11.デバフ勇者と降り注ぐ災厄
「そうか……あの娘、生きておったのか……」
商業都市に突如現れた、巨大な黒船。
その黒船の中でも大広間に値する場所で、闇に紛れて大きな影が呟く。
広間に窓は一切なく、火のついた蝋燭が幾つも置かれているだけだが、外の状況は正確に把握しているようだった。
「無事、貴方様のお力で、商業都市に到着しました。これより、制圧を行います」
「うむ」
「目下、人族は混乱中。この隙に、前衛部隊が侵攻。この場で様子を、ご覧ください」
従者らしき魔族が、影に向かって礼を尽くす。
今回の襲撃を企てた長、絶対的な権力者に向けて敬意の念を崩さない。
すると影は、おもむろに顔を上げて指示する。
「もう一度言うておくが、敵対する者は殺して良い。じゃが、逃げる者には手を掛けるな。前衛の者達にも伝えておけ」
「宜しいのですか? 弱者とは言え、相手は人族……」
「異論は認めぬ。どの道、追ってまで手を下す意味はない。妾達の本来の目的を忘れてはならぬ」
拒否は許さない。
人族の都市に攻め込む以上、本来ならば誰一人生かす理由はないのだが、声の者は不必要な殺戮を好まなかった。
予めその手筈だったのだろう。
従者は頭を下げてその指示を受け入れる。
拒否する理由はない、してはならない。
そこに座するは、魔族からすれば絶対的な存在だったからだ。
「全ては、魔王様の御心のままに」
魔王。
魔族にそう呼ばれた影が揺らめく。
蝋燭の火によって、暗闇に包まれていた身体の一部が照らされる。
僅かに見えたのは、月のように輝く銀色の毛並みだった。
命令を受けた従者が去ると、魔王は長い息を吐く。
決意、諦め、抵抗。
その様子には、様々な思いが込められていた。
「最早、後戻りは出来ん。長きに渡る争いを、妾の命を賭して、終止符を打とう」
魔王であり一介の女性の声が、広間に小さく響いた。
●
対する商業都市は混迷を極めていた。
突如、雨雲に紛れて現れた黒い巨船。
空を飛ぶという謎の技術もそうだが、そこから這い出てきたのは人族に仇成す魔族。
数十秒という時間の間に、数百体もの群れが現れる。
殆どの者が、何が起きているのか理解できていないようだった。
「魔族!? 魔族だと!? どうしてッ!?」
「何なんだ、あの空に浮かぶ船は!? 一体どうやって……!」
庭園を包囲していた兵士達の陣形が、一斉に崩れる。
最早、勇者を捕える余裕などない。
ガーゴイル達に斬り裂かれた仲間に駆け寄るだけで精一杯だった。
だがオスカーを襲うことだけを考え、不意を突かれた彼らは既に事切れている。
「だ、誰かッ! 皆の治療を!」
「だ、ダメだ……。一撃で、やられている……」
「嘘だろう!? 何で……!?」
「む……無理だ……あんな数、まともに戦える訳が……」
王都兵士達は、オスカーの言葉など信用に値しない、全くの出鱈目だと思っていた。
奴は所詮、王族と勇者を殺した大罪人。
自分達の名声を上げるためだけの鴨だと思い込んでいた。
そして、その思い込みに走った結果がこれである。
押し寄せるのは、魔族の大群。
何が真実なのか、何が偽りなのかを受け入れられずに立ち尽くす。
当然、それらを見過ごす程に魔族達は甘くない。
「死ね」
残りの兵士達に向かって、迫り来るガーゴイルが腕を振り下ろす。
岩すらも容易く抉り取る爪が、呆然とする男達に迫った瞬間。
寸前の所で、オスカーの剣が受け止めた。
自分達を貶しめた相手に対して、彼は背中を向けて守り切ったのだ。
「どうして……」
「ぼさっとするな! 全員、迎撃態勢を取れッ!」
剣術が不得手なオスカーは、どうにかガーゴイルを押し返して皆を鼓舞する。
何もしなければ全員殺される。
他と比べて一早く対処した彼の姿を見て、魔族達は冷静に洞察する。
「そうか。偵察役を殺したのは、貴様だな?」
「久絶の勇者。オスカー・ヒルベルト。あの方の、最大障害だ」
魔族達も、大よそ此方の事情を分かっている。
その上での空に浮かぶ漆黒の巨船。
