5 真面目にふざける
【主なⅭAST】
ザワ:2年 教師的演出助手
レッド:2年 高技能役者兼音響担当
マリ:2年 存在感で勝負する大道具担当
ドラ:2年 わりと情熱系な渉外・会計担当
タロ:2年 こだわり派演出助手
イチ:2年 イメージが身体を超越する制作担当
バッキー・チャーシュー・カッパ:回顧する三年
また別の日、実践訓練として新たなメニューがザワから示された。
「今日はフリーエチュードをやります、日本語に訳すと即興演技ね。『場面』や『キャラクター設定』をもらって、その状況でその人ならどういう感情を抱き、どう行動するかを表現する訓練です。私たちは普段の生活では自分の感情は考えるまでもなくわかっていて、それに基づいて行動しているわけだけど、脚本に描かれたキャラクターは自分じゃないので、まずその感情を深く理解して、こういう感情だから自然にこう反応するという状態に持っていくという段階を踏む必要があります。感情を理解せずに、書かれている行動を『そう書かれているから』っていうだけの理由でなぞるのはただの段取り、ロボットが演じているみたいで何を感じているのかが見えません。フリーと銘打っているようにセリフや動きの指示はありません、ロボットならぼーっと立っているだけになるでしょう、しかし私たちは人間です、相手の感情や行動に反応して、相手との関係を生き生きと表現しましょう。じゃ、上級生からレッド、マリちゃん、ドラ」
ザワに指名された三人が稽古スペースの中央に並んで立つ。残りの上級生から場面は「本屋の事務所」、キャラクターは「レッド:本屋の店長」「マリ:万引した中学生」「ドラ:迎えに来た母親」の設定が与えられ、シンキングタイムの後に「見てる側は感情の動きと反応に注目してね、後で感想を聞くから。では行きまーす、はい!」ザワが両手をパンと打ち合わせたのを合図に演技が始まる。
「申し訳ございません!」
うつむいているマリの横でドラがレッドに頭を下げる。
「まあね、たまに買いに来てくれてて知らない子じゃないし、初めてで素直に認めて反省してるようだから、今回は許しますけど、家でもよく言って聞かせてくださいよ」
「はい、必ず、二度とないように!」
「ごめんなさい……」
マリも震えながら声を絞り出して頭を下げる。
「しかし八百屋で買い物したときはちゃんとお金払ってるのに、どうしてうちでは万引なんてしちゃったのかねー、ほらこれレシート」
レッドがドラにレシートを示すしぐさをする。
「え、何?なんで八百屋さんなんか行ったの?ちゃんと店長さんに説明しなさい、そんな無責任なこと許しませんよ!情けない!」
ドラがマリの顔をのぞき込むがマリは顔をそらす。
「でもねぇ『はじめてでも大丈夫 お料理一年生の教科書』って、中学生男子がなんでこんなの欲しかったのかなぁ?」
穏やかな店長の言葉に促され、マリがぽつりぽつりと話し始める。
「お母さんの、料理が……あんまりまずいから、僕は我慢できるけど、妹が『おいしくないよう……』って泣くからかわいそうで……おいしいのを作ってあげてほしくて、無理なら僕が作れるかなって……材料はとりあえず買ったんだけど、それでお小遣いなくなっちゃって、ついいつも寄ってるこの本屋さんに来たら、妹みたいな女の子が笑顔で食べてる表紙が目に入って、つい……」
「うええ~ん」
「お母さん、今どっちの意味で泣いてるの?」
うずくまり全身を震わせるドラ。
「あとね、お母さんいつも帰りが遅いそうじゃない、お仕事忙しいのもわかるけど、早く帰ってあげたほうがいいと思うよ」
「いえ、仕事じゃないんです」
「え……、じゃあ親御さんの介護とか?」
「週五で料理教室に通ってるんです」
「そんなにやってんのにこんな状況なの⁉悲しいなぁ!もういいよ、この本持って帰って読んでよ!」
「はい!お疲れさまでした、拍手」
区切りがついたと判断したザワが声と同時に再び手をパンと鳴らして終了の合図を出す。パチパチという賛辞を受けて三人は床に座る。
「じゃあ感想タイムです。どうだったかな、挙手でお願い」
ザワの促しにぱらぱらと手が挙がる。「マリの二重のいたたまれなさがよく感じられた」「レッドが落ちついて対応しながらも感情を振り回される様子がよく見えた」「ドラの涙の意味がどっちなんだろうと思わせるところが面白かった」などの声が上がった。
