22.神の知らぬ間に
得体の知れない雪崩が襲い掛かり、エイダが次に目を開いた時、彼女は見知らぬ空間にいた。
直径50m程の青白い氷河に立つだけで、その他は全て黒く塗りつぶされている。
他の景色はなく、陽の光もない。
だが暗闇には包まれず、自分を含めて色も姿形も確認できる不思議な場所。
状況はまるで分からなかったが、敵からの攻撃を受けた事だけは理解した。
「オスカー! ザカン! 何処にいるの!?」
氷河の上にいるのはエイダだけだった。
他には誰もいない。
そして周囲の気配が今までとは様変わりしている。
まるで別の空間に引き摺り込まれたような匂いを感じていた。
「気配も、音も、さっきと全然違う……もしかして、別の場所……?」
するとそれに応えるように、目の前に掌サイズの氷の塊が浮かび上がる。
塊は魔力を帯びながら徐々に大きさを増し、翼を生やし、骨格を形成していく。
鋭い鉤爪、頑強な鱗、竜の全身と山羊の頭部。
その姿に、エイダは見覚えがあった。
「その顔、もう二度と見ることはないと思っていた」
「!?」
凍り付くような声が響き、氷塊が生き物としての形を成す。
現れた姿は人族の間では囁かれるだけの伝説上の生物。
魔族最強種、竜族そのもの。
そして過去、彼女が出奔する切っ掛けとなった、血を分けた実の父親。
「おとう……さん……」
心臓を掴み取ってきそうな威圧的な姿。
以前とは比べ物にならない禍々しい魔力を放ちながら、魔将・エスゼリクが声を震わせるエイダを見下ろした。
●
「どうした、オスカー! 何か聞こえるのか!?」
晴れ渡った境海の上で、オスカーは魔王・ギンコの声を聞く。
しかし傍にいるザカンには聞こえないようで、何が起きているのか分かっていないようだった。
当然、何度も周囲を確認した所で何の気配も感じられない。
『お主以外に、妾の声は聞こえぬ。それと、見渡しても無駄じゃぞ。既にお主は、我が能力を知っている筈じゃろう』
「……やっぱり、生き延びていたんだな」
『元々は先兵として、クラーケン共と同じく戦うつもりじゃった。じゃが、事情が変わった』
透過能力で姿を眩ませる中、意味深な事を言う。
確かにオスカー達は、最悪ギンコが再び戦場に出る可能性も考えていた。
そして実際、彼女も再び相対するつもりだったようだ。
だがそこで何かが起きたのだろうか。
オスカー達に危害を加える様子はない。
未だに透過を解除しない辺り、別のモノを警戒しているのかもしれない。
彼は心配するザカンに声を掛けた。
「……大丈夫。相手は敵じゃない」
「味方、なのか?」
「どっちとも、言えないかな」
敵として現れた訳ではないが、完全な味方でもない。
それでもわざわざ声を掛けてきたのは、向こうに話す意志があるという事だ。
無闇に敵意を見せて、状況を悪化させる意味はない。
冷静に抜いていた剣の切っ先を降ろすと、ギンコの残念そうな声が聞こえてきた。
『どうやら、妾は不要と判断されたようじゃ。エスゼリクから不意打ちを受けた。あやつが何を考えているのかは分からなんだが、そこで一度死んだ』
「死……」
『大袈裟じゃったか。ただ、尾が一つ消えただけの事。奴は全ての尾を刈り取ったと思っておるようじゃが、妾とて魔王。簡単にやられはせぬ』
恐らくエスゼリクとの間で不和が起きた。
そして彼から一方的に切り捨てられたようだ。
ギンコには命のストックである九つの尾がある。
普通の魔族ならば一度殺されればそこまでだが、彼女はそれを利用し、何とか生き長らえたらしい。
姿を隠しているのは、彼に生きているのを悟られない為か。
オスカーは先程の強烈な雪崩を思い返し、問いを投げる。
「さっき、エイダを探しても無駄だと言っていたな。あれは、どういう事なんだ?」
『エスゼリクの力じゃ。奴の凍結によって、あの娘は別の空間へと飛ばされた』
「まさか、転移術式……!」
『似て非なるものよ。確かにエイダらは、この近くにおる。確かに近くにはおるが、別の次元、別の空間、表と裏の、裏の世界に引き摺り込まれた』
極限にまで凍結された空間は、大きな歪みを生じる。
その歪みを利用して亀裂を作り、対象を引き摺り込む事も不可能ではない。
強大な魔力無くしては成しえない、理論上は可能と言われるだけの空想じみた論理。
以前、彼はその現象を書物で読んだ記憶があった。
「極限凍結による次元断絶現象……」
『よく気付いたな。今頃あの娘は、狭間の空間で実父と再会している。親子水入らずの邂逅と言うべきかもしれんな』
先程の雪崩。
零魔剣によって凍結は防ぎ切れたが、物理的な空間断絶までは抑えきれなかった。
故に呑まれかけていたエイダが巻き込まれた。
エスゼリクは彼女を狙って、その現象を引き起こしたようだ。
幾ら竜人であるエイダであっても、魔将相手に単独で敵うとは思えない。
それに相手は実の父親だ。
万全の状態で戦える筈がない。
再び彼は剣を持ち上げるが、それよりも先にギンコが制止する。
『待て。助けに行くのは勝手じゃが、妾も確かめなければならない事がある』
「確かめる? 一体、何を……」
『お主たちは、何が目的でこの場に訪れた?』
今更な問いである。
この状況、あの惨状を見て、どんな目的があるのかなど分かっている筈だ。
考えるまでもなく即答する。
「そんなものは決まっている。魔将を止めて、この大吹雪を終わらせる為だ」
『それは、お主の確かな意志か?』
聞き覚えのある言葉だった。
大灯台で問答を繰り返した、魔将・カイツェルと同じもの。