雨雲に隠れながらとは言え、流石にこれだけ大掛かりかつ大胆な奇襲は予想していなかった。
どうやって気付かれずに、ここまで接近できたのか。
ただの偶然ではない。
オスカーは剣を構えながら、ガーゴイルに向けて問う。
「一応、聞きたい。あの船の中には、魔将がいるのか?」
「……魔将様を、知っているのか」
「どうしてこの都市を襲った? アリアスの時みたいに、これも計画の一つなのか?」
「そこまで、気付いている……やはり、生かしてはおけない」
魔族達は眼の色を変え、輪を作るように両手を合わせる。
中心に宿ったのは底知れない魔力。
余程、都合の悪い事でもあるらしい。
直ぐにでも彼を始末しようと、魔力の塊を解き放とうとする。
「腰抜け共と一緒に、砕け散るが良い!」
王都兵士達が息を呑む。
あれだけの波動を放たれたら、周りなど簡単に吹き飛ばされる。
仮に躱し切ったとしても、余波で相当の傷を負うことになるだろう。
皆が動揺し、慌てながら後退る。
しかし、オスカーは剣の切っ先をゆっくりと降ろした。
「悪いが、お前達との勝負はとっくに終わっている」
「何!?」
直後、魔族達の動きが止まる。
既に撒いていたオスカーのデバフが、ガーゴイルの身体を停止させたのだ。
いつ発動させたのかは誰にも分からない。
ただデバフが効力を発揮したという結果だけが、そこにあった。
「これが、勇者の力……!」
彼の実力に驚愕する中、目の前に現れたのは、青髪を靡かせたエイダだった。
オスカーが合図を送った訳ではない。
しかし全て分かっているように、言葉を交わすこともなく、彼女は幼い手を振り下ろす。
そしてそのまま、魔族達は一斉に斬り裂かれる。
竜の血を濃く受け継ぐ彼女からすれば、ガーゴイルの装甲は紙同然だった。
「馬鹿な……あの魔族達を一撃で……」
目の前の光景を信じられないように見る兵士達を置いて、エイダはオスカーに駆け寄る。
場合によっては脅威にも取られかねない姿に、彼は恐れの欠片も抱かず安堵した。
「エイダ、ありがとう」
「オスカー、無茶しちゃ駄目って言ったのに」
「う……」
「ザカンも心配してたわ」
「……後で叱られる覚悟は出来てるよ」
心配そうなエイダに、オスカーは苦笑する。
結局、思い通りの説得は出来ず、奇襲を許してしまった。
父の心配も尤もだが、今は目の前の敵に集中しなければならない。
彼は真剣な表情で上空を見上げ、空を浮遊する船を注視する。
エイダも鼻を動かし、少しだけ眉を顰めた。
「魔族の匂い、凄い数よ」
雨が降り風も吹く中で、彼女は相手の数を嗅ぎ分ける。
オスカーの視界だけでも、既に千に近い数の魔族が空を覆おうとしている。
加えて控えているのは、魔将クラスの魔族。
戦争規模による襲撃であることは、疑いようもない。
「何なんだ……! 一体、何が起きているんだ……!?」
「無理だ……あんな数、まともに相対できない……!」
「う、うわあああああッ!!」
彼は恐慌する王国兵士達を見る。
今のままでは駄目だ。
単独で魔族達から都市を守り、浮遊する黒船を撃破するのは実質不可能だろう。
今、必要なのは団結と協力。
そして自分の覚悟だ。
振り返ると、ヨハンが慌ただしく近づいて来るのが見えた。
「勇者っ!」
「ヨハン、頼みたい事がある。ギルドの皆と一緒に、魔族の迎撃に当たってくれ」
「魔族の!?」
「上空の船から大量の魔族が降ってくる。数は……一万に届くかもしれない。今は一人でも戦力が欲しい。皆と協力して、都市を守るんだ」
「でも、あんな沢山の魔族なんて……!」
「大丈夫。時間は稼ぐ」
オスカーは剣を両手で持ち直す。
既に魔族の襲撃は始まっている。
襲ってくる場所に逐一駆け付け、打ち倒していくのはどう考えても現実的ではない。
だからこそ、今出来るデバフは一つしかない。
彼は思い切り、剣を地面に突き刺した。
「石化剣」
同時に突き刺した剣から広がるように、石化が侵食する。
地面を固め、庭園施設はおろか他の建物をも呑み込んでいく。
そしてそれは周りだけではない。
人を除く全ての建物が、オスカーを中心に尽く石化していく。
