32.デバフ勇者、生き続ける信念
再び落ちた意識の中で、オスカーは僅かな温かさを感じ取った。
何処か懐かしく覚えのある感覚だ。
窓の向こうからの陽光を浴びる、幼い頃の記憶。
これはかつての病室に取り残された、自分の姿だろうか。
思い出すよりも先に、誰かの声が聞こえてくる。
「おい! おい、しっかりしろ! 二人共、目を覚ますんだ!」
この光は夢ではない。
現実の陽光だ。
瞼の向こうから見える眩しさに意識を取り戻し、目が覚める。
「ここは……?」
「ん……眩しい……」
エイダの声が聞こえる。
同じく意識を失っていたのだろう。
上体を起こして横を見ると、寝転がったまま目を擦る彼女の姿が見えた。
お互いに大事はなく、傷もほぼ全てが完治している。
どうやらここは大灯台の外、雑木林付近の芝生らしい。
ただ、自分でここまで移動した記憶はない。
一体誰が、と思っていると新たな人影が正面に現れる。
逆光の中、父のザカンが安堵したように胸を撫で下ろしていた。
「良かった! 気づいたんだな……!」
「あれ、父さん……俺達は一体……」
「灯台の最上階でぶっ倒れていたから、ここまで運んできたんだよ。ったく、最初見た時は心臓が止まるかと思ったぜ」
心配させやがって、と言わんばかりに腰に手を当てる。
彼が言うには、最上階で響き渡っていた戦いの音が消えた事に気付き、救助へと向かったのだという。
治癒を終えた騎士団と共に、大灯台へ潜入。
全ての武器が破壊された道中を潜り抜け、最上階で意識を失った二人を見つけた。
更に、筒の中で閉じ込められていた監視員達の救出も成功したらしい。
よくよく周りを見ると、騎士団が意識を失っている監視員達を保護している様子が映った。
あれだけ傷ついていた彼らの身体も、軽傷と呼べる範囲まで回復している。
ザカンが懸命に治療を行った成果なのだ。
ただ気になる事が、もう一つだけある。
「光の玉が一斉に落ちてきてな。俺も含め、治療していた騎士団も眠っちまったんだ。始めは毒にやられたかと思ったが、そうでもないらしい。しっかり見て回ったが、身体の方は全く問題がなかったからな。所謂、睡眠薬だったのかもな」
「……その光の玉、何処まで行ったか分かる?」
「そりゃあもう一気に、だ。あの勢いじゃパラミナだけじゃなく、オルテシア王国にまで届いてそうだが……アレは、お前がやったんじゃないのか?」
やはりカイツェルが放った薬物は、他にも影響を与えていたらしい。
パラミナだけでなく王国全土の人々すら、眠りに落ちた可能性がある。
今の状況では調べようがないが、毒ではない事は確かだった。
オスカーとエイダは、ありのままの真実を語る事にした。
「魔将が撒いた薬物だとぉ……?」
「そうなの。エイダ達の印を、消すために使ったんだって」
「ま、マジかよ……俺が目覚めた時には消えて無くなってたからなぁ。気を失う直前にでも、採取できてりゃ、精査のしようがあったんだが」
既に光の群れは消滅している。
爆発的に増殖し、その後は急速に消える様な構造だったのかもしれない。
後に採取され調べられることを防ぐためか。
何にせよ、事は全て終わってしまった。
オスカーは右手を持ち上げ、その掌をじっくりと見てみる。
「本当に身体の刻印が消えたんだろうか」
「エイダには、全然実感がないわ。オスカーは、どう?」
「俺も同じだよ。と言うか、刻印があった自覚もなかったけど……」
あるのは零攻剣の反動による倦怠感が、未だに身体を縛っている位だ。
身体の免疫はより重くなっただろうが、全く以て、それ以外に異常はない。
カイツェルの言葉は真実だったのだろう。
そしてそれが真だったのなら、刻印の存在も、その存在意義も完全に否定できなくなる。
刻印が存在する限り、人族は神々の意志に逆らえない。
彼は確かにそう言った。
そしてオスカー達は刻印を解除するために、大灯台に巣食う魔将を討ち取った。
結果として勇者と魔将の目的は同じだったのだ。
四魔将の内、二体を倒した中で妙な違和感を彼は感じ取った。
何故、自分達は互いに争わなくてはならないのかと。
「オスカー・ヒルベルト」
不意に届いた声のする方向を振り向くと、宮廷騎士団の副団長がそこにいた。
鎧の半分近くは砕け、包帯も撒かれているが、動く分には問題はなさそうだった。
後方には何人もの騎士達が列を揃えて、こちらを見据えている。
かなりの数だったが、敵意はない。
殆ど無防備だった三人に向け、副団長は口を開く。
「灯台の監視員達は、我々宮廷騎士団が救出した。ウィルズ様を含め、他の救出者を捜索した後、パラミナの大修道院へ報告し、彼らの身柄を引き渡すつもりだ」
「……お願いします」
