23.神の手筈通り
隔絶された空間の狭間で、エイダは実の父親、エスゼリクと対面する。
影だけで彼女を覆い尽くすその姿は、まさしく竜ではあったが、竜と呼ぶには気配が異なっていた。
両翼も外殻も、全てが氷で模られたかのような有様。
唯一、金色の目玉だけが生命としての体裁を保っている様にすら見える。
かつてとは、全く違う。
出で立ちも、そこから放たれる魔力も、異質なモノへと変貌していた。
「本当に、お父さんなの……?」
エイダは小さく問う。
過去、父親との直接的な関わり合いは殆ど無かった。
彼が接触を全て絶っていたが故に、詳しい事情など全く分からない。
魔将と化した理由すらも知る由もない。
だが、彼女はそう問うしかなかった。
問うしかない程に、今の姿は断片的な過去の光景、普通の竜族とは明らかに食い違っていたからだ。
「何のために、此処に来た」
「……!」
「里から抜け出し、魔族の領土から抜け出し、全てから逃げ出したと言うのに。今更何のために現れたと言うのだ」
ゾッとするような声が響く。
間違いなく父だ。
それだけで周囲が凍り付きそうな感覚すら駆け巡る。
自然と記憶の彼方に追いやって来た過去の光景が思い起こされる。
だが、エイダも臆するだけではなかった。
あの時とは違う。
全てを諦め、逃げ出す事しか出来なかった頃とは違うのだ。
自分の意志で、全てを知る為に此処まで来た。
彼女は逸らしかけた目を、エスゼリクに向ける。
「確かめ、たかったの」
「……何だと?」
「お父さんが何を考えているのか、確かめたかったの!」
一人では決して相対できはしなかった。
手を差し伸べてくれる、共に戦う仲間がいたからこそ、この場所まで辿り着いた。
だからこそ、彼女は尋ねる。
「オスカーやザカンは何処に行ったの!? 答えて!」
「此処にはいない。お前に手出しをする事も出来ない。言えるのはそこまでだ」
時間が経とうとも、周囲の闇が晴れる様子はない。
此処がまともな場所とは考え辛い。
結界の中、或いは別の空間と考えるべきだった。
つまり彼らが弾き出されたのではなく、自分自身が取り込まれたのだろう。
しかしエスゼリクが目の前にいるのなら、二人に身の危険はない。
あくまでオスカー達の身を案ずる彼女に、彼は冷気を吐いた。
「下らない。人族に感化されたか。竜の血を持っていながら、人族に加担するなど有り得てはならない。加えて己れの配下の者達を薙ぎ払うなど……やはり、お前は存在してはならなかった」
「存……在……?」
「間違えていたのだ。始めから全て」
実の娘に対する言葉ではない。
確かにエイダには竜達に遠ざけられていた経験はあったが、存在を否定されるような言葉を投げ掛けられる事などなかった。
やっと自分の意志で歩み寄ろうとしたのに、待っていたのは完全な拒絶。
いや、拒絶の方がまだマシだったのかもしれない。
到底、許せる発言ではない。
彼女は拳を震わせる。
「そうさせたのは、貴方じゃない……」
「何……?」
「貴方が、そうさせたんじゃない……!」
怒りのまま魔力を身に纏わせる。
自身を中心に周囲の空気を引き寄せる。
竜の帰属能力だった。
エスゼリクが放った冷気を自分のモノにして、感情のままに今にも解き放とうとしていた。
「何で、何でこんな事ばかりするの!? 貴方の考えている事、何も分からないわ! 昔からそう! 何を言っても、何を聞いても答えてくれない! 他の竜だってそうよ! エイダが亜人だから!? 亜人だから何も言ってくれなかったの!? 教えて!」
その言葉を区切りに、エイダは冷気を解放した。
収縮していた空気が一気に膨張し、物理的な壁の如くエスゼリクに飛来する。
威力は砲弾のようで、当たれば弾け飛ぶ位はあるだろう。
だが冷気の波動は、彼に触れる瞬間に四散した。
傷を与える所か届くことすら敵わず、彼女は動揺する。
「っ!?」
「無駄だ。竜の帰属能力も、より高い魔力を持つ者が優先される。己れには届かん」
飛散した冷気は、再びエスゼリクの元へと集められる。
それだけでなく、帰属させた冷気に彼の新しい魔力を加えられた。
青白かったソレは白銀のように輝きを放ち、氷が割れるような音を次々と響かせる。
あれを受けるのは危険すぎる。
荒れ狂う思いの中でもエイダがそう悟った瞬間、彼は一気に魔力を解き放った。
「大氷華」
巨大な氷柱が何十もの数を成して、地面から飛び出した。
氷柱が花開く花弁の如く広がり、ゆっくりと根を下ろす。
反射的にエイダは後方に飛び退き、直撃を防いだ。
しかし、着地してから左足の違和感に気付く。
左足のつま先が凍り付いていたのだ。
寒さはないが、地面でもある氷河に触れると氷同士で吸い付いてくる。
移動が難しい状況に違いはない。
苦しい表情をしていると、エスゼリクが氷の花を越え、ゆっくりと近づく。
「竜族は既に、かつての誇りを失った。己が種族の意味すら忘れ、人族がのさばる事を良しとした、愚鈍で蒙昧な連中。奴らが己を竜と呼ぶ事すら烏滸がましい。故に己れが動く。最早、竜が怯え続けるだけの時代は終わったのだ。それを知らしめるため、人族へ限りない報復を与える」
「その中に、エイダもいるの?」
「……当然だ」
情は欠片もない。
アリアスやカイツェルがそうしたように、人族に対する憎悪で染まっている。
それは亜人も同じ。
人の血を持つ者は等しく、彼の前では敵として認識される。
