9.デバフ勇者と庭園防衛戦
直後外から響き渡ったのは、聞いたことのない男の声だった。
「オスカー・ヒルベルトッ! 貴様は完全に包囲されている! 人質を解放し、即刻投降しろ! さもなくば、更なる汚名を着ることになるぞッ!」
外にいる兵士達が、決まり文句に近いセリフを並べる。
オスカー達に向けたのは、凶悪な犯罪者に対する警告。
周囲の警戒を記した手紙は、認知されていないようだ。
彼は匂いを感じ取ったエイダに、その出所を問う。
「エイダ、人の匂いって言うのは……」
「あの声じゃないわ。下から、近づいて来る」
「下? どういう事なんだ……?」
兵士達は、石化された庭園の周囲を包囲している。
下から、という言葉とは一致しない。
無論、エイダも匂いを感知しているだけなので、それ以上の事は分からない。
地下から侵入できる何かがあるのか。
オスカーが不審に思うと、アンナがハッとして声を上げる。
「もしかしたら、地下の!?」
「姉ちゃん?」
「庭園には、水を汲み上げる地下水路があるの! もしかしたら、そこから……!」
植物達は水が無くては生きていけない。
貯水する水路の存在はあって然るべきだった。
従業員であるアンナは地下の通路を明かし、ザカンが匂いの正体に気付く。
「成程な。今の声で気を引かせて、地下から忍び込んでくるって作戦か。下から来られるんじゃ、オスカーが敷いた石化も意味がねぇ」
「下に抜け道があるなんて……! アンナさん、水路への道を教えてくれないか!?」
「え、えぇ……」
地下水路を利用して兵士達が近づいている。
秘密裏に動いていることから、強行突破の可能性が高い。
事態を悪化させないためにも、侵入を許してはいけない。
オスカーは水路へ向かい、その場所を封鎖することに決めた。
「地下の入り口を塞いでくる! 皆は此処で待っていてくれ!」
「一人で行くの?」
「エイダ、君は鼻が利く。他に忍び込んでくる人がいないか、探ってほしい。もし誰かが来たなら、二人を守ってあげてくれ。俺も地下を塞いだら、すぐに戻る」
「……分かった。でも、無茶はしないで」
匂いや気配で索敵が出来るエイダを連れて行くのは、不安が残る。
一緒に行きたそうな顔をしたが、彼女はそれを理解し、言葉を呑み込んだ。
ゆっくりと頷いたオスカーは、心配するヨハンに声を掛けるアンナを連れ、地下通路に向けて歩き出した。
道案内の指示を受けつつ、生い茂る植物達の群れを潜り続ける。
外の様子に変化はない。
それでも刻々と時間が過ぎていく実感はあった。
「弟君を一人残すのは不安だと思う。けど……」
「貴方達がヨハンに手を出さないことは分かったし、もういいわ。それに、今はそんな事を言っている場合じゃないんでしょう?」
アンナは既にオスカー達への警戒心を、ある程度は解いていた。
弟のヨハンをエイダ達に任せることにも、拒絶することはない。
今までの経緯をひっくるめて、彼女なりに考えた結果だろう。
「速やかに投降しろ! 返答がない場合は突入も辞さない!」
再び、室内に向けて警告が響く。
こちらの手紙が無視されている以上、今更返答した所で意味はない。
二人は無言のまま庭園の中を進むと、突き当りに白い小屋のようなものが見えて来た。
そこに辿り着くと、先導していたアンナが立ち止まる。
「地下水路に行くには、この水質調整室を経由しないと辿り着けない。でも、基本的に鍵が掛かっているから……」
緊張した面持ちでドアノブに触れる。
だが何かが引っ掛かっているようで、最後まで回り切らない。
「やっぱり駄目。鍵が必要みたい。一先ず、管理室に行かないと」
「いや、大丈夫だ」
元来た場所を戻ろうとするアンナを引き留め、オスカーは剣を抜く。
鍵を取りに行っている時間が惜しい。
直ぐにでも突破されることを考え、彼はそのまま剣を振り下ろした。
「腐朽剣」
瞬間、鉄のドアノブが錆び始め、そのまま腐り堕ちた。
対象の物質を劣化させるデバフ。
以前ギルマス邸に侵入した時と同じような要領で、彼は扉を開け放った。
「よし、開いた。このまま行こう」
「……そんな使い方も出来るの?」
