2 熱狂と壁一枚隔てて
【主なⅭAST】
タロ:二年 葛藤する演出助手
カッパ(二瓶):三年 探求する脚本担当
いよいよ新入生歓迎公演初日となった。前期講義の二週目に入り、新たな生活のリズムをつかんでほっと一息という感じになっている新入生に声をかけていく情報宣伝活動、略して「情宣」に最大注力するタイミングである。イチの指揮のもと、直前に講義の行われた教室に大量にチラシをまいてあるので、放置されているものを回収しながら、演劇を全く見たことがないという新入生にも来てもらいやすいようにアピールする。
「十七時開演、十八時終了!お夕飯の前にどうぞ!」
「十八時三十分の特急に十分間に合う!時間調整にどうぞ!」
「新入生入場無料!二年生以上は三百円!」
レッドはダンスステップを刻みながらギターをかき鳴らし、公演内容を示す畳四枚分ほどの大きさを誇る立て看板の前で注目を集めている。ちなみにこういう場面では有名な既存曲を奏でるが、公演に使用する曲を選ぶ際に、これという一曲に出会えない場合はオリジナルで作って演奏もするという「何でもできるなこいつは」というのが音響職人レッドに対する劇団員一同の見解である。聞き放題の音楽サービスを部屋にいるときは流しっぱなしにしていて、偶然出会った曲をストックし続けているその姿勢は機材の扱いに関する技術的な面でスタッフを引っ張るバッキーにも認められており、スタッフとしての日々の過ごし方としては見習わねばと思わされる。
北口さんと渡会さんが手伝いに来てくれたので、レッドの前に興味深そうに座って見ている風のサクラになってもらうことにした。そこで立ち止まったり歩みを遅くしたりした学生に、周囲のメンバーがすかさずチラシを渡すというコンビネーションを繰り出す。二十分ほど宣伝して部室棟へ撤収する。北口さんと渡会さんも今日の公演を見てくれるとのこと。佐々木さんは次のコマも講義があるとのことで土曜日の回に来るつもりだと言っていたと北口さんが教えてくれた。
「開場三十分前、きっちり手早く用意だよ!」
コロの号令がかかり、役者陣は大急ぎで衣装とメイクの準備に入る。衣装を身に付けた状態でメイク道具を囲んで舞台上に腰を下ろし、真っ先にドーランを手の甲に取ってパパっと仕上げたチャーシューが自信満々に立ち上がる。
「顔できたぞ、最高だろ~?」
「何それ、隈がパンダじゃないですか!直すから作ったドーラン残して正座!」
客席からチェックをするハッシーがスポンジとペンシルをつかんで修正に向かう、自前の鏡に向き合いこのドーランの香りが鼻に届くと本番に挑むスイッチが入る役者も多い。
専任スタッフ陣は各種セッティングの最終確認。タロは大会議室前の通路に長机を置き、受付に立つ。公演パンフレットに劇団員募集のチラシとアンケートを挟み、筆記用具とお釣り(新入生以外の会計用)の小銭を準備する。お金を扱うので防犯のために受付は二人以上で行うのが原則、今回の公演では役者をやらないカッパとペアだ。
開場時間となり、ちらほら見知ったお客さんがみえて差し入れをいただくなどする。知っているくせに「新入生ですかー?」などと軽いボケをかまして「んなわけねえだろっ」と乾いた笑いをいただく。本物の新入生には学生証を確認させてもらい、「新入団員も募集してます」と宣伝して入口をご案内。平日のまだ講義のある時間帯ということもあり、開演十分前で客席の埋まり具合は半分ほど。受付前の通路に人影はなく、直前にみえるお客さんを見越しても余裕ありなので楽屋へ定刻通り開演と伝える。
開演時間となり、開場時から流れていたメドレー音楽(客入れ曲)の最後の曲のボリュームが上がって下がる。ほどなく最初のセリフが漏れ聞こえる、無事に幕は開いたようだ。ちなみにこの後に遅れてきたお客さんがいたら、静かに会場へ入っていただき、終演時に集金させていただくのがどろだんごのスタイルで「一秒でも長く見てもらいたい」という方針でご案内している。