魔将として共通の固定観念。
変わることのない悪しき感情。
彼女は今までの戦いで、それを存分に味わってきた。
「お前は他の竜と違い、己が考えを持って里を抜け出した。その点だけは褒めてやろう。かつての圧制から逃げ続け、そのまま孤独に生きていくと言うのなら、誰も手出しはしなかった。だがこうして、己れの計画の邪魔をすると言うのならば容赦はしない」
「人だから滅ぼすの!? 皆がどんな考えを持っているかなんて考えずに、人だからって、それだけの理由で憎んでいるの!? だから、人の血があるエイダも嫌ったの!?」
「己れは気付いたのだ。奴らは所詮、神の尖兵。存在してはならない種族なのだと」
「……ッ! 業火吹!」
思わず口から息吹を吐き出す。
今までの中で一番魔力の乗った攻撃だった。
左足の氷結も含め、氷を瞬く間に解かす程の業火が全域に広がる。
根差していた氷華だけでなく、エスゼリクも火炎に包み込まれる。
すると効果があったのだろうか。
彼の全身が溶けだし、溶けた水が滴り落ちる。
足元に大量の水が染み渡り、蒸発する音すら聞こえ始める。
だがそれはおかしいとエイダは気付いた。
生命体である以上、解けて水が滴り落ちるなど有り得ない事だった。
「えっ!?」
不意に自分の身体に影が差したと思った瞬間、背後から強烈な力で地面に押し付けられる。
うつ伏せの状態で胸が圧迫され、息が漏れる。
見えるのは白銀の鉤爪。
どうにか視線を向けると、そこには先程と変わらない姿で、エスゼリクが見下ろしていた。
「う……ぁっ……!」
「無駄だ、と言った筈だ」
一体どういう事だ。
エイダはもう一度、炎に焼かれているエスゼリクだったモノを見た。
確かにそこには彼らしきモノが、今も解けて蒸発している。
転移したのではない。
単純な移動だけなら、あの蒸発体は説明がつかない。
となれば、身代わりか何かだろうか。
先程まで話していた相手は、エスゼリクが生み出した全くの偽物。
そう考えられない訳ではない。
しかしエイダの五感では、自分を含め、今まで二体以外の反応は見られなかった。
直径50m程の氷河だけの空間。
他に気配があれば直ぐに分かる筈。
だと言うのに業火吹が直撃した瞬間、いきなり反応が一つ増え、背後から襲い掛かったのだ。
押し伏す鉤爪の力は、まさしく竜族そのもの。
決して偽物ではなく、竜人であっても自力で抜け出すことが困難な程に押し付けられていく。
「どう……して……」
「理由は既に言ったはずだ。アレ以上の答えは存在しない。だが、そうだな……幾ら人の血を持つとは言え、かつての己れの娘である事に変わりはない」
「なに、を……」
「一つ、条件を提示しよう」
力を緩めることなく、冷静にエスゼリクが提案する。
今になって何を言うのか、彼女には皆目見当がつかなかった。
すると一方的な要求を突き付けられる。
「今から此方側に寝返れ」
「!?」
「お前がオスカー・ヒルベルトと敵対し、あの男を殺すと言うのであれば、過去の全てを水に流そう。亜人であると言う事実も、この際は目を瞑る。お前は己れには及ばないが、他の魔族を圧倒するだけの力がある。同じ意志を持つ者として動くのであれば、受け入れてやっても良い」
今まで築き上げてきたものを全て捨てろ。
信頼も友情も、その全部を裏切れ。
そうすれば元の娘として迎え入れても良いと、エスゼリクは言った。
断れば抑えつけたまま命を絶つという、無言の脅迫でもあったのだろう。
言葉の意味を理解したエイダは、次第に俯く。
そして見上げる様子もなく、目を合わせるでもなく、静かに答えた。
「ふざけ、ないで」
「……」
「先に嫌ったクセに、見ない振りをしたクセに。やっと見つけた、エイダの大切なモノも全部、全部奪う気なの……? そんな事、絶対にしない……しないわ……!」
恐らく自分では父には勝てない。
向けた牙を呆気なく抑え込まれ、そう彼女は悟っていた。
だがオスカー達を裏切るなど、出来る筈もない。
彼らを手に掛けるのは、何も信用しなかった過去の自分に戻るだけでない。
思いも感情も無い、浅ましさしかない自分に堕ちてしまうのだ。
そうまでして生き延びて、生き残って、何が残ると言うのだ。
故に彼女は否定する。
間違ってもそんな要求を呑むなど有り得ないと、明言するように。
「そうか。ならば……」
エスゼリク自身、娘の答えは分かっていたのかもしれない。
拒絶の言葉に然程驚いた様子はない。
そしておもむろに、もう片方の腕を彼女の目の前に向ける。
触れるだけで切り裂く竜の爪が、容赦なく振り上げる。
「ここで死ね」
「っ……!」
思わずエイダは目を瞑る。
結局、分かり合えはしなかった。
父が何を考えているのか歩み寄ろうとはしたが、話し合いなどできない程に、互いに考え方が違っていた。
元から抱いていた思いなのか、魔将という新たな力を得たためなのか、どちらなのかは分からない。
ただ、父は自分を見ていなかった。
始めから、見ようとしていなかったのだ。
強く瞑った目元に、涙すら浮かぶ。
その瞬間だった。
目元だけではない、彼女の全身がほのかな温かい光を感じ取る。
「な、何だ、この光は!?」
「え……」
予期せぬ事態にエスゼリクも驚きの声を上げる。
伏せられたままのエイダは、ゆっくりと瞼を開いた。
視界の先にあったのは得体の知れない光。
手のひら大の光球が、彼女達の前に現れていた。




