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偶然のアグリーメント

天地という惑星にはトイワホー国という『愛の国』がある。トイワホー国にはやさしい人が多くて犯罪件数も少ないために多くの他国からもそのような評価を得ている。

 そのトイワホー国には『愛の伝道師』という公務員がいるが、この物語の主人公はその中でもアヤメという女性である。アヤメは気配りができてとてもやさしい性格だが、それだけではなくて何事もてきぱきと行動する優秀なキャリア・ウーマンである。仕事上では難なく過ごしているアヤメだが、実はそんなアヤメにも恋の悩みと年齢の悩みを抱えている。現在のアヤメは29歳だが、ということはもう三十路は目前という訳である。アヤメは大抵の女性がそうであるようにして30歳にはなりたくないのである。

 恋の話の詳細はのちに出てくることになるが、今のところは恋人も旦那さんもいないアヤメにとっては三十路になることはなおさら気になってしまっているのが現状である。

 話は横道に逸れてしまったが『愛の伝道師』の話に戻る。アヤメはどうして『愛の伝道師』になろうと思ったのかを説明しておくことにする。アヤメはすでに小学生の頃から『愛の伝道師』になりたがっていた。今のアヤメはその少女時代の夢を叶えているのである。

 アヤメには一体『愛の伝道師』になるどんなきっかけがあったのかというと幼稚園を卒園した時に父から100パンダ硬貨をもらったのだが、アヤメはその頃から活動的だったので、当時のアヤメは両親が家を空けている際に貰ったお金を持って黙って実家の近くの駄菓子屋さんに行ってみることにしたことに端を発している。パンダとはトイワホー国の通貨単位を示している。アヤメには兄弟姉妹はいない。

 アヤメはミュールを履いてきちんと家の鍵を閉めたまではよかったのだが、当時はまだ幼稚園を出たばかりの小学生だったので、決局のところは迷子になってしまった。

そのため、アヤメは心細くて電信柱に寄りかかってしゃがんだまま涙を零していた。その時である。女性はそんなアヤメに対してやさしく声をかけてくれた。件の人物は今のアヤメと同い年の女性である。その女性はアヤメが事情を話すとアヤメを駄菓子屋に連れて行ってくれた。

帰りは手を繋いで一緒になってアヤメの家のある場所を探してくれた。結局は30分くらいの時間を要した末に見事にアヤメと例の女性はアヤメの自宅を見つけることに成功した。

アヤメはお礼をしたかったが、その女性は『愛の伝道師』だから、その必要はないし、自分にとってはアヤメが無事に家に帰れたことが一番の喜びだと言ってくれた。これはアヤメも知らない話なのだが、実のところ、件の女性は恋人と待ち合わせをしていたのにも関わらず、その女性はデートをすっぽかして見ず知らずのアヤメのために時間を割いてくれていたのである。アヤメはとにかくこのエピソードがあったからこそ『愛の伝道師』になりたいと思うようになったのである。アヤメの性格はものすごくやさしいので、アヤメは自分でも『愛の伝道師』が天職だと思っている。上記のとおり、これはアヤメに関する物語なので、アヤメはどんなストーリーを作り出してくれるのかはお楽しみである。


 一般的には顔が広い人は他の人たちとの付き合いが浅くなり顔が狭い人は他の人と深い付き合いをしている人が多いが、その常識はトイワホー国では通用しない。

 トイワホー国の人たちは皆がやさしいので、誰もが広く深い付き合いをすることも可能なのである。そのため、アヤメも色々な人たちと仲良くさせてもらっている。

 その中の一人にはレティアという女の子がいる。アヤメとレティアは同じ女子高に通っていてボランティア部というところに所属していたので、この二人はその頃からの付き合いである。

 現在のレティアは26歳であり、アヤメは29歳である。ということはレティアが高校一年生の時にはアヤメは大学一年生だったことになる。ところが、アヤメは高校を卒業してからもしばらく母校の高校のボランティア部に顔を出していたので、レティアとはその時に面識ができたのである。

「普段のアヤメ先輩ってなにも考えないで生きているんですよね。それって楽だから、アヤメ先輩はいいでしょう?ああ、私もアヤメ先輩のようなバカになりたい。アヤメ先輩は知っていました?実は私の尊敬する人ってアヤメ先輩なんですよ」レティアは悪びれもせずに言った。

今のアヤメとレティアの二人は回転寿司で一緒に食事を取っている。アヤメとレティアはとても仲がいいので、この二人は定期的に一緒に食事を取っている。

「なんか」アヤメは言った。「今の私はむかつくことを言われた気がするんだけどー」

「でも、その後のレティアはいいことを言ってくれていたから、私は許してあげるー。私も反省しているから、私からはなにも言い返せないもんねー」アヤメは声のトーンを落とした。

最近のアヤメは休みの日に自転車に乗っていて70歳のポートレイトという男性にケガをさせてしまったのである。ただし、トイワホー国の人はやさしいし、ポートレイトは大した傷でもなかったので、アヤメは怒られることもなく許してもらえた。アヤメは話を続けた。

「だけど、私は私の王子様から慰めてもらえたから、少しは気が楽になったんだよー」

「っていうか」アヤメは言った。「この話は今さらだけど、レティアはひょっとして私に憧れて『愛の伝道師』になったのー?」アヤメは意外そうにしている。

オフの時にも一緒にいることはあるが、アヤメとレティアはそもそも二人共が『愛の伝道師』だし、この二人は同じ職場で働いているので、顔は普段からよく合わせているのである。

「えー!」レティアはびっくりしている。「私達はこんなに長いつきあいなのにも関わらず、アヤメ先輩は今頃になって気づいたんですか?アヤメ先輩はやっぱり本当になにも考えていないんですね?」レティアはまた毒を吐いている。レティアの毒舌は誰に対しても向けられるものである。

「私はまたむかつくことを言われたんだけどー」アヤメはむすっとしている。

「少なくとも」アヤメはレティアには負けじと言い返した。「私はレティアの二倍くらいは物事を考えて生きているものねー。レティアにはなにか文句はある?」アヤメは堂々としている。

「文句は別にないですけど、先程のアヤメ先輩はまたバカみたいなことをおっしゃっていませんでしたか?アヤメ先輩はもてないし、来年にはアラサーなのにも関わらず、そのアヤメ先輩にはいつの間に恋人ができたんですか?」レティアは容赦なく毒を吐き続けている。

「っていうか」レティアは言った。「アヤメ先輩にはそろそろそのぶりっ子ぽいしゃべり方もできない年齢になってきましたね?」レティアはアヤメの痛いところをついてきた。

「レティアは超むかつくんだけどー」アヤメはまたしてもむすっとしている。

「私はもうレティアの親友でいることを止めちゃおうかなー」アヤメは不服そうにしている。とはいうものの、レティアはいつも生意気な小娘なのである。レティアはアヤメの顔色を窺った。

「すみません」レティアは素直に謝った。「アヤメ先輩はまだまだ若々しいから、しばらくはまだそのしゃべり方で行けると思います。だから、アヤメ先輩は許して下さい。それで?アヤメ先輩の恋人ってどんな人なんですか?」レティアは滅茶苦茶に興味が深々な様子である。

「実のところ」アヤメは言った。その人は恋人じゃなくて私の片想いなんだよねー。しかも、その人とはもう二度と会えないかもしれないしー」アヤメは少しばかり悲しそうである。

「乙女としては叶わぬ恋って本当に切ないよねー?」アヤメは同意を求めた。

「アヤメ先輩は切ないと思うのなら」レティアは言った。「アヤメ先輩はどうして会った時にその人の連絡先を聞いておかないんですか?アヤメ先輩はもう30が近いんだから、先輩はもっとぐいぐいと行っちゃえばいいじゃないですか。アヤメ先輩には失うものはないでしょう?」

「だって」アヤメは反論した。私はその人とお別れしたあとに自分の恋心に気づいたんだから、それはしょうがないでしょー。それに、私にはレティアだってために白馬に乗った王子様が迎えに来てくれるとか言っているけど、私としては小生意気なレティアが夢見る乙女なんて白々しいー」アヤメは逆襲した。

「それはこんなにもかわいらしい女の子を捕まえて言うことですか?まあ、そんなことはどうでもいいですけど」レティアはあくまでも強気である。アヤメは冷ややかな目をレティアに対して向けている。