「初日で新入生のお客さんが十一人っていうのはなかなかの入りね」
カッパがパンフレットの山を整えながら話しかけてきた。
「加えて二人入団候補者が客席にいますからね、今年は大所帯なサークルになりそうですよ」
タロはみんなで進めてきた新入生獲得作戦に手応えを感じていた。あと一時間ほどはこれといった急ぎの仕事はない。久しぶりにゆったりした空気を感じつつ、気になっていたことをカッパに尋ねてみた。
「あの、カッパさん、就職活動ってしてます?」
「んー、してない」
拍子抜けするくらいきっぱりとした答えが返ってきた。
「これからってことですか?」
「いんや、しないね、多分」
受付机の後ろの椅子に腰を下ろしてカッパは続けた。
「タロくんには言ってなかったっけ、チャーシューが劇団作ろうぜって言ってるのよね。去年の年越し飲み会で最後まで起きてた数人だけのときに出た話で、酔っぱらっての気持ちの盛り上がりだろうと思ってたら、次の日に改めて『どうだ?』って来たもんだから、それもアリかなと思ってるところ」
「プロになるってことですか?」
「チャーシューは俳優志望でしょ、一番自分がやりたい役をやりたいようにやるために演出やってるようなもんだし、あたしは自分の書きたいように書いたものを誰かに演じてもらいたい、小説家じゃなくて劇作家志望だから、ここならそれぞれのわがままが通るけど、プロでやってくなら自分が求めるものと他から求められるもののギャップもあるでしょうね。だったらどろだんごみたいな環境をセミプロの形で再構築するのがベストで、その手段が自分たちの劇団を旗揚げすることなのよね」
「俳優事務所やどこかの劇団に入るっていうのは違うんですね」
「そうやっていく中で望むような俳優なり劇作家なりの仕事ができるようになっていけばいいかな、ってところ。まあ、そんなにうまくはいかないってのもわかってるよ。俳優はまだしも、劇作家でやってける見込みなんて薄い薄い。でも、やってて楽しいのがこれだから、やれるうちはやってみたいなーって思うのよ。恥ずかしい話、あたしもまあいろいろ過去になくはなかったから、あんまり先の安心を考えるよりは心身が頑丈なうちに見る前に跳べって気持ちでいるのよ」
イチからさらっと聞いたときは本当だろうかと疑問符が浮かんでいたが、本人の口から聞くと急に輪郭がはっきりした。将来のための第一歩を選択するために、一つ一つ考えを積み上げているのだという様子がカッパの淡々とした口調から伝わってきた。
「タロくんは何か考えてるの?卒業しても演劇に関わるかとか」
「うーん、わかりません、今のことでいっぱいいっぱいなんで」
「うんうん、若いんだからいっぱい考えるといいよ。それとさ、脚本書いてみない?」
「はい⁉」
突然という表現がぴったりくる話の方向転換に、タロはおかしなトーンの声を出してしまった。
「文芸部だったんでしょ、高校時代。パンフレットとかチラシに書いてる文章を見てて今のメンバーで一番センスがあるのタロくんだとあたしは思うんだけど」
「そんな……」
誰にも見せるつもりのない、好き勝手にちらかした部屋のドアを突然開けられたような心持ちのタロに対し、カッパが問いかける。
「例えばさ、『気味悪い』と『薄気味悪い』って言葉を聞いたとき、どっちにより気味悪さを感じる?」
「うーん、『薄気味悪い』のほうですね」
「どうしてだろね?気味が悪いのが薄くなったのに気味悪さが増すっていうのは、普通に考えたら逆だよね」
「何ていうか……『気味悪い』はどちらかと言えば具体的、『薄気味悪い』は抽象的って感じで、物理的と精神的なもの?見える外見的なものと心で感じる雰囲気的なものの比率が異なるというか、例えば毒虫は払いのけたりそこから逃げたりすれば気味悪さはなくなりますけど、妖怪はどこまでもついてくるというかずっと見られているというか、『薄い』っていうのは、霧のようにはっきりとしていない、どうやっても触れない、人が関与できない状態を示しているから、かえって気味の悪さが強まるんじゃないでしょうかね?」
