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静かに暮らしたい最強は、どうやら巻き込まれ体質のようです  作者: じゅくすい
第1章

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 演習場の中央に引かれた白線の向こうで、雷の気配が膨れ上がっていた。


 観客席からの歓声は、ざわめきというより波だ。

 上位ランカー同士の対戦が始まる前の、落ち着かない熱気が肌を刺す。


 視線は中央に集まっている。

 序列第八位――ライゼル・ヴォルトレイグ。

 そして、序列第九位――シオン。


 だが、注目を集めているのは俺だけではない。

 むしろ、あの得体の知れない“九位”に向けられた好奇の目の方が、数が多いかもしれない。


 それが、どうしようもなく気に食わない。


 あの模擬戦で、王級相手に胸も借りず、意味の分からない棒読み演技で降参したこと。

 逃げたのか、守ったのか、どちらでもいい。

 問題は、周囲がそれを勝手に“意味のある行動”として扱い始めたことだ。


 こちらは王族だ。上位だ。秩序を保つ側だ。

 それなのに、あんな中身の読めない男に空気を支配されるのは我慢ならない。


 さらに言えば、ライゼルは“守る”立場の人間だった。

 帝国の順位も、皇子の体面も。

 だからこそ、不確定な芽は早めに摘む。

 今回は、ちょうどいい機会だ。立場を使って組ませた。正当な手続きの範囲で、正当な顔をして。


(……くだらない言い訳だ)