「ところで」レティアは話題を故意に変えた。その理由は自分にも恋人がいないことを指摘されたからである。「アヤメ先輩はもう新しい仕事には馴染んできたんですか?」レティアは聞いた。

アヤメは確かに最近『仲良しトラベル』のツアー・コンダクターを務めることになったのである。『仲良しトラベル』とはトイワホー国の制度の一つであって三人の知らない人が集まって旅行をしながら謎解きをするミステリー・ツアーのことである。その際は仕事も休めるし、『愛の伝道師』は知らない人とも親睦を深められるので『愛の伝道師』にとってはいいことづくめである。

「まあね。私はけっこう楽しんでお仕事をできているよー。私は割とこの仕事に合っているのかもしれないねー。レティアは心配してくれてありがとう。レティアの方はどうなのー?」アヤメは水を向けた。レティアの方は『お悩みアドバイス』という仕事をしていてこちらもトイワホー国の独自の制度である。レティアは困っている人から来た悩みの手紙の返事を返す仕事をしている。

「私はまじめにやっていますよ。私はがんばってその人の気持ちをよく考えて対応をしています。返事はちゃんと他の人にも読んでもらっていますし、もしも、そこにはダメなところがあったら、私は素直に再考しています。アヤメ先輩も気にかけてくれてありがとうございます」レティアはかわいらしい笑顔を向けた。レティアはアヤメとは違って時々毒を吐くが、根はとてもやさしいのである。だから、アヤメはレティアのことが好きなのである。類は友を呼ぶというやつである。

本当はレティアの方もなんでも受け止めてくれるアヤメのことが大好きなのである。人と人は友達になるに当たって年の差なんていうものは関係ないのである。

ようはいつだって大切なのはスピリットである。トイワホー国の国民はそのことについてはアヤメとレティアだけではなくて皆が十分に承知している。


話は変わるが、アヤメには悩みがある。アヤメは恋と年齢の悩みも抱えているが、この場合はそのどちらでもない。それはアヤメの抱えている三つ目の悩みである。上記のとおり、その悩みとは自転車に乗っていて迂闊に左折をしたら、最近のアヤメは70歳の男性にケガをさせてしまった件である。

とはいっても、被害者のポートレイトのケガは大したものではないし、ポートレイトはすぐに許してくれた上にアヤメの言う王子様がやさしい言葉をかけて心のケアをしてくれたので、少しは今のアヤメも気が落ち着いてきている。被害者のポートレイトはやさしい性格の老人だったのである。

ただし、アヤメはそれで満足をしていない。ようはアヤメもやさしい性格をしているのである。そのため、アヤメは休日を返上でポートレイトのところに行って菓子折りを持ってきたという次第である。

「こんにちは」ポートレイトは言った。「アヤメさんにはわざわざご足労をおかけしてしまってすみません。アヤメさんはじじいなんかと二人になりたくないのなら、私としてはもちろん結構ですが、もし、よろしければ、私はお茶をお入れしますよ」白髪のポートレイトはいつものとおりにとてもやさしい物腰である。トイワホー国には基本的に怖い性格の人はいないものなのである。

「よろしいんですかー?」アヤメは応じた。「それではお言葉に甘えさせてもらっちゃいますー。ああ。それと、こちらはポートレイトさんにケガを負わせてしまったお詫びでーす」アヤメはそう言うと菓子折りを渡してからポートレイトの家のリビングに腰をかけさせてもらうことにした。ポートレイトは菓子折りのお礼を言うとお茶を持ってきてアヤメの前のロー・テーブルに緑茶を差し出した。

「その後」アヤメは言った。「おケガの方はどうなりましたかー?おケガはまだ痛みますかー?」アヤメは聞いた。今日のアヤメはずっとそのことだけを心配してこの場にやって来たのである。

「ああ。大したことはありませんよ。ただ、私はじじいだから、ケガも治りが遅いだけです。私のケガはかといってお医者さんにかかるほどではありません。まあ、あの時はこんなじいさんがあんなところで脚立に乗っていたのが悪いのですから、私は自業自得です」ポートレイトは朗らかな表情をしている。

「全然」アヤメは取り成した。「そんなことはないと思いますよー。私は悪いのはぶつかってきた自分だと思いますー。他には困っていることなんかはありませんかー?」アヤメは気配りをした。

「困り事はないこともないですが、私としては少しばかりそのことをアヤメさんに押しつけるのは気が引けてしまいます」ポートレイトはやさしいが故に困ったような表情を浮かべている。

「ご安心下さい」アヤメは明るい口調で聞いた。「私は『愛の伝道師』ですから、私の場合は仕事として動ける場合もありますよー。しかも、私には私の言うことなら、大抵のことはなんでも聞いてくれるおバカさんもいますしねー。ポートレイトさんはどうなさいますかー?」アヤメは砕けた口調で促した。アヤメは『おバカさん』と言ったが、それはもちろんレティアのことである。

「うーん。アヤメさんは本当におやさしい方ですねえ。それでは一つばかりお頼みさせてもらうことに致します。私には妻も子供もいないので、私は5日ほど前に保健所からけっこう大型の犬を新しい家族として向かい入れたのですが、実はその犬が困ったことにどこかへと行ってしまったのです。アヤメさんにはせっかく座って頂いたのにも関わらず、申し訳ございませんが、アヤメさんはこちらへと来て下さいませんか?」ポートレイトは腰を上げた。アヤメは一切の文句を言うこともなくポートレイトのあとについて行った。アヤメとポートレイトの二人は庭に出ることになった。そこには大きな犬小屋があったが、ポートレイトの言うとおり、犬の姿は確かにどこにもなかった。

「事件はつい先日の話なのですが」ポートレイトは委細を語り出した。「一応は一カ所だけ探し犬の広告を掲示板に貼らせてもらったのです。ですが、今のところは私の愛犬を見たという情報は届いていないのです。私の愛犬はたぶん首輪が小さくて独りでにどこかへと行ってしまったのでしょうが、探す当てはなにかありませんか?これはもはや私だけでは解決できない問題のようなのです。私はもちろん一緒に散歩したコースは三度も見てきましたが、結局はその努力も実りませんでした」ポートレイトはしょんぼりとしている。ポートレイトは新しい家族を迎えた矢先にその家族を失ってしまったからである。

「そうだったんですかー」アヤメは納得の意を表した。「それは心配ですねー。ですが、お話は了解しましたよー。私にはちょうど暇そうな後輩もいるので、私達にもワンちゃん探しのお手伝いをさせて頂いてもよろしいですかー?」アヤメは明るい笑顔を浮かべてとても親切な願い出をしている。

「本当ですか?」ポートレイトは上気している。「アヤメさんにもお手伝いして頂ければ、私としてはそれほどにうれしいことはありません。それではぜひともよろしくお願い致します」ポートレイトはそう言うとぺこりとお辞儀をした。ことわざでは『実るほどに頭の垂れる稲穂かな』と言うが、ポートレイトはそれを地で行っている。その後のアヤメはポートレイトと家に入って探す犬の特徴と大きさを聞いた。アヤメは後日にレティアと一緒に犬探しすることをポートレイトと勝手に約束した。この日のアヤメは少しばかりポートレイトの雑談を聞いてポートレイトの家を辞した。

かつては鋳物工場の仕事一筋で生きていて残念ながら縁もなかったので、ポートレイトは結婚することもなく今まで生きてきた。やがては老後になると、例えば、ポートレイトは旅行をしたり料理を勉強したりして色々と趣味に幅を持たせるようになった。

ところが、ポートレイトは電車やファミリー・レストランなどで仲睦まじい親子の姿を見てなんとなく心寂しくなってきたので、彼は心の拠り所としてハクという犬を自分のファミリーにしようと考えるように至ったのである。という訳なので、ハクは当然のことながらポートレイトにとってはとても大切な存在なのである。ハクとはまだ出会って間もないが、ポートレイトはハクのことを心から愛している。それはハクが自分は一人きりじゃないということを思い出させてくれるからである。


 ハクはどんなにポートレイトにとって大切な存在なのかについてはきちんとアヤメも承知しているので、約束のとおり、アヤメはレティアを捕獲して社員食堂で頼み事があるということを伝えた。

