第88話 針の毒-1-
多くの警士達がゼムストリスの屋敷内を行き来している。
大広間は天井が大きく落ち、壁や柱、扉も崩れていて大惨事だった。
ゴルドラフの街の方も商店やら商人の屋敷が際立って襲われたようで、そちらもかなりざわついているようだ。
ファビディアナンドが警士らに、現状の被害や強奪された財産をオーバーに説明する様子が窺えたが、彼は早々にその説明役を家令に投げてどこかへ行ってしまった。
幸いにも祝賀会に出席していた来賓達は、人質だった者達も含めて大した怪我はなかった。
ロアンとその兄が警士達や衛兵の手筈を整えたらしく、彼らは屋敷の使用人達との話し合いから未だに解放されていない。
先程茅峨はロアンと少し話せたが、外部状況や被害の擦り合わせにかなり時間が掛かるかもしれない……とのことだった。
朋斗もギルドランクが高いことが警士に知られたようで、代表で事件の聴取に呼ばれてしまった。
「けほ……」
喧騒から離れた屋敷の一角、茅峨は洗面室で咳き込む。
鏡に映るのは少女の風貌の自分……顔色はあまり良くない。
ザッハに下腹を殴られたのが響いているし、グレートボアの針の斬撃が右の二の腕に掠っている。
(これって……)
二の腕の具合に眉間を顰めた茅峨の背後で、突然洗面室の扉が無遠慮に開けられた。
「貴様ここに居たのか!! 早く来い!!」
「へ……!?」
不意打ちで現れた屋敷の当主、ファビディアナンドに面食らっていると、腕を掴まれてグイグイと場所を移動させられた。
――屋敷、廊下。
「茅峨ったらどこに行ってしまったのかしら! それに、やはりレイヴフォード様はもう帰られた……?」
キリオフィストが撤退し、クリスは屋敷の侍女から平時用のドレスを貰って着替えた。
その間に茅峨が居なくなっており、更に地下室で顔を見せたレイヴフォードの姿も見当たらず、クリスは屋敷の中を見回っていた。
(レイヴフォード様……)
彼は魔法石とその研究の関係者だ。
そして兄のファビディアナンドはそれとは無関係だと、クリスは今まで思っていた。
正直なところファビディアナンドは浅慮な部分が目立つし、政務や地主としての業務もノリと勢いで進めるところがある――それを彼は才能であると思い込むタイプだが――ともあれ、仕事や態度に堅実さがよく現れるレイヴフォードとは繋がっていない、とクリスは判断していた。
(このゴルドラフの屋敷の当主はファビだし、レイヴフォード様は彼を煙たがっていた節がある……だからファビには好き勝手させて、レイヴフォード様は個人でお仕事に邁進していると思っていたけれど……)
だが魔法石のことをファビディアナンドは知っていた。それが意味することとは。
(魔法石を使った軍事と、茅峨の種族……未族、でしたかしら。それらとファビディアナンドは元々繋がっていた? いつから? わたくしとの婚約は、最初から軍事目的だったということ……?)
