第7章 天国に響く赦し
第一幕:救いを求める傭兵と脱がされたフード
あの奇跡的に蘇生した少年の姿が遠ざかって行ったその時。
路地の奥深くの深い陰影から、高大で魁偉な一人の男が、まるで神蹟のごときその光景をまざまざと目に焼き付けていた。
その男は、極度の震撼と焦燥をその顔に浮かべ、まるで狂ったようにクロードのへと駆け寄ってきた。そして、ドサリと激しい音を立ててその足元に膝を折り、その頑丈な膝頭を冷たい石畳に激しく叩きつける。
「頼む……! 天使さま、どうか……! どうか俺の兄弟たちも、助けてやってくれ……!」
男は必死にその首を持ち上げた。赤く血走ったその瞳。その声には、耐えがたき咽び泣きと、泥臭い絶望的な哀願が入り混じっていた。
「俺たちは、この街を守る『血月傭兵団』だ……! さっき、うちの兄弟たちが平民を安全に逃がすために、官軍の奇襲を受けて重傷を負ちまった……頼む、あいつらを救ってくれ……!」
クロードは、冷たい雨幕と夜闇のなかに静かに佇み、目の前の恐怖と必死さに慄く男を見つめた。
彼は、ゆっくりとその白骨に覆われた手掌を持ち上げると――自らの頭部を深く覆っていた漆黒のフードを、そっと脱ぎ捨てた。
激しい夜風がビューと吹き抜け、そのフードの下から、一切の皮膚を失い、その左眼に妖しく青い死霊の火光を激しく燃え上がらせる、巨大な「白骨の面容」が、冷たい夜気に露わとなる。
クロードの、乾ききった枯れ果てた沙啞な声が、夜色の中で冷ややかに響き渡った。
「生憎だが……私は、お前たちが呼ぶような慈悲深い天使などではない。……魔物だ。人間ですら、ないのだよ」
第二幕:赤血の狼人の後裔
だが――。
クロードの予想に反し、目の前のその男は、その恐ろしい白骨の髑髏面容を目の当たりにしても、微塵の畏怖や嫌悪の色すら浮かべなかった。
男はただ僅かに呆気にとられたものの、すぐさま自嘲気味に低く鼻で笑い、まったく臆することなく、堂々と自らの素性を語り始めたのだった。
「実を言えば……俺だって、生まれた時から純粋な人間とは言えねぇよ」
男はガバッと力強く立ち上がると、自らの腕に微かに浮かび上がる野性的な毛皮と、鋭い狼爪の痕跡を隠さずに対に見せつけた。その瞳には、荒削りでありながらも、どこか真っ直ぐな強い光が宿っている。
「俺の名はフェンリル・ブラック。――かつてこのスラム街を護り続けた、『赤血の狼人』の息子だ」
第三幕:魔晶の眼の劇痛と血色の幻象
『ドォォォン――ッ!!』
(赤血の狼人……スラム街……だと……っ?)
その言葉の響きは、巨大な鋼鉄の槌のごとく、クロードの魂の最奥を激しく、痛烈に打ちのめした!
刹那――。
クロードの左眼腔に深く嵌め込まれた「魔晶の眼」が、突如として、身を裂くような身悶えするほどの激痛を爆発させた!
彼の耳元には、何年も昔のあの夜――あのスラム街の少年の、胸を引き裂くように血を吐いて号泣し、そして彼を「死神」と罵倒した、あの日の痛切な叫び声が、生々しい幻聴となって狂おしく響き渡る。
――『父さんを返せ……! 父さんを俺に返せよ……! この死神、この殺戮者め……ッ!!』
目の前の漆黒の夜空が、一瞬にして見渡す限りのおぞましい鮮血に呑み込まれた。
クロードがハッと視線を落とすと、自らの白骨の手掌には、再びあの日の――灼熱で粘りつき、どれほど洗い流しても決して落ちることのない生臭い血痕が、びっしりとこびりついていた!
「ぐ……っ、がっ……あぁっ……!」
強烈な自責と、逃れられない罪悪感の濁流が、彼を激しく呑み込んでいく。
クロードの瞳孔が完全に崩壊し、その足取りが激しくたどたどしくなると――彼は支えを失い、無残にもドシンと泥濘の地面へと直立のまま崩れ落ちてしまった!
