①
――侵攻前夜月面、セラフドーム内。
ここ、セラフドームは月の7つのドームの中で最初に建造されたもので、人口を多く収容するために設備を充実させ、景観を重視し、ドーム内には昼夜も存在する。
他のドームの住人からは特級階級の人類だけが住めるなどと云われてはいるが、ただ単にいち早く月に逃げてきた人たちが住んでいるだけだ。
その中には環境改善の為に終戦直後にこちらに来たALICE達もいる。
ALICEの一人であり、今回の作戦の指揮を任された私、ヴェロニカは明日の出撃に迷いを隠せないでいた。
私はただ一人自室に籠もり、思考を巡らせていた。
明日の作戦では拠点防衛戦力として残る、アカネ、モミジ以外のALICEは全員が出撃を命じられていた。
月と地球とでは技術力に大きな開きがある。ましてや今回は相手が機人ではなく人。人間なのだ。
正直、人をやめてしまった私ではあるが、人を殺めることには抵抗がある。
そもそも、私はただの軍人であり、普通の人間だった。ALICEになってまで戦ってきたのは私たちの世界を、私の好きな人たちを護りたかったから。それだけなのだ。
だから、ALICEの素体に選ばれたことは嬉しかった。自信にもなった。
だから私は前の大戦では機人たちを殲滅することだけを考えて、地球を守ることだけを考えて、戦って、戦って、戦い抜いて、軍人としての責務を全うしたのに。これでは結局元の木阿弥ではないか。いやむしろそれより悪い。結局人々はあれだけの地獄を見ても尚、戦いを棄てることができないのだから。
艷やかな紫色の長髪をかきあげ、おもむろに立ち上がった私は、部屋の窓から外を眺める。
ドーム内は夜なので、月の光をイメージした疑似照明と、建物の明かりで照らされていて、星空こそないものの、何百年も前に見た地球の夜景と何ら変わらない程に美しい。
地球への侵攻を行って、再び人類が住めなくなったとき、人類は何を思うのだろうか。
自分たちの選択を後悔するのか。それとも他人事のように私達に環境改善を提言してくるのだろうか。
もし後者ならば、私達ALICEはどうすればいいのだろうか。
当たり前のように人類に利用されるのか。
「ヴェロニカ、いるか?」
ドア越しに私を呼ぶ声に、思考が現実へと還る。この声には聞き覚えがあるし、忘れるはずもない。
「ええ。入ってちょうだい」
部屋のドアロックを遠隔操作で解錠した。
自動ドアが、音もなく開き客人を招き入れる。
「久しぶりだな、ヴェロニカ。相変わらずだなぁ。こうしてお前とふたりきりで会うのはいつぶりかな?」
優しく微笑みかけながら語る彼女はロベリア。男性を思わせるような短く乱雑に切られた深い青色の髪、少し目つきの鋭い彼女はALICE3号機であり、私の同輩であり、戦前からの私の友人だ。
「あなたがオモイカネの護衛についてからだから、もう100年近く会っていなかったかもしれないわね。ホントに、この体になってからというもの、休眠と覚醒を繰り返してばかりだからか、年月もわからないわ」
自身の身体を皮肉るように言う。
「まぁ、違いない。実際に吾達が戦争に駆り出されてから、既に500年が経っているらしいからな。人の生きる時間などとうに超えている。まぁ既に吾達は人でありながら、人ではないのだが……」
ロベリアも視線を落としながら言った。
「ところで、私のところには何をしに来たのかしら?明日の作戦は伝わっているはずだけれど?」
するとロベリアは部屋の中央に置かれたソファにどかっと腰掛けて、足を組んだ。
そしてゆっくりと語りだした。
「……吾達は何故故郷を攻めなければならないのだろうな。同じ人同士、なぜ殺し合わなければいけないのだろうな」
まるで私の心の中を読んだのではないかと思うほどに、彼女も同じ問題で悩んでいたようだ。
「オモイカネは、人の総意こそを是とする。故に、今回の戦争は月人達が、地球を愛し、地球人を憎んだ。妬んだ。ソレだけのことだ。話し合いもせずに、いきなり戦争とはおかしな話じゃないか。ましてや、オモイカネはそれを人の総意とした。仮に月人の総意だとしても、人類の総意ではない。それは吾も地球人達が地球の再開発を進めて、吾らが姉妹を酷使していることには怒りを覚えるが。地球側にも意見や意志はあるだろうにな」
やれやれとため息をつきながら彼女は言った。