「殺傷能力がない代わりに大抵のことは出来るのが、デバフの利点でもあって弱点なんだ。悪いけど、ここの修理は後で任せるよ」
呆気に取られるアンナを連れて、彼は水質調整室の中へと入る。
内部は少し肌寒く、照明は落ちている。
正面には水を溜め込む巨大な水槽があり、連結しているパイプからは水の流れる音が聞こえる。
そしてその先には、地下へ続く階段が見えた。
オスカーは明かりを灯すことなく、辺りを見渡す。
「何だか涼しいような?」
「ここは地下水を汲み上げているだけじゃないの。冷えた水で空気を冷やす、冷却室でもあるから。当然、温度も低くなるわ」
「冷水を有効に使っているって訳か」
この部屋で冷気を作り、植物達が住みやすい温度調整を行っている。
納得したオスカーは、誰もいないことを確認し、地下水路への階段に一歩乗り出す。
地下と言うこともあって、先は暗くて殆ど見えない。
明かりをつけなければ、自分の手元も分からなくなる。
だが既に彼には、微かに動く気配を感じ取っていた。
「この先が地下水路のはずだけど……どうかした?」
「静かに。この先に誰かがいる」
「……!」
驚いたアンナが口に両手を当てる。
数は分からないが、少しずつ近づいてきている。
そして、突然攻撃を仕掛けてくる様子はない。
頃合いを見計らっているのか、此方の出方を窺っているのかもしれない。
どうするべきかオスカーが迷っていると、アンナがもう一度声を潜めて話しかける。
「ねぇ。本当に向こうが対話を望んでいるなら、話す価値もあるんじゃない?」
「何を……?」
「罪人の貴方の言葉じゃ無理かもしれない。けど、人質の話なら、聞いてくれるかも」
オスカーが返答するよりも先に、彼女は暗闇に向かって叫んだ。
「そこに誰かいるんでしょう!? 私はアンナ、この庭園の従業員よ! 私達はただ逃げ遅れただけ! 人質だと思われているけど、彼らは私達に一切危害を加えていないわ! 勿論、この都市の人達にも手を出したりしない! 彼らには話し合う余地があるの! 聞こえていたら、誰か返事をして!」
声が響いたが、返答はない。
同じ言葉だけが、虚しく反響して返ってくる。
応じる気はないという事だろう。
だが人質の言葉にすら耳を貸さない、という点にオスカーは不安を抱いた。
人質の救出は優先事項の筈。
何か嫌な予感がする。
直後、それに応えるように暗闇の中から微かな光が現れる。
灯りではない、よく見るとそれは球体状の魔法陣だった。
明確な意志を持って浮遊し、オスカー達に向かって階段を昇ってくる。
その紋様に彼は覚えがあった。
「え……何……?」
「アンナさん! クソッ、加重剣!」
魔法陣が発動すると同時に、オスカーは剣を振るった。
瞬間、煙が地面一帯にバラまかれる。
今の魔法陣は目暗ましの術式。
刺激臭のある煙を辺り一帯に散布し、隠れ潜む敵を無力化するものだ。
だが彼のデバフによって、煙には重さが加えられた。
散布される筈の煙は空気以上の重い物質となり、階段から転がり落ちる。
「人質に救助など不要だ。見つけた者は全て殺せ。どの道、民衆は庭園内部の事情など分からん。民間人を殺した罪は、あの男に擦り付ければ良い。俺達が欲しいのは、ヤツの首だけだ」
魔法陣の発動と共に、暗闇からマスクを被った兵士達が階段を上って来る。
その言葉に、驚いている暇はない。
オスカーはアンナを庇いながら、階段を駆け下りる。
煙は散布されたと勘違いした彼らは、無傷のオスカーが現れたことに目を見開いた。
「何ッ!? 煙が晴れて……!?」
「石化剣!」
これ以上、先手を取られてはいけない。
彼は兵士達に向けてデバフを放った。
彼らの手足だけを石化させ、動きを止める。
完全な不意打ちだったので、防げる者は誰もいなかった。
「これはデバフか!?」
「りょ……両手が石化したッ!? スキルが使えないッ……! だ、誰か……!」
「放てッ! 矢を放つんだッ!」
先行していた者達の指示で、新たに現れた後方部隊が矢を放つ。
階段という足場の悪い中、オスカーに向けて風を切りながら飛来する。
だが彼にとっては、この程度は造作もない。
