44.漢、その美しい思い出(激怒もします)
左胸の鈍い痛みが脳裏へ呼び起こす。
そういえば、とユリウスは心臓が痛いほど高鳴っていた当時を甦らせていた。
腰を落ち着けて対面すれば、改めて思う。
とても信じられない。自分の下へ来る女性と思えない。髪がなびけば金の紗幕が広がるみたいで眩しい。造作された精緻な美の人形にしか見えない。唇が開いて声を発したことで、初めて人間だったかと認識できた。
これは現実なのだろうか。うららかな陽気が誘う白日夢。婚約を三回連続で破棄されたショックのあまりに見る幻想ではないか。そうだ、そうに違いない。
そう確信したところへ、「ユリウスさま」と呼ばれた。目前の少女はやや上気しているようだ。頬や首がほんのり朱い。
彼女も緊張している。いくら容姿美麗でも、人だ。感情を持つ人間だ。鎖国の王国から一人でやってきたような身の上だ。俺が浮ついていてどうする、しっかりしろ! 自身へ叱咤して肝を据えた。
「バカ親父がいかんぞ。少女のような女性がいきなり婚約破棄三回された男と二人きりされたら生きた心地はしないぞ。女遊びが激しいくせに女心がわかっていない、バカは相変わらずだ」
義理父のディディエ卿から、二人で城の中庭を散策してくるよう提案された。十年振りの再会である。互いに確かたい事柄は多いはずだ。なかなか気の利いた配慮だと始めは感じていた。
彼女と肩を並べて歩いている最中に、はたとユリウスは気づいてしまった。自分がみじめな経歴を作っていたことを。まずはきちんと打ち明けておくべきだ。例えそのために嫌われてしまって、またや破棄されても。彼女の人生を俺なんかで傷つけてはいけない、と決意を固めた。
座って話すには格好のガゼボが建てられている。腰を落ち着けた時点で頭を下げるつもりだったが、まず彼女に見惚れてしまう。相手の緊張が伝わってきたところで、ようやく打ち明けられた。ただストレートではなくバカ親父を持ち出すところが言い難さの表れだ。
現に伝えてから、また破棄か、と落ち込んだ。
婚約破棄は知ってます、と彼女は答えた。婚約者した貴族令嬢についてならばある程度の調べはついてます、とした言葉遣いだった。王女だからか? 追及する厳しい言い方だった。けれどもユリウスにすれば当然だ。また破棄される運命のようである。受け止める心の準備は出来た。
彼女は口よりも手を動かした。両手を掲げ、顔を伏せる。捧げ物する姿勢を取ってきた。
ユリウスにすれば予想外だ。なんだなんだとたじろぐ目前へ差し出された物を見る。かわいい両手のひらに、金色に輝く物体が乗っかっている。赤い文字で何やら書かれている。どうやら互いの名前だとわかるのは手にしてからである。
もらっていただけますか、と彼女に訊かれたら、ユリウスの答えなど決まっている。
「もちろんだ。有り難くいただくぞ。婚約者から手製のものをもらうなんて、初めてだ。俺は一生大事にするぞ」
ついプレゼントで舞い上がった自分に、ユリウスはすぐ気づく。でも婚約破棄かと過ぎたところで聞こえてきた。
嬉しい、本当に嬉しいですぅ、と。王女の気品を振り捨てた口調に少し緊張が取れた。お手製のものは初めてなんですか? と尋ねられたら、調子に乗った。
「真実だとも。俺のような者に手間暇かけた物を贈ろうなどとする奇特なヤツ、じゃなくて女性は初めてだ。感激しすぎた俺は戦場まで持っていくぞ。このお守りを肌身離さず身に付けるぞ」
ぱっと彼女の顔が輝いた。黄金の髪もまた煌めくようだ。さらに眩しい笑顔まで向けてくる。喜び溢れる声で言ってくる。わたくし、待ってます、と。いろいろあってもきっとわたくしのところへと信じておりました。婚約破棄の経験は、わたくしへ行き着くまでの過程だったと考えられませんか。
「おお、そうか、そうだな。俺はプリムラと婚約するために破棄されてきたんだな」
またやらかしたと即座にユリウスは自覚する。情熱的な訴えに、うっかり名前で呼んでしまった。図に乗りすぎたと反省しているところへ、だ。
にっこり、彼女は笑みを咲かせる。その通りです、と答えだけでなく、これからはわたくしがずっといます、とまで言われた。感激しないはずがないユリウスへ、プリムラは両手を組んで祈る姿勢のまま続けて訴える。だからわたくしのところへ帰ってきてくださいね、と。
「約束ですよ、ユリウスさま」
最後の声は記憶ではない、現実感をもって耳に響いた。
ぐっと長槍の穂先の根元をつかむ手に力が入った。
なに、と長槍を突きだすアーチ将軍が驚く。
それから戦場の騒がしさなどものともしない、闘神ユリウスの叫びが轟く。
ああああああああー! いつもの、うおおぉおおおーと違って気迫の裂帛から程遠い。なんてこったいと言っているような雄叫びだ。人に選っては笑ってしまいそうな驚愕を迸らせている。
「おまえ、なんてことするんだ、このバカやろー」
まるで子供同士の喧嘩みたいな言い方できた。ただしここは大の大人が命を賭けて戦う戦場だ。仕留めたと思ったアーチ将軍はより確実な死を与えるため手にした長槍を押し込もうとした。
トドメを刺すどころか、宙を舞った。賢國第十二騎兵団アーチ将軍は握った長槍ごと地面へ叩きつけられていく。
そこへ追い討ちをかけるようにユリウスから怒気をぶち撒けられた。
「おまえ、なんてことしてくれる。心臓狙うなら、ちゃんと狙え。なんで選りによって……壊れてしまったではないか!」
ぶるぶる震えていれば、相当頭にきているようだ。
ただ当人と対称的に周囲にある者は冷静になっていく。確かめなければならないことがある。普段ならヨシツネがいきそうだが、ここはツバキが早かった。
「ユリウス様、無事なのですか」
「もちろんだ、俺はまだまだ元気いっぱいだ」
「左胸を、心臓を刺されていないのですか」
「あんな槍などイザークのに較べれば、ずっと遅いからつかむなど簡単だ。ちょっと今回はしくじって手を切ってしまったがな」
地面に落ちた血は左手の傷からだった。ツバキの瞳は涙をためていく。
「つまりユリウス様はご無事なのですね」
「そうだ、そこだ。無事といえば無事で、心配かけてすまんと思うが、やはり俺は無事ではない!」
ちっくしょー、とユリウスは最後に叫んだ。
なんとなーくヨシツネとベルは察せていた。長きに渡る付き合いのおかげだ。
敵味方関係なく大抵の者は、闘神は元気らしい、ということはわかった。
何を言っているかが、さっぱりだった。