 レティアはなんだかんだいってもアヤメのことは好きなので、アヤメは当然の如く話を聞いてもらえるようになった。ポートレイトからは犬探しをすると宣言してからはそこそこに忙しくてすでに三日が経ってしまったが、アヤメはやはりきっちりと落とし前をつけるつもりである。

 アヤメはレティアを巻き込んでいるあたりはちゃっかりしているが、アヤメとしてはきちんと役目は果たしたいと考え続けていたのである。今のアヤメとレティアの二人は社員食堂で話し合いをしている。

「頼み事ってなんですか?」レティアは聞いた。しょせんはアヤメ先輩のことだから好きな人が二人になっちゃったとか私のようにして男にもてる方法を教えてほしいとかその程度のことだろうとは思っていますけどね」レティアは相も変わらずに上から目線である。

「ちょっとー」アヤメはプンプンしている。「私はこれからまじめな話をしようとしていたのにも関わらず、レティアはいきなりむかつくことを言わないでよねー。レティアはどさくさに紛れて自分がもてるとか言ってうぬぼれているしー」アヤメは容赦なく反撃した。

「へえ。アヤメ先輩はそういうことをおっしゃるんですか。それでは気分を害されたから、私はアヤメ先輩の頼み事なんて聞きたくなくなっちゃいました」レティアは我がままを言っている。

「ふーん。レティアはそういうことを言うんだ。レティアは大学生の時にはいつでも勉強を教えてあげていたけど、それは誰だったかなー?レティアは就活している時に色んなテクニックを伝授してくれた人がいたけど、それは誰だったかなー?」アヤメは少しばかりふてくされている。

「私にはそんな人はいませんよ」レティアはしらを切った。「ああ。アヤメ先輩はまたうそ泣きしようとしている。わかりましたよ。お話はぜひともお聞かせて下さい。スイッチはもうオンにしたので、ここからの私はまじめモードになりますよ」レティアは本気で言った。

そのため、アヤメはポートレイトの探し犬についての話を切々と語り出した。その間は自分でも言っていたとおり、レティアはまじめにアヤメの話を聞いていた。

「なるほど」レティアは話を聞き終えると言った。ようは休日返上でアヤメ先輩の尻ぬぐいをしろという訳ですね。アヤメ先輩一人では確かに犬の一匹を探すのも難しそうですものね、私は別にいいですよ。私はアヤメ先輩のご意向に沿わせてもらいます」レティアはいつものとおりに高飛車である。

「レティーはさすがに私のかわいがっているだけのことはあるねー」アヤメは喜色満面である。「レティアはまたむかつくことを言っていた気がするけど、とりあえず、今回だけはなにも聞かなかったことにしてあげるー」アヤメは心からうれしそうである。実際のところはレティアにしてもアヤメのことを喜ばせることができたので、内心は自分だってうれしいのである。契約は完了したので、ここでは一気に話を先に進めてしまうことにする。アヤメはレティアを引き連れて休日にポートレイトの家に赴いた。ポートレイトは本当にハク探しをしてもらえることになって大喜びしている。

「この子はあんまり使えないかもしれませんが、彼女はレティアでーす。今日は二人で一生懸命に捜索をするので、どうか、よろしくお願い致しまーす」アヤメは口上を述べた。

「私は自分よりも優秀で若いから、アヤメ先輩はひがんでいますけど、ポートじいちゃんは大目に見てあげて下さい」レティアはアヤメに負けないようにと虚勢を張っている。

「っていうか」レティアは問題点をずらした。「普段のポートじいちゃんはなにをして過ごされていらっしゃるんですか?」レティアは聞いた。この問いは単なるレティアの個人的な興味である。

「ちょっとー!」アヤメは割って入った。ポートレイトさんとは初対面なのにも関わらず、じいちゃんは失礼すぎるでしょー。この子はしょっちゅう毒舌を吐きますけど、ほとんどの場合のターゲットは私なので、ポートレイトさんはご安心下さいねー」アヤメはフォローした。

「ええ。わかりました。アヤメさんは相も変わらずに今日もやさしいですねえ。ですが、私は別にじいちゃんでも構いませんよ。レティアさんも私の暮らしを気にかけて下さるのですから、私はレティアさんのこともとてもやさしい方だとお見受けしました。それでは質問にお答えしましょう。今日は事前にアヤメさんから連絡を頂いていたので、一応はお休みをしましたが、普段の私はデイ・ケアに通わせてもらっています」ポートレイトは言った。レティアは納得の意を表した。

その後はアヤメとレティアのためにケーキを用意していたので、ポートレイトはそれを食べてから捜索に挑むように勧めたが、アヤメは仕事をなにもしていないのにも関わらず、いきなりは報酬を貰えないと言ってレティアを残して一足先にハク探しの旅へと出て行った。

「アヤメ先輩は『レティアは図々しいやつー!』って言って出て行きましたけど、私ってそんなに図々しいですか?普通は出されたものを受け取るのが理に適っていると思いますけどね。ああ。そんなことよりも、ポートじいちゃんはちゃんとハクがいなくなったことを警察の方にもお話をされましたか?」レティアはショート・ケーキを頬張りながらもポートレイトの家ですっかりと寛いでいる。

「ええ。とはいっても、それはアヤメさんの助言があったからこそですがね。アヤメさんは本当にしっかりとした方ですね。それはレティアさんも同じだとお見受けしました。今日はレティアさんがいらっしゃってくれただけでも、私は本当にうれしいです」ポートレイトは知り合いが増えてうれしいのである。

「そうですか?」レティアは好意的に応じた。「それなら、私もうれしいです。アヤメ先輩にはどうせハクなんて見つけられないでしょうですから、ハクは私が必ず探し出してきますので、ポートじいちゃんは楽しみに待っていて下さい」レティアはそう言うとケーキを食べさせてくれたお礼を言ってハクを探すために出発進行した。ポートレイトはそのレティアの姿を微笑ましく見送った。

「私は絶対にアヤメ先輩よりも先に見つけてやる!私はどんな些細な手掛かりも見逃さずに聞き込みもアヤメ先輩の二倍以上はやってやる!ああ。私ってなんて健気なんだろう?」レティアは歩きながらもでかい口を一人でしゃべっている。結局のところ、アヤメとレティアのハク探しは本当にレティアが勝利を収めてしまうことになった。レティアは白い犬を連れて出発から二時間ほど後にポートレイトの家に戻って来た。アヤメはレティアによって得意げに電話で呼び出されてポートレイトの家に戻って来た。

「すごーい!」アヤメは感心している。「実はレティアってすごい人だったんだねー。レティアは『愛の伝道師』を止めて探偵になった方がいいんじゃないのー?」アヤメは歓喜の声を浴びせかけた。

「私はやさしいから『愛の伝道師』の方が向いていると思いますけどね」レティアは反論した。

「っていうか」レティアは二の句を継いだ。「ようはアヤメ先輩がしょぼすぎるから、最終的にはこういう結果に終わったんじゃないですか?アヤメ先輩は二時間半もなにをしていらっしゃったんですか?アヤメ先輩はハク探しを止めて男探しでもしていたんですか?アヤメ先輩はやりかねないですものね?」

「レティアは超むかつくんだけどー」アヤメはむすっとしている。「私はせっかく褒めてあげたのにも関わらず、レティアにはかわいげというものが全くないんだねー。ああ。すみませーん。こちらの犬は本当にハクで合っていますかー?」アヤメはポートレイトへの配慮を忘れなかった。

『こちらの犬』とはもちろんレティアが連れてきた白い犬のことである。現在のところ、アヤメとレティアとポートレイトの三人はポートレイトの家の庭で集合している。

「ええ。間違いはありません。私はちゃんと首輪も一周り小さいものを買っておいたので、ハクにはもう脱走されてしまうこともないと思います。アヤメさんとレティアさんは本当にどうもありがとうございます。レティアさんはどちらでハクを見つけられたのですか?」ポートレイトは疑問を口にした。