お前の考えは、本当に自分自身が考えて導き出した答えなのか。
少しだけ間を置いて、その心当たりを口に出す。
「カイツェルが言っていた、刻印を気にしているんだな?」
「刻印……俺達人族に刻まれていたっていう、アレか……」
「うん。まだ、殆どの人が信じ切れていないけれど、あの紋様は確かに存在した」
ザカンも刻印については、ある程度の情報を得ている。
何者かの意志を受け、操作する為に植え付けられた紋章。
何処までが真実かは分からないが、確かにそれは存在した。
そして今、刻印はカイツェルによって消滅している。
ギンコが何を確かめようとしているのか、次第に分かってきた。
「アンタが危惧しているのは、俺達が神々の意志によって操られた人間かどうか……。やっぱり、刻印の存在を知っていたんだな」
『無論。例え刻印を失ったとしても、今までの観念全てから解き放たれる訳ではない。身体に染みついた癖が離れないように、根に植え付けられた衝動には決して逆らえん』
「……だったら、俺が言えるのはコレだけだ」
刻印については謎が多い。
それでも神の顕現によって強制された戦い、強制された人員。
確かな考えがあったとしても、そこに彼らの意志が介在していないとは限らない。
だからこそオスカーは、神に従うのではなく、人々を守る勇者として明言する。
「俺は神なんて、どうでも良いと思っている。ここに来たのは自分の意志だ。神がいてもいなくても関係ない。勇者として皆を守るために、今の俺が出来る全力を出し切る。お前達魔族にどんな考えがあるのかは分からないけど、築き上げてきた、育まれてきた皆の命を奪うというなら、俺はそれに立ち向かうしかないんだ」
今までの神々に対する不信感がそのまま出たような言葉だった。
エイダやザカンを戦場に投入すると言われた時点で考えていたものだ。
戦力増強という尤もらしい理由があったのかもしれないが、神自身は決して動かない。
導くだけの存在、そう言えば聞こえはいいが、彼としてはそこが気に入らなかった。
高みの見物という状況が、今まで戦い抜いてきたオスカーとは相反するものだったからだ。
「オスカー……お前……」
『そうか。それがお主の意志か』
少しだけギンコの声が柔らかくなったような気がした。
すると突如、目の前に銀色の毛並、巨大な狐が現れる。
オスカーもザカンも、今まで透過していた力を解除した事に多少なりとも驚く。
ただ今の彼女の尾は二つ無くなり、七つに減っていた。
「……!?」
「妾も、神という存在は信じておらん。神と言うても、所詮は同じ生命体。他の種が怖れを抱くように名を広めただけに過ぎん、そう思っておる。じゃが、魔将は違う。あやつらは邪神によって力を分け与えられ、思想も考え方も変わってしまった」
「邪神……叡智神・メイティス……」
「……知っておったのか」
「あぁ。パラミナに女神が顕現して、魔将が何者なのかを語ってくれた」
大聖堂に現れた女神・アナスタシアについて話す。
本来、魔族相手に女神の存在を明かすなど御法度に近い。
許される事ではないかもしれない。
しかし、ギンコに驚きはなかった。
予測していたと言わんばかりに、小さく溜め息をつく。
「そうか……やはり、神は顕現したか。ならば、あやつの言う通り……」
「お前達は、女神が現れる事を予期していたのか!?」
「無論じゃ。それこそが魔将の狙い、そして……」
彼女は躊躇いながらも立ちはだかっていたその場から身を引き、彼らに氷塊の大地を見せる。
未だエスゼリクの凍結は持続しており、雪は降り続けながらも境海の雪景色は続いていた。
「この先に聳える氷山脈に、あの娘は囚われておる。助けるかどうかは、お前たち次第じゃ」
「ギンコ……いや、ありがとう……」
オスカーは礼を言う。
彼女が何を考えて道を譲るのかは知らないが、敵意は感じられない。
騙そうとする意志も見られず、その言葉は真実なのかもしれない。
そして互いに神という存在に疑問を抱いている。
手掛かりのないオスカー達からすれば、それは有益な情報に違いなかった。
兎にも角にも、今はエイダを救い出す事を考えなければならない。
これ以上ギンコは話し合うつもりはなく、無言で二人の様子を見届けている。
オスカーはザカンに目配せをして、一緒に向かうよう伝える。
彼もそれを理解したようで、考え込む表情を止めて、ゆっくりと頷いた。
共に駆け出し、彼女の横を通り過ぎる。
すると擦れ違い際に、微かに声が聞こえた。
「一つ忠告しておく。神の裁きには注意しろ」
「裁き……?」
「妾が言えるのは、ここまでじゃ」
詳細は語らない。
ただ忠告だけを心にとめ、オスカー達は再び走り出した。
仲間を救い出すためだけに奔走する彼らの背中が、徐々に小さくなっていく。
遠くで見届けたギンコは、そのまま白い息を吐いた。
彼女の脳裏には、過去の光景が映し出されていた。
かつて勇者と呼ばれながらも、魔族に手を差し伸べようとした者の姿。
曇りを知らず、迷いを知らず、ただ自分の信じるもののために力を振るった人物。
彼ならば、邪に染まったエスゼリクも思い出せるだろうか。
そう思える程に、今のオスカーは当時のそれと酷似していた。
「神を否定し、神の敷いた道ではなく、自ら選んだ道を歩む。マリーよ、かつてお主が通った軌跡を、あの男も歩もうとしている。ならば……妾は……」
そこまで言って彼女は目を瞑り、透過能力を行使する。
その姿は誰にも知覚されることなく、氷結の海から消失した。