 そう言い聞かせないと、自分の苛立ちが幼稚に見えるのが分かっている。

 ライゼルは舌の裏で息を殺し、前へ出た。


 視線の端で、高台の貴賓席にアリアたち王級の姿が見えた。

 見られている。

 それは快感でもあるし、強烈なプレッシャーでもある。


 だからこそ、完璧に勝つ必要がある。

 圧倒して、黙らせる。

 それが王族の、ヴォルトレイグの戦い方だ。



「――顕現せよ。雷帝・ヴォルティノーグ」


 名を呼んだ瞬間、空間が裂けた。


 オゾン臭が濃くなる。乾いた、焼けた金属の匂い。

 膨大な魔力が地面の砂を震わせ、重力すら歪んだように粒が跳ねる。

 光が集まり、巨大な輪郭が立ち上がる。


 現れたのは、3メートルを超える巨体。

 全身が雷光で編まれた鎧のような筋肉に覆われ、頭上には王冠のように稲妻の角が揺らめいている。


 【雷帝・ヴォルティノーグ】。

 上級精霊の枠組みの中では、間違いなく最上位。王級には届かないが、並の上級精霊では束になっても敵わない“帝王”だ。


 観客席の生徒たちが召喚していた精霊たちが、恐怖で一斉に距離を取った。

 人間のざわめきが、悲鳴に近い歓声へと変わる。


 ライゼルはそれを背中で聞きながら、苦く笑った。

 従えている? いや、違う。

 従わせている? それも違う。

 『付き合ってもらっている』が一番近い。


 ヴォルティノーグの格は、本来ならライゼルごときが使役できる範疇を超えている。

 それでも、こいつは従う。

 俺が“面白い”から。

 そういう気まぐれな精霊だ。


 だからこそ、ライゼルは常に全力を強要される。

 つまらない主だと見切られたくない。

 主従の形を保つために、主が必死になる。

 笑える話だが、それが事実だった。


 ライゼルは息を吐き、腕を前へ突き出す。

 ヴォルティノーグの指先から雷が垂れ、地面の砂が黒くガラス化する。


「準備はよろしいですか」


 教師の声。


 対する九位――シオンは、妙に気が抜けて見えた。

 緊張していないわけではない。ただ、その緊張が表に出てこない。

 その“普通さ”が、ライゼルを余計に苛立たせる。


「よろしくお願いします」


 シオンは礼儀だけは崩さず、軽く頭を下げた。

 馬鹿にしているのか。

 そう疑ってしまうほど、隙のない所作。


 そして、次の瞬間。

 シオンの足元に、金色の粒子が集まった。

 小さな黒猫が、ふわりと砂地へ降り立つ。


 【精霊実体化戦闘アストラル・マテリアライズ】。


 奇しくも、二人は同じ戦闘スタイルを選んだ。

 ここまでの戦いを見ていた観客が、遅れて息を呑む。


「……あの猫か」


 ライゼルは内心で吐き捨てた。

 また、あの時のように意味のない演技を見せられるのか。

 焦燥と怒りがライゼルの中で渦巻く。


 だが、ヴォルティノーグは違った。

 雷帝の纏う雷が、一瞬だけ鳴り方を変えた。


 ――興味。


 まるで、同格の獲物を見つけた猛獣の反応。

 ライゼルにとっては、それがさらに気に食わなかった。



「開始!」


 教師の合図が落ちる。


「蹂躙しろ!!」


 ライゼルの咆哮に合わせて、雷帝が前へ出る。

 自分がこの場の支配者だと言わんばかりの威圧感。

 雷帝は自身の魔力で形成した雷の大剣を担ぎ上げ、眼下の『敵』を見下ろした。


 瞬間、雷光が地面を走り、会場全体が白く染まる。


「行けッ!」


 ライゼルの短い命令と同時に、ヴォルティノーグが大剣を振るう。

 雷の刃が空を裂き、小さな猫へと降り注ぐ。

 直撃すれば炭化すら残らない一撃。


 だが。

 金色の猫が、ひらりと跳ねた。


 紙一重。

 ただ避けるだけではない。

 雷の落ちる角度に合わせて、体毛の表面で電気を受け流し、軌道をずらしている。

 あの小さな体で、あり得ないほど精密な魔力操作。


 どよめきが起きる。

 その声が、ライゼルの神経をやすりで削る。


「逃げるだけか?」


 ヴォルティノーグは踏み込み、さらに大剣を叩き込む。

 二撃。三撃。

 人間の目には同時多発的な落雷に見えるほどの超高速連撃。


 だが、猫はまた躱す。

 大きくは動かない。

 最小限のステップで、致命の線だけを外す。

 まるで舞踏でも踊っているかのような優雅さ。


 猫が地面を蹴り、金色の尾が残像になる。

 その瞬間、ライゼルの頬を何かが撫でた。


 痛みはない。

 だが、冷たい。

 光の粒が散り、そこだけ世界から切り取られたように空気が薄くなった気がした。


「……っ」


 ぞくり、とした。

 雷でも水でも火でもない。

 この世の属性(理)に当てはまらない、根源的な違和感。


 ライゼルはそれを“気のせい”として押し潰した。

 いや、押し潰さなければ立っていられなかった。


「ヴォルティノーグ、もっと出せ!!」


 雷帝が、低く笑う気配を返した。

 応えるように、雷が太くなる。

 空気が震え、観客席の生徒たちの髪が逆立つ。


 ライゼルの肺が熱くなる。

 分かっている。無理だ。

 【精霊実体化戦闘】は、維持するだけで術者の魔力も体力も削る諸刃の剣。

 相手を潰す前に、自分が削れていく。


 それでも止められない。

 王級の視線が背中にある。

 勝たなければならない。

 勝ち方も大事だ。圧倒して、黙らせなければならない。


 雷帝が地面を蹴った。

 巨体が動く。

 砂が吹き飛び、雷の軌跡が残る。


「終わりだ」


 ライゼルは宣告し、残る全魔力を一点に収束させる。

 ヴォルティノーグの大剣に魔力が集まり、太陽のような魔力球へと変わる。

 放てば、演習場の結界ごと吹き飛ばしかねない威力だ。


 短期決戦の切り札。

 ここで決める。


 そう思った瞬間。


 猫が、楽しそうに跳ねた。

 逃げるのではない。

 雷の球へ、真正面から突っ込んだ。


「正気か――」


 ライゼルの思考が追いつく前に、金色の粒子が雷を“撫でた”。


 撫でる。

 そんな言葉が一番近かった。


 雷の球が、爆ぜない。

 消えもしない。

 ただ、力の出力ベクトルが狂う。


 パンッ、と軽い音がして。

 必殺の雷球が四方へ霧散し、ただ会場を明るく照らすだけの照明へと変わった。


「――なっ…!」


 ライゼルは息を呑んだ。

 相殺ではない。干渉だ。

 しかも、乱暴な力技ではない。

 数式のプラスとマイナスを書き換えるように、余計なエネルギーだけを削ぎ落とし、結果だけを変えた。


 その瞬間、ヴォルティノーグの動きがほんの一拍遅れた。

 雷帝が、猫を見ている。

 面白がっている。今にもスタミナ切れで倒れそうな主を置いて、目の前の未知なる存在に心を奪われている。


 胸の奥が冷えた。

 見限られる。

 精霊に。観客に。世界に。


 ライゼルは焦りを憎悪に変え、自ら踏み込んだ。


「ふざけるな……!」


 息が荒い。

 肺が焼けるように熱い。


「直接やってやる…!」


 実体化を解除し、雷帝の姿が消える。

 代わりに、ライゼルの手には雷帝と同じ形状の雷の大剣が握られていた。

 最後の賭け。自身の肉体を使った特攻。


 身体は鉛のように重く、足取りはおぼつかない。

 それでも、足を止めない。まっすぐとシオンに向かっていく。

 魔力を絞り出し、反応速度を限界まで上げ、大剣を振り上げる。


 だが、シオンは受けない。

 避ける。

 最小限の動きで。

 あまりにも落ち着いている。


 そして――

 ライゼルは気づいた。


 自分が追い込んでいるのではない。

 自分が“追いかけさせられている”。


 短期決戦のつもりが、いつの間にか主導権を完全に奪われている。

 自身を取り巻く雷が、制御を失って荒れ狂う。


 限界だ。

 ライゼルの身体が悲鳴を上げている。

 それでも止められない。止めた瞬間、負けを認めることになる。

 次の攻撃で決める。いや、決めなければならない。


 そう思って大剣を振り抜いた、その瞬間。


 視界が揺れた。

 足元がずれた。

 雷で強化しているはずの脚が、言うことを聞かない。

 息が吸えない。

 胸が詰まる。


 全てにおいて他者を圧倒してきた彼の人生において、それは初めての経験だった。


 魔力切れ。すなわちガス欠。


「……っ、はっ……」


 膝が折れる。

 そこで、シオンが初めて前へ出た。


 シオンとともに、猫がふわりと跳ね、ライゼルの視界の端を横切る。

 金色の瞳と目が合った気がした。


 次の瞬間、攻撃が来ると思った。

 それは決定打になりえる大きな攻撃だ。

 だから構えた。最期の意地で。


 だが、衝撃は来なかった。


 ただ、意識だけがプツリと途切れた。

 まるで、最初からそうなることが決まっていたかのように。

 光の粒子がキラキラと瞬いていた。


 ――そこで、ライゼル・ヴォルトレイグの世界は暗転した。




「――勝者、シオン!」

 

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