どの道、単独では意識を失った監視員達を運ぶことは出来ない。
それに監視員の中には王国出身の者もいる。
手荒な真似はしないだろう。
彼らの身の安全は騎士団に任せることにして、オスカーは頭を下げる。
すると副団長は続けてこう言った。
「我々は貴方達に命を救われた。思う所はあるが、それだけは確かな事実として、騎士の皆が受け止めている。王国に帰還した後、その事実を王族の方々に進言しよう」
「え……」
思わぬ発言が飛び出て、オスカーは面食らう。
エイダやザカンも、まさかと言った様子で顔を見合わせた。
「俺達を、捕まえないんですか?」
「我々の目的は大灯台を占拠する魔族の討伐。貴方を捕える事ではない」
確かにナワテコ村でも、王国の兵士達は占領された大灯台を解放するために向かったのだと聞いていた。
鉢合わせをすれば、いざこざが間違いなく起きる。
王族殺しであり、勇者殺しの汚名を持つオスカーを逃がす筈がないと思っていた。
だが実際はその逆。
彼らは命を救われたという事実を目にし、その恩義のために集まったのだ。
「我らが命の恩人に、そして勇敢なる戦士に敬礼を」
副団長の声を共に、皆が剣を一斉に掲げる。
そして礼を言うよりも先に、彼らは敬礼を止め、背を向けて去っていった。
余計な言葉はいらない。
彼らの不器用な優しさが垣間見えた気がして、オスカーはゆっくりと息を吐いた。
日差しが眩しく照り付けてくる。
目を細めるだけで手を翳しはない。
今までの行動が、決して間違いではないのだと伝えているようにも感じられた。
するとエイダがゆっくりと傍に近寄り、こちらを見上げた。
「良かったね、オスカー」
「そう、だな」
「ギンコには逃げられちゃったけど……」
「あぁ。でも俺達に戦いを挑んでくることは、もう無い気がする」
「そうなの?」
「勘だよ。戦っている間、ギンコはずっと辛そうに見えた。あれは、死を願っていた頃の彼女とは違った」
そう言って、カイツェルとの戦いを思い出す。
あの時点では封印状態だったギンコが出来る事は何もなかった。
ただ両者の戦いを見届けるのみ。
そんな中でも、彼女は双方を止めようと制止の声を上げていた。
転移する直前も、悔しそうな表情のまま目を逸らしていた。
何一つ成し得ない歯痒さ、不甲斐なさ。
自分を責める感情が、かつてのオスカーの過去と重なった。
「覚えがあるんだ。俺が昔、一歩も外に出る事がなかった時と同じ」
「オスカーは、本当に今も……?」
「まぁ、ね。俺の身体は、普通には生きられない。今だって、こうやって外の空気を吸うだけでも、時々途轍もなく恐ろしくなるんだ」
「……知らなかったわ」
「そりゃ、言ってないからなぁ。これを話すのは、エイダが初めてだよ」
オスカーが抱える弱点は、父のザカン以外は知らない。
周囲に伝えたとしても何の利点もないからだ。
他の薬師を紹介してもらうという手もあったのかもしれないが、残念ながらそれは叶わなかった。
ザカンが振る舞う薬草パーティー、もとい常用薬は他では作れない。
貴重な薬草を多量に使う事も含め、あまりに複雑な作り方故に、他の薬師では再現率が限りなくゼロに近かったのだ。
それ程までにオスカーの身体は、免疫耐性がない。
勿論、死に物狂いで築き上げてきたのもそうだが、扱うデバフが一線を画していたのは、これが原因でもある。
それと同時に、常に死と隣り合わせだった。
今までの中で一番彼を死に追い込んだのは、魔王でも魔将でもない。
何の変哲もない、小さなネズミだったのだ。
「でも、自分の殻だけに閉じこもっていたら、何も始まらない。少しでも前に進もうって思った。不公平を嘆くんじゃなくて、一歩足を踏み出して、手を伸ばして、皆と同じモノを掴むために。ギンコも、それを良い意味で分かってくれれば良いんだけど」
「それが、分からなくても」
「?」
「分からなくても、気付く筈だわ。今生きている事が、とても大切なんだって」
本来ならば戦いに出向くことすら危険なのだろう。
それでもオスカーは自分に出来ることを考え、この道を選んだ。
勇者として進み続けることが、彼にとって生きることに繋がるのだ。
そこまでの話をしてエイダは、ふと彼を見た。
日差しを浴びながら、空を見上げる姿が目に映る。
何故かは分からない。
本当に何故かは分からないが、彼女には彼がとても遠くに見えた。
もし、全ての戦いが終わって勇者が不要になったなら。
彼は一体、どうなってしまうのだろう。
思わずエイダはオスカーの腕をギュッと掴んだ。
「ど、どうしたんだ急に?」
「分からないの……ただ、オスカーが急にいなくなっちゃいそうで……」
「心配、してくれてるんだな。ありがとう。でも、大丈夫さ。勇者である俺が、そう簡単にいなくなったりなんてしないよ」