「それについては同意するわ。でも、それが決まってから起こされる私達にはもうどうにもできない。世界のシステムとして、社会の歯車としてそれを廻すだけ」
軍を指揮する立場の私からすれば、そんなことは今更どうにもできない。
ただ戦うために覚醒させられ、終われば環境修繕をして眠るだけの私には。
だが、人である私個人の意見はそうではない。
私達は身体こそ人ではなくなったが、心まで人を辞めてはいない。だから。
「作戦に変更はないわ。敵の戦力を削ぎ、無力化させて、封印する。そして環境を修繕し、我々は月に戻る」
ロベリアはまたため息をついてから言った。
「たった一人で頑張る妹を見捨ててでも?」
それしかない。そんなことはしたくないけどそれしかないのだ。
私達にはない時石の力は未知数。いくら私達でも、あの子を止められる保証はないし、あの子は私達を知らない。
だからあの子には私達に対する情なんて無い筈。
「ヴェロニカ。チガヤに怒られる覚悟をしておいたほうがいいぞ。チガヤはきっと割り切れないだろうからな」
「そう、ね。チガヤはきっと怒るでしょうね……。今もたった一人で頑張っているあの子を、ずっと一人にしてしまうんですものね」
大きくため息をついて椅子に深く腰掛け、項垂れる。
すると不意に冷たいものが右の頬に触れた。
驚いて視線を移すと、ロベリアがワインボトルを持ってニヤけていた。
「500年ぶりの出撃だ。酔わない身体になってしまったが、こういうのも必要だと思ってな」
「あなた、それをどこで……。ワインなんて禁庫で管理されている筈の遺物を―――まさか」
そんなことなど気にするなと言わんばかりに、ロベリアはグラスにワインをなみなみと注ぎ、私に差し出した。
「―――あまり気負うな。お前の罪は吾達の罪だ。みんなで背負えばいい。そうすれば幾分かは軽くなるはずだ」
それだけ言うとロベリアは自身のグラスにもワインを注ぎ、それを一気に煽った。
彼女は飲み干したグラスを机に叩きつけるように置いて、大きく息を吐き、再びグラスにワインを注ぐ。
私は先程の彼女の言葉にただ、「ありがとう」としか返せなかったが、少しだけ胸のつかえは取れた気がした。
私は自身のグラスを煽って、これから背負うであろう罪と、彼女の言葉をワインの香りと共に一気に呑み込んだ。
†
同刻―――月面。7つあるドームの一つ、エクスシアドーム。ここは軍事施設や訓練施設が多く、月の武器庫とも呼ばれている。
ここでも500年ぶりの出撃を前に躊躇う者が居た。彼女はその迷いを断ち切ろうと、訓練所にてただ剣を振るう。実戦さながらの攻撃を仕掛けてくる20以上の機人を相手に、剣のみで己の道を示す。
彼女こそALICE2号機のナタスだ。
彼女は自分の正義を信じ、ALICEとなり、戦争を戦い抜いた。
それこそが世界平和への道だと信じていたからだ。
だが、戦争はなくならない。
月へと避難した人々は地球に帰還した人達への嫉妬を募らせた。
戦前と比べれば、500年経った今でも地球はその姿を取り戻したとは言い難い。
月の人々は地球への執着心だけで、今ある豊かさや、発達し過ぎた技術には目を向けられない。
それどころか発展しすぎた文明に飽きてしまったようにも見える。
自らが追い求め進化させた文明、技術。その結晶たるALICEやオモイカネは、人類にとってはあくまでも道具であったのだと今回の戦争で確信する。
彼女は剣を振るう。振るい続ける。その剣が敵を斬り裂き、迫りくる機人を木偶のように切り捨て物言わぬスクラップへと変えていく。そしてその都度思い知らされるのだ。自身こそが兵器だと。
だがそれでも彼女は剣を振るうことを辞めない。止めない。迷いはただただ混迷を極めていく。
出撃の報せを受けてからどの位時間が経っただろう。
気が付けばスクラップは山のように積み上げられていた。
どうやら、ナタスの撃破スピードにアンドロイド達の処理が追いついていないらしく、片付ける以上にスクラップが溜まっていっているらしい。
彼女はまだ訓練所で剣を振るっていた。断ち切ろうとした迷いに、呑まれていた。
何百体目の敵を断ち切ったとき、聞き覚えのある懐かしい声が聞こえた。
「あらあら、ナタスさんじゃないですか。出撃が決まってからずっと訓練してるんですか?張り切るのはいいですけど、さすがにやり過ぎですよ」