「実は聞き込みを続けていた結果としてこちらから15分くらい行ったところにしばらく前からおばあちゃんが野良犬をかわいがっているという話を聞いたので、私は行ってみたら、そちらにはまさしくハクがいたんです。アヤメ先輩よりも仕事のできる私にかかれば、結果はざっとこんなものですよ。そのおばあちゃんはドッグ・フードを買ってハクのことを育ててくれていたみたいでハクのこともかわいがっていらっしゃったみたいですが、私は事情を話しすと飼い主の元へ連れて行ってほしいと泣く泣くおっしゃっていました。それなら『おばあちゃんは保健所からポートじいちゃんみたいに犬をもらったら、どうですか?』って申し上げておいたので、そのおばあちゃんはもしかしたら私の言うとおりにして下さるかもしれません」レティアは得意げにして流暢にしゃべっている。レティアは件のおばあちゃんのために自分が『愛の伝道師』であることを伝えて犬の受け取り方法がわからなかったら、その時は自分のところに連絡をしてほしいと言って一応は自分の名刺を渡しておいたのである。いつもはアヤメに対して毒舌なレティアだが、あれはじゃれているだけであって本当のレティアはきちんと心配りのできる女性なのである。

「レティアさんは色々とありがとうございます。よし!よし!ハクはもう脱走しないでおくれよ。私はちゃんとごちそうも用意してきたんだからな」ポートレイトはハクの頭を撫でながらも言った。ここではすでにお役ごめんとなったので、アヤメとレティアはそれぞれの家に帰ることになった。

結局のところは二つあったケーキはレティアが食べた。アヤメは自分の分も食べていいと自分の分まで活躍をしてくれたレティアに対して許可を与えたのである。

「今日のレティアは大活躍だったねー!」アヤメは最寄り駅までに行く途中で一緒に歩いているレティアに対して話を切り出した。アヤメはポートレイトの家の最寄り駅に自転車を止めてあるが、レティアはその駅の一つ隣の駅からポートレイトの家に来ていたのである。

本来は自分の家からポートレイトの家に直行した方が早いのだが、アヤメはレティアをポートレイトの家まで案内するためにご親切にもレティアを迎えに行ってあげていたのである。

「そうですよね」レティアは肯定した。「っていうか、私には合同捜査の意味があったのかすらもよくわかりませんけど」レティアはさりげなく先輩のアヤメのことをなじっている。

「私にはアヤメ先輩に貸しができた訳ですから、アヤメ先輩はきちんと恩返しをして下さいよ。アヤメ先輩はすっとぼけるようなら、その際は人間性を疑われますからね」レティアはアヤメに対して鋭い目を向けた。レティアはどこまで行っても太々しい態度を貫きとおしている。

「えー?どういうことー?」アヤメは不思議そうにしている。「私はレティアの面倒を見てきたっていう恩があるから、レティアはハクを見つけてくれてこれでお互いに貸し借りはなしでしょー?」

「アヤメ先輩は甘いですね。私はハクを探すというアクションは恩返しですが、今日はハクを見つけたのですから、それは貸しです。アヤメ先輩にはそんなこともわからないなんてもう年ですね」レティアは相も変わらずに憎まれ口を叩いている。とはいっても、アヤメは全く動じることなく応じた。

「今は20代だから、私はまだ年じゃないー。私はギリギリだけどー!」

「っていうか」アヤメは言った。「その屁理屈はなんなの?レティアは超むかつくんだけど、私はこんなのが恩人なんてもう本当に最悪のど真ん中だしー!」アヤメは嘆いている。

「それでは決めました。アヤメ先輩はこれから大きいパフェのあるお店を探してそれを私におごって下さい。そうすれば、貸し借りはなしにしてあげてもいいですよ」レティアは提案をした。

「仕方ないなー」アヤメは簡単に折れた。「それじゃあ、それくらいはおごってあげてもいいよー。レティアにはたくさん甘いものを食べさせて太らせてやるー!レティアはさっきもバクバクとケーキをポートレイトさんから貰って食べまくっていたしー!」アヤメはせめてもの抵抗をした。なにしろ、アヤメはやさしい性格をしているからである。一方のレティアはなんとかしてアヤメとの契約をそこまで締結できたので、レティアはレティアで大喜びである。アヤメは実際問題としては背が高くてスタイルがいいし、レティアの方はアヤメほどではないが、背は女性にしてはそれなりに高いし、レティアはとても太っているとは言い難いのである。アヤメとレティアはなんだかんだ言っても仲がいいので、二人は楽しい会食をしてから、この日は二人共が笑顔を浮かべてそれぞれの家に帰って行った。

しかし、事態はこれで全てが丸く収まってハッピー・エンドかと思ったら、それは大間違いである。アヤメとレティアの一回目のハク探しは成功に終わったが、あれはこれから起きる問題の序章に過ぎないのである。この日のアヤメはそんなことになるとは露ほども知らずにぐっすりと眠りに就いた。


 アヤメは『愛の伝道師』として現在『仲良しトラベル』のツアー・コンダクターをしているが、その仕事はなにも勤務のある時に毎日している訳ではない。アヤメはようするに他の仕事も行っている。

 アヤメの仕事場からは電車で二つ隣の駅まで行ったところにマドリードという55歳にして大金持ちの男性がいる。そのマドリードという男性はかなりの口下手なので、マドリードには友達が少なく『愛の伝道師』であるアヤメに一週間に一回くらいの頻度で話し相手になってもらっている。

 マドリードはすごい強運の持ち主である。マドリードはどうして大金持ちなのかというとなんの気なしに買った宝くじが当たって一気に三億パンダがマドリードのところへと転がり込んできたのである。マドリードはこうして大金持ちになった訳である。

ところが、マドリードは仕事をやめることなく働いて去年に現役を引退したばかりなのである。マドリードには大金持ちになったからといって特に女性がやってくることは皆無だったが、昔はそんなマドリードも結婚をしていた。その詳細はあとでわかるようになってくる。今日のアヤメはとにかくマドリードの家を訪問してマドリードの話し相手になってあげることが仕事である。

「アヤメちゃんはいつもありがとうね。本当はこんなオヤジの話し相手なんかしたくないだろうけど、ぼくはとても助かっているよ。ぼくはこの間も数少ない知人に手紙を出したのだけど、交友関係はやっぱり文通と対面して話をするのでは全く違うものだよね?」マドリードは同意を求めた。

「そうですねー」アヤメは軽い乗りで応じた。「人間はなんだかんだ言っても一人ぼっちでは生きていけませんものねー。私はマドリードさんの話し相手をさせてもらっていても苦なんかではありませんよー。マドリードさんはむしろ仕事を私に下さっているのですから、私としてはありがたいですよー。『愛の伝道師』はどんどんとこき使っちゃって下さいねー。それよりも、今日はいいお天気ですねー。人はやっぱりいいお日和だと元気になれますねー」アヤメは明るい笑顔を浮かべている。

「うん。そのとおりだね。今日はその上にアヤメちゃんも来てくれたから、ぼくはうれしいよ。ぼくは天涯孤独だから、ぼくの人との繋がりは唯一アヤメちゃんだけだからね」マドリードは言った。

「そんなことはないですよー」アヤメはやんわりと諭した。「マドリードさんは先程も文通をされているお友達がいるっておっしゃっていたじゃないですかー。マドリードさんは気づかないだけでどこかで誰かしらはマドリードさんのことを思っていらっしゃる方だっているかもしれませんよー。この世には誰とも繋がりのない人なんて存在するはずがないですからねー。マドリードさんはやさしい方だから、私はきっとそうだと思いますよー。天国の奥さまもマドリードさんのことを見守ってくれているはずですしねー」

「そういうものかな?」マドリードは恥ずかしげである。マドリードは口下手なので、アヤメにはいつも言いくるめられてしまうのである。話のとおり、かつてはマドリードにも妻がいたのだが、その妻は結婚して三カ月も経たない内に心筋梗塞だったことが健康診断でわかって重症だったために若くして命を落としてしまったのである。マドリードは31歳の時にお金持ちになった。

マドリードは30歳の時に愛妻を亡くしているので、マドリードの妻はお金目当てではなくて本当にマドリードを愛して結婚をしていたのである。マドリードはそのことについて感謝をしている。

「マドリードさんは家族の全員を亡くされていますが、お父さまとお母さまはどうして亡くなられてしまったんですかー?マドリードさんは今までの話からすると児童養護施設で育ったということですので、まさか、お父さまとお母さまは老衰という訳ではないですよねー?私は少しマドリードさんのプライベートに立ち入りすぎてしまっていますかー?」アヤメはきちんとした心配りを忘れなかった。