「はい、ありがとう。どう?自然な感情の流れが見えたかな、頭で考えてじゃなく、アドリブで出るセリフだからこそ感情も込めやすいし、相手も反応しやすいのがこのレッスンのいいところ。実際に脚本を基に演じる場合もスタートは感情の理解からだけど、いったんセリフのことは忘れるくらいに役としてその時間を生きて、相手のセリフや行動に自然に反応してセリフを発したり動いたりできるようになれるといいね」
ザワがまとめたところでピョン吉がおずおずと手を挙げた。
「質問?いいよ」
「あの、確かレッドさんは経験者だってことでしたけど、マリさんとドラさんは去年始めたばかりなんですよね、それであんなにスムーズにアドリブでまとめられるものなんですか?変な質問ですいません」
「いいよ、そうね、今のフリーエチュードはうまく流れがはまったと思う。でも、うまくいかない場合もあるし、破綻するときもある。でも、大切なことは役を生きる感覚をつかむことだから問題なし。ピョン吉が今みたいに『上手くやらないといけない』と思ったのなら心配はいらないよ、全ては相手のあることだし、ウケに走る悪いクセをつけるよりは不器用でもきちんと感情の流れを作ってコミュニケーションを取れれば大丈夫」
「演技について上手いとか下手っていう評価は見ている人の主観でしかないの、明確な基準はないし、そもそも演技をしたことのない人のする演技の評価なんてあやしいものよ。評論家が言うもっともらしい言葉なんか気にする必要はないけど、個人的には『心が震えた』って感覚はあるわ。舞台の雰囲気に引き込まれて、いつの間にか観ている自分の心が裸になって、むき出しの心と心が混ざりあったりぶつかり合ったりしたとき、豊かな気持ちになるの。自分の体を飛び出すくらいの気持ちで舞台上の相手や観客に手を伸ばせば、何かが伝わるとあたしは思ってる」
舞台の魅力について、観客側の視点も交えた思いを語るハッシー。それに演技を終えたばかりのマリがゆったりとしたジェスチャーを交えてのっかる。
「そう、どろだんごの舞台に上手・下手の概念はない、あるのは上手(かみて=客席から見て舞台の右側)・下手(しもて=同じく左側)の区別だけだ!」
「マリちゃん、それ今思いついたでしょ」
「うむ」
ハッシーとマリの掛け合いを切るようにザワがパンッと手をたたく。
「じゃ、次の組を始めます。みんなも疑問や不安があったらピョン吉みたいにどんどん言ってね」
「いやぁ成長していく若者を見るのはいいもんだね、よちよち歩きのあの子らがこんなに立派にねえ」
そう目を細めるバッキーほか三年生の三人は稽古場の隅で訓練の様子を見守っていた。
「でもスマートになったもんだよな、あの頃とは違うか」
チャーシューは自らの一年生のときの最初のフリーエチュードのことを思い出しているようだ。高校で三年間やっていた自負もあり、そこそこ生意気に演じたチャーシューに当時の最上級生の男の先輩から怒声が浴びせられた。
「『ふざけるな!テキトーにやってんじゃねぇ!俺たちは全力でふざけてんだ。下手なのは仕方ねえが、真剣にやらねえ奴は許さねえぞ!バイトや講義じゃねえんだ、命がけでやれぇ!』ってな。翻訳すれば、見映えだけいい小手先の演技は見透かされるぞってことなんだろうけど、俺が女の子だったら泣いてたぞ、あれは」
「気持ち悪いこと言わないでよ。まあ、安全地帯に引きこもらずに崖っぷちで踊れってことには同意したけど、三人しかいなかった一年生への態度としてはチャレンジャーよね」
カッパが遠い目をして首をぐるぐると回す。
「あの先輩行方不明なんだよね、どこでどうしてるのやら。でも、あれに正面から立ち向かったチャーシューはすごいなって思ったよ」
劇団の雰囲気作りを担う演出として、受け継がれていたあの雰囲気の連鎖を止めたことはチャーシューの功績だとバッキーもカッパも同意するところだった。
別の稽古日。部室棟の和室に数枚の暗幕が張られて簡素な舞台が作られた。設営を手伝いながら何が始まるんだろうと一年生は戸惑った様子である。
「本日は『滑舌の鉄人』を行います。どうこう説明するより見た方が早いので早速始めます、一年生は観客席ね」
ザワの案内で五人は舞台正面に座る。荘厳な音楽が流れる中、部屋の照明が消えて暗転し、舞台上手にパイプ椅子を抱えたレッドとマリが現れライトが点灯する。光の中で椅子をセッティングしマリは座る。レッドはマイクを手に話し始める。