ふんわりと落ち着いた、優しさと慈愛に満ちた女性の声。間違いない。この声の主は。
「あれ、チガヤじゃないか!久しぶりだね!今日はアンゲロイドームに行かなくていいの?きっと子どもたちが待ってるんじゃないの?」
「えぇ。子どもたちにはさっき会ってきましたよ。みんな元気一杯でとっても可愛かったですよ。本当に天使でしたわぁ!」
恍惚とした瞳で彼女はとても嬉しそうに微笑んでいた。
「それは良かったね!でもチガヤ、そろそろ出撃の準備をしなくちゃいけないんじゃないの?」
すると、その笑顔に急に暗い影が挿す。
「そうですわね……。はぁ。それにしても、人間って進歩しませんわ。今までの歴史でも様々な戦争を行い、それを悔い、反省し、平和を育み、また戦争をする。何時になったら繰り返すばかりの歴史を変えることができるのでしょう。まぁ、私達もその繰り返されてきた負の歴史の産物なんですけど……。ナタスさんはどう思います、この侵略作戦について」
ナタスは大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。そしてもう一度大きく息を吸うと、チガヤの質問に静かに答えた。
「正直、僕は戦争については分からないな。人が、人類同士が争う理由が。僕は戦争が怖かった。たくさんの人が逃げ惑い、悲鳴をあげて、泣きながら殺されていった。隣人や友達。彼等はその国に対してなにかした訳では無いし、それどころか侵略して来た兵士なんかとは顔も知らないんだ。なのにその国にいた。そこで暮らしていた。それだけで殺されたんだ」
チガヤは何を述べるでもなく、ただナタスの回答に耳を傾ける。
「僕はそれがどうしようもなく怖くって、目の前の友人を助けられない自分が許せなかった。逃げることしかできない無力な自分が嫌になった。僕が好きだった英雄はこんなときにこそ助けに来てくれるはずだって。―――だから僕がなると決めた。殺される誰かを助けるために。小さな頃に憧れた、自分の中の英雄を失わないように……。チガヤの求める答えにはならないと思うけど、僕は戦争を無くしたい。だからその為になら戦う。例え月側と地球側、どちらの人類もいなくなるのだとしても」
そう言い切って、ナタスはまた深く呼吸した。その顔からは先程の迷いが無くなり、真剣な横顔は彼女の決意を表していた。
「戦争を無くしたい。その意志はとても素晴らしいです。ですが……人類が居なくなるのは困ります。私はただ天使たちが安心して暮らせる世界を護りたい。私はその為に、それだけの為にこの身体と力を欲しました。だから、こんな事になっても私達の末妹も救ってあげたいのです」
チガヤは天井から見える青い星に視線を移す。
「そっか。地球にはあの子がいるんだね。まぁ顔も知らない姉妹だけど。でも確かヴェロニカの作戦だとあの子を私達で無力化するって話じゃなかった?」
「ええ。無力化し、更には封印まで。たった一人で500年も頑張ってきた末妹を。姉である私達が。だから私は賛成できません。割り切れと言われて簡単に割り切れるものではありません。身体は変わっても、心まで人を辞めたつもりはありませんから」
それを聴いてナタスはふっと微笑んだ。
「この身体と引き換えに、人の心は無くしたと、僕は思ってる」
その言葉にチガヤは眉を顰める。
「ナタスさん、それでは先程のあなたの答えと矛盾するのではなくて?」
「そんなことないよ。だって、そうじゃなきゃ。人類の絶滅なんて答えには、ならないよ」
その言葉に反応して、チガヤから殺気が噴き出す。ナタスはその殺気に反応し武器を構えようとしたが、それよりも速い。
時間にして0.3秒。チガヤの雷槍がナタスの首を掠めた。
その素早く放たれた一撃によりナタスの黄緑色の髪が数本ハラリと落ちた。
「いいですか?私はあくまでも、子どもたちの為にこの槍を振るいます。この言葉の意味を、忘れないでくださいね」
さっきの優しい声ではなく、別人の様なとても低く、怒気を含ませた声で、チガヤは言った。
「私はこの作戦では救護班として参加しますので、槍を振るう機会はないとは思いますが、地球にも、月にも子どもはいるんです。もし子どもたちになにかしたら、私は貴女達であっても容赦はしません……。例えそれがオモイカネであっても」
