7.裏迷宮
今、俺は奈落の底へまっ逆さまに落ちているところだ。
(ああ、この程度で俺は終わるのか……やり残したことだらけで少し悔いはあるけどもつまらなくはない人生だったな……もう今更どうこうできるものではないし……あぁ、せっかく夢にまで見た異世界召喚を果たしたのに、こんなふうに死ぬなんて……なんで、なんで俺ばっかり向こうでもこっちでもバカ見ないといけないんだよ……!)
ドサリ、と何かにぶつかった。
そこは、光すら届かない、腐臭と死気に満ちた世界。
目の前には、巨大な錆びついた「門」がそびえ立っていた。
『……資格を、確認……』
頭の中に直接、掠れた声が響く。
『絶望、憎悪、未完成の重力の器を確認。扉の現身に認定します』
突如、心臓が爆発しそうなほど脈動した。
全身の血が入れ替わり、脳内に新しい情報が洪水のように流れ込む。
【条件達成:スキル『重力操作』が真の姿へ覚醒します】
【固有スキル:『万有引力』獲得】
俺はゆっくりと立ち上がった。
レベルは9のまま。だが、指先を少し動かしただけで、周囲の空間がミシミシと悲鳴を上げ、頑強な裏迷宮の岩盤が塵へと変わった。
ぶち殺してやる……
俺の顔から、かつての温厚な輝きが消えた。
待ってろよ、佐竹。そして……龍輝。
お前が守ろうとしているその「仲間」が、どれほど醜い化け物か。
俺がこの地獄の底から這い上がって、全部暴いてやる。
裏迷宮――そこは「大迷宮」を子供騙しに見せるほどの、濃密な死気に満ちていた。
俺は、砕けた大理石の床に這いつくばりながら、己の変質に喘いでいた。
「ハァ……ハァ……なんだ、この力は……」
体中の細胞が作り変えられたような感覚。
レベルは「9」のままだ。しかし、視界に映るすべてのものに、以前は見えなかった「重さの糸」が見える。
その時、壁の影から「それ」が這り出してきた。
裏迷宮 第一階層の守護者。難関ダンジョンのボスすら一撃で屠るであろう、『虚空の番犬』
三つの頭を持ち、その体は物理攻撃を透過する影でできている。
「ガアアアアァッ!!」
魔獣が音もなく跳んだ。カケルの首を刈り取ろうと、影の爪が迫る。
以前の俺なら、反応すらできずに死んでいただろう。
だが、今の俺の目には、魔獣の動きが「羽虫」よりも遅く見えた。
「遅い……」
カケルが無意識に、迫りくる魔獣へ向けて左手をかざす。
【万有引力:出力1%】
――ドォォォォォン!!!
衝撃波すらなかった。
ただ、俺が示した「点」に向かって、周囲の空間そのものが猛烈な勢いで収束した。
魔獣は悲鳴を上げる暇さえなかった。
影の体も、それを構成する魔力も、そして足元の強固な岩盤さえもが、ビー玉ほどのサイズ
にまで「圧縮」され、次の瞬間には原子レベルで崩壊して消滅した。
「……え?」
俺は自分の手を見つめた。
今までの「10%増やす」というショボい感覚ではない。
そこに存在することを許さないほどの絶対的な重圧。
「これが、『扉の主』の力……」
ゆっくりと立ち上がる。
まだ体はボロボロだ。だが、心の中にあった「恐怖」は、もうなくなっていた。
「次はあっちか……」
通路の奥から、さらに強力な魔力の波動が伝わってくる。
本来なら数万個の軍隊があっても不可能な『裏迷宮』の攻略。
それを、レベル9の少年がたった一人で、静かに、しかし確実に開始した。
一歩踏み出すたびに、俺の背後にあった壁が自重に耐えかねて崩落していく。
まるで、世界が彼に頭を下げているかのように。
ここから、この世界を揺るがす一人の少年の物語が始まる。
「……じゃないじゃない!何カッコつけて『ここからこの世界を揺るがす一人の少年の物語が始まる』とか言ってんだよ。おかしいだろ、今の力!とりあえず、落ち着いて現状整理だ」
こいつ一人で何いってんだ?これ、はたから見ればただの変人じゃね……?はずっ!