「わーたしの記憶が正しければ、劇団どろだんごの中でも最も言葉へのこだわりが強いのがタロ。部室のテーブルにのっているコミュニケーションノートにその名の刻まれぬ日はないくらいだ、満を持しての今日の挑戦者であるっ!」
タロが下手から自信たっぷりの様子で大股歩きで登場する。白衣をマントのように着ている。
「これを受けて立つのは我が滑舌アカデミーが誇る、劇団どろだんごの中でも特に個性的なセリフ回しをする役者、人呼んで『滑舌の鉄人』蘇るがいいアイアンアクター!」
舞台全体に明かりが灯りる。イチとコロが暗幕をマントのように羽織り、手にした外枠だけの額縁の中央に顔を収めて登場し、観客席に向かって舞台中央に仁王立ちする。
「さあ、誰と闘う?」
レッドがタロにマイクを向けるとタロは舞台奥を指差し、宣言する。
「もちろん、ムキムキマウス・イチィー‼」
音楽が盛り上がり、イチが額縁を払いのけるようにコロに渡し、マントの前を開く、中の衣装が派手である。コロは下手にはける。
「イチであります、イチが滑舌スタジアムにその姿を表しました!そして今日のテーマは、早口言葉!」
音楽がフェードアウトし、レッドは椅子の位置に戻って座りマリに問いかける。
「さあ、早口言葉であります。解説の鳥取さん、これはどうなんでしょう」
「早口言葉はタロの得意分野ですからね、ちょっと鉄人は苦しいんじゃないですかね」
「おおっと、いきなり鉄人が横になりました、何が始まるんでしょう」
「これは発声の準備のためにリラックスしてるんですね、体に余計な力が入るといい声は出ませんからね」
「なるほど、おおっ、やはり挑戦者も同じように横になります」
「基本ができていますね、これは楽しみな戦いになりそうですよ」
「さあ、準備運動も終わったようです、おおっと!挑戦者が仕掛けました」
「隣の客はよく柿食う客だ、って隣の家を盗み見てんじゃねえよ、のぞき魔かよ!」
「いきなり変化球ですね、さあ鉄人はどうする?」
「と な り の きゃ く は よ く か き く う きゃ く だ」
「さすが鉄人、挑発には乗りません、一音一音丁寧に置きに行きました」
「聞きようによっては能の発声みたいに感じますね、あ、鉄人が反撃ですよ」
「天然ガスバス爆発」
「天然ガスバスバ、ババ、バぁぁあ!」
「追加された単語一つでタロの言い慣れたリズムを崩しました、さすが鉄人、技が光ります!」
「ガスで動くバスってあんまり普及してないんで、実際にバスガス爆発が発生した話は聞いたことないですね」
「さあ、追い込まれたタロ、起死回生の一撃はあるのか?」
タロは前のめりになって口を突き出すように言葉を放つ。
「庭には二羽鶏がいる 裏庭にも二羽鶏がいる(かなり早口)!」
「おお!これは早い、ドヤ顔も出ました、さあ鉄人はどう返す」
イチは丹田あたりに両手を沿えてゆったりとセリフを発していく。
「にわにはにわにわとりがいる~うらにわにもにわにわとりがいる~なぜわけているのかというと~たまごようとひよこようでくべつしているから~」
「これは聞きやすいですね、聞き手に伝えようという気持ちが込められている言葉ですよ」
「勝負あり!勝者イチ!」
レッドがイチを讃えるように手を高く挙げ、マリが笑顔で拍手をする。タロはがっくりと膝を地に落とす。イチはゆっくりと歩み寄って手を差し伸べ「いい勝負だった」と言わんばかりにその体を引き上げる。
「また来週!」
「あるの?」
レッドとマリのやり取りを最後に音楽が盛り上がって部屋の蛍光灯がついた。
真面目な座学やレッスンだけでは大学の講義じみていて、新しい環境にまだ慣れていない一年生が疲れてしまい、理解も深まらない。そのための配慮もありこういった印象に残りやすいアトラクション的な仕掛けも盛りこんでいく、一方の講師側にも楽しみが欲しいという事情もある。
「はい、ということで滑舌の課題は克服できる、ということがわかってもらえたと思うけど、感想や質問があれば」
ザワの促しにカメがそっと手を挙げた。
「あのう、そもそもなんですけど、滑舌って、滑舌がいいってどういうことなんですか?」