ナタスは動けなかった。それどころか呼吸すら恐怖で満足にできない。首元にある槍もそうだが、チガヤの怒気と殺気にあてられ、彼女はただただ戦慄した。
―――チガヤはゆっくりと刃を引いた。
それまでの時間はきっと十秒にも満たないのだろうが、ナタスには数時間にも感じられた程だ。
そして先程の怒気に満ちた声ではなく、いつもの優しさと慈愛に満ちた声で彼女は言葉を紡ぐ。
「私は出撃の前にもう一度ヴェロニカさんに話してみます。子どもたちの為にも末妹のためにも、戦争を回避する方法はないのか。私は人類の総意と云えど、オモイカネの案には反対ですので」
そして何事もなかったかのように白銀色の髪を翻し、チガヤはヴェロニカ達のいるセラフドームへと向かった。
一人残されたナタスは、訓練の疲れとチガヤの殺気でどっと疲れてその場に座り込んでしまった。
それを見て訓練所に配置されていたアンドロイド達がスクラップの片付けを放り出して、ナタスのもとに駆け付け、助け起こした。
「―――。やっぱり、僕は弱いままだな。ありがとう」
ナタスは自分の弱さと正義の脆さを痛感させられた。
チガヤの想いに比べれば自身の想いは小さすぎるのだと。
己が武器KATENAに誓った正義はこんなに弱いものではないはずなのに。
「力なき正義は無力……か」
ポツリと呟いてドームの天井を見上げる。その向こうには自分の守りたかった惑星が、蒼く煌やいていた。
✝
時を同じく月面、トロノイドーム。
ここは月面において最も自然が豊かなドームで、主に月に移住した人々の食糧を維持するためにオモイカネによって改良された様々な野菜や果物の栽培や、家畜の生育から加工まで行う施設もある。
そしてこのドームの最大の特徴は、大気がどのドームよりも澄んでおり、地球や宇宙の星々が最も綺麗に見えるということだ。
ここにはALICE6号機と呼ばれる少女、モミジが足繁く通っており、このドームの中心に建てられている大天文台からいつも故郷の惑星を見つめている。
今日も紅く、美しく伸びた長い髪を地面に着きそうなほどに靡かせながら宇宙を見上げ、彼女は故郷に思いを馳ると同時に疑問を感じていた。
自分が守ったはずの故郷に、今度は攻め込むことになるのだから。
モミジは今回の作戦に参加はしないが、それでもヴェロニカ、ナタス、ロベリア、チガヤ、エリカの5人が自分の、自分達の故郷に攻撃をすることになる。
モミジは何のために、誰のためにこんな身体になってまで地球を守りたかったのか。そんな自問自答を繰り返していた。
この身体になって得たものは、護りたいものを護れる力。そして放射能で汚染され尽くした自分たちの故郷を浄化し、救う力。
この身体になって失ったものは、人としての未来。人間としての生涯だ。
果たして本当にそれを天秤にかけてまで手に入れるべきものだったのか。
後悔をしているのだろうか。
他のALICE達はこの戦いに何の疑問も、後悔もないのだろうか。
モミジが思考を巡らせていると、軽やかで弾むような声が耳に届いた。
「あ、モミジちゃんみっけー!」
この声にはとても聞き覚えがある。
例え何百年後に目覚めても忘れるはずもない双子の姉の声だ。
「……アカネ、静かに。ここは公共の場。私達の家じゃない」
「ごめんごめん、久々にモミジちゃんに会えると思ったら嬉しくって~。ほら、私はここ数百年スリープに入ってたでしょ?だけどモミジちゃんはオモイカネのいるセラフドームの警備と守護を任されてたじゃない。もうお姉ちゃん嬉しくって!」
そう言いながらアカネはモミジに歩み寄る。明るく、軽やかで、嬉しそうな声が大天文台に響き渡る。
「……気持ちはわからなくもないけど、静かに」
モミジは口元に人差し指を立てて、アカネに声量を絞るように促す。
するとアカネは慌てて両手で口元を抑えた。
「……アカネは、何でモミジを探していたの?任務は、明日からの筈」
アカネとは対照的な、物静かで涼やかな声が囁いた。
「いやいやいやいや、姉妹なんだから一緒に居てもいいじゃん!なんならALICEになる前は寝る時もずっと一緒だったし!」
「……だから、声、大きい」
「はひぃ、モミジちゃんに怒られた……」
二人は双子だと言うのに性格は真逆で、アカネは明るく活発であるが、モミジは物静かでおとなしい子だった。