「いやいや」マドリードは取り成した。「そんなことはないよ。ぼくにはあんまりそういう話を聞いてくれる人はいなかったから、ぼくはむしろお話を聞いていてもらえるなら、それはそれでうれしいよ。ぼくの父はキャリアの警察官だったんだけどね。父は確かぼくが小学校の三年生の時に車で移動中にケンカを見つけてその仲裁に入った際に角材で頭を殴られて殉職してしまったんだよ。犯人は精神病の患者だったから、同情の余地はあるけど、当時のぼくにはとても大きなショックだったよ。ぼくは家族を失ってしまった訳だからね。母は学童の先生をしていたんだけど、母は母でぼくを生んだ時に命を失ってしまっていたからね。アヤメちゃんには申し訳ないね。ぼくは暗い話をしてしまったよ」マドリードは当時の気持ちを思い出しながらもアヤメを気遣った。マドリードはやはり『愛の国』の国民である。

「いいえー」アヤメは言った。「マドリードさんの境遇はやっぱり大変なものだったんですねー。それなのにも関わらず、マドリードさんは立派に生きてこんなにもやさしくてすばらしいと思いますよー。マドリードさんの場合は宝くじが当たっても運と不運のバランスが釣り合っていないかもしれませんねー」

「アヤメちゃんは同情してくれてありがとう。それは確かにそうかもしれないね。だけど、ぼくはこんなぼくでもなにかの役に立ちたくて自分を育ててくれた児童養護施設に財産の多くを寄付したんだよ。実は今でもその時の一番に偉かった人とは親交があるんだよ。ぼくはさっき文通をしている相手がいると言ったけれど、それというのはその人のことを言っていたんだよ」マドリードは穏やかに言った。

「すごーい」アヤメは応じた。「それはすてきなお話ですねー。私はとってもいいお話を聞かせて頂いたので、私も見習えるところは見習おうと思いましたー」アヤメは相も変わらずに明るい口調である。

「それはとても光栄だね。そうだ。アヤメちゃんにはずっとぼくの話ばっかりを聞いてもらっていると申し訳ないから、今度はアヤメちゃんのお話を聞かせてくれないかな。それはちょっと厚かましかったかな?」マドリードはややはにかんでいる。マドリードは遠慮がちな性格をしているからである。

「いいえー」アヤメは言った。「ですが『愛の伝道師』は訪問先の方のお話を聞くのがお仕事なのにも関わらず、私はマドリードさんのお心遣いには感謝しますよー。ありがとうございますー」アヤメはそう言うと自転車で男性に軽傷を負わせてそのお詫びに犬探しをしたという話を披露した。

「そうだったんだね。アヤメちゃんは大変だったんだね。セリフとしては月並みだけど、失敗は誰でもするものだからね。それに、アヤメちゃんは犬も見つけたことだし、ことは終わりよければ、全てはよしだよ。そう言えば、ぼくも昔は犬を飼っていたことがあったんだけど、最後は悲しいお別れをすることになって」マドリードは言葉を止めた。その理由は家のチャイムが鳴ったからである。マドリードはアヤメに対して断りを入れると玄関の方へと向かった。マドリードは再びアヤメのいるところに戻って来た。

「どうやら」マドリードは腰を下ろしながら言った。「これは誕生日の贈り物みたいだね。中身はなにかな?」マドリードはそう言うと書留の封筒の封を開き始めた。

アヤメはなにが入っているかを知っていたが、それはすぐにわかることなので、今回はあえて黙っておいた。マドリードには誰から贈り物が届いたのかというと『愛の伝道師』からである。トイワホー国では国民が誕生日の月になると『愛の伝道師』から贈り物が届くのである。

 その贈り物は大抵がギフト券であって今回のマドリードに届いたものは500パンダのギフト券だった。券は二枚も入っていて一枚は自分のものとしてもう一枚は誰かに幸せのお裾分けとしてプレゼントをするというのがトイワホー国の習わしになっている。マドリードはギフト券を取り出した。

「そうでしたねー」アヤメは合いの手を入れた。「マドリードさんは今月で55歳になられたんでしたねー。おめでとうございますー。ですが、マドリードさんは年齢よりも若々しく見えますねー」

「そうかなあ?」マドリードは恥ずかしそうにしている。「でも、ありがとう。それにしても。アヤメちゃんはどうせぼくのところに来てくれるのだったら、ぼくにはアヤメちゃんが直接にギフト券を渡してくれた方が効率的なんじゃないかな?」マドリードは正論を述べた。とはいっても、マドリードには別にアヤメを咎めている訳ではない。それくらいのことはアヤメにも察することはできている。

「そうですよねー」アヤメは応じた。「部署は違うとはいっても、私達は連携が取れていませんねー。どうもすみませーん」アヤメは軽い調子で謝罪の言葉を述べた。アヤメはいつものようにして軽い調子なのかというと、その理由はマドリードが怒っていないことを知っているからである。

「いやいや」マドリードは慌てた。「今のことはアヤメちゃんが気にすることではないよ。『愛の伝道師』にも『愛の伝道師』の都合というものはあるよね、ぼくは口下手だからね。今は申し訳ないことを言ってしまったよ。ごめんね」マドリードは謝った。マドリードは少しばかり神経過敏なのである。

「いいえー」アヤメは明るく応じた。「どうか、マドリードさんは謝らないで下さいねー。マドリードさんのご意見はご最もですので、そのことは私も上司に具申させて頂きますねー」アヤメはそう言うとにっこりとした。その後のアヤメは10分ほどの雑談をしてマドリードの家を出て本来の仕事場へと戻って行った。マドリードは満足していたので、アヤメは同じく大満足である。アヤメはやさしいのである。

 しかし、人生には往々にして波がある。後日の話である。アヤメはたまたまポートレイトの家の前を通りかかった際に庭仕事をしていたポートレイトに対して挨拶だけしようとした。

ところが、それだけではすまないことになってしまった。人生には苦あれば楽ありというとおり、これからのアヤメはまたもや厄介事に巻き込まれて半ば自分から首を突っ込むことになる。アヤメはそういう時のお供には必ずと言っていいほどにレティアにも首をつっこませるのが日常茶飯事である。

ポートレイトはこちらに来てほしいと言ってきたので、アヤメは遠慮なくポートレイトの家の庭に入れてもらうことになった。ポートレイトは少しばかり難しい顔をしていたので、アヤメはなにかの事件があったのかなとは思っていたが、覚悟はしていてもびっくり仰天してしまった。アヤメはそこで想定外の不可思議な光景を目にすることになったのである。ポートレイトは暗い表情のままである。

「ハクはどうしたのですかー?」アヤメは聞いた。「ハクはもしかしてせっかく帰ってきたのにも関わらず、ハクはもう死んでしまったのですかー?」アヤメは犬小屋にハクがいないのを見て当然の疑問を口にした。できれば、ハクにはアヤメとしても長生きをしてらいたかったのである。

「いやいや」ポートレイトは否定した。「死体はないから、ハクは死んではいないと思います。ただ、ハクはまたもや脱走してしまったみたいなのです。首輪は一周り小さいものにしたはずなのにも関わらず、これはおかしいですよねえ?どういうことなのでしょうか?一体」ポートレイトは疑問を投げかけた。

「私は一番に簡単な答えはそれでもまだ首輪の大きさが大きかったという可能性が高いと思いますが、その可能性はたぶんかなり低いですよねー。だとすると、ポートレイトさんのお庭には誰かが侵入してハクの首輪を外してしまってどこかへと連れて行ってしまったという可能性も捨てきれませんが、もしも、そうなら、それはなんのためになんでしょうねー?一体」アヤメは試行錯誤をしている。

「ええ。そうですねえ。謎は深まるばかりです。しかし、私は本当にどうもすみません。アヤメさんとレティアさんにはせっかくハク探しをして頂いたのにも関わらず、私はそれをフイにしてしまいました」

「いいえー」アヤメは元気よく言った。「そのことなら、ポートレイトさんはお気になさらなくても結構ですよー。ことわざでは『毒を食らわば皿までも』と言いますものねー。私はまたレティアと一緒にハク探しをしてみますよー」アヤメは最上級のやさしさを込めて発言をしている。

「本当ですか?」ポートレイトは驚いている。「アヤメさんはなんとおやさしい方でしょう。レティアさんはこの話をお聞きになって機嫌を損ねるようなことにならないでしょうか?」