言わばこれは防波堤。
一種の堅牢な盾。
一介の勇者が放ったデバフは、商業都市全域に広がった。
「す、凄い……!」
石化を最大限に発揮すれば、その防御力は城壁にも匹敵する。
都市防衛線で一番危惧すべきなのは、攻撃による建物の倒壊、それに伴う火災や地面の液状化だ。
上空からの魔族の遠距離攻撃・余波はこれで阻止できる。
近接戦も建物の石化を盾に利用すれば、時間は稼げるだろう。
ヨハンだけでなく他の人々も、未だかつて見ないデバフの効力に驚きを隠せない。
だが魔力の大部分を無理矢理消費したこともあって、オスカーは息を乱して片膝を地に付けた。
彼にとっても、これは賭けに近い行動だった。
「う……くっ……」
「む、無茶だ! 幾ら皆を守るためでも、こんな広範囲に……!」
「……此処の兵士達の魔力を借りて正解だったよ」
そう言いながら、懐からポーションを取り出す。
以前からザカンが手渡していた、魔力と体力を回復するアイテムだ。
回復手段のない彼にとっては生命線の一つでもある。
それらの蓋を全て開け、一気に飲み干していく。
都市全体の石化を補うには、持っていたポーション全てを使わなければならなかった。
加えて補っても尚、長時間維持することは出来ない。
彼は自身と危機迫る人々を天秤に掛け、後者を選んだのだ。
「持って30分が限度だ。それまでに態勢を整えて、確実に決着をつける。ヨハン……後は分かるな?」
そこまで言われて、ヨハンがハッとする。
オスカーは、今出来ることに全力を尽くしている。
ならば、何もしない訳にはいかない。
与えられた使命を思い出し、少年は力強く頷いた。
「分かった! 必ず、必ず皆を説得する! 勇者は、どうするの!?」
「俺は船に乗り込んで、大将を討ち取る。エイダ、一緒に来てくれ」
「勿論よ。そのために来たんだから」
エイダも二つ返事で頷く。
石化の効力が切れるまでに、船内に潜む魔将を倒す。
そうすれば他の魔族達も不利を悟って退却するかもしれない。
ただ、残された時間は少ない。
人々の避難は冒険者達に任せて、一点突破する以外にない。
彼女を頼りにオスカーは地面から剣を抜くが、それを呼び止める者がいた。
「ま、待てッ! オスカーッ!」
「……」
「こ、ここ、これも全部……お前が誘導したことなんだろう!? そうに決まっている! 今の石化も、俺達の退路を断つためだろう!?」
例の王国兵士達だった。
恐怖と錯乱の果てに、彼らは手を震わせながら、剣の切っ先をオスカー達に向けている。
不信と疑心が入り混じり、正しい判断は何も出来ていなかった。
「アイツらッ……まだあんな事を……!」
ヨハンが怒りを抑え切れないように、一歩前に踏み出す。
しかし同時に、オスカーの怒声が一帯に飛んだ。
「いい加減にしろ! お前達ッ!」
「!?」
「今、すべきことは何だ! 俺を殺すことか!? 名を上げることか!? どっちでもない! 此処の人たちを守ることだろう!? こんな事をしている間にも、皆が混乱して助けを求めている! そんな事も分からないのか!?」
彼は息を荒くしながらも問い質した。
今、取るべき大義が何処にあるのか。
本当に手を下すべきなのは、差し伸べるべきなのは何なのかを。
すると兵士達の中から、歩み出す者がいた。
見覚えのある、庭園の地下で一戦を交えた宮廷騎士団の男だった。
男は冷静な表情でオスカーを見つめ、数秒後、息を吐いた。
「彼の言葉を信じよう」
「きゅ、宮廷騎士団ともあろうお方が……あの男の言葉を信じるので……!?」
「聞こえた筈だ。今倒すべきは眼前の魔族。我々が拮抗しなければ、この都市は壊滅する。魔力のないものは、自前のアイテムで回復させろ。近接戦の出来る者を前線に、防衛戦を行う」
分かってくれた、ということだろうか。
それだけ言って、男は剣を構える。
切っ先はオスカーではない、船から降下してくる魔族達に向けてだった。
それまで難癖を付けていた彼らも、一斉に押し黙る。
兵士達の事は、宮廷騎士団の彼に任せるしかない。