静まり返った『裏迷宮』第一階層の回廊。
膝をつき、肩で息をしながら、自分自身の左手を見つめていた。
そこには、先ほど放った一撃の残滓が、黒い火花のようにパチパチと弾けては消えていた。
つい数時間前まで、俺のスキル『重力操作』は、王宮の賢者様たちから「荷運びの補助にもならないゴミ」と太鼓判を押された代物だった。
接触した対象の重さを10%変える。10kgの石を11kgにする。それだけだ。特訓でレベルを9まで上げたところで、そのパーセンテージが12%になることもなかった。
「それが……何だよ、今の。10%どころか、物理法則そのものが土下座して謝りそうなレベルだったぞ」
カケルはふらつきながら立ち上がり、壁に手を突いた。
脳内に刻まれた新たなスキル――【万有引力】
その説明は簡潔だったが、実際に感じ取る「重さの解像度」が以前とは桁違いだった。
世界中のあらゆる物質が持つ「重さの核」が、まるで見えるかのように視界に浮かんでは消える。
「……まずは検証だ。十何年もオタクやってきて、検証もせずにチートを振り回すバカにはなりたくない。えーと、重力の向きを変えるとかは……うん、まだ無理そうだな。変なところに引力が働くと自分まで酔いそうだ。今はまず、重さを極限まで高めるのと消すこれに絞ろう」
俺は、足元に落ちていた「裏迷宮の石」を拾い上げた。地上の岩よりも密度の高そうな、禍々しい黒い石だ。
「よし、以前の俺の限界、1.1倍……いや、今の感覚ならいけるか。一気にいこう。百倍!」
――ズンッ!!
石を握った左手が、文字通り地面に吸い込まれた。
俺の腕力では支えきれない。石は床の石畳をバターのように切り裂き、深々と埋没した。
「接触のみ」という射程制限は依然としてあるようだが、発動した瞬間にカケル自身が受ける「反動」を無意識にキャンセルしている感覚があった。
「やばいだろこれ、ただの石ころが『致死性の砲弾』になるな……でも待てよ、重くするってことは、これを持ってる俺の負担も増えるはずなんだが……ああ、なるほど」
自分の体を包むように、薄い重力の膜が張っている。
外部からの過剰な引力負荷を遮断する「重力障壁」無意識に自分を守るための機能が備わっているらしい。
「便利すぎだろ……これ、クラスのみんなが見たらどんな顔するかな。『ゴミスキル』って笑ってたあいつら……特に、背中から斬りつけてきた佐竹。この力を見せつけて俺と同じ絶望を見せたらどんな声出すんだろうな……」
想像した瞬間、口角が吊り上がるのを止められなかった。
同時に、背中の傷が熱く疼く。
「……いかんいかん。復讐の前に、まずはこの第一階層を生きて突破しないと」
その時だ。
通路の先から、重厚な金属音が響いてきた。
現れたのは、第一階層の番人――『古代のゴーレム』
高さ3メートルを超える巨体。かつて失われた魔導技術で作られたとされる自律兵器だ。
大迷宮ですら、これ一機で半分くらいなら攻略できるんじゃないか?半分まで行ったことないから、わかんないけど。
「……うわぁ、今までの俺ならここで『ヒェッ』て言って逃げ出すんだろうけど。不思議だな、全然怖くない」
ゴーレムがカケルを認識し、その巨大な大剣を振り上げた。
空気を切り裂く風圧だけで、普通の人間なら気絶する。
だが、カケルはただ、ゆっくりと歩を進める。
「検証だ。お前、その自慢の鎧、重くしたらどうなる?」
振り下ろされる大剣の腹に、軽く左手を触れた。
「一万倍!」
――ドガッシャァァァァァン!!!