「ああ。その心配はいりませんよー。レティアは生意気ですが、性格は単純なので、あの子はもので釣れば、今回も私の意のままに動きますからねー」アヤメは完全に楽観視をしている。

「ははは」ポートレイトは少しリラックスした様子である。「アヤメさんはユーモアをお持ちですね。それではわかりました。私としては大変に恐縮ですが、アヤメさんとレティアさんにはまたハク探しをよろしくお願い致します。そうだ。実は一つだけ気になる点もあったのでした」ポートレイトはそう言うとある不可解な事実を話した。さすがのアヤメもすぐにその謎の答えを出すことは叶わなかったが、アヤメは家に帰っても考えてみるということを約してポートレイトの家を辞去した。


翌日である。アヤメはもう一度だけレティアとハクの合同捜査をするために仕事の昼休みに社員食堂にレティアを連れてきて交渉をすることにした。予想のとおり、レティアは生意気だった。

「ふーん。ハクはまたいなくなっちゃったなんてポートじいちゃんはかなりのトラブル・メーカーなんですね。まあ、ハクはその内に見つかるんじゃないですか?」レティアは投げやりである。

「ちょっとー」アヤメは咎めた。「レティアはちゃんと話を聞いていたのー?レティアにはまた私と一緒にハクを探そうって言ったんだよー」アヤメは言い方こそ軽い調子ながらも懇願をしている。

「お言葉ですが」レティアは反論してきた。アヤメ先輩には貸し借りがゼロになったから、私にはそんな面倒くさいことをやらなければならないという義務はありません。ああ!もう!」

「やればいいんでしょう?」アヤメ先輩には私しか友達がいないんだから、アヤメ先輩はもっと私のことを労わって下さいよ」レティアは渋々といった感じである。

レティアはどうして急に態度を軟化させたのかというと、アヤメはレティアによって突き放されて涙目になっていたからである。ただし、これはうそ泣きというやつである。

 レティアは意外と人の涙に弱いというところがあるということを知っているアヤメはそのようにしてレティアを手玉に取って見せたのである。しかも、アヤメにはレティアしか友達がいないというのも嘘である。レティアは相も変わらずに毒舌を吐いているだけである。

「アヤメ先輩は帰ってきたハクがポートじいちゃんに懐いていなかった理由になんらかの答えを見つけ出せたんですか?」レティアは上から目線である。レティアはふてぶてしい。実はポートレイトの言っていた不可解な事実とはポートレイトに対して帰ってきたハクが威圧的だったということなのである。

「えー?」アヤメは応じた。「一応は色々と考えてみたけど、ポートレイトさんはやっぱり犬を育てるのには不慣れだから、私は失礼だけど、ポートレイトさんはもしかするとなにかハクに対して気に触るようなことをされたんじゃないかなあなんて私は思ったよー。ああ。レティアは私が言ったことをポートレイトさんに言っちゃだめだからねー」アヤメはポートレイトのことを気遣って当然のことを口にした。

「そんなことはアヤメ先輩に言われなくても言いませんよ。それにしても、アヤメ先輩は動物レベルの知能しかお持ちではないみたいですね。アヤメ先輩はこんな簡単なことにも気づかないなんてもうボケてきていませんか?私はすでにその答えに辿り着いていますし、ハクはどうしているかも手に取るようにわかりますよ」レティアは堂々としている。もっとも、それはいつものことである。

「レティアは超むかつくことを言ったよねー。レティアとはもう絶交しちゃおうかなー。でも、レティアはそこまでの啖呵を切ったのなら、今度も絶対にハクを見つけ出してよねー」アヤメは高圧的に出た。

「それは別にいいですよ。その代り」レティアはすでにハクを見つけ出したかのようにして自信満々である。「アヤメ先輩にはまた一番に高いパフェをおごってもらいますから、それはちゃんと覚悟しておいて下さいよ」レティアは妙に自信満々である。レティアはもので釣られるとは相も変わらずにちょろいものだと思いながらも、とりあえず、アヤメは適当にレティアのことをあしらっておくことにした。


次の日曜日である。アヤメはレティアと一緒にポートレイトのところへ行ってポートレイトからチーズ・ケーキをごちそうになった。アヤメとレティアの二人は食事を終わるとハク探しの旅に出た。

ただし、アヤメとレティアは前回と同様にして別行動を取ることにした。まず、アヤメは掲示板に迷い犬の張り紙をして当てもなくそこらへんを歩き回ることにした。その際にはあそこまでレティアによってバカにされた以上は絶対にこの勝負に負ける訳にはいかないので、アヤメは入念に聞き込みをすることも忘れなかった。アヤメにはすると公園の砂場で遊んでいた小学生の女の子たちが有益な情報を提供してくれることになった。女の子たちの話では白くて大きい犬は隣の大きな公園を根城にしているというのである。アヤメは女の子たちに対してお礼を言うと早速に現地に赴くことにした。

奇跡はすると起きた。アヤメは10分ほど公園を歩き回っているとハクらしき犬を発見することに成功したのである。アヤメはポートレイトの匂いのついた洋服を嗅がせてハクに首輪をつけてポートレイトの家までハクを連れて帰ることにした。これなら、アヤメはさすがの生意気なレティアでもぐうの音も出ないだろうと思っていたが、実際にはポートレイトの家に帰るとぐうの音も出ないのは自分の方だったということに気がついた。なぜなら、レティアの方もワンダフルなことにもすでに白くて大きいアイヌ犬を連れて帰ってきていたのである。レティアはアヤメと同じく大いに驚いている。

「えー!」レティアは抗議した。「アヤメ先輩はなにをされているんですか?アヤメ先輩はいくら私に負けるのが嫌だからって保健所からハクと同じような犬を連れてきたら、それは反則ですよ」

「私はそんなことはしていないもーん。私にはそんな腹黒い考えなんて思いつきもしなかったしー」アヤメは身の潔白を主張した。ポートレイトは庭で立ち尽くしている。

「レティアはそういうことを言うっていうことは実を言うとレティアの方がその作戦を使ったんでしょー」アヤメは糾弾した。レティアはそれに対して白眼視で応じた。

「あの」ポートレイトはアヤメとレティアの言い合いの仲裁に入った。「私は話を割ってしまって申し訳ありませんが、本物のハクはどちらかを確認させて頂けませんか?」

ポートレイトはその上で大きさや懐き具合から推測してアヤメが連れてきた方が本物のハクであるということを明らかにした。レティアは呆然としている。

「ほらー」アヤメは言った。「レティアは保健所から似たような犬を連れてきちゃだめでしょー。レティアはちゃんと反省して元の場所に帰してこないと、私はおいしいパフェをおごってあげないよー」

「アヤメ先輩は私の話をお聞きになられていなかったんですか?私はポートじいちゃんにハクが懐いていない理由もどこにいるのかもわかっているって申し上げましたよね?それでは答えをお教えしましょう。ハクもどきは私が最初に見つけたおばさんの家にいたんです。そのおばさんはポートじいちゃんよりもエサを出すから、ハクもどきはポートじいちゃんには懐かなかったんです。このハクもどきは贅沢なんですね。それこそは全てです」レティアは全く臆することなく淡々と理屈をこねて見せた。

「ええと」ポートレイトは口を挟んだ。「ようは話をまとめるとこういうことですか?ハクは首輪が大きすぎたせいで脱走した。今までは公園で寝起きをしていた。それとは別にハクに似たこちらのハクよりも少し小さめのワンちゃんは元からレティアさんの言うところのおばさんの家でエサをもらっていた野良犬だったという訳ですか?レティアさんはご親切にその女性がエサをやっていたハクと同じ犬種の犬を二度も連れてきてしまったという訳ですね?」ポートレイトは一応の確認を取った。

「そういうことです」レティアは大きく頷いた。「つまり、私は潔白です。アヤメ先輩はこんな純真無垢な女の子を捕まえておいてよくあんなことが言えたものですね。ハクはポートじいちゃんの匂いを嗅いでアヤメ先輩のあとをついてきましたけど、どこぞの犬はエサと私の美貌につられてきたんですから、少なくとも、ハクはどこぞの犬よりもバカ犬ではないっていうことがわかってよかったですね」レティアは図々しくも勝手に縁側に座って足を組みながらでかい口を叩いている。