再度、同じようにデバフを振るう。
「加重剣!」
「ば、馬鹿な!? 矢が、全部落とされた……!?」
飛来した矢に重力が加えられる。
それにより安定性を失った矢は全て急降下し、彼の元には届かない。
兵士達にはその原理が理解できないようだった。
オスカーは一旦階段を戻り、アンナの無事を確かめる。
奇襲は防ぐことが出来た。
だが問題はそこではない。
彼らがアンナ達を巻き込むことを承知で攻め込んできたことが、何よりも問題だった。
交渉など、始めから無駄だったのだ。
「始めから、俺達を殺す気だったのか!? 馬鹿な事をッ!」
「嘘……でしょ……? 私達を……殺すなんて……」
「アンナさん、立つんだ! 奴らに、交渉の余地はないッ! 直ぐに、此処一帯を石化させ……」
階段を塞ぎ、石化させようと剣を握りしめた瞬間だった。
オスカーは危機を察知して、別の方向に剣を振るう。
「ッ!? 零魔剣!」
同時に、目の前まで迫っていた火炎が四散する。
今の攻撃は火属性の魔法。
相当な速さで繰り出されたものだとオスカーは理解した。
すると、石化を受けて呻く兵士達の間から一人の男が現れる。
着こなす精巧な魔術服に、彼は見覚えがあった。
「今の攻撃を防ぐか……追放されただけの三流勇者と思っていたが、侮ったな」
「ッ!? その姿、まさか宮廷騎士団か!?」
「――告げる」
宮廷騎士団。
王族直轄の親衛隊であり、勇者に及ばずとも、並外れた実力を持つ強者達。
その問いに答えることなく、男は再び呪文を唱え始める。
『聖なる炎よ。我が答えに応じ、愚者を焼き尽くせ。聖炎の牢』
掌を広げ、オスカーへ向ける。
先程と同じ、階段を埋め尽くすほどの業火が押し寄せる。
一旦距離を取るべきか。
そう考えたオスカーだったが、後方のアンナと水質調整室を見て踏み止まる。
そしてその場で零魔剣を発動させた。
これだけ大きな魔法ならば、デバフを掛けることなど訳はない。
火球の消失と同時に、オスカーは男の魔力を殆ど奪い取った。
しかし、男の表情に変化はない。
あろうことか階段を駆け上がり、腰に隠していた剣を抜いて接近してきた。
魔法だけでなく、接近戦にも長けていたのだ。
「遅いッ」
振り下ろされた剣を反射的に防御する。
剣同士がぶつかる甲高い音が響き、男の長剣がオスカーの目の前で拮抗する。
力の優勢は男の方にあった。
「……!」
「魔導に気取られたな。残念だが此方は剣術も得意としている。先程の大掛かりな術式は、ただのブラフだ」
オスカーに剣術のスキルはない。
宮廷騎士団の剣相手に、拮抗できる訳もない。
後数秒も経たずに押し切られる。
アンナは思わず息を呑んだが、対する彼は闘志を失っていなかった。
「まだだ」
「何?」
「お前の魔力、使わせてもらう……!」
オスカーの全身から魔力が迸る。
先程男から奪った力をそのまま解放したのだ。
風が吹き荒れ、周囲の天井に罅が入る。
「貴様のデバフ……魔力を吸い取るだけでなく、自在に操るというのか!?」
「吸って吐くだけの単純なもの。けど、今はそれで十分!」
そのまま魔力を打ち上げる。
水路のパイプを傷つけることなく、天井のみを砕く。
亀裂が一帯に及び、瓦礫の音と共に階段に巨大な破片が落下した。
「天井が崩れる!?」
流石の男も、今度ばかりは驚きの声を上げる。
真上から落下する岩を避けるため後方、階下へと退避する。
その隙をオスカーは見逃さなかった。
調整室、階上へと後退しながら石化剣を振るう。
積み上げられた岩々は、そのまま石化し強固な壁を生み出していく。
「宮廷騎士団! 俺が何故、立て篭もりを続けるか分かるか? 自分の立場を貶めてるだけの理由が、此処にあるからだ!」
「!?」
「魔族の襲撃が来る! 俺達は此処の人達を守るためにいる! 周辺の警備を強めてくれ!」
それだけを言い残して、地下階段は封鎖された。
石化された物質は、例え大砲が相手でも突破することは困難だ。
勇者と呼ばれたオスカーのデバフには、それだけの威力がある。
彼は剣を収め、腰を抜かしていたアンナに近寄った。
「何とかなった、か。アンナさん、怪我は?」
