第77話 祝賀会-3-
皆と別れた茅峨はひとり、手入れが行き届いた夜の庭園を見渡していた。
招待客もほぼ屋敷の中へ入って行ったのか、周囲に人はまばらだ。
「…………やっぱり、ちょっと変かも」
頬に風を感じながら茅峨は呟き、肩に乗る小狐はスンスンと周りを嗅いだ。
ほんのりと潮の香りがする。
山岳に近いネハラとは違い、ここはどこかしっとりとした空気だ。
その温度感にもやや慣れ、夜になってからは風の声が通るようになった。
風は、荒れているわけではないが妙に落ち着きなく少し騒めいている。
リィもどこか警戒しているようだった。
「なんか……たくさんの気配? 人じゃない……」
そこで顔を上げると、庭園の隅で二つの人影が揺れた。
一人は大きく、一人は細い。
(……あれ? もしかして街でぶつかった人?)
影をよく見ると、夕方頃に茅峨が歩道でぶつかった大柄な男。そしてその横に居た細身の男だった。
茅峨と同じく庶民的な服装で、どう見ても貴族の招待客ではない。
開放された庭園を見に来た……などといった関心がある風貌とも思えない。
(……なんなんだろう)
気になって遠目に見ていると、大柄の男は先に屋敷の外へと出ていき、暫くして細身の男の方も出ていく。
「そういえば二人だけ? 街で見た時はもう一人居たけど……」
茅峨を名指ししたフードを被った男は、今ここには見当たらない。
その男の肩に、朋斗が言うには猫のような魔物が乗っていたのも気に掛かる。
風の騒めきの違和感もあり、茅峨はその細身の男の後をつけることにした。
門を出て街中に行くのかと思えば、その男は屋敷の外壁に沿って歩き、ある程度裏手へ進むとひょいと壁の向こう……屋敷の敷地内へと身軽に入ってしまった。
「え!?」
茅峨は驚いてその場に駆け寄る。
少し高い壁。だが茅峨ならなんとか飛び越えられそうだった。
(村で結構高いとこも登ってたからなぁ……)
村人から土木作業や家屋の修繕を押し付け……任されていたこともあり、足場の悪い所や高い場所に行くのは多少慣れていた。
身近に居る朋斗のモーションと跳躍が人間離れしているため、茅峨自身だいぶ無自覚だが、身のこなしのポテンシャルは人並みよりはややある方だ。
茅峨は壁を蹴りつつ跳んで上部へと手を掛け、細身の男を追う。
(だ、誰かにバレないかな……?)
壁の段差に立ち、少し焦りつつ下方周辺を見渡すが、祝賀会が始まったのか屋敷周辺に人の気配は無い。
衛兵もこちらの方面には配置されていないようだった。
(クリスも言ってたけど本当に不用心かも……あの男の人がもし泥棒とかだったら……)
そう思案しつつ壁に掛けられた鉄梯子を登る。屋上を点検するための梯子のようで、登り切ると屋根に出た。
――夜空、月は出ておらず、屋敷より下方の街並みが未だ明るさを灯しているので星明かりは目立たない。
湿った風が吹く。
「ね、ねえリィ……何か居るよね? 魔物かな……すごく多い……」
それに多数の何かに混じって、不可解な巨大な存在も感じて動揺した。
風の声と相まって直接気配がする。だがそれが何処に居てどの程度の規模なのか、まだ茅峨には分からない。
「何か用?」
背後から声をかけられて咄嗟に振り返った。
なびくウィッグの横髪を押さえながら茅峨は目の前を凝視すると、案の定それは追っていた人影だった。
「小さな女の子がこんな所まで登るなんて危ないよ? それともギルド登録の子なのかな」
細身の男と初めて正面から対峙した。
……向こうから敵意は感じず、一見優しそうではある。
やや素朴な顔立ちに、ふわりと癖のある黒い髪だ。周囲が暗くて目の色までは分からないが、クリスほどの年齢に思える。
「あの、こんな屋根に登って何をしてるの?」
「……んー時間潰し?」
男は呑気に答えた。
「それよりも早くここから離れた方がいい。もうすぐしたら騒がしくなるし、怪我をするかもしれないから」
彼の口調は始終のほほんとしていてどうにも要領を得ない。
服装を見るに、冒険者のような身なりと装備だが……
「ど、どうして騒がしくなるって知ってるの? 確かに風とか周りの気配とか変な感じだけど……貴方は……」
「え、風?」
男はきょとりと目を丸くする。
「貴方は、もしかして祝賀会の隙を狙って来た……泥棒、だったりする?」
初対面でかなり言いがかりを付けていると自分で思うが、それでもこの男は明らかに怪しい。
茅峨の言葉に男はぽかんとしてから、柔らかく笑って手を叩いた。
「……あはは、やっぱりこんな時にこんな風にウロウロしてたらそう思うよね。でも、うん。ちゃんと当たってる」
「当たって、る……ッ?」
男の周りに、突如黒い影が蔓延った。
たくさんの影。ざわざわと、大きな猫のような……
「猫……じゃない、これって豹……!?」
「あっ待って、まだ時間じゃないんだ。落ち着いて」
男はその影達に言ったようだった。
「でも君は……ごめんね。騒動にあんまり巻き込みたくはないから、少し眠ってて欲しいかな」
男は茅峨に向かって片手を差し出す。
その動作で予想出来るのは術の発動だ。
(眠ってて欲しいって、物理的に!? それとも催眠術……!? どっちにしても受けたら駄目だ……!)
