4 新人訓練
【主なⅭAST】
ザワ:二年 仕切る演出助手
ハッシー:二年 意外と繊細な衣装・メイク担当
マリ:二年 行動派大道具担当
タロ:二年 補足する演出助手
ノスケ・ピョン吉・Q・カメ・ナギ:一年
大学の講義の終わった夕方、本日の稽古場である部室棟の会議室に劇団員がジャージ姿で集合している。「訓練」と呼ばれるこの稽古はザワが仕切る。
「はーい、じゃあ輪になってー」
「ワニにはならないよ~」
毎回笑顔でまぜっかえすのはハッシーだ。高校演劇経験者でスタッフも役者もそつなくこなすので、一見真面目というかちゃんとしていそうに受け取られるのだが、こだわるところにはとことんエネルギーを注ぐので効率的とは言い難い面も持ち合わせている。笑いに対する感性も独特で、なかなか周りの共感は得られないことも多い。このやりとりも去年散々無視されたが、一年生の加入によるウケの可能性を探り始めた様子である。
基本となる発声と身体のレッスンを合計で一時間行った後、次回の公演で上演する脚本が決まっていればその稽古に入るのだが、研修公演の準備が始まる大型連休の明けまでは学生生活に慣れる時期であることも考慮し、よりいっそう充実した基礎訓練に充てることになっている。役者志望ではないメンバーも同じレッスンを受けるのは、本来のキャストに事故などがあった際に代役として舞台に立つことへの備えでもあるが、体の使い方と発声に関する知識とケアの方法、基礎体力のつけ方は人生において身に付けておいて損はないとの考えのもと伝統となっている。
一年生にとって有用な知識の伝達もここで行われる。演劇関連専門用語の解説に始まり、演技の基礎技術、各スタッフの作業分担、舞台における決まり事、仕込みの知識などの講義が続く。その他、大学生としてのサークル活動における注意事項、一人暮らしの注意事項、実家住まいの場合の家族に心配をかけないための注意事項なども伝える。よい劇団活動のためには日々の暮らしを整えることが大切だとして、金欠を理由にただでもらえる食パンの耳しか食べずに栄養失調になって倒れ、目を覚ました保健室で生活指導を受けた先輩の例などが引き合いに出される。
「基本として押さえるべきは学生の常識は世間の非常識ということ、去年の研修公演中にこんなことがあったの」
生活面での知識としてザワが話し始める。それは去年の七月、ハッシーの住むアパートで起きた騒動のことだ。研修公演でレッドとハッシーが恋人役を演じたのだが、アンケートにハッシーへの誹謗中傷としか受け取りようのないものがあった。どうやら高校時代からのレッドの追っかけのような女性で、以前にもレッドの相手役をこき下ろすアンケートを書いてきたことがあったらしい。事前に見つけられればよかったのだが、運悪く最初に目にしてしまったのがハッシーだった。
「気にすることないない、たちの悪い嫉妬だよ」
傷ついた心をやわらげようとみんなで憤慨し、なぐさめたがショックの色は隠せない様子だったこともあり、カッパに付き添われてハッシーは帰って行った。
「ここは我らが一肌脱がねばなるまい」
その様子を見ていたマリが当時一年生の男性陣を集めた。
「明日も公演はある、気分を切り替えて舞台に上がれるように励ましの儀式を催そうと考えるがどうか」
公演の最中で初舞台の者も多くテンションは最高潮に近かったため「よっしゃー!」という感じで誰にも異存はなかった。ある者は鳴り物を携え、ある者は衣装に身を包み、おそらくそれは純粋な善意の発露によるものではあったのだろうが、世間の目には異様な一団に見える者たちがとっぷりと日が暮れた学生街を進んで行った。ハッシーのアパートにたどり着き、東端の部屋のドアの前にて息をひそめる。まともな出で立ちのレッドがチャイムを鳴らすとハッシーがドアから顔を出し、何事かといぶかしむ様子ながらも室内へと促す。それを確認したマリの合図で残りのメンバーがなだれ込み、突然の出来事に混乱するハッシーを部屋の奥へと押し込み、打ち合わせたセリフを全員で叫ぶ。
「L・O・V・E・L・Y・ラブリー・ハッシー!」(✕4)
「ちょっとちょっとぉ!何なのよぉ!」
「応援に来た!フレー、フレー、負けるなハッシー!我らがハッシー!」
衣装倉庫にあった学ランを身に着けて応援団がごとく振る舞うマリ、タンバリンや鳴子を手に追従する他のメンバー。演舞を終えて満足げに仁王立ちしたマリに「パァン!」とハッシーの神速の平手が飛んだ。「え?ほめられると思ったのに」という表情のマリに向かいハッシーが言葉を浴びせる。
「ここ、隣が大家さんちなんだよ!こんな夜中に大騒ぎして、追い出されたらどうしてくれんのよ!」
その声が終わらないうちに西側の壁が「ゴン」と音を立てた。
「ほらー壁バンされたー、あの音多分バットだよ、隣の安藤さんも絶対怒ってるよーこんなに壁が薄いアパートなんだからー!」
家賃の安さがうなずけるくらい学生向けで安普請なのは確かだが、それを大声で言っていたのがわかるとハッシーもまずいのではと思う一同であった。
「いや、仲間を励ましに来ただけだと伝えに行ったら安堵してくれるかも……」
「くだらんこと言うな!絶対行くなよ!っていうか帰れー‼」
タロがつい言葉遊びをしてしまい、ハッシーの逆鱗に触れた。一同は靴を履く時間も省略してそそくさと退散し闇に消えた。毒を以て毒を制す効果はあったのか、翌日からのハッシーの演技に委縮した様子は見られなかった。幸いにも大家さんからはおとがめはなかったらしいが、男性陣は無期限出入り禁止のお達しがハッシーからなされた。後日、女子ソフトボール部の安藤さんは「男ってバカよね」とわかってくれたそうだ。