「……え?」
凄まじい衝撃音が響き、目の前で信じられない光景が広がった。
ゴーレムが持っていた大剣が、自身の重さに耐えきれず、床に激突。
それだけではない。大剣にかかる数万トンの重圧が、それを握っていたゴーレムの右腕を引きちぎり、そのまま床を貫通して地中深くへと消えていった。
「あ、やりすぎた」
バランスを崩したゴーレムが、残った左腕でカケルを殴りつけようとする。
カケルはそれを、紙一重でかわすと、機兵の胴体に直接触れた。
「一千倍。これくらいなら、階層が崩れないかな?」
――ギチ、ギギギギッ!!
その瞬間、鉄機兵の動きが完全に止まった。
重力に押し潰され、関節部が火花を散らし、強固な装甲が内側に向かってひしゃげていく。
まるで、見えない巨人が全身を万力で締め上げているかのようだ。
数秒後、かつて最強と呼ばれた兵器は、ただの平たい「鉄の円盤」へと変貌し、床に深々とめり込んで動かなくなった。
「……はは、マジかよ。これ、格闘ゲームなら一発で修正入るバランス崩壊キャラだろ」
カケルは呆れ果て、ツッコミを入れる気力も失いかけていた。
以前の俺なら、あの一撃を受けただけで即死だった。
クラスのみんなに媚びを売り、銀河や龍輝の影に隠れて、おこぼれの経験値を貰っていたあの日々。
あんなに必死にレベルを上げていたのが、バカバカしくなる。
俺の瞳に、冷たく昏い光が宿る。
自分を裏切った者たちへの怒りだけではない。自分を「無能」だと決めつけていた世界そのものへの、冷たい怒り。
「……でも、まだだ。まだ足りない。レベルは9。出力も、まだほんの一部しか使えていない感覚がある。……この階層にいる魔物、全部だ。全部、俺の検証台になってもらう」
俺は迷宮の奥へと走り出した。
途中で襲いかかってきた影の獣たちの群れ。
俺はそれらを「叩く」ことすらせず、周囲の床に触れ、瞬時に重力を増大させることで、近づくものすべてを床に縫い付け、自重で圧壊させていった。
「ふぅ……重くするのは得意になったけど。次はこれだな」
カケルは、自分の体を手で触れる。
「【重力軽減:90%カット】」
その瞬間、カ体が羽のように軽くなった。
一歩踏み出しただけで、まるで重力から解き放たれたかのように、数十メートルを滑るように移動する。
向きは変えられない。だが、「軽さ」を極めれば、擬似的な高速移動が可能になる。
「おっ、これいいな! 走るのめっちゃ楽! 体育の時間にこれがあったら、あんなに『デブオタ』って馬鹿にされなくて済んだのに……って、俺デブじゃねーし! 普通だし!」
独り言を叫びながら、俺は第一階層を駆け抜ける。
ガイジすぎる……
かつて人類が誰も到達できなかった『裏迷宮』の第一階層が、一人の少年の「性能テスト会場」となっていた。
しばらく走っていると、目の前に巨大な石の扉が現れた。
第一階層の最深部。
その扉の前には、これまでとは比較にならないほど巨大な、禍々しいオーラを放つ魔物が待ち構えていた。
だが、俺は止まらない。
「検証だ。……お前、自分の重さで消滅したことあるか?」
俺は狂ったような笑みを浮かべ、巨大な魔獣に向かって左手を突き出した。
その背中には、まだ佐竹に斬られた聖剣の跡が、消えない傷として刻まれていた。
「俺は、奈落の底で一度消えかけた。……今度は、お前たちの番だ」
第一階層の深淵に、骨を砕くような重低音が響き渡った。
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