「任務っていっても、アカネ達は月でドームと人民の守護を任されてる。アカネなら敵が空宙戦艦で攻め込んできても、アカネのLGP-45は戦艦以上の射程と威力があるから負けるわけないし、仮に上陸されてもモミジちゃんの大型戦斧、VLOVAがあれば機人相手でも絶対に護り切れるし!あたしたち姉妹は他のALICE達にはない本当の姉妹としての絆もあるんだから、大丈夫に決まってるからね!」
満面の笑みを浮かべて親指をグッと立てて、その自信の程を語るアカネ。
しかし、モミジはその自信に足元が掬われないかと不安視していた。
「……その自信、どこから来るの?モミジたちも知らない、8人目。こちらに来るかも。あまり楽観しない方が、いい」
そうきっぱり言い切ったモミジだが、アカネは高らかに笑い、「何を隠そうアカネはモムギュッ!」何かを言おうとしたがその前にモミジから対姉専用奥義、必殺妹チョップを喰らうのだった。
アカネはその一撃を脳天にまともに喰らい悶絶し、その場に倒れたのだった。
「……何度も言った。静かに」
倒れた姉をそのままにして、モミジは再び宇宙を見上げた。
言葉にできない不安と、過去の戦争での哀しみが混ざり合った、複雑な想い。形容し難いこの感情はなんと言ったらいいのだろうか。
アカネと違い数百年起動していたモミジは、任務の合間に様々なことを考え、想いを馳せてきた。
両親や友人だけではない。無くしてきたものを沢山思い出した。先程もそうだった。
そんな辛い記憶を、哀しい記憶を思い出して、宇宙を見上げては心を落ち着かせる。
もう100年以上も思考し続けたが、未だに答えは出ない。
そもそも答えなんてないのかもしれない。
実はただ後悔しているのかもしれない。
状況に流されて、こんな風になってしまった自分自身や、たった一人の姉のことを。
「――モミジちゃんは後悔なんかしなくていいんだよ。それはアカネの役目だから。モミジちゃんは昔みたいにただアカネの側に居て。アカネを支えて欲しい。前の戦争のときみたいに、挫けそうなアカネを見つけたら、またチョップして欲しい。お姉ちゃんはそれだけで、前を向けるから」
大の字になって寝転んでいたアカネが静かに、ゆっくりとした口調で言った。
その言葉はモミジの心に柔らかな風を運び、不安感をさらっていってしまった。
ああ、なんでこの人はいつも私の心を理解出来るのだろう。言葉にしない感情が分かるのだろう。表情にも出ていないはずなのに。やはりこの人には敵わない。
モミジのことをモミジ以上に分かっている。
「……分かった。ありがとう、アカネ。モミジのチョップで良ければ、いつでもお見舞いする」
†
時を同じくしてケルブドーム。
ここにもALICEの一人である、7号機、エリカの姿があった。
ケルブドームは商業エリアで、主に買い物客や昔ながらの手作りの飲食店等が多く立ち並ぶ。また娯楽施設も充実しているので、昼夜問わず人が多いのが特徴のエリアだ。
だが、割合でいえば人間より、アンドロイドが多いだろう。
人間はアンドロイドに比べ、とてつもなくエネルギー効率が悪い。
故に月での人間は、必要の無い場合はコールドスリープさせられている事が殆どだ。
だが、ここでは新しいものを創る為に人々が活動をしている。
やはり人以上に人であろうと作られたアンドロイドや機人であっても、既存のものは幾らでも作れるが、データにないものは作れない。
エリカは今回の地球攻略の任務を受けたALICE達の中で、唯一これを是としていた。
攻略作戦の指揮を任されたヴェロニカですら、躊躇いを棄てられないというのに、エリカは全く躊躇わなかった。
彼女は過去の戦争で大切な人を失った。
そして彼女は大切な人を奪った戦争を忌み、戦争をした人間そのものに憎しみを向けてしまっているからだ。
彼女は戦場で異常なまでの冷酷さを見せることから、氷の乙女“ブリュンヒルデ”の異名を持つ。
彼女は大切な人を失ってからは独りだった。
誰も頼らず、誰に助けを乞うこともなく、自分を独りにした戦争をただ憎み続けたのだ。
いつしか心は凍り、その表情すら希薄になっていった。
そんな彼女も、戦前は普通の人であったのだ。
エリカはこのケルブドームにとあるものを買いに来た。
それは商業施設が多く立ち並ぶケルブドームの中でもひときわ大きなアーケード街から外れた小さな商店街エリアの隅に、一店舗しか存在しない花屋だった。