「すみませんねー」アヤメは謝った。「レティアはおつむが悪くて未だに知能レベルが小学生以下なんですー。レティアは口が悪いのもそのせいなので、ポートレイトさんは気にしないで下さいねー」

「ええと」ポートレイトは戸惑っている。「アヤメさんはとにかく私に気を使って下さってありがとうございます。ですが、レティアさんは素直なだけだと思いますので、私は大丈夫ですよ。それよりも、こちらのハクではない方の大型犬はどうしましょうか?」ポートレイトはのんびりとした口調で相談を持ちかけた。ポートレイトはあくまでも穏やかな性格をしているのである。

「この場合は保健所に連絡して引き取ってもらうのが順当ですね。この犬にはエサをやっていたおばさんも自分で飼う気はさらさらなかったみたいですからね。おばさんは見かけたら、一応はエサをやる。おばさんとこの犬との関係はそれくらいないものだったみたいですからね。手続きは私達の方がやっておきますので、ポートじいちゃんはご安心下さい。さあ。アヤメ先輩は仕事ですよ」レティアはなぜかこの場を仕切っている。しかしながら、ポートレイトはレティアのことを頼りにしている。

「レティアは偉そうなことを言っている割には全くの役立たずだよねー」アヤメは言った。「もっとも、それはいつものことだから、私は別にいいんだけどー」アヤメはすでに達観している。

「だって」レティアは言った。「私はもう疲れちゃったんだもーん」レティアはねこ撫で声を出した。アヤメはレティアのかわい子ぶりっ子に呆れながらも早速に保健所へと連絡を入れた。アヤメとレティアによるハク探しもこれにて閉幕である。つまり、ハクはもう脱走することもなくちゃんとポートレイトに懐いてくれたという訳である。ただし、アヤメとレティアは少しばかり揉めることになった。

アヤメはお礼としてまたもやレティアへの恩返しとしてパフェをおごったのだが、レティアはその店で一番に高いパフェを二つ頼んで平らげてしまった。レティアはその上で過重労働をしいられたので、双方の料金はアヤメが払うようにとレティアはアヤメに対して言ったので、それはさすがのアヤメもやりすぎだと反論したが、結局のところ、もしも、アヤメにはお金を払う気がないなら、自分は先に店を出るとレティアが言い出したので、アヤメはやむを得ずにレティアの食費を出してやることにした。

これはいじめではなくてレティアは自分に対して甘えているのだとわかっているので、アヤメはお金を出したのだし、レティアの気持ちはまさしくそのとおりなのである。


 その後のアヤメとレティアは少しの間だけ変わりばえのない日常を過ごすことになった。無論『少しの間』ということはアヤメには連続で驚くべきことが起こったということである。最初のニュースはアヤメがマドリードの家を訪問した時に起きた。ここでは誰も予想していなかった驚愕の事実が明かされることになった。それはハク探しについてマドリードに対してアヤメが一部始終を話している時に起こった。これはアヤメにとってだけではなくてマドリードにとっても驚きの結末である。

「そうかー」マドリードは嘆息した。「アヤメちゃんは大変だったんだね。でも、アヤメちゃんはしっかりと見つけ出したという点ではさすがだね」マドリードはアヤメのことを手放しで褒めている。

「えー」アヤメは言った。「そんなことはないですよー。あの時はたまたま運がよかっただけですよー。そう言えば、昔はマドリードさんも犬を飼われていたんですよねー。マドリードさんはやっぱりペットが死んでしまうのはかわいそうだから、マドリードさんはもう犬を飼うのを止めちゃったんですかー?」アヤメは何気なく話をずらした。これはアヤメなりの照れ隠しである。

「そう言えば」マドリードは言った。「そのことはまだアヤメちゃんにも話していなかったね。ぼくの飼っていたホワイトという子犬は庭から脱走してそのまま帰ってこられなくなっちゃったんだよ。ぼくは40度の熱を出してしばらく散歩に連れて行ってあげられなかった時があってね。ホワイトはきっと散歩がしたくてうずうずしていたんだろうね。だから、ぼくには犬を飼う資格なんてないんだよ」

「そんなことはないと思いますよー」アヤメは取り成した。「人は誰だって体調の悪い時には犬の散歩に行けなくなることはありますものねー。でも、マドリードさんの飼われていた犬はもしかするとレティアの見つけてきた犬と同じかもしれませんよー。ホワイトはマドリードさんが飼われていた当時には子犬だったんですよねー?今はそれが大きくなっていたとしてもおかしくないですよねー?名前はホワイトというくらいですから、色はもちろん白色をしていたんですよねー」アヤメは一応の確認をした。

「うん。そのとおりだよ。アヤメちゃんは頭がいいね。ぼくもその可能性はあると思うから、ぼくはその犬に会うことはできるかな?」マドリードはうれしそうにしている。

「はい」アヤメは応じた。「それはできますよー。私はきちんとそのように手配させて頂きますねー。あの犬はホワイトだといいですねー。年月は経ていますが、マドリードさんとホワイトのどちらかは元々の主人とペットだったとおわかりになる可能性はありますかー?」アヤメは疑問を呈した。

「ぼくにはあまり見ただけでは自信はないけど、ぼくはホワイトの左足にアンクレットをつけていたんだよ。ぼくはそのアンクレットにホワイトという名前を白いネーム・ペンで書いておいたんだ。でも、ホワイトは今や大型犬になっているから、アンクレットはついていないだろうね」マドリードは言った。

「はい」アヤメは頷いた。「それは間違いないですよー。仮に、レティアの見つけてきた犬はマドリードさんのホワイトだったとしても、あの犬の足には装飾はしていませんでしたからねー。でも、やれることは全てやりますので、マドリードさんはご安心下さいねー」アヤメは軽い口調で言った。

「どうもありがとう」マドリードはお礼を言った。「アヤメちゃんには色々な気配りもできるし、アヤメちゃんは本当にやさしいね」マドリードはとてもうれしそうな顔をしている。アヤメはそれを見て同様に笑顔になった。その後はマドリードからアヤメに対して大事な話があると言われたので、アヤメは静粛な態度で聞いていたが、それはホワイトの話よりも本当に驚くべき話だった。

アヤメはその話を聞いて暗い表情のままマドリードの家を辞することになった。この話はもはやアヤメが『愛の伝道師』を止めるか否かの瀬戸際にまで追い込むものだったので、アヤメは近い内にレティアに相談をしようと決心した。アヤメはなんだかんだ言っても困った時にはレティアに相談をするほどに年下のレティアのことを信用しているのである。レティアは確かに口が悪い時があるとはいっても、本当はやさしくて人間味のある女の子なのである。それはハク探しにぶうぶうと言いながらもちゃんとアヤメの言うとおりにしてくれていたことからもわかる。だから、アヤメはレティアを憎めないのである。


 後日の話である。アヤメはまたもやランチ・タイムをレティアと過ごすことになった際に相談事をすることにした。しかし、アヤメはその前にハクがポートレイトに懐いてもう脱走の心配はなさそうだという話をした。レティアはそれを受けると心から喜びを感じた。レティアは仕事の話に移ると仕事の愚痴をしゃべっていたので、アヤメはそれを素直に聞くと、自分はお金持ちのマドリードのことを話した。 

話は少し変わってしまうが、レティアの見つけた犬はやはり本当にマドリードのホワイトであることが判明した。これは誰しもが予想していなかった偶然の一致アグリーメントである。

ホワイトは保健所から脱走して大きくなると野良犬時代にアンクレットを誰かによって取られてしまっていたのだが、そのホワイトは驚くべきことにもマドリードのことを覚えていた。

これこそは『犬は変われた恩を忘れない』という奇跡である。マドリードは飼っていた頃によく与えていたドッグ・フードをやると、ホワイトは忠実にマドリードの歩くあとについてきたので、保健所の職員はその犬がホワイトでほぼ間違いないと推定することができたのである。その時は人間味のあるマドリードが涙を流したくらいである。マドリードはよっぽどうれしかったのである。

 アヤメの本題はここからようやく始まることになる。ただし、アヤメはレティアにまでも影響を及ぼさないために配慮をして努めて明るい表情で話すことにした。

「その人はそんなにお金持ちなら、アヤメ先輩にはない色気を使ってマドリードさんと結婚して玉の輿に乗ればいいじゃないですか。そしたら、その時は私にもたくさんの恩恵を与えて下さいね。お二人はよくお似合いですよ」レティアは相も変わらずに今日も生意気なことを言っている。

