第6章 暗夜に舞い降りし天使
第一幕:人間地獄と荒涼たる旅路
霧鴉街のあの眩しいほどに温かな黄色い灯火をそっとあとにし。
クロードは、ただ一人で果てしなき遠方へと歩みを進めていた。深く被った漆黒のフードの底で、その泥濘を踏みしめる足取りはどこまでも重く、そして途方もなく孤独だった。
だが、彼の眼の前に広がり続けていたのは――戦争と暴政、そして人間の底知れぬ強欲によって徹底的に引き裂かれた、あまりに残酷な世界であった。
彼が立ち寄る先々には、終わりのない硝煙の立ち込める戦乱があり、連年の不作がもたらす深刻な飢饉があり、そして野垂れ死ぬ者を隠そうともしない荒れ狂う疫病が満ち満ちていた。
過酷な重税と、人間性を失った悪毒な奴隷売買に耐えかねた平民たちによる民衆蜂起が相次いで勃発し、それに続くのは、権力者や官軍による冷酷無比な血の鎮圧と、容赦なき屠殺であった。
流民たちの引き裂かれるような泣き叫び、焼き払われる村々の鼻を突くおぞましい焦げ臭さ――。
それらはまさに、人間界に現れた極限の阿鼻地獄そのものを形作っていた。
第二幕:逝きし姿と奇跡の共鳴
軍勢によって無残に荒らされ、すっかり静まり返ったばかりのある村の廃墟で。
クロードは、ふとその足をピタリと止めた。
道端の冷たい泥濘の中に、わずか数歳と思われる、あまりに幼い一人の男子の幼児が、静かに横たわっていたのだ。
子の小さな身体には無数の痛ましい傷痕が刻まれ、その右の眼腔は血肉に塗れて無惨に潰れ、その細い左腕は根元からちぎり飛ばされていた。彼は、とうの昔にその小さな息を絶ち、心臓の鼓動を完全に止めていた。
その痛ましい我が子のごとき幼躯を目の当たりにした瞬間。
クロードの脳裏に、霧鴉街の窓のなかにいたコルヴォスの、あの無垢で澄み切った笑顔が生々しく閃いた。
身を裂かれるような耐えがたき痛みが、その白骨の胸を鋭く刺す。
クロードは片膝を深く突き、その森々たる白骨に覆われた両腕で、冷たくなった我が子のごときその小さな躯を、この世界で最も壊れやすい宝物を扱うかのように、極めて優しく、そっと抱き寄せた。
――まさにその瞬間、奇跡が舞い降りた。
かつて故郷の荒れ果てた廃墟の泥中から拾い上げ、胸に秘めていた「微かな温もりを宿す魔燼の残骸」が、クロードの体内に深く眠る死霊の魔核と、すさまじい共鳴を引き起こしたのだ!
黒紫の死霊の力と、燃えさかる魔燼の微光が、まるで夜空を流れる銀河のごとく溢れ出し、途切れなくその少年の躯体へと注ぎ込まれていく!
第三幕:「ありがとう、天使さま」
『咳……ゴホッ……カハッ……!!』
微かな、しかし確かな喘ぎ声とともに――。
クロードの腕のなかで、すでに冷たくなっていたはずの少年が、奇跡的にゆっくりとその眼を開いた!
だが、少年が驚きに満ちた顔を持ち上げ、その視界に飛び込んできたのは……皮膚を失い、その左眼腔に妖しく青い死霊の火光を激しく燃え上がらせる、あまりに巨大な「髑髏の面孔」だった。
クロードはハッと心内で激しく驚愕し、その無惨な我が子のごとき少年に恐れをなさせまいと、咄嗟に顔を背けて視線を大きく逸らした。
彼は、死の門から生還したばかりの無垢な幼子を、自らのこのあまりに恐ろしい骨の容貌で怯えさせてしまうことを、心底から恐れたのだ。
だが、彼が予期していたような悲鳴も、怯えの恐怖も、訪れることはなかった。
少年は、クロードの背に大きくたなびく巨大な黒衣と、その身に纏う神秘的な青い微光を見つめ、その瞳を純粋な敬愛と感謝で満たしながら、あどけない稚拙な声で静かに語りかけた。
「ありがとう……天使さま」
少年は痛む体を精一杯もがかせながら、しっかりと自分の足で立ち上がった。そしてその小さな手で、クロードの漆黒の裾を軽く、トントンと引っ張る。
彼は小さな首をいっぱいに持ち上げ、その曇りのない澄んだ瞳で、あの恐ろしい骸骨の顔をまっすぐに見つめ続けた。
「ぼく、このまま死んじゃったら……お父さんとお母さんが、すごく悲しむところだったの。……命を助けてくれて、本当にありがとう」
少年は、名残惜しそうに二歩ほど後ろへと後退すると、目の前に立つ巨大な骸骨に向かって、その小さな手を力いっぱい、精一杯に振り返してみせた。
そして、奇跡的に取り戻した新生の輝かしい笑顔をそこに咲かせると――彼はくるりと振り返り、ボロボロでありながらも、なお温もりの残る我が家を目指して、一生懸命に走り去っていった。
第四幕:夜空の下に唯一つ輝く曙光
クロードは、その場でただ呆然と立ち尽くし、遠ざかっていく少年の小さな背中をいつまでも、いつまでもみつめていた。
――『ありがとう……天使さま……』
あの稚拙で、しかしあまりに純粋な感謝の響きが、彼の耳の奥で、何度も、何度もこだましていた。
その瞬間、まるで遥かな時空が交錯したかのように――彼は何年も昔、荒れ果てたスラム街で、あのディアンナを救い出したときのことを鮮烈に思い出しいていた。
あの太陽の光のごとく眩しかったディアンナの笑顔。そして、彼女から彼に捧げられた「ありがとう、クロード」というあの日の言葉を。
クロードは、その冷たい骸骨の頭部をゆっくりと仰ぎ見た。
はるか上空に広がるのは、未だに終わりなき無尽の漆黒の夜空だった。
世界は依然として深い闇に包まれ、この地上では戦火が狂おしく荒れ狂っている。
だが、あの少年の紡いだ言葉は――かつて出会ったあの日のディアンナの笑顔と同じく、彼の永く暗い不死の人生において、唯一輝く、そして最も心温まる救いの「曙光」となったのだ。
この瞬間。
彼はただ現世への執着に引き裂かれた、悲しき死霊であることを完全にやめた。
――すべての傷つきし者、すべての無垢なる魂を守護する者。
人呼んで、「暗夜の天使」へと、彼の魂は正式に、そして永遠の神聖をもって昇華を遂げたのだった。




