第80話 来襲-1-
「ファビディアナンド様、幽閉を白紙に致しましょう。クリス様の幽閉を解いたからといって、利点は無いにしろ不利益も無いのですよ?」
「エ、エウリュディーケ、急に何を」
聴衆の前で自分の決定を覆すだなんて、自尊心の高いファビディアナンドには至難の業だ。愛しのエウリュディーケに促されたとしても、首を縦に振りたくはない。
それに彼女はそこまで把握していないだろうが、不利益が無いわけじゃない。
(なんたることだ……! 平民を娶れば爵位返還運動の流れで民衆の評価に繋がると確信があったのに! ここで反故にしてはわざわざ男爵家を切った意味が……!)
エウリュディーケに惚れているだけなら彼女は妾でもなんでも良かったのだ。
正妻にクリストファーを据え置かずに追放したのは、己の評価政策と魔法石の……
「……ファビディアナンド様。侯爵家として多様な思惑があるでしょうけれど、ここは祝いの席です。貴方様の寛大な配慮を期待させて頂きたく思いますわ」
「クリストファー……いや、しかしッ!」
壇上で思考を広げるファビディアナンドに、ついとロアンが近付いた。
彼とその妻にしか聞こえない声量で告げる。
「僭越ながら我々は貴殿に恥を掻かすつもりは無かったし、執務室での対話を望んだ。にも関わらず君がこうして公にしたんだぜ? 自分の尻拭いは自分でするものだと、俺は思うけどね」
「う、く……!」
「……判断を誤ることはあるものだとロアノルド様も仰いました。そしてこの場は婚姻祝賀会。聡明なファビディアナンド様ならこの状況を如何様にも収束出来る。エリューはそう信じております」
エウリュディーケの言葉はクリスにも聞こえた。
信じていると聖母のように言われ、何やら勝手に良いように解釈したファビディアナンドは感動していたが、クリスとロアンは訝しむ。
このエウリュディーケ、当初から態度や言動に芯が感じられない。……一体誰の肩を持っているのか。
いや、誰も味方でもないのだろうか……?
「…………エウリュディーケがそう言うのなら……私は! 君のために苦渋の決断をしよう!」
ファビディアナンドは自身の大きな碧眼を更に大きくし、自分の妻を肯定した。
(こ、このファビ、結局エウリュディーケに首っ丈すぎるだけなんじゃ……!)
クリスは今までの渋さからついに手のひらを返したファビディアナンドにうんざりと呆れ、ロアンがぼそりと呟く。
(もしかしてエウリュディーケを先に懐柔した方が良かったのか?)
(……いえ、そうでもないと思いますわ、エリューは)
気まぐれなのか腹積りがあるのか、彼女の思惑が読めない。
「ん……?」
クリスから少し下がった場所に居た朋斗だったが、その時ふと妙な空気の触りを感じて顔を上げた。
(……なんか変だな?)
自己周辺、必要のない情報を閉じて来賓の騒めきをカットする。
(え、なんだこれ……屋敷の周りに何かいる……!?)
