第2話(1) 高橋真一と優子
「誰か、彩花に会って、話を聞けないかしら?無理よねえ……」とアンヌ先生がため息をついた。
「……アンヌ先生、パパがミネソタ勤務なんですが、時々、NYの米国本社に出張します。ママに事情を話して、パパに様子を見に行ってもらうとか、できると思います」
「父親が娘の様子を見に行くのは自然な話しよね?そうしましょう。それで、その後は……」と真理子がアンヌ先生を見た。「アンヌ、私はアメリカに行ったことがないのよ?」
「あら、そう。私は学会で何度も……そうね、『米国のトランスジェンダー研究における社会的影響調査』というのを大学の理事会に出せば、出張費がでそうね?2人分くらいは?」
「文化人類学の研究生でも?」
「社会的影響調査でしょ?民俗学も必要よ」
「アンヌ、あなた、頭いいわね?」……真理子、それはずる賢いと言います。
「凜花ちゃん、遥ちゃん、こういう悪魔二人をアメリカに輸出したら危険ね?」
「女将さん、アンヌ先生と真理子、ズルしてますよね?」
「東京都も中小企業の海外展開に対して、補助金が出るのよ。このお店、株式会社『分銅屋』なのね。それで、『㈱分銅屋の米国進出事前調査』という名目なら、200万円は出るわねえ……助手が必要よね?物理科の学生が二人?」
「女将さん、それ!私と遥!」
「そうねえ、小池百合子に掛け合いましょうか?」
「あの、ぼくは?」
私、凜花、女将さん、真理子、アンヌ先生が声を揃えた。
「お留守番!」
《《悠馬の部屋》》
北千住から四谷の悠馬の部屋に戻った三人。
「よし!じゃあ、早速、みんなで家に行こう!それで、ママに説明して……」と凜花が立ち上がろうとした。私が、手を引っ張って座らせた。
「この、脳筋女!行動が先に出る!あなたね、『ママに説明して……』って、どうやって?あなた、バカなAI並の頭脳の持ち主?真理子なら言うわよ、『あなたぁ~、おバカなお猿さんなのぉ~?』って」
「悠馬!聞いた?聞いたわよね?私のこと、『脳筋女』って言った!『おバカなお猿さん』って言った!」
「言われて当然だろう?」
「あ!悠馬、遥の味方をした!何よ!遥にはもう彼氏がいるんですからね!あなたの手に届かないのよ!いい気味よ!あなたには私しかいないのよ!キィ~!」
私と悠馬は顔を見合わせた。悠馬が、「遥、これはこれで、可愛いんだからね……」とボソッと言った。あ~あ。
「凜花、『キィ~!』は良いから、まず、ママにどう説明するの?」
「それは、この姉ちゃんの論文を見せて……」
「見せて?」
「……説明する……私は、説明のポイントがわっかんないから、悠馬と遥が……」
「私たちが?」
「……」
「だぁから、これから、どう説明するか、悠馬とあなたと私が相談して、決まったら、あなたの家に行くんでしょ?」
「……そうです……」
「バカ!」
「悠馬ぁ、今晩は、遥が『バカ』連発する!泣く!凜花、泣きます!」
「……遥、凜花を泣かさないで……」
悠馬、だんだん、過保護になってる!バカップル化してんじゃん!
