2.漢、決め技は悲しいほど効果あり(一部始終を見てました)
震え隠れる者は長く帝国の宮廷に務める女官だった。ややふっくらした柔和な顔と体型が日常の実務に溶け込んでいたことを物語っている。
世の裏側とは無縁で生きてこられた。つまり目前で起きた激変を直視できない。血生臭い場面に耐えられない。部屋の隅に置かれた衝立の裏から、頑として動かない。
これは置いてきぼりを喰らう典型的なタイプだわい、とディディエ卿が苦笑している。
出てくるよう少し脅しますか、とカナン付きの騎兵ヨシュアが剣を抜く。
待て、とユリウスは制してから優しい声で決め技を繰り出した。
「俺は婚約破棄を三回された男だ。それも立て続けで、三回目は他に好きなヤツが出来たの紹介つきだ。どうかそんな俺を憐れんで出て来てくれないか」
世の中、何が幸いするかわからない。
「ユリウス様の身の上に起きた悲劇は聞き及んでおります」
これまでの怯えが嘘みたいに、しゃんとした返事だ。うむとうなずいたユリウスは、まず名を訊いた。ミラだそうだ。
「ミラよ、やはり俺の婚約破棄は有名なのか」
「はい。宮中のみならず市井の隅々まで、よく三回も連続でされるものだと評判になってますわ」
どんっと床が鳴った。ユリウスの両手が地鳴りに匹敵する音を立てた。
「そうか、そうだったのか。俺の恥ずべき所業は地下道のネズミにまで届くくらいなのか。そういえばタイガは相変わらず俺を怖れていたぞ」
何やら対象は飛躍しているし、出された名前が大虎だと知る者は極わずかだ。そもそも間違っていれば、誰もわからない。
「おい、バカ息子。なにをのたまわっているかは、どうでもいいとしてだな、まーだ婚約破棄どうこうとは進歩がなさすぎて泣けてくるわい」
「これだから親父はバカだというのだ。俺はどうでもいい、けれどプリムラの相手が指差される男だなんていいのか、いや悪いぞ」
独り勝手なユリウスの問答に、今度はカナンが改まって意見する。
「しかしこれだけ悪評を築いてきたにも関わらず、プリムラはユリウスが良いとします。本当に羨ましいことです。私なんて醜聞が一つもないのに、ちっとも振り向いてもらえませんでしたから」
どさくさで悪口を混ぜられていたが、ユリウスは気にしないだけでない。はっはっは! と豪快に笑いだした。
「カナンよ、我が恋敵よ。そういうところがダメなのだ、まったくしょうもない男だな」
相手はいちおう国家の最高位である。無礼は毎度のことながら、今回は特に厳しい。実は悪口を聞き流すどころか根に持っていたのかもしれない。
もっともカナンのほうも皇王の品位を捨てた。なんだよとばかり口を尖らして文句を言う。
「私は破棄なんてされこと、ないですからね。女性関係はあくまで皇王として問題ない範囲でしか行っていませんよ」
「だからおまえはダメだというのだ。いいか、皇王として許されても、プリムラにとってどうかということが大事なんだ。公的に許される下半身の緩さと愛する人に対する誠実さは別物だ。わかったか、我が恋敵よ」
くっとカナンは悔しそうに顔を歪める。確かにその通りだと思えば一言さえ返せない。
完全勝利に高笑い仕掛けたユリウスだったが、顎に手を持っていったディディエ卿に阻まれた。
「ところでバカ息子よ。おまえ、確か王女の他に婚約者がいるんだってな。今後、どうするつもりだ」
なにっ、とカナンが目を剥く。
「それはどういうことですか!」
聞いてないぞとばかり詰め寄っていく。
途端にユリウスは汗をかかんばかりに慌てだす。形勢逆転が起きていた。
「まままま待て。それは誤解だ。俺の相手はプリムラだけだ。婚約者は他にいるかもしれないが、結婚するのは一人だけだ」
聞きようによっては、なんだかずいぶん酷い話しになっている。
ユリウスっ、とカナンは堪えきれない怒りで呼ぶ。
どうするんだ、とディディエ卿は底意地悪い笑みを浮かべている。
「ユリウス様、よろしいでしょうか?」
おずおず皇国の騎兵であるヨシュアが、話しを聞いてもらえるか、尋ねてくる。
「おお、なんだ。聞くぞ、いや頼むから言ってくれ」
嬉しそうにユリウスが他国の騎兵にすがっている。
「彼女がお話ししてくれるそうです」
ヨシュアが、そっと手を伸ばして前へ出るよう促す。
少しふっくらした年配の女官が足を運ぶ。明るい所で見れば顔色は悪い。かなり衝撃を受けた痕がミラから窺えた。それでも求められた事柄の詳細を説明してくれるそうだ。
このまま貴方がた、殿方連中には任せておけません、とまで言う。
まったく何が幸いするかわからない。年齢や立場はそれぞれな三人の男たちの胸中に巡る感慨は一様であった。
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激しい罵り合いに怖れをなしミラは衝立の後ろへ隠れたらしい。
ええい、こんな時にうっとおしい。これだから貧乏人は嫌いなのだ。見境もなく、さもしいヤツめ! ウインが穢らわしいとばかり追いすがる手を振り払うような声が聞こえてくる。
ふざけないでください。貴方が依頼したことでしょう、一生遊んで暮らせるほどの報酬を与えるとした約束を果たしてください。ここまで来て何もなしだなんて、こっちは友を裏切ってまで叶えた意味がない! そう簡単には諦められない声の主はちらり見ただけだが黒髪の青年だったそうである。
言い争いは、しかしそう長くは続かなかった。
敗北側の二人はぐずぐずしていられない。正常な判断を失わせるくらい事態は急を要している。
せめてウインは後日とするくらいの態度を見せられたら、また違ったかもしれない。けれど皇帝に次ぐ皇弟として育てられてきた。常に上位へ属す者とする生き方をしてきた。
ええい、と面倒臭そうな声に続いて、チャリンと床に細かな金属の跳音がする。たぶん胸元から取り出した小銭をばら撒いたのであろう。今の手許にある分だ、とだけで言葉は終わらなかった。下賤の民にはこれで充分な額だろ、と吐き捨てた。
ふざけるなー! 黒髪の青年の叫びが広間に轟く。ざくり、肉を貫く音が届けられてくる。
さすがにミラは衝立の影から恐る恐る覗いた。
金貨や銀貨を黒髪の青年が拾っていた。涙で顔をぐしょぐしょにしながら、懸命に這いつくばってかき集めていた。自分に向けた呪いの言葉を吐きながら。
以上が、現場に居合わせた宮廷女官ミラから聞けた話しだ。
ユリウス自ら語り聞かせた。
聞き手は夜になり戻ってきたイザークやベルにヨシツネ、そしてミケルだ。
アルフォンスはまだ王国で治療に専念してもらっている。立てないくせに参戦という無茶をしてくれた。まだまだ一緒にと意思表示されても、足となってくれた大虎マレートが主のグレイに言われるまま走り出されたら観念するしかない。
今晩はユリウスとアルフォンスの代わりとなったミケルを含めた五人で話し合う。
プリムラへ直接に手を下したローエンについて。
ヨシツネはすぐに追跡を主張する。なんなら自分が陣頭指揮を取るとした勢いだ。
処刑はしょうがないね、とベルは肩をすくめている。
肝心のユリウスといえば、おもむろに思いも寄らない結論を口にする。
放っておこう、ときた。




