悪役令嬢
本来なら公務があったが、私は既に婚約破棄されている。よって今は自由の身だった。予定があるとしたら、自室の荷物をまとめ、王宮から出て行く準備をするだけ。でもそれは、優秀な使用人たちがやってくれる。
よって王太后には招待を受ける旨を返信し、身支度を整えることにした。
落ち着いたウォータグリーンの生地に、白のレースや刺繍があしらわれたドレスを着て、私は王太后の待つ、王宮の離れへ向かった。実は王宮の離れに足を踏み入れるのは、初めてのこと。
瀟洒な洋館というその建物の中は、王太后の指示なのだろう。手入れがとても行き届いている。エントランスのワイン色のふかふかの絨毯に、ゴミは一つも落ちていない。シャンデリアにも蜘蛛の巣などなく、クリスタルガラスがキラキラとしている。二階へ続く大きな階段の手すりも、綺麗に磨き込まれていた。
案内されたダイニングルームは、一面がガラス窓になっており、庭の景色がよく見えている。蔦の絡む白いアーチ、花壇には色とりどりのパンジーの花が植えられていた。小ぶりの噴水があり、その周囲には、コロンと丸く刈り込まれた植木が見えている。
まさにその庭を眺められるように、テーブルと椅子が配置されていた。
白いテーブルクロスが敷かれ、そこには薔薇の花とフルーツが飾られ、既にカトラリーが並べられている。塩・コショウが入れられた銀食器も置かれていた。
「スチュワート伯爵令嬢、よく来てくださいましたね」
声に椅子から立ち上がりながら振り返り、「えっ!」と驚くことになる。
王太后の声が聞こえたと思ったのに。
そこにいたのは、グレーのフードを目深に被り、顔の半分が隠れている女性だ。ローブを着ていても、メリハリが分かる体のボディライン。見えている口元は、真紅のルージュ。
デジャブを覚え、思い出す。
これは私が王宮に来たその日に出会った、魔女では……?
「驚いたかしら? 十三年ぶりで、この姿であなたの目の前に現れたのよ、私」
フードをおろし、そこに現れた顔は……王太后!
つまりこれはこういうことだ。
私が十三年前に出会ったのは、魔女ではない。王太后だったのだ。
「こ、これは王太后様、どいうことでしょうか……?」
驚いて尋ねると、王太后は柔らかい笑みを浮かべ、教えてくれる。
「まずは椅子に腰をおろして。お食事をしながら話しましょうか」
王太后に言われ、着席すると、メイドが部屋に来て、料理を次々とテーブルに並べてくれる。フォグラとピスターシュのテリーヌ。温野菜の盛り合わせ。黄金色に輝くコンソメスープ。晩餐会のような豪華な料理と共に、昼食がスタートした。
その中で王太后は、驚きの事実を話してくれたのだ。
乙女ゲーム『マシュマロのような恋をしたい!恋は甘々溺愛で』には、プロトタイプ版があった。それは結構な数のモニタープレイヤーを集め、テスト運用をされたという。そのプロトタイプ版に登場していたのが、悪役令嬢リンカ。そして王太后はそのリンカとして、この世界に転生していたのだ。
プロトタイプ版の攻略対象には、この国の王太子が含まれていた。悪役令嬢リンカは、この王太子の婚約者であり、そこにヒロインが現れたわけだが……。リンカも私と同じように、断罪回避のために動いた。王太子との婚約も回避しようとしたが、そのことで彼との仲が深まることになった。
結果として、ヒロインは王太子以外の攻略を行い、リンカはそのまま王太子と結ばれた。そして王妃として生き、現在は王太后となっていたのだ。
「私はプロトタイプ版の悪役令嬢として、この世界に転生していたでしょう。もしかすると本リリースされたゲームの悪役令嬢が、転生してくることもあるかもしれない……。そう思って、注意深く見守っていたの」
イサキのポアレを上品に口へ運びながら、王太后はこの王宮で、王族の婚約者となる少女たちを、見守っていたと言うのだ。
見守り、いざとなれば、サポートしたい――そんな気持ちを持つようになっていた。
自身は悪役令嬢として転生し、断罪を回避できている。結婚し、王妃となり、最愛の夫であり、先代国王は亡くなったものの、このまま平穏無事に生きて行くこともできた。それに前世の世界とこちらの世界では、時の流れ方が違うようで、なかなか悪役令嬢が転生している様子はない。
あえていつ転生してくるか分からない、それどころか転生する確証もない悪役令嬢のことを気にするなんて。
なぜ、そんな気持ちになったのか。
それを彼女自身は、こんな風に分析している。
「王妃であれ、王太后であれ、広く民を想う心というのは、私の中できちんと培われていたの。つまりね、神殿に行って、祈りを捧げる時。自分のことを願うより、国のことを願う、国民のことを願う。それが当たり前になっていたの。だから自然と、この世界にもしかすると転生する悪役令嬢のことも、気にかけられるようになったのかもしれないわね」
そこでグラスの水を一口飲んだ王太后は、この後とんでもない種明かしをしてくれた。