《《相談》》
「じゃあ、整理しよう」と悠馬がノートを出した。「ママに伝えること。① 彩花が書いた論文の内容、② その論文が倫理的に問題がある理由、③ パパが彩花に会ってほしいというお願い。この三点だ」
「……私、一番目も二番目も説明できない」と凜花が正直に言った。
「わかってる。だから、①と②は遥が説明する。③は凜花が頼む。パパへのお願いは娘からの方が効く」
「悠馬は?」
「ぼくはいない方がいい。キミの家族の話だ」
凜花が「悠馬も来て!」と言いかけた。私が手を引っ張った。
「悠馬の言う通り。凜花、これは家族の話よ。悠馬がいたら、ママが気を遣う」
「……そっか」凜花が珍しく素直に頷いた。「わかった。悠馬、待ってて」
「ああ」
悠馬がコーヒーを淹れた。三人で飲みながら、私は説明のポイントをノートにまとめた。凜花はそれを読んで「難しい」と言い、読み直して「ちょっとわかった」と言い、もう一度読んで「やっぱり難しい」と言った。
やれやれ。
《《高橋家》》
高円寺の高橋家に着いたのは夜の八時過ぎだった。ママが出てきた。エプロン姿。夕食の片付けの途中らしい。
「凜花、遥ちゃん、どうしたの?二人揃って」
「ママ、話がある」と凜花が言った。いつもより声が低かった。
ママの表情が少し変わった。
リビングに通された。テーブルに座った。凜花が論文のプリントを取り出した。
「ママ、これ、彩花姉ちゃんが書いた論文なの」
ママはプリントを受け取った。表紙を見た。
一瞬、表情が止まった。
「……彩花が書いたの?」
「うん。留学の許可を得るための論文らしいんだけど……内容が、ちょっと、問題があって……遥が説明してくれる」
ママが私を見た。
私はできるだけ平易に説明した。性ホルモンの抑制薬のこと。未成年への倫理的問題のこと。ヨーロッパで規制が進んでいること。マウントサイナイがその最前線であること。
ママは黙って聞いていた。
途中で、一度だけ、論文に視線を落とした。その時のママの目が——私には少し気になった。驚いているというより、何かを確認しているような目だった。
説明が終わった。ママはしばらく黙っていた。
「……そう」と小さく言った。
「ママ?」と凜花。
「……遥ちゃん、ありがとう。よくわかったわ」ママはプリントをテーブルに置いた。「彩花は……昔から、自分の考えを曲げない子だったから」
それだけだった。
凜花が「ママ、ショックじゃない?」と聞いた。
「ショックよ」ママは静かに言った。「でも、彩花がこういうことをする子だとは……薄々、思っていたわ」
薄々、思っていた……、その言葉が、少し引っかかった。
「ママ、パパに連絡して、次のNY出張の時に彩花姉ちゃんに会ってもらえないかな?様子を見てほしくて」
「……そうね。パパに話してみる」ママは立ち上がった。「今、電話してみましょうか。時差があるから、今ちょうど向こうは朝のはずよ」
《《国際電話》》
ママがスマホを持って、パパに電話した。スピーカーにはしなかった。別室で話した。凜花と私はリビングで待った。
「ねえ、遥」と凜花が小声で言った。
「何?」
「ママ、なんかおかしくなかった?」
「……どういう意味?」
「ショックを受けてるんだけど、ショックの種類が……私が思ってたのと違う気がして」
「……」
私も同じことを感じていた。でも、何も言えなかった。
五分後、ママが戻ってきた。
「パパ、わかったって。来月、NYに出張があるから、その時に彩花に会いに行くって言ってた」
「ありがとう、ママ」と凜花が言った。
ママは微笑んだ。でも、その笑顔の奥に、何かが沈んでいた。
私には見えた。でも、凜花には見えなかっただろう。
やれやれ。
【注意・免責事項】
※本作に登場するすべてのキャラクターは18歳以上です。
※制服・学生風衣装・部活動ユニフォーム等の描写は、すべて演出上のコスプレ要素であり、現実の未成年を描写したものではありません。
※本作に登場する事件・設定・団体等はすべてフィクションであり、実在のものとは一切関係ありません。
※第4章以降では、過去の出来事や医療・倫理に関する重いテーマが語られますが、描写は簡潔に留めています。
※性的・暴力的要素を一部含みますが、過度に詳細な描写は行っていません。
※本作は特定の思想・行為を推奨するものではありません。
※苦手な方は該当章の閲覧をお控えください。
※飲酒・喫煙の描写が含まれます。




