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第61話 彼女の輪郭



 ――少し前。湖畔の屋敷、別室の客間。


「レイヴフォード様……席を外していて申し訳ありませんわ」

「近くに所用があったついでだ。どのみち定期的に視なければならないからな」


 クリストファーと、レイヴフォードと呼ばれた男がテーブルを挟み向かい合って座っている。


 銀色の長髪に端正な顔立ち。

 レイヴフォードの背後には二人の従者の青年が姿勢正しく控えており、テーブルには紅茶と簡単な菓子が用意されていたが、クリストファーは手を付けずに話を続けた。


「東屋でなくこちらでお待ちになられたら宜しかったのに」

「……手入れがよくされていたので眺めていただけだ。それで、近況に変化はあるか」


 クリストファーの頭に重要指名手配である少年がよぎる。

 が、それに関してはまだ本人に詳細を聞いていないし、少年を匿っていたなどと下手に判断されても得にはならない。

 余計なことは言うまいと口をつぐみ、首を横に振った。


「そうか……クリストファー、最近愚兄とは何も?」

「お会いしておりませんが。何も……とは? レイヴフォード様はお会いに?」

「私も別段用向きもないのだがな、先日連絡が来た。どうやら近く件の女と、婚姻祝賀会を開くそうだ」


 クリストファーはつい眉根を寄せたが、レイヴフォードの話し方は淡々としている。


 彼はあの侯爵家子息、ファビディアナンド・ゼムストリスの実弟だ。

 だがそう思えないほど落ち着きがあって、クリストファーは幾度も彼と会話をしているというのにいつもその温度に慣れない。


「……今期にですか? 婚姻自体は以前に滞りなく済んだと聞いていますし、彼女、もう臨月なのでは」


「あれでも兄は嫡男だからな。君との婚約破棄故に自業自得……いや、周辺の取り纏めの仕直しに時間を取られていた。パーティー好きの兄の事だ、子が産まれる前に祝賀会を開きたかったのだろう」

「はぁ……そうですか」


 気の無い返事をする。

 ファビディアナンドは頭が緩いので、こちらが幽閉されていなければ、元婚約者にさえも祝賀会の招待状を送り付けそうだな、とクリストファーは薄っすら思った。


「それに関して妙なことがある。杞憂だといいが……君はあの女と親しかったらしいな」


 レイヴフォードは兄とクリストファーの婚約破棄までは外遊しており、侯爵家の実状は後から聞いた……と本人から伺ったことがある。

 彼の言葉にクリストファーは首を傾げた。


「妙? ……エウリュディーケとは確かに侯爵家でよくお話をさせて頂きましたわ。彼女が実際わたくしをどう思っていたかは測りかねますが」


「あの女はゼムストリスの主治医ではなく、自分の掛かり付け医だという医者を側仕(そばづか)えにしている。それには目を瞑るとしても、着替えも湯浴みも独りだそうだ」


「え……」


 クリストファーは少し驚く。

 爵位返還の流れがありいくら庶民から嫁いだといっても、それでも貴族長男の嫁で身籠っているのだ。

 臨月に近づくにつれ侍女や婦人医が側につき、生活の世話をするのが常である。


「本人曰く、人が側に張り付いているのが煩わしいとのことだがな。君から見てあの女はどんな印象を持っている?」


「…………」

 クリストファーは視線を手元に落とした。

 エウリュディーケとは、仲が良かったと思っていた。

 しかし実際彼女はクリストファーをファビディアナンドから引き剥がし、壇上で笑みを浮かべていたのだ。


 ……エウリュディーケの心情を、クリストファーは察することが出来なかった。だが人の機微にそこまで鈍感では無いとも自負している。


 つまり、端的に考えれば彼女は“人を騙すことに長けている”のではないだろうか?


「……エリューは」


 目を伏せてクリストファーは思い出す。

 彼女と暖かな陽気のテラスで、二人で紅茶を飲んだこと。


 彼女は侍女だったので最初はクリストファーの誘いに断りを入れたが、いつしかクリストファーの口八丁に目を丸くしながらも、微笑みを返してくれるようになったのだ。


(色々話したから、わたくしがあまりファビに気がないということもエリューは知っていたのよね……)


「……彼女はわたくしにとっては話しやすい柔らかな子でしたわ。それが侍女としての礼儀や、根本的に演技だったかどうかは……情けないお話ですけれど、個人的には判断が出来ません」


 そうクリストファーが締めると、レイヴフォードは特に変わらない感情で「そうか」と答えただけだった。




 廊下に出ると窓からは暗がりの空が見え、小粒の雨が窓ガラスを叩いている。いつから降り出したのだろうか。


 レイヴフォードは雨を見て従者を先に玄関ロビーまで行かせたので、ここでは二人だけとなった。


「時に君は眠れているのか?」


「……ええ。大丈夫ですわ。どうして?」


 不眠症を見抜かれているのか、とクリストファーは一瞬戸惑ったが、にこりと笑顔を作る。


「……」


 何を思ったか、レイヴフォードがクリストファーの頬元に手をやり、金髪の横髪を彼女の耳にかけた。


 ……クリストファーの背面の廊下で、それをこっそりと見ていた少年二人の気配が揺れる。


「え、なにやってんのあいつら……!」

 朋斗は思わず呟き、茅峨は目を丸くしていた。


 レイヴフォードはクリストファーの透明なピアスを一瞥し、頬元から手を離す。


「体調不良は支障を招き易い。制御に問題は無いようだな」


「……ありませんわ。レイヴフォード様、わたくし」

 クリストファーは赤い瞳で見上げる。


「まだ、召集はされませんか?」


「……ああ。まだ当面は幽閉状態と変わらない扱いだ」


 その言葉にクリストファーは表情は気丈なまま、しかし胸を撫で下ろす。



 そしてレイヴフォードは、顔を上げた先の朋斗と目が合った。


(げっ)


 朋斗はすぐさま隣の茅峨を蹴飛ばし、自分も一緒に元の部屋に転がり込む。

 今は変装も何もしてないので、茅峨が下手に見つかれば終わりだ。


 朋斗は扉を閉めた先の廊下を伺いながら、眉間を少し寄せた。


「……あいつ、あの目の色って」





「……」

 レイヴフォードはさして気にも留めない様子でクリストファーに向き直る。


「では今日は戻る。身体に異変があれば必ず報告するように」

「……承知しております」


 定期的な訪問と、変わらずのクリストファーの答えと体調。

 レイヴフォードは感情の陰翳を表さないまま、紫色の瞳で彼女を暫し見つめた。





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