第四幕:悪夢を超越せし決意
「おい、天使さま……っ! 大丈夫か……っ!?」
フェンリルはそれを見て驚愕し、慌ててその場へ疾走すると、自らの頑丈で力強い両腕を大きく伸ばし、激しく震えるクロードの骸骨の躯体を、死に物狂いでしっかりと支え上げた。
生者から真っ直ぐに伝わってくるその温かな体温と、必死の気遣いが――。
クロードを、あの底なしの血色の悪夢の深淵から、微かに現世へと呼び覚ます。
彼は肺の底から大きく息を吐き出すと、左眼の青い火光を精神の力で強くコントロールし、脳裏で暴れる悲鳴と幻象を徐々に、力ずくで抑え込んでいった。
クロードは、フェンリルに強く支えられた自らの枯骨の腕を見つめ、そしてゆっくりと首を持ち上げて、目の前に立つその真っ直ぐな瞳の狼人の青年を見つめた。
胸のなかを突き上げる千々の痛みを、彼は強極の意志で無理やり押し殺し、沙啞な呼吸をしっかりと整える。
「……なんでも、ない」
クロードは彼の力を借りて、その背筋をピシリと正しく伸ばした。
そして、愛用の大型兵器「鴉狩の鎌」を、再びその白骨の肩へと力強く担ぎ直す。青い火を燃やすその片目が、フェンリルをまっすぐに見据え、静かで、しかし誰にも揺るがせない口調で告げた。
「さっき……誰を救いたいと言ったね? ……早く、私を其処へ案内したまえ」
第五幕:光陰と不夜城の城主
歳月は流れ、数年の時が過酷な戦乱と硝煙の中で、音もなく静かに過ぎ去っていった。
世人に忘れ去られた荒涼たる廃墟の大地の上に、いつしか「不夜城」と名付けられた、すべての傷つきし者たちのための強固な庇護の地が、高く聳え立った。
クロードが「死霊の力と魔燼の共鳴」による数々の奇跡の術を用いて幾多の命を救い、疫病に侵され死の淵にいた流民や孤児たちを救済し続けたため――彼は、城中の万千の民から絶対的な敬仰と感謝をもって、この街の「城主」へと満場一致で推挙されたのだった。
そして、あのとき彼に救われたフェンリル・ブラック率いる「血月傭兵団」もまた。
この暗夜の天使に対して、その魂のすべてを賭けた全心全意の忠誠を誓っていた。
彼らは危険に満ちた幾多の戦場や魔物の巣窟を駆け巡り、奇跡の術の維持に不可欠な「魔燼結晶」を命がけで採掘・運搬してはクロードへと届け、不夜城にとって最も強固な鋼鉄の盾となっていたのだった。
第六幕:医療室における試問
不夜城の最も深くに位置する、頑丈な石造りの医務室の中。
妖しく青く揺らめく燭台の光が、その静寂な空間を優しく照らし出していた。
クロードは病床の前に腰掛け、その白骨に覆われた両手を優しく伸ばしている。
その手掌から溢れ出る柔らかい青い癒やしの光が、任務で重傷を負った若い戦士の、砕けた骨格の傷口を綺麗に修復していく。
フェンリルは、その傍らに静かに佇み、全幅の信頼と、微かな緊張を湛えた瞳でクロードの仕事を見守っていた。
隣に立つ、あの魁偉で真っ直ぐな瞳の狼人の青年を見つめ、クロードの両手から放たれていた癒やしの光が、ふと微かに止まった。
過ぎ去った幾多の夜。
あのスラム街の少年の、引き裂かれるようなあの日の泣き叫びが、再び彼の脳裏をかすめる。
クロードは長い、重い沈黙ののち――静まり返った医務室の中に、その枯れ沙啞な声を低く響かせた。
「フェンリル……。かつてその手に血を塗り、自らの過ちによってお前の父親を死なせた……あの『白衣の死神』を……お前は、今でも怨んでいるかね?」
第七幕:英雄の認同と遺憾
突如として、クロードの口から語られたあまりに唐突な過去の記憶。
だが、その問いを聞いても、フェンリルは驚きに声をあげることすらなかった。
すぐに、この剛毅な狼人の青年の顔に温かな笑みが浮かび、彼は静かに、しかし力強くその首を横に振った。
「いいや……俺は、あいつのことを微塵も恨んじゃいないさ」
フェンリルは、窓の外で穏やかに暮らし、助け合う民たちの姿を見つめた。その瞳には、微量の偽りもない、純粋な崇敬と坦蕩たる光が輝いていた。
「あいつはあの時、確かに過ちで親父を死なせちまった……。だがな、あいつが命を削って、あの時暴れ回る無数の魔物を斬り伏せてくれたおかげで……あのスラム街の、一万人以上の平民の命が救われたんだ。俺の目から見れば、あいつは俺の親父と同じ……誇り高き、最高の偉大な英雄だったよ」
そこまで語ると、フェンリルはどこか落胆したように小さく頭を垂れ、その声に幾分かの無念と、未だ果たせぬ生涯の遺憾をにじませた。
「ただ……一つだけ残念なことに……あの『白衣の死神』は昔、あの戦場のど真ん中で散っちまったって聞いた。もし叶うなら……直接この口で、本人に伝えてやりたかったよ。『俺は、お前をちっとも責めちゃいねぇよ』ってな」
第八幕:涙なき感動
『ヴォォォォン――ッ!!』
フェンリルの心の底から、何の飾り気もなく漏れ出たその「俺はお前を責めやしない」という一言は。
まるで澄み切った灼熱の泉のごとく、クロードの長年凍りついていた枯れ果てた死寂の精神世界へと、一気に、温かく流れ込んできた!
長年彼を心の底から苛み続けた、あの血色の悪夢。
そして、どれほど時間をかけても二度と洗い流すことなどできないと思い込んでいた、あの血塗られた自身の両手が――。
この瞬間の、あまりに寛大な寛恕によって、完全に、綺麗に洗い清められたのだ。
クロードは、その場でピタリと立ち尽くした。
白骨の骨格で構成されたその顔には、感動や涙を浮かべるための表情など最初からつくりようもなく、乾ききった空洞の眼腔からは、一滴の涙すら流れることはない。
だが――。
その左眼腔のなかに深く埋め込まれた「魔晶の眼」の青い火光だけが、かつてないほどに優しく燃え盛り、激しく、そして美しく揺らめきながら、彼の内心の比類なき震撼と、永遠の解脱を静かに物語っていた。
クロードは静かにその白骨の手掌を引き取ると、ふとスッと背を向けた。
彼はその沙啞で低く、しかしこれまでの人生で聞いたこともないほど極限の優しさを湛えた声で、ゆっくりと口を開く。
「……安心したまえ、フェンリル」
彼は言葉を切り、青い火光が黒衣の裾のなかで、静かに揺らいだ。
「天国にいる彼も……今日の君のその言葉を聞けば、自らの過去の罪業を赦してくれた君に対して、心から深く……感謝しているはずだ」




