5.連鎖する調和
室内である筈も宝物庫に、微かな風が吹いた。
撫でるような優しい流れに、髪が靡いていくのを感じた。
「あの戦い、何処まで覚えている?」
「光の束を防ぎ切った所までだ。その後は、力の反動のせいで気を失って、それ以上の事は何も……」
「確かにあの時、お主は全てを防ぎ切った。神の裁きを受けながらも、確かに生き延びた。しかもほぼ無傷、魔力の反動で気を失っただけという奇跡的な状況だった」
ギンコはあの場で、後の状況を見ていたのだろう。
零式解放による結界は、間違いなく神の裁きを防いだ。
気を失い長剣を失いながらも、それでも外傷なく耐え切る事が出来たのだ。
そして魔力行使と肉体消耗の反動で動けなかったオスカーを救ったのは、他でもない。
彼は目の前の銀狐を見上げる。
「やっぱり、俺を助けたのは……」
「察しの通りじゃな」
「どうして助けたんだ? 魔族の、それも王である筈の君が」
オスカー自身が魔王城に匿われ、そしてギンコがいる時点で何よりの証拠になる。
彼女は人族の勇者を助けた。
魔族を倒す怨敵でありながら、命を奪う絶好の機会を見す見す逃したのだ。
何故、手を差し伸べてきたのか。
疑問を抱くその視線に、彼女は真っ直ぐに見返す。
「お主は、神に反逆した」
「……!」
「人族にとって絶対である四神。その裁きに正面から相対し、守り通した。それは神に敵対する妾達魔族にとって、看過できるものではなかったのだ」
瞳には確かな意志があった。
決して気紛れではない、同情でもない。
人族でありながら神の裁きに抵抗したという事実が、迷いを抱いていた彼女を突き動かしたのだ。
そうして、かつて自分の身に起きた事を話し始める。
「妾達が神を知ったのは、魔将が現れてからじゃ。奴らは妾達魔族に向けて、人族を操る神々の存在を明かした」
「四魔将……邪神から力を与えられた魔族、か」
「恐らく力を分け与えられたと同時に、神なる者の知恵を受けたのじゃろう。始めは半信半疑じゃったが、強大な力を持つ奴らに反論する者はいなかった」
「……俺達の身体にあった刻印も、まさかその時に?」
「うむ。同じように伝えられた」
人族の背後に神がいる事、そして刻印が刻まれている事は簡単には知り得ない。
それこそ同じ神からの知恵を受けなければ、決して知られはしない。
魔将が現れたのは、魔族にとっては転機だったのだ。
神の一柱が裏切った事実は信じ難いものだったが、力を受け継いだ四魔将は、絶大な力を誇っていた。
魔王に匹敵する者が四体も現れたのだ。
逆らう者が現れるとは到底思えない。
そしてギンコすらも従え、魔族を束ね、彼らは人族への制裁のために動き出した。
「そうして合点がいったのだ。人族を制した所で、何も変わりはしない。その背後には、強大な力を持つ者が控えている、と。それを皆が悟ったのは、過去にある出来事があったからじゃ」
「一体、何が……」
「先代の、勇者と魔王の戦いじゃ」
唐突に過去の戦いを仄めかされる。
まるでそこに、神々の思惑が隠されているかのように。
気付かせるように問うてくる。
「かつての戦い、その顛末は知っているな?」
「あぁ。確か魔王が自爆して、大司教以外の皆が生死不明に……」
オスカーはそこまで答えてハッとする。
先代勇者パーティーは、突如巻き起こった強烈な爆発によって壊滅した。
原因は不明だった。
恐らくは先代魔王が死の寸前に放った自爆だろうと伝えられていた。
しかし、今のオスカーには心当たりがあった。
彼自身がまさに境海で体験した光の渦。
全てを消滅せんとした裁きの光と、似通っている点に。
「まさかっ!?」
「そのまさかじゃよ。先代魔王にそのような力はなかった。残って、いなかったのだ」
ギンコは悲しそうに目を伏せた。
かつて戦いに殉じた先代魔王に思いを馳せているのだろう。
考えてみれば、それだけの爆発を生み出す魔力があるのなら、自爆などと言う非効率な手を使う必要がない。
その魔力で以って、正面から勇者達と戦えば良かった話だ。
自身の命を犠牲にしてまで行う意味がない。
それはギンコだけではなく、他の魔族も理解していたのかもしれない。
「断言する。あの爆発は、決して先代魔王が放ったモノではない。そして、先代勇者達が起こしたモノでもない。あれは天上からの裁き、神の裁き。光の束によって、周囲一帯は塵灰と化したのだ」
「馬鹿な! 幾ら何でも理不尽過ぎる! 魔王を倒すだけじゃない、勇者の皆を巻き込んで、何でそんな事をする必要が……!」
「簡単な話じゃ。そうする事で、調和が保たれる」
「な……!?」
思いもよらぬ言葉に、愕然とする。
調和を保つ。
それは今の流れから、決して平和のためではないものだと容易に察せた。
平穏などとは程遠い真意。
戦い、そして争いの均衡を意味していた。
「神々は決して魔族を滅ぼそうとしている訳ではない。奴らが望んでいるのは調和。調整の理。人族と魔族が力の均衡を保ちながら敵対し、存続し合う事こそが真の狙いだった」
「まさか、境海での出来事も……!?」
「魔将・エスゼリクと竜人・エイダ。あの二人を巻き込んだのは偶然ではない。意図しての事じゃ。理由は単純。そうする事で、両種族の帳尻合わせが出来るからだ」
そこまで聞いて、オスカーは自然と握り拳を作っていた。
かつて女神・アナスタシアが放った言葉を思い出す。
お前達には、神の加護があると。
当初はまるで理解できなかったが、今ならハッキリと分かる。
加護とは、光の裁き。
そしてその裁きは、エスゼリクを仕留めるためにエイダを小さな犠牲として済ませようとする意図ではなかった。
それは大きな間違いだった。
神々はエスゼリク諸共、エイダを殺そうとした。
明確な意志、目的を持って彼女を殺そうとしたのだ。
父に歩み寄るべきか否か、迷っていた幼い少女の心を惑わし、戦いを強制させ挙句、呆気なく切り捨てた。
あの場でオスカー達を紋章で抑えつけたのは、もしもの時があった場合、力の均衡が崩れるが故。
神々にとってエスゼリクの消滅と共に、エイダが死を迎える事こそ、最も都合の良い展開だったのだ。
力強く込めていた拳を、次第に解いていく。
怒りはある。
女神なる者に問い詰めたい気持ちもある。
だがそれよりも確かめなければならない事があった。
「皆は、エイダは無事なのか?」
「……真っ先に、それを聞いて来るものと思っていたのだがな」
「聞くのが、怖かったんだ」
神の意志に惑わされ、それでも自分は救えたのか。
勇者として、人として、大切な命を守れたのか。
自分以外の人の気配がない今、ようやく彼は聞き出した。
「教えてくれ。俺は、守り通せたのか?」
「……」
「ギンコ……!」
「……直に会える。お主は、確かに守り通した」
彼女は簡潔にそう言うだけだった。
そこに嘘偽りはない。
もしかすると、今は会えないだけで近くにいるのかもしれない。
これだけ広大な城の中なのだ。
一ヶ月間、眠ったオスカーの世話をしていたのが彼女だけとは思えない。
彼はその言葉を信じるしかなかった。