元気づけるようにオスカーは笑顔を見せる。
勇者が必要なくなった後のことも、既に気付いているのかもしれない。
だが命続く限り、その信念を捻じ曲げることはないのだろう。
それが彼の覚悟だった。
「生きるってのは、とても難しい事なんだぜ」
そこまで見ていたザカンが不意に口を開く。
「ただ食って寝てをすれば良いって訳じゃねぇ。俺達には感情がある。勇気をもって踏み出すこともあれば、その逆だってある。そしてそれが、命の在り方を変える事にもなる。だから思いは、命は複雑なのさ。奪い奪われる事よりも、生き続ける事の方が、ずっと、ずっと難しいんだ。だから俺達は、一日一日を大切にしなくちゃいけねぇんだ」
薬師であるザカンだからこそ言えるのだろうか。
彼は血の繋がらないオスカーを息子として引き取り、その命を繋いできた。
だからこそ生き続けることがどれだけ難しく、そして幸福なのかを理解している。
命のやり取りをする戦いの中でも、決してそれを忘れてはいけないと。
無骨な手で、ザカンは二人の頭を優しく撫でる。
まるで帰ってきた子供たちを迎える父親のように。
「オスカー、エイダ。よく、戻ってきたな」
オスカーとエイダは少し驚いた後、ゆっくりと目を伏せた。
戦い続ければ、その度に精神はすり減っていく。
目的を重視するあまり、自分の命すら軽んじてしまうかもしれない。
「ん……」
「あぁ……帰ろう、皆で……」
だが、今に限ってそれはない。
帰る場所が、道を見失わないための光が、確かにそこにあるのだから。
照れ臭そうに二人は頷いた。
●
戦いが終わり暫くして。
大灯台の最上階に、重々しい足音が響く。
既にこの階層は宮廷騎士団によって、全ての救護者が運ばれた後だった。
今は完全なもぬけの殻。
激戦の果てに所々に巨大な穴が開いており、無暗に歩き回るのは危険な場所となっている。
だと言うのに、そこで何かを探す人影があった。
「何処だ、魔王……まおう……マオウ……」
人影の正体は、ウィルズだった。
装備は全て破壊され、唯一持っているのは神剣・エフィルフィートだけ。
それでも今も神剣は光を放ち、所有者である彼を保護し続けている。
故に彼は吹き飛ばされて以降、傷を回復して此処までやって来たのだ。
狙いはただ一つ。
大灯台を占領する魔族の討伐だ。
神託を受けたウィルズは、確かにその魔族と相対した。
得体の知れない武術を使うドワーフは、手にしていた神剣を目にして笑った。
やはり介入して来たか、と。
奴の言っている事が何を意味するのか、知る必要はなかった。
ウィルズにとってはただ倒すだけの敵。
宮廷騎士団を一瞬の内に半壊させた力は、ただの魔族ではない。
間違いなく魔王、魔族を統べる王に決まっている。
そう確信し、剣を振るった。
自分は神に選ばれた存在だ。
負ける筈などなかったが、そこでやはりあの男が邪魔をしてきた。
怨敵、オスカー・ヒルベルト。
魔族に魂を売った忌まわしき存在。
姿を現しただけでなく、神の力を振るうウィルズに対し、彼はあろう事かその剣を奪おうとしたのだ。
何と愚かな事か。
何と浅ましい事か。
此処までの事をしているというのに、辿り着いたというのに、奴は軽々と手を伸ばしてくる。
そしてあの目だ。
同情するかのような瞳が、ウィルズの心を苛めていた。
あの目が、あの瞳が、全てを狂わせる。
許せない。
許されるわけがない。
奴の愚かな瞳を、すり潰してやりたい。
怨念のようにウィルズはブツブツと独り言を繰り返す。
すると彼は辿り着いた戦場で、一つの遺体を見つける。
半身を破壊され、朽ちたばかりの物体。
それに彼は見覚えがあった。
「コイツは……」
機能を停止した、魔将・カイツェル。
既にそれは得体の知れない金属の残骸と化している。
一体誰が倒したのか、と考えて直ぐにウィルズは思い至る。
間違いなくこの神剣の力だ。
恐らく吹き飛ばされた時に、相討ちになったのだろう。
神の裁きが下り、他の誰でもない自分自身の力で魔王を打倒したのだ。
この残骸を持ちかえれば、間違いなく勇者として絶対的な地位を保持できる。
もうこれ以上、見下される事もない。
ウィルズは思わずほくそ笑んだ。
「ひ……ヒヒヒ……! 俺だ……俺が魔王を倒したんだ……!」
オスカーは近くにはいない。
魔王が倒されたことで逃げ帰ったのだろう。
しかし、あんな弱小を相手にする必要などない。
今は魔王の死骸を褒賞として、王都に帰還することが重要なのだ。
遺体を弄ぶように、ウィルズは笑みを浮かべながらカイツェルの残骸を持ち上げる。
彼の全身には、未だに刻印が浮かび上がったままだった。
三章終了。