茅峨は銀のロッドを引き伸ばし、即座に男に対して構えた。
「お隣、よろしいですか?」
軽やかな音楽、穏やかで優雅な照明、豪勢且つ立食でもスムーズに口に運べる計算された料理。そしてあらゆる装飾に彩られた、磨かれた大広間。――その一角。
壁の花……いや、男なので壁のシミ……それどころか気配すら消して意気揚々とぼっちを決め込んでいた朋斗は、唐突に声を掛けられてギョッとした。
柔らかな佇まいながらも、貴族の大人しい品性よりはなんとなく快活さが綻ぶ笑顔の女性。
エウリュディーケ……主催の奥方だ。
(なっなんでこっちに話しかけて来た……!?)
朋斗は目を泳がせ、会場の端にいるクリス達を確認する。
予定ではまもなくクリスとロアンがファビディアナンドに交渉を持ちかける頃だった。
……人の波でよく見えないが、向こう側で既に声掛けはしているようだ。クリス達のすぐ側にファビディアナンドも居る。
パーティ中だがあまり大っぴらにせず、出来るなら当人を執務室にでも引っ張って行って、クリスの待遇に異議を唱える段取りではあった。
だがファビディアナンドがごねるなら大広間での主張も辞さない、とはロアンの案だ。
貴族のやらかしには人の目がある場所の方が白黒付けやすい。
……これは似たようなことを嘉神も言っていた。
とそれはそれとしてこのエウリュディーケだ。
クリスと朋斗が共に居たのは会場入りの時に目にしているはず……となると現旦那の元婚約者クリスへに対する探りだろうか。
彼女は確か年齢が朋斗の少し上、元侍女だが、今は貴族身分になる。
(タメ口は駄目だよな……つか体調とか気遣った方がいいのか? わっかんねー……!)
「クリス様と一緒にいらしてましたよね? どういったご関係なの? 従者かしら」
「あー、と、友達……?」
咄嗟に言ったそのカテゴリは疑問だったが、今はひとまずそうしておくことにした。
――このエウリュディーケがクリスから婚約者を奪った。
実際彼女が腹に一物抱えているタイプかどうかは判断しにくいが、ここで波風を立てることは避けたい。
「そうなの? ふふ、あなた、ずっと壁にひとりで居るから来賓の娘達が気にしていましたよ?」
「……そりゃどうも」
たぶんもっと小洒落た返しがあるのだろうが、朋斗は思春期の一般男子なのでそんなやりとりは出来ないのであった。
ついでにキラキラ女子も得意ではないので、あまり話し込みたくはない。対人への愛想は案外茅峨の方が上手いかもしれない。
だがそんな朋斗の、貴族への雑さを辞さない態度もエウリュディーケは気にしていないようだ。自身も平民の出だからだろうか。
「ねえあなた、お名前は?」
「……オーツ」
「オーツ様、あたしはエウリュディーケ……」
知ってるよと朋斗は内心思ったが、ふとエウリュディーケの表情が硬くなったことに気付く。
「オーツ……もしかして高ランクの」
「……え?」
その時、大広間に備えられた壇上にファビディアナンドが上がり、会場に大きく声掛けを始めた。
エウリュディーケはそれを見て朋斗に笑顔を作り直す。
「ああ、お声掛けしたのにごめんなさい。時間が近づいて来ましたので……ここで失礼しますね」
そのままゆっくりと一礼してその場を去っていった。
「……他人のギルドランクを知ってる? いち貴族が?」
有名な魔物を倒したり街を復興させたなど、高ランクのギルド登録者名が一般に知られることは稀にある。
しかし朋斗は功績はあるが、貴族や庶民が把握する形で発表はしていない。
「……なんか引っ掛かるけど、今はそれどころじゃねえか」
ファビディアナンドが招待客に声を張り上げている。
クリスの異議を逆手に取り、自分の行いの正当性について主張を始めたのだ。




