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第58話 偽善と違和感-1-



 早朝の冷たい空気。

 水で掃除された石の床と藁――それから嗅いだことの無い匂いがする。これが血の匂いなのか。


 おれが、よく知ってる村人達が、目の前で体から血を飛ばして動かなくなった。


 荷車小屋の掃除を茅峨にやらせろと言われた時から嫌な予感はしていた。

 でも結局茅峨の押しを通してしまって……


 違う。……そういう所だ。


 結局おれはそうやって、声を掛けるだけで何もしてやれなかった。

 掃除を変わることだって、茅峨を村から無理やり連れ出すことだって、本気でやりたければ出来たはずなのに。


『――駄目だよ。それじゃあアスハが今度は俺みたいにされちゃうよ』


 茅峨が制止してくれたのをいいことに、保身に走った。


 ずっと、そうだったんだ。



「茅峨……?」


 嫌な予感自体は当たっていた。

 荷車小屋の中を見ると、茅峨はあいつらに組み敷かれていて、どうにかしなければと咄嗟に思った。


 でも襲った奴らへの茅峨の反撃は、予想してなかった。


 おれのすぐそばに茅峨をよく標的にしていたゼンが倒れてきて、“茅峨”はそいつの体を蹴り飛ばしながらおれの前に立った。


「アスハ……こんなとこに来て何してんの?」


 顎を引いて、茅峨は少し笑っている。口調も、少し違う気がする。


「なに、って……おまえのことが、気になって……」


 茅峨はふうんと興味なさげに呟いてから、おれを見る。


 笑みが消えたそれは、今までに見たことのない顔だった。

 ……たぶん嫌悪だ。茅峨が、怒っている。おれに。


「お前さァ、マジでいつも(・・・)遅ぇ。アタマん中ではそれなりに考えてんのかもしんねえけど、後手後手に回って結局なにもしてねーのと同じ。吐き気がする」

「……!」


「前にも橋で転ばされただろ。流石にアレは死んだかと思ったわ。お前は助けた気になってんだろうが、転ばされてる時点で間に合ってねぇから」


 村の僻地にある水路。その上空に掛かる橋で助けたことは覚えている。

 古くて足元の悪い橋は左右に防護柵もなく、茅峨が下に落ちそうになった。


 高さと下にある水路の激流は、落ちたら確実に死んでしまう。

 あの時は、確か――


『ありがとうアスハ、びっくりしちゃった……!』



「聞いてんの? 耳壊れた?」


 茅峨、なんだろうか。

 信じられない。

 姿はそうなのに、全く知らない奴が喋っているようだった。


「わ……わる、い……」

「もういいって。期待してた俺が馬鹿だった」


 思わず謝ってしまう。

 手が震えていた。

 だってすぐそばには死体がある。


 詰まっていた息を無理やり吐いた。


「おま……おまえ、茅峨だよな……?」


「え? これやったの茅峨だと思ってるならお前、流石に見る目無さすぎ。大丈夫?」


 ……茅峨に嘲笑されている。

 だというのに、何故か年上にでも諭されているような感覚になった。


「お……おまえは、時々人殺しそうな目を、してたから」

「へえ、そーいうとこは見てんだな。それって俺様だわ。茅峨は気付いてなかっただろうけど時々俺とブレてたからよ」

「……二重人格?」

「性格だと思う?」


 そうなんだろうか。

 茅峨が一人で居る時に、表情や目付きが普段よりも酷く暗いと感じたことはある。

 だけど今まで態度として、性格が完全に反転するような、そんな滲みはなかったと思う……


 ……それも含めて見る目がなかったということか。


 茅峨が沈んでいる時には……いや、そうじゃない時だって、出来るだけなんとかしたいとは思っていた。

 傷の手当ても食事も……

 おれのフォローに茅峨は笑って礼を言ってくれたけど、それじゃ駄目だったんだ。


 そもそも傷を作らせている時点で後手なんだ。


 ……わかってたのに。



「こ……心が傷付いて、別の人格を作るってのは聞いたことある、けど……」

「お前らが茅峨をそうさせたんだよ。俺がいるのはお前らのせいだ、自業自得なんだぜ?」


 一瞬のことで体に痛みは無かった。

 風圧みたいなので自分が吹っ飛んだ気がする。