「と、いうことで、劇団員の常識は世間の非常識ということに留意するように。情宣のとき以外は声のボリュームに注意すること」
ザワの締めの言葉をもって本日の座学は終了した。
実践的なレッスンを始めると、一年生それぞれの個性がよりはっきりと見えてくる。ピョン吉は観劇経験が豊富なこともあるためか、基本的な知識があって飲み込みも早い。思い切って憧れのあった演じる側に飛び込んだ高揚感による吸収意欲は期待大だ。しかし、まだ自分の殻の中にいるような印象を受けるのが心配なところでもある。ナギは童顔で五人の中では低身長なことから末っ子のような扱いだが、主張はしっかりとする。演技の際に照れる感じがなく、安定した印象を受ける。ノスケはやる気はわかるのだが、どこか空回り感が漂う。体が固いのと、滑舌にも難があるため演技はかなりぎこちない。Qは人当たりがよく、同期にいろいろと気を配っているのが見て取れる。落ち着きが感じられ、おとなしめな演技だが芯の通った雰囲気がある。カメは役者を希望しないとのことだが、あまり体や声のことを意識してこなかったとのことで、演技のレッスンは楽しんで受けている様子だ。人前で何かをするという経験があまりなかったということで、緊張からか硬い表情が多かったが少しずつ笑顔も見られるようになってきた。
タロは演助ノートとは別の小さなメモ帳に一年生の特徴を書き込んでいる。カッパから言われたことを意識し、このメンバーで脚本を作るとしたらどんなキャラクターでどんなストーリーがいいだろうと考えてみることにしたのだ。研修公演はその名の通り本公演などに向けての実践研修の場になるので、一本の脚本だけを基に作るのではなくオムニバス形式の公演にすることもあり、脚本もカッパの作品以外に複数採用される可能性はある。自らに脚本や演出を担う適性はあるかどうか疑問に思っているタロだが、ここは一歩踏み出すチャンスだとも考えていた。
スタッフワークについても自分の担当分野だけ知っていればいいというわけではなく、さまざまに絡み合うため基礎的な知識はまんべんなく叩き込まれる。この日はバッキーによる照明機材のレクチャーだ。
「ライトはどんな光を作りたいかによって使い分ける、ざっくり言うと役者をピンポイントに狙うシャープな光と舞台全体を明るくする柔らかい光の二種類があるね。外装の構造や使われているレンズの違い、光源の微調整によって狙った効果を出すのが照明スタッフ腕の見せ所になる。どろだんごでは持っていないけど、ストロボライトやミラーボール、スモークマシンなんかも活用して演出の求める明かりづくりをしていくことになる」
バッキーが丸く穴の開いた板のような物を取り出す。穴には赤や青といった半透明のフィルムのようなものがはめ込まれている。
「これは灯体の前に入れて付けて光に色をつけるカラーフィルターっていうシートなんだけど、現場では『ゼラ』って呼んでる。色ごとに番号が付いてるから、慣れてくると『ここは66番で』とか番号だけでも光の色が想像できるようになるよ」
壁に複数の灯体を向けて照らし、ゼラの種類との組み合わせによってさまざまな色が作り出される様子を一年生は食い入るように見つめていた。解説に一区切りが付いたのを見計らってQが素朴な疑問を呈する。
「何でゼラっていう名前なんですか?フランス語とかですか?」
「昔はゼラチンを原料にして作っていた名残で、熱に強くて扱いやすい素材に切り替わった今もそのまま使われているって聞いたね。カラーフィルターよりも短くて言いやすいって理由もあるかも。さっき言った色の番号もゼラ番って呼ばれてるから」
続いてノスケが尋ねる。
「取り扱いで注意が必要なことってありますか?」
「うん、電気を使う機器だから接続するコードが劣化していないかには特に注意が必要で、最悪の場合は出火から火事になることだってあるから、決してコードを踏まないように配線には留意すること。灯体自体も熱を持つからやけどにも気をつけてね。舞台周りで香ばしい異臭がしたらどこかのコードに異常が発生している可能性があるから、嗅覚も研ぎ澄ませることが重要だね」
レッドがコンテナからT字型のコネクターの付いたコードをつかんで端に座っているナギの前に置く。
「コードに異常がなくてもそのコードが扱える電気の量を超えると発熱して破損することもある。どろだんごが持っている電気コードには通せるW数で分けると2種類あって細いコードは一五〇〇Wで家庭用と同じ規格。大きな灯体につなぐ太いのは3000Wまでいける。これを間違えて講堂の椅子を焦がして以来、どろだんごは部室棟でしか公演ができないらしい。誰も電気関係の資格を持っているわけじゃないから、伝えられてきた知識とともに最新の情報を集めていこう。ほら、コードの口や線の部分に数字と記号が書いてあるから確認しとこう」
コードを手に取ってに記載された情報を読み取りつつ、レッドの補足説明を受けてなかなかに危ういところに入ってしまったのではと一年生の背筋に緊張が走る。
それぞれのスタッフの力が合わさり、相乗効果を生み、舞台の魅力を高めていく。役者の演技と融合した総合芸術として届けることで味わえる観客の反応は演劇にのめり込む一つの理由だろう。客席で見ているときに感じることも肥しにして技術を磨くことは、やりがいに満ちた日々を連れてくる。