「い、いえ……大丈夫、です」
「なら、良かった」
手を差し伸べ、彼女を引っ張り上げる。
次いで調整室を見渡した。
見た限り大きな変化はなく、突入部隊の攻撃の余波を受けた様子もない。
そこでようやく彼は、安心したように息を吐いた。
「水の温度も問題なさそうだ。下手したら、今ので熱水になる所だった」
そこまで聞いて、アンナはハッとして目を見開く。
「もしかして、庭園の子達を守っていたの? 水の温度が上がったら、その水が行き渡るから、それを防ぐために……」
「植物の事はよく分からないけど、熱水を掛けたらマズいことは俺にも分かる。此処の植物達は、アンナさんだけじゃない。皆にとって、大切なものの筈だから」
「貴方は……そんな事まで……」
「俺が巻き込んだんだ。戻ろう。皆が心配だ」
長居する必要はない。
相手が人質救出を優先する気がないなら、何をしてくるか分かったものではない。
今すべきなのは、皆との合流だ。
アンナの手を引き、オスカーは元来た道を戻っていく。
しかし、その予感が的中するように大きな振動が起きた。
封鎖した地下通路からではない。
今向かおうとしている、エイダ達の方向からだった。
「な、何!?」
「まさかッ……!」
石化した建物が攻撃されている。
デバフを撒いたオスカー自身が、それを察知した。
立て続けに地鳴りのような揺れが起きる中、小走りで辿り着くと、大樹を背にしながら待機するエイダ達が見えた。
全員無事ではある。
ただ振動する庭園に、皆が警戒心を尖らせている。
「エイダ!」
「急に攻撃してきたの。建物の壁ごと壊す勢いだわ」
エイダは匂いを嗅ぎながら、二人が戻ってきたことに安堵する。
今の所、石化した壁が壊された様子はない。
オスカーの石化は、簡単に砕けるものでもない。
ただ何度も攻撃を受け続ければ、当然耐久力は下がっていく。
「やっぱり私達諸共……」
「姉ちゃん……!?」
恐怖を感じたアンナに、ヨハンが不安そうに駆け寄る。
兵士側に穏便な策はない。
この場にいる誰もが、それを理解しつつあった。
「何だって、こんな真似を……!」
「ヨハン達がいようと関係ない。皆、何が何でも俺を始末したいらしい。地下水路で襲ってきた奴らもそうだった」
「ば、馬鹿げてやがる! 幾ら何でもやり過ぎだろ!?」
「あぁ、馬鹿げてる。でもこうなった以上、待つだけじゃ解決しない」
周りの犠牲を考えないなら、このまま篭城すべきだ。
だがここにはアンナ達が、彼女達が育んできた庭園がある。
オスカーは剣の鞘を握り、玄関ホールへと歩き出した。
「皆の前に出る」
「オスカー、お前……!」
「建物の石化はそう簡単に突破されない。でも、攻撃が続けば壊されるリスクも高くなる。今の内に、彼らの気を散らす」
ザカンは言葉を失ったが、エイダが冷静に引き止める。
僅かに彼女の両手には、力が込められていた。
「オスカー、危険よ。エイダでも、それは分かるわ」
「そうだよ! アイツら、容赦なんてしない! 集会所でオレが斬られそうになった時もそうだった! 本当に、殺されちゃうよっ!」
例え戦う意志が無くても、相手は問答無用で殺しにかかってくる。
当然分かっていたからこそ、オスカーは微笑んで答えた。
「大丈夫。俺は死なない。何て言ったって、勇者だからな」
それだけを言って、その場から跳躍した。
壁を伝いながら石化していた天井窓の一部を解除し、外へと飛び出す。
辺りは既に雨が降っており、投擲された炎によって蒸気と煙が漂っていた。
「どの道、犯罪者だ! この炎上も、奴がやったことにすれば良い!」
踏み荒らすような声が聞こえる。
強い風に吹かれ、オスカーは施設の屋上に降り立つ。
煙の向こうから現れた影を見て、包囲していた地上の兵士達が一斉にどよめき立った。
「撃ち方止めッ! あれを見ろッ!」
「なっ……! あの男は……!?」
オスカーは剣を抜いた。
何処まで時間を稼げるか分からない。
こんな事をしても、全て無駄に終わるかもしれない。
それでも彼は大声を張り上げる。
「俺は久絶の勇者、オスカー・ヒルベルト! 攻撃を止めて、話を聞くんだッ!」