オスカーは男に一礼した後、ヨハンに合図を送る。
「行け、ヨハン! ここは俺達が食い止める!」
「う、うん!」
駆け出し冒険者は背中を押されて走り出す。
それを切っ掛けに、抗争は幕を開けた。
上空に散らばっていた魔族の群れが、一斉に此方に向かってくる。
奴らの目標は、最も脅威となるオスカーだった。
魔族達も都市の石化は目にしていた。
此処で彼を始末すれば、当然の如く都市全域の石化は解ける。
彼の死は、都市の死と同義だ。
それを分かっていたからこそ、オスカーは力を込めて剣を構える。
「来い! 魔族ッ!」
「あの男を殺せ! 我々の悲願のために!」
何かしらの信念を掲げ、数百体の魔族達が翼を広げながら急降下する。
まるで一つの巨大な波。
だが、それらの間にエイダが割って入る。
オスカーに負担は掛けさせない。
そう言わんばかりの彼女が、大きく息を吸い込み、自身の魔力を解き放った。
「飛瀑吹!」
強力な水撃が、横薙ぎ一直線に払われる。
水撃が放たれた場所は一瞬だけ雨が晴れ上がり、そのまま向かって来た群れの9割を両断した。
これ程の力は、宮廷騎士団でも容易く出せるものではない。
雨天であることも威力向上に繋がっているのだろう。
「なんて強さだ……!」
「数に臆するな! 我々は民衆の避難を優先する! 包囲陣形から迎撃陣形へ!」
彼女の奮闘を目撃した兵士達は、ようやく迎撃態勢を取り始める。
エイダが討ち漏らした魔族を、一体一体協力して応戦する。
ただ、上空の船からは魔族らしき影が、次々と降りてくるのが見えた。
「オスカー、魔族が一杯降ってくるわ!」
「出来る限りの数は倒す。でも俺達で全部を相手にするのは不可能だ。後は皆を信じるしかない」
ヨハンは上手くこの場を脱したようで、姿が見えなくなった。
兵士達も動き出し、冒険者らと協力できれば、戦線を維持することは出来るかもしれない。
後は、宙に浮かぶ黒船をどう対処するか。
オスカー達は肩を並べ、敵船を睨んだ。
「さっきのブレス、あの船に届くか?」
「頑張れば行けるかも。でも……」
「地上から攻め落とす、訳にはいかないか」
流石のエイダでも、上空の船までの距離は相当ある。
ブレスを放ったところで、威力は半減するだろう。
ならばどうにかして接近し、侵入する以外に方法はない。
しかし相手は空中に浮かぶ帆船だ。
防衛する魔族も含め、空を飛ぶための何かが必要だった。
「どうやってあの船に接近する……飛行能力なんてスキルは俺には……」
「あるわ」
「えっ?」
「エイダには、あるわ」
突然、横にいた彼女が神妙な面持ちで告げた。
何かしらのスキルを持っているらしく、一旦目を瞑って深呼吸をする。
そして何を思ったのか、おもむろ服を捲くり上げた。
語弊ではなく、腹部が丸見えになる位にたくし上げる。
流石のオスカーも、意図が掴めない。
「い、いきなり何を?」
「こうしないと、破けちゃうから」
「……?」
オスカーが聞き返した瞬間、エイダの背中からバサリと大きな音が聞こえた。
背中から現れたのは、竜の如き青白い両翼だった。
人一人容易に包み込めそうなそれは、明らかに人とは違う異彩を放っていた。
驚く彼を見て、エイダは少しだけ目を逸らす。
「あまり見せたくなかったけど、エイダは竜人だから」
「そういう事か……」
彼女は恐らく、今まで意図的に翼を隠していたのだろう。
魔族の翼を生やした人族は、結局の所どちらの種族からも警戒されるからだ。
見た目は幼い少女でも、魔力の込められたブレスを吐き、人体の構造も全く違う。
翼が生えていても、不思議ではない。
「……怖い?」
「まさか。そんな訳ない」
オスカーは首を振る。
彼女が隠していた翼を衆目に晒した。
それが何を意味するのか、彼自身分かっていたからだ。
「頼む! その翼で、俺をあの船まで連れて行ってくれ!」
「……ん。手を取って」
少しだけ嬉しそうにしながら、エイダは捲くった服を、翼を伸ばした状態で着直す。
そうしてオスカーは、彼女の小さい手を取った。