「うん、まずはそこからだね。字から考えると舌が滑らかって意味だけど、言葉を聞き取りやすい発音・発声ができている状態を滑舌がいいって捉えます。もう一歩踏み込むと、役としての感情がしっかり伝わるようにしゃべれているってこと。セリフは情報であるとともに感情表現だから、聞きやすいだけじゃなくて聞き手に自分の抱いているイメージを届けることが大切なのね。これはコミュニケーションの技術でもあるんだけど、同じ言葉を言ってもその後ろにある感情をどう表現するかによって伝わることは異なるよね。レッド、『大嫌い』を相反する二種類の感情で言ってみて」
「言葉の意味どおりの感情だと『あんたなんて大嫌い』って混じりっけなくストレートに、目も合わせず近寄るな!って感じ。一方、実は好きで好きでしょうがないけれど素直になれない場合は『あ、あ、あんたなんて(大好きなんだけど)だ、だいっきらい……なんだから、ね……(チラッ)』って様子で」
感情はしぐさや視線でも伝わるけれど、声に感情が乗るとその度合いがさらに高まるのがわかる。いきなりのリクエストにも効果的な表現をすぐ出せるのが看板役者たるゆえんだと恐れ入る。
「はい、ありがと。滑舌は伝えたい感情を効果的に相手に届けるために必要な技術だってことがわかるよね、どれだけ背後に感情を抱えていても、聞き取りにくかったり、つっかかったりしている発音・発声だと不快なノイズになって伝わりにくくなってしまうの。魅力ある声を自然に自在に出せる選ばれし天才には必要ないけれど、われわれ凡人は技術を訓練によって高めることが求められるわけ」
カメがうんうんという感じでうなずく。教育系の講義を多く取っているというザワの仕切りは大事なツボを押さえつつ、興味を引いて集中力を保たせることにも配慮が行き届いている。だらだらと自著を読み上げているだけに感じられる某教授にも見習ってほしいものだ。
「最初から人前ですらすらと話せる人は少ないから、滑舌に自信がないなら人と話す機会を意図的に増やして、情報と感情をしっかり伝えようという意識を持つことから初めてみるといいよ。伝えようと思っていない投げっぱなしの言葉では情報しか伝わらないけれど、伝えようという意思がこもった言葉はきっとそれ以上の何かが伝わるからね」
ここですすっとマリが一歩前に出て顔の横に両手を広げる。
「技術面で言えばいつも体の準備運動をしてから稽古をしてるが、声の緊張を緩和するためにリラックスして舌・口内・唇・顔のストレッチやマッサージをしてから発声練習するのもいい、こんな感じで」
お得意の表情体操と顔面マッサージを実演し、全員がそれにならってひととおり顔をほぐした。タロも一つ補足情報を提供する。
「練習に使うテキストはよくある早口言葉でもいんだけど、最初はよりセリフに近くて感情を込めやすい種類の文章がおすすめだよ。好きな歌詞でもいいし、お気に入りの詩や戯曲や小説のセリフとか楽しく声に出せるものをストックしておいてその日の気分で選ぶのもいい。実際に発音してみると自分の苦手な音の組み合わせを知ることができるし、録音してみて客観的にどう聞こえるかを把握するのも効果的だよ」
実際に去年の一年生の大半が滑舌に問題を抱えていたため、その改善の過程で得た教訓をレッスンに盛りこんでいる。最初の舞台である研修公演の観客アンケートで一番多かった内容が「熱さは伝わるんだけど何を言っているのかわからないときがあった、わりと、けっこう、かなり、だいぶ」というものだったので、正直な評価は何よりも改善の動機となったのだった。訓練と日々の努力により、全員の発声はそこそこ聞こえるものになったが、滑らかでないセリフにも味わいがあるというか違和感の中にある言葉の意味を超える熱によって伝わるものもある。そのバランスがその役者の味になるという側面もあり、あまり綺麗な方向へ矯正しすぎるのもどうかという見解もあるにはある。
「最後に、滑舌に限らず技術的な問題は漠然と『できない、苦手だ』と感じているだけでは解決しません。改善したいのなら問題点をしっかりと分析して自覚し、試行錯誤してのたうちまわること。その過程は非効率に感じてもきっと将来の糧になります、以上」
ザワの締めで本日の訓練は終了となった。セリフの稽古で苦闘し「この喉がぁぁぁ!」と自傷行為のように拳で喉を殴って周囲に止められているノスケに響けばいいのだが。




