり。
瞼を閉じればそれで終わり。
「私は今まで、何のために生きてきたんだろう」
諦観と共に最後の言葉を吐き捨てて、少しの後悔と解放感に浸っていると、男性の声がラフィアの意識を再び呼び戻した。
「なんだ? こんなところで天使様が死にかけてるじゃん」
日本人だと思われる容姿の少年が、瓦礫の上から膝に手をついてラフィアを見下ろしている。
天使を見下ろすとは何たる不敬か。
恐らく私を崇めている宗教団体が見たら発狂するだろう。
団体は至る所に存在していることから、恐らくは無自覚にしているこの不敬をすぐに止めさせなければ。
「そこから……すぐに退きなさい。
どこで誰が見ているかわかりませんよ」
「そんなくだらねぇこと言ってる場合かよ。
もうすぐそこまで奴が来てるぜ」
「私は問題ありません。
あの程度の悪魔、すぐに片付けられますから。それよりも……!」
少年は大きくため息を漏らしながら、ラフィアと同じ目線まで瓦礫から滑るように降りた。
「そんな体たらくで何が問題ないだ。
さっさとズラかるぞ」
軽々とラフィアを持ち上げた少年は、およそ人間とは思えないほどに速く、まだ無事の舗装路を走って逃走を始めた。
「何をしているのですか!
人の子が私に触れるなど! よほどその命、軽いと見えます」
「そんなわけねぇだろ。
つーか、あんまり喋ると舌噛むぞ」
更に速度が上げられていき、抜群の脚力を発揮した少年は悪魔を完全に振り切る。
辺りはもう夜が近づく夕暮れ。
絶好の死に場所を見つけたと思っていたというのに、それは自分を崇めていた人間によって奪われてしまった。
「なぜ助けたのですか」
「さぁな。でもあの時のアンタは、口では死を選びたそうだったが本心ではそう思ってない。
そんな気がしただけだ。ただの気まぐれさ」
「はぁ……私を助けたのは、まだ私に働けと。
あなたはそう言いたいのですね」
「辞めたきゃ辞めちまえよ」
突っぱねるように少年は苛々を包み隠さずに言葉を返した。
「え?」
思わず語尾が上がってしまう。
ラフィアは今、この名も知らぬ少年に救われようとしていた。
だが、一度助けた少女がどうなったのか気になる。理解していても、尋ねずにはいられなかった。
「あの時の少女は……どうなりましたか?」
「俺が知るかよ。
狙いはアンタに変わってたんだ。よっぽどバカじゃなけりゃ助かってるだろ」
「あなたは不思議ですね。
まるで私と同じ立場で話しているようで、およそ人の子とは思えません」
「俺は人間だろうが天使だろうが、誰にも合わせるつもりはねぇよ」
「そうですか」
夜は寒い。それは季節に限らず空気が冷えていく。
話し始めてから空は星明かりに包まれ、焚き火の光がチカチカと瞳を照らす。
反射した炎の光は、再び心の中に明かりを灯すかのように焚き付けた。
しばらく無言の時間が続き、再びラフィアが口を開いた。
「あなたの名前は?」
「そんなこと知ってどうする」
「いいから、答えて下さい」
「颯馬、葉山颯馬。
そんなこと聞いて何になるんだ」
「私はラフィア。よろしくお願いしますね。颯馬」
「変なやつ」
なぜか自然と笑みが溢れる。
そうしてラフィアは初めてあったばかりの少年。颯馬と森の中で夜を明かす。
「さっさと寝ろよ」
「あなたこそ。天使は人間と違って数日眠らなくてもパフォーマンスが落ちませんので」
「便利な身体だな。んじゃ俺は寝るわ」
すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。
変異体の悪魔はまだ近くにいるはず。
今度こそ、私が颯馬を守らなければ。