「ほらね」
「え?」
「他のメンバーだったら『何でだろうね』とか『なんとなく』で終わると思うのよ、でもタロくんはおそらく初めて考えたことなのに、いろんな言葉を使って自分なりの仮説を立てられる。それは読書量なのか思考の経験値によるのかはわからないけど、物書きとしての基礎体力は間違いなく備わっていると感じるの」
「で、でも、僕は書きたいものってあんまりないというか、伝えたいメッセージとかそういうのも……」
「自分の中身だけがものを書く材料じゃないよ、膨大な知識が詰まっているだけの百科事典やインターネットみたいな存在が最も魅力的な文章を書けると思う?世界と自分が出会ったときに感じるもの、生まれるものを読むのがわたしは好きなのね、何かに出会おうとすればネタはいくらでも拾えるわよ。あと、メッセージなんて考えなくいいって、『自分はこれが好き・楽しいから書いて誰かにその価値を伝えたい』ぐらいで十分よ、その衝動こそが人間にしか備わっていないものだしね」
「そんなもんですか」
「感情は言葉を使わずに表すこともできるよ、表情や言語的意味を持たない叫びや体全体の動きを使えばいいからね。でも、言葉の力を借りれば、感情という列車が線路に乗ってより相手に届きやすくなるって思うのよ。観客にも舞台上の相手にもね。あたしが思いを言葉にしたいという衝動の根源には、言葉の力への信頼があるの、まあ言葉は万能でも完璧でもないけど、大切な相棒って感じ」
タロにも言葉に救われたり、助けられたりした経験は少なからずある。その力には頼もしさを感じ、親しみもある。しかし、しかしというところで何かが自分を留めてもいた。
「あと、センスって他の人が見過ごしちゃうものの前で立ち止まって、そこに隠れてるものを切り出して、みんなに価値や面白さを示せる力だと思うのよ。彫刻家が仏像を作るとき、木を仏の形に削るんじゃなくて、木材から仏像を掘り出すんだって話があるけれど、作家は自分の視点で世界から文章の形で何かを取り出してくるんだとしたら、自分の中身に自信がなくても、地道にセンスを磨けばいくらでも書けるとあたしは考えてる。さっきのタロくんみたいに言葉を慎重に、大切に選ぶ姿勢は、伝えることに対する誠実さの表れだからね」
カッパの創作論はタロの腑に落ちるものだった。幽霊部員だらけの名ばかり文芸部の名ばかり部長だったころに一人で考えていたことを答え合わせしてもらっているようで、こんなふうに評価してもらったことはほとんどなかった。ゆえに心が少し動いたのも事実だったが、カッパのように自らを「作家」と自覚して「作品」をみんなに示す自信も覚悟もタロにはまだなかった。
「演助のエキスパートになりたいってなら別だけど、脚本も一つのスタッフワークだから次へつなぐことも考えないとね。ま、最初は短いのでいいから、コントでもいいし、気が向いたら見せてよ。実は何かしら書いたのあるんでしょ?恥ずかしい小説とか」
図星ではあるが、実家に置いて来ることもできずにこちらのアパートへ持ってきたあれを他人に見せる勇気はない。
(脚本を書く……)
タロの中で一度あきらめて引き出しにしまったはずの文章表現への未練が、ほんの少しだけうずき始めたように感じられた。壁一枚挟んだ向こう側の熱狂とは違う温度が流れる受付机の周りの時間はゆっくりと進んでいった。
全四回の新入生歓迎公演は無事に幕を下ろした。初日の公演の後に北口さんと渡会さんが正式に入団。佐々木さんも翌日の終演時に、同時に女の子がもう一人追加で入団となった。最終日のバラシ(舞台の片付け)の最中に男子が一人「入れてください!」と乱入してきて今年の新入団員はチャーシューの見込み通り五人となった。