悶々と思考しながら、クリスは屋敷のとある一室に戻ってきた。
「はぁぁ……茅峨どこにも居ないんですけれど。朋斗もまだ帰ってきてな……」
部屋の扉を開けるとファビディアナンドの後ろ姿が目に入る。
「ちょ、ファビディアナンド様!? なにをやってるんですの!!」
「クリストファーかっ? これはかれこれこういうわけでこの子供が……」
「な、なんですって!?」
「はぁぁやっと取り調べ終わった、なあ茅峨見つかっ……なにやってんの!?」
肩にリィを乗せ、疲れた顔で部屋に入って来た朋斗はその場を見て目を丸くした。
ファビディアナンドが茅峨の上着からシャツまで全て脱がそうとしている。というかもう無理矢理脱がしている。なんならそれにクリスも加わっている。
「だ、大丈夫、です、から!」
「大丈夫なわけあるかたわけが!! そんな色の血見たことないぞ!!」
「おいちょ、待て待て待て!!」
「あら朋斗! あのね……」
「待てってクリス!! こいつ今女子の格好だぞ!?」
「あ!!!?」
パッと茅峨から手を離したクリスは、その手でファビディアナンドの顔面を鷲掴みにした。
「ファビディアナンド様……? 貴方なにをしてくれてやがりますの……?」
「もご、なっ何故急に私に敵意を……!? 理由は言っただろうが!!」
「この子は女の子でしょう!!」
「は!? この子供は男児だろう!!」
「「「え!?」」」
クリスは驚きで手を離し、ファビディアナンドは突然のアイアンクローの無礼に暫く憤った。
「まったく……!! 令嬢として信じられん振る舞いだな!!」
「な、なんで男だってわかったの? 声?」
これまで話した人達にもお嬢さんと呼ばれたりしていたので、茅峨は思わず動揺する。
「フン、私は年齢問わず女性を好ましく思う。だからこそいくら女装していたところで男児かどうか見ればすぐ分かるのだ。最近は稀にそういう装いの貴族もいるしな」
当然だと言うようにファビディアナンドは鼻を鳴らした。
「そ、そうなんだ……」
「そこはかとなくキモい自己紹介だった気がするけれど気のせいかしら?」
「いやキモいだろ」
「なっなんだと!? そんなことよりも此奴だ!! ほらそこの! さっさと診ろ!!」
ファビディアナンドはいつの間にか部屋で待機していた白衣の初老の男に声をかける。
クリスは、その老人がこの屋敷の専属医であることを知っていた。
服を剥ぎ取られた茅峨は、やや戸惑いつつも老人に腕を診られる。
右腕には何本かの傷があり、血は体から出て空気に触れるほど、赤から紫色に変色していた。
「おい、みょ……おまえ、針くらったのか!?」
「か、掠っただけだから大丈夫だよ」
「大丈夫じゃねえだろ! グレートボアの針は……」
「毒針だ。此奴は私を庇うように前に出たからな。私を守った者を放置には出来ん」
「……」
ファビディアナンドの言葉にクリスは少し複雑そうな顔をしたあと、口を開いた。
「グレートボアの毒は表面即効と内部遅効の混合毒ですわ。少量でも日が経つにつれ身体の奥まで麻痺が回る……内臓機能に麻痺が届くと、下手をすれば死にます」
「死……」
それを聞いて茅峨は、逆にどこか冷静な顔になる。
「……おい」
そう小さく朋斗に声を掛けられ、茅峨はへらりと笑った。
「大丈夫」
「……」
(……俺が死ぬ、としても)
内にいるセレキが、自分を死なせることはさせないだろう。
(セレキは俺と違ってたぶん、一度も“死んでもいい”なんて思ったことが無い)
なんとなくそう感じる。
自分の人格だというのに、不思議と自分の生死について正反対の位置に居る気がする。
(俺はおまえだというなら、俺は本当は生きていたいの……?)
その考えはあまり自分の腑に落ちない。
そもそもセレキの感覚が腑に落ちるということは今までもほぼない……
そんなことをぐるぐる頭を巡らせていると、茅峨の腕が丁寧に包帯で巻かれ終わった。
「……すみません、ありがとうございます」
老医師にそう言うと頷きが返ってくる。
茅峨はひとまず服を着直したがあまり痛みはなく、腕がやや攣っている感じはするものの今のところ目立つ支障はない。
「あら? 即効性の毒の効果は出てるはずなんですけどね……傷ついた腕が痺れてるとか、どうですの?」
「え? えっと少し皮膚?が攣ってるくらいで、あとは特に……」
「と、特にって」
麻痺に強いんでしょうか?とクリスは頭を捻る。
老医師はなにかぼそぼそとファビディアナンドに告げ、ゆっくりと部屋を去っていった。
「……おい少年。グレートボアの針の解毒だがな、この付近に専用の血清は無い!!」
きっぱりと言われ、茅峨は目をぱちくりとさせる。
「げ、マジか……」
「なっ無い……!? そ、そうですわよねグレートボアって向こう側のモンスターですもの」
「向こう側?」
「こっから西にでっかい樹林があるんだよ。その向こう側」
分布や立地を知っているのか、クリスと朋斗は頭を抱えた。