 目を開くとおれは小屋の外で転がってて、体から血が出てるんだけど、感覚がよく分からなかった。

 ただ冷えていくのだけを感じた。



「みょうが、」


 転がってるおれに、茅峨が近付く気配がする。


「……ずっと、ちゃんと、かばえなくて……ごめん……」

「俺はさ、自分らのやってきたこと謝りゃそれでいいと思ってる奴が大嫌いなんだよ」


 影はおれにそう言った。


 うん。そう、だよな。


「ごめ、ん」



 そのあとも少し、茅峨は何か言ってたけどぼやけてて、声ももう聞き取れなかった。

 ……真っ暗になって、あとはもう分からない。




「だから謝ってんじゃねえ、胸糞悪いわ。けど」


 アスハにはもう聞こえてないだろうなと思いつつ、セレキは煩わしそうに口にする。

 手を軽く掲げると、荷車小屋に火種が点いた。


「茅峨はお前のこと、すげえ好きなんだよな。偽善でもなんでも、お前に救われてたみたいだわ。嫌われてなくて良かったな、アスハ」






 もし自分の身を顧みず、何かしてやれたのならば、それは村から一緒に逃げることだったのだろう。


 母を見限り、生まれ育った村を捨て、血の繋がらない兄弟ともし逃げていたら、違った人生があったはずなのだ。


 村が壊滅することも茅峨が指名手配されることもなく、どこか遠くで二人で暮らせていたのかもしれない。


『そんな器量も勇気もお前にはねぇよ』


「……」


 アスハは目を伏せる。

 窓辺に置かれたぬいぐるみからあの口調で幻聴が聞こえた気がしたし、それは的確な言葉だと思った。


「…………」


 町の宿屋の一室。

 簡素な椅子にアスハは腰掛けていて、窓辺のチェストの上にはウサギの……ぬいぐるみにしては妙に大きなそれが鎮座していた。

 ウサギはアスハを見つめている。


 ここより隣街の病院に居た時、見舞いの品として渡されたものだ。


 渡してきた当人は名を言わなかったそうだが、病院の施設員から「青い髪の男の子から」と言われ、すぐに茅峨だと分かった。


 そして率直に、どう感じて受け取ったらいいのか困惑した。



 あの茅峨は自分を殺した。

 こうして傷跡も残らず生きていることがまず不思議だが、茅峨が自分に見舞い品を渡す意味が理解出来ない。

 己が生きていることへの厭味(いやみ)かとも思った。

 今までならそんな発想など出てこないが、“あの茅峨”の性格ならやりそうではある。


「……あの茅峨」


 ウサギを見つめながら呟く。


 それとも、このぬいぐるみは“今までの茅峨”がくれたのだろうか。

 そうだとしても、謎の選定だが。


 退院し、生き残ったネハラの村人達でこの町の宿屋で世話になる段取りが決まった時も、悩んだ末結局こうしてやたら質量のあるウサギを持ってきている。

 村人達からは案の定「何それ?」と訊かれたがはぐらかした。


 これをくれた茅峨の真意は、考えても分からない。


 ただ……


「やっぱりさっきの監査の人に、話してみた方が……」


 あれ以来人とあまり顔を合わせたくない。

 自分の情けなさや自暴自棄で精一杯で、何も出来ないのだ。

 それで先程も、部屋に訪ねてきた国の監査官の任意聴取に頷けなかった。


 けど茅峨のことで引っ掛かっていることは、ある。

 それを伝えることで、もしかしたら茅峨の罪が揺らぐかもしれない。

「……身内だから変なこと言ってるとか、思われるかもしれないな」


 ドアノブに手を掛けながらアスハは項垂れる。

 それでも、変だと思われても……今度こそ茅峨を庇いたいと思った。


「……でも、また遅いかも」


 頭の中では一歩進んで数歩下がる。ぐるぐると。

 ああこれだからお前は後手なんだと、あの茅峨に言われてしまうのだ。



「きゃっ!」


 扉を開けると小さな悲鳴が聞こえ、アスハは目を丸くする。


「……え? わ、わるい、当たったか……!?」


 そう訊ねると、すぐ前に居た人物はふるふると被りを振る。


「い、いえ、びっくりしちゃって。もう一度声を掛けようかと思ってノックしかけたところだったから……」


 扉の前に居たのは、先程この部屋を訪ねてきた国の監査官だという少女と、その従者の女性だった。





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