「もう!」アヤメは言った。「レティアはマドリードさんを見たこともないくせによくそんな軽口が叩けるよねー。それに、私にはもう好きな人がいるんだよー」アヤメは必死の抗弁をした。

「はいはい」レティアは軽く往なした。「それくらいは存じ上げていますよ。それは一生をかけても叶わぬ恋のことですよね。っていうか、よく考えたら、ポートじいちゃんとマドリードさんって相当に思考回路が単純ですよね?自分の飼っている犬は白いから、名前はハクとホワイトって超適当じゃないですか」レティアは憎まれ口を叩いている。レティアはいつだって威風堂々としている女の子なのである。

「そういうことはご本人たちの前では言わないでねー」アヤメは大人の対応をした。

「でも」アヤメは声のトーンを落とした。「仮に、マドリードさんは私にプロポーズをしてきたとして私がそれを断ったら、その時はマドリードさんがすごく悲しむよねー。そういう場合は『愛の伝道師』として別に好きな人がいてもそれを隠して結婚するのが当たり前かなー?」アヤメはしおらしい。

「アヤメ先輩はかなり自惚れていますね。まあ、それは見過ごすとしても、私は別に断ってもいいと思いますよ。普通はアヤメ先輩がそんな気持ちで結婚をしたら、私は本当に幸せな家庭は築けないと思いますしね。っていうか、アヤメ先輩の好きな人ってどんな人なんですか?私の知っている人ですか?」

「えー!」アヤメは恥ずかしそうにしている。「レティアはそんなことを知りたいのー?それじゃあ、レティアには特別に教えてあげるよー。私の好きな人はヤツデさんって言ってね。ヤツデさんはやさしくて推理力がズバ抜けていてがんばり屋さんで礼儀正しくて」アヤメは途中で遮られた。

「アヤメ先輩はだいぶのろけていらっしゃいますね。その方はアヤメ先輩よりも年下ですよね?アヤメ先輩はその方を私にも紹介して下さいよ」レティアは突飛なことを言い出した。「その代り、アヤメ先輩はヤツデさんって方が私に恋をしても私を恨まないで下さいよ」レティアはどや顔である。

「レティアは私よりも自惚れているー」アヤメは抗議した。「大丈夫だもーん。ヤツデさんの性格はピュアだから、ヤツデさんはレティアみたいな小悪魔のことなんて相手にしないもーん。まあ、ヤツデさんは私よりも年下なのは当たっているけどー」アヤメは全くめげていない。「私はもう明かしちゃうけど、ヤツデさんとは『仲良しトラベル』で知り合ったんだー。実はヤツデさん自身も『愛の伝道師』なんだよー。ヤツデさんはやっぱり私の運命の人なのかもー」アヤメはテンションを上げている。

「アヤメ先輩はだいぶお熱ですね。連絡は今も取り合っていらっしゃるんですか?」レティアは肝心なことを聞いた。レティアはまじめにアヤメの恋を応援する気になったのである。

「う」アヤメは言葉に詰まった。「私は連絡先を知らないから、連絡はしていないけど、もしも、私は異動になったら、ヤツデさんとはまた会えるかもしれないでしょー」アヤメは必死になって反論を試みた。

「はあ」レティアはため息をついた。「アヤメ先輩って本当に奥手ですね。アヤメ先輩はそんな調子だと結婚できませんよ。一生」レティアは怖いことをさらっと言った。ヤツデさんとはもう二度と会えないのなら、ヤツデさんとの結婚はきっぱりと諦めた方がいいですよ。アヤメ先輩も年なんだし」

「私はギリギリだけど、今はまだ20代だしー」アヤメは反論した。「私はもうレティアに恋愛の相談するのは止めよー」アヤメはいつものことながら心外そうにしている。

「私は別にいいですよ。その代り、アヤメ先輩は私の恋愛相談相手になってもらいますからね」レティアはふんぞり返りながら理屈の通らないようなことを言っている。

「レティアって本当に強欲な小娘だねー」アヤメは反撃した。「相談には乗ってあげるけど、これからは少し態度を改めてもらいたいなー」アヤメは本心を吐露している。

「えー?」レティアはびっくりしている。「それは無理ですよ。私のストレス解消法はアヤメ先輩をからかうことなんですから、私はそれを止めたら、これからはどうすればいいんですか?私にはストレスがたまっちゃうじゃないですか」レティアはまるで子供のようなことを言い出した。

「どうすればって色々とあるでしょー」アヤメは言った。「ストレスの解消には睡眠を取ったり趣味をやったり食事したりとかー」アヤメは道理のとおっていないレティアに対して正攻法で返答をした。

「でも、本当はアヤメ先輩をからかうのが一番の楽しみなんです。アヤメ先輩は私からそれを奪わないで下さい」レティアは上目遣いになってアヤメに向かって潤んだ瞳を向けた。

「レティアはかわいく言ってもダメなものはダメなのー」アヤメは一刀両断した。しかも、レティアはあんまりかわいくないしー」アヤメは珍しくレティアに対して毒舌を口にした。これは冗談だとレティアにもわかっているので、アヤメとレティアの二人は微笑んだ。

 アヤメとレティアはなんだかんだ言っても仲がいいのである。そのため、アヤメとレティアは食事がすむと気分よく仕事に戻ることができた。アヤメはレティアによってアドバイスをもらって少し気が楽になった。アヤメはやはりレティアと話をするのが好きなのである。

 アヤメはレティアと会食する前にどうして暗い気持ちだったのかというと、その理由はアヤメがマドリードからプロポーズをされたのにも関わらず、実はそれを断ってしまっていたからだったのである。

 アヤメはそのことでマドリードを深く傷つけてしまったのではないだろうかと心配をしていたのである。アヤメはどこまでも気のやさしい女性なのである。

しかし、マドリードはダメで元々のプロポーズだったし、自分には他に好きな人がいて片想いとはいっても、その気持ちには嘘をつけないとありのままの事実を話したので、本当はレテアの言うとおり、アヤメはプロポーズを断ってしまっても構わなかったのである。マドリードは確かに落ち込んでしまったが、しばらくはまだ定期的にアヤメと会えるので、結局はそれで満足してくれたのである。

アヤメにはレティアに相談をした日の帰宅後にハッピーなことが待っていた。『仲良しトラベル』には第11問目の問題が出されるのだが、ヤツデからはその答えがアヤメの元に届いていたのである。それはアヤメの家のポストにではなくて仕事場でのことだったのだが、その中にはヤツデからアヤメへの私信も入っていた。そのため、アヤメは問題の答え合わせを仕事中にやって私信だけを家に持って帰ることにしたのである。アヤメは最前にも言っていたが、ヤツデは類い稀なる推理力の持ち主である。

そのため、ヤツデはミステリー・ツアーでも全問正解を果たして二通りの答えがある第11問目も片方は完璧な答えを提示していた。しかし、ヤツデなら、おそらくは自分で解いていても解けていただろうとはアヤメも思ったが、もう一つの答えはカラタチというアヤメの知らない男友達に解いてもらったと書いた上で景品はもらえなくてもいいとヤツデは主張していた。本来なら、実は第11問目を解けば、正解者には景品が貰えるはずだったのである。しかし、アヤメはヤツデに対しては完全にほの字である。

そのため、アヤメは即効で景品とヤツデに対して自分からのメッセージを添えて送り返した。アヤメは待望の帰宅時間が来て家に帰ると即刻にヤツデの私信を読むことにした。そこにはアヤメのことを尊重しつつ恋愛感情とはまた違う愛に満ち溢れた言葉が綴られていた。例えば、ヤツデはアヤメの精神的なショックを気づかってくれていたりこれからの活躍を願ってくれていたりした。

アヤメはそれを受けると大いに感動した。最高の幸せとは好きな人から貰うやさしい言葉もその内の一つである。アヤメはヤツデに対してどんなメッセージを送ったのかというと別れ際にもらったやさしい言葉のお礼を述べた上で年上の『愛の伝道師』として困ったことがあった時には自分にも相談をしてほしいし、それこそは自分なりの恩返しなのだと送っていたのである。とりあえず、今はそのまま会えなくても会いたいという気持ちだけでもいいとアヤメは思ったのである。

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