目線で大きなガラス窓を確認するが外は闇で分からない。大広間は吹き抜け構造で、頭上には数々のシャンデリアと厳かな天井。
「屋根の上か……!?」
いやそれだけではなく、ステルスされているが何かもっと別の巨大な――
「……クリストファーを幽閉に処した決断は理に叶っていると自負している! 彼女の苛烈な性格と異端の力は掛け合わせるものでは無いし、世にとって脅威そのもの!」
とうとう異議を収めるためにファビディアナンドが周囲に対し声を上げた。
「……だが! 幽閉中の慎ましやかな生活と社会貢献は評価に値し、魔法の暴走もない。異端の力と気性適正は侯爵家に再度迎えることは不可能だが……我が妻エウリュディーケは慈悲深く、この女の仕打ちを許している! 私はこの事実を伴侶として寛大に考慮するものとする」
「幽閉を行ったのは、クリス様が魔法に振り回されていないかを見定めるためだったのですよね?」
「えっ? ああその通り!!」
エウリュディーケの援護に抜けぬけと便乗しているが、ここに居る大半の聴衆も右向け右の来賓である。
なるほど流石ファビディアナンド様、との声も上がり、当人は鼻を鳴らしつつ進行に安堵していた。
「……よって、クリストファー・ジアルクエの幽閉処置を撤回しよう!」
その宣言にクリスは、自身の胸元を握りしめた。
「……!」
湖畔から解放される。
これでたとえ自分一人でも、魔法石を取り除く手段を探すことが出来る――
「よく出来ました、ファビディアナンド様」
そうにっこりと口元に笑みを浮かべたエウリュディーケ。
……その態度に、ファビディアナンドは突然違和感を覚える。
献身的な侍女から妻となった彼女。いつも穏やかで優しいエウリュディーケの表情が、どこか勝ち気で年相応に見えたのだ。
「今まであたしなんかを高待遇にしてくれたこと、お礼を言いますね。つまらなかったけど、とっても快適な生活だった」
「エ、エウリュディーケ……?」
「あ、これほんと偶然なの。時間決めてて、それが丁度こんなタイミングになっちゃっただけ」
申し訳ないなぁという顔で、彼女は笑う。
「今までありがとう、ファビディアナンド様。魔法石は貰っていくね」
突然足元が揺れ、大きな音を立てて頭上高くの天井が崩れ落ちた。ガラス窓が外側から破壊される。
「な、なんですの!?」
来賓の悲鳴とパニック、エウリュディーケはその場から居なくなり、残されたファビディアナンドは訳が分からず激しく狼狽えた。
「どっどういう、ことだ……!? エウリュディーケ……!?」
目の前に白い稲妻が走る。
落ちてくる大理石の天井をクリスが雷の魔法で砕いた。
「ファビディアナンド様ぼうっとしないで!! 衛兵は!? 術師は配置してる!?」
クリスの呼びかけにもファビディアナンドは頭の処理が追いついていないのか立ちすくんで答えない。
「おいクリス、やばいぞこれ!!」
朋斗が受け身を取りながら瓦礫を避け、クリスの横に滑り込む。
「屋敷の周り、すげえ数の魔物がいる!! ついさっき何匹かはなんでか消えたけど、それでもまだ……」
「は……!?」
そんなことを言っているとまたもや天井が崩れる。
上から落ちてきたのは屋根の瓦礫と大きな黒い魔物達、それから……
「……えっ!? あ、あれ茅峨じゃなくって!?」
「な……なんで上から落ちてくんだよあいつ!」
見知った少女の風貌が天井の穴から落下してくる。
それを視認したクリスと朋斗だったが、茅峨は重力に揉まれながらも風のスフィアを発動し、階下に竜巻が上がった。
周囲の魔物や装飾は吹き飛び、茅峨はそのまま床に着地……は出来ず、衝撃は抑えたようだが乱雑にバタリと転落する。
茅峨に抱えられていたリィがどこか心配そうにしていたが、無事だと分かると駆け寄って来た朋斗の頭に飛び移った。
「いッ……あいたた……」
「おま、なにしてんだ!?」
「と、朋斗! あのね今……」
吹き飛んだ魔物をよそに壊れた外壁からも多数の魔物が入り込んで来る。
黒い豹のそれは、どれも大の大人ほどの図体だった。
広間の壇上でロアンが舌打ちする。
「壁壊すとかイカツすぎるだろ! とにかく客を避難させたいが……誘導出来る奴が足りねえ……!」
側で呆然としているファビディアナンドの上にも降って来た瓦礫を、ロアンは指輪を媒体にした防衛術で跳ね返す。
そうこうしていると賓客を掻き分けて貴族の男が一人走って来た。
「ロアノルド!」
「兄貴か!? どうなってんだよこれは……!」
「外の侍従が伝達してきた! 街と屋敷、襲撃されてるぞ!!」
「ま、待て茅峨、なんて言った?」
「あのね、夕方に街でぶつかった人が盗賊で、この屋敷をずっと狙って準備してたらしいんだ」
「盗賊ですって!? この規模の、しかも魔物も連れて……まっまさか」