大戦後植物は光合成を行わせ、人にとって必要不可欠な酸素を作る為の装置と成り果てていたのだが、この店では唯一観賞用の生花を買うことができるのだ。
だがもちろん、一般の人々が安易に手に入れられる価格ではないし、高給取りの軍属となっているエリカにとっても決して安い買い物ではない。
生花を一本買うだけで、一般の人々の一ヶ月の生活を賄うことができる。それ程までに高価なものなのだ。
店に入ると、様々な花の香りが鼻をくすぐる。
照明は地球を意識しているのかまるで太陽がそのまま照らしているかのような昼白色に、花たちに与える水のせせらぎの音。
まるでここが本当に地球の花畑であるかのような錯覚を受ける。
「いらっしゃいませ、本日はどのような花をお買い求めですか?」
店の奥から若い女性が姿を現す。
年齢は30代前半くらいだろうか。落ち着いた声に、たおやかな仕草。白いエプロンがよく似合っている。だがコレも人ではない。西暦に作られた旧式後期型のアンドロイド。人以上に人として、人の理想に似せて作られた機械なのだ。確か名前は……。
「あら、エリカ様ではありませんか。お久しぶりです、キランです。」
そう、キランという名前だった。
「久しぶりですね。以前に買った紫色の花は、今の時期にありますか?」
「あ、以前に買われた花ですね。お調べしますので少しお待ち下さいね」
そう言ってキランが静止する。どうやら内部のメモリーから購入履歴を探っているようだ。
「あ、ございますよ!時期も正に今ですね。奥にありますのでお持ちしますね。何輪お買い求めですか?」
「三輪です」
「畏まりました。では、少々お待ち下さい」
キランはエリカに一礼をして店の奥に消えて行った。
キランが消えていった方を見つめていると、ものの数分で紫色の可愛らしい三輪の小さな花束を手にしたキランが戻ってきた。
「お待たせ致しました。こちら三輪で金150になります」
エリカは自身の市民IDカードを端末に挿入し会計を終える。
「ありがとうございます。ではコチラ、商品で御座います」
エリカはキランから三輪の紫色の小さな花束をそっと受け取った。
キランに見送られながらエリカはすぐに店から立ち去り、ケルブドームを出てトロノイドームに向かう。
ここには以前の戦争で亡くなった人々を追悼するための慰霊碑があるのだ。
もちろんここに彼女を愛し、彼女に愛された唯一無二の恋人も眠っている。
エリカは先ほど店で買った紫色の小さな花束を慰霊碑にそっと手向けて、手を合わせる。
「また、来ました。何年経っても、何百年経っても。私は貴方を忘れられないです。幸せになれと言われたけど、貴方の願う幸せとは反対の道を進んでいます。ごめんなさい。もう何度、こうして謝ったのでしょう」
エリカは慰霊碑の前で淡々と、そして粛々と語った。
愛し、愛された彼を思い出しながら。
脳裏に焼き付いた笑顔を思い出しながら。
二人の幸せだった時間を思い出しながら。
美しかった思い出を涙で濡らしながら。
それでも、人なんだ。
何年、何十年、何百年、何千年、何万年経とうとも。
いくら身体を鋼鉄で覆い、人でなくなってしまっても、人は心まで機械で覆うことはできない。
心があるからこそ、人は人たり得るのだ。
エリカを覆う憎しみや悲しみも、人だからこそ。負の感情すらも、それは人が人であるためには必要不可欠なのだ。
それからどれほどの時間、彼女は大切な人への思いを馳せ、重ねたのだろうか。
そして亡き恋人を思う度に、戦争を憎み、兵器を憎み、それを作り出した人間を憎み続けたのだ。
愛していたからこそ、エリカはその愛に囚われ、呪われてしまっていた。
愛故にそれ以外を呪った。ある意味究極の愛のカタチとも言えるかもしれない。
故にエリカはこうして憎しみを募らせ、心を幾重にも閉ざし、凍らせてきた。
もし彼女の閉ざした心を開くことができるのだとすれば、それは、亡き恋人以外にはいないのかもしれない。
どれほどの時間、亡き恋人に祈りを捧げただろう。愛を囁いただろう。
満たされない心を憎しみで満たし、再び心を凍らせて。彼女は顔を上げ、立ち上がる。
そしてゆっくりと、静かに。だが確かな意思を持って、歩みを進めていく。
地球に住む人々と月に住む人々を呪い、憎しみ、自分の心を救う為に。戦場へと。




