25話 これから世界を楽しむ令嬢
アレリアを巡って対立する王太子と皇太子――そんな二人を見ていたエメリーヌが不意に立ち上がった。そして相対する男二人の間に割って入ると、マルクに向かって言った。
「くらえっ、甘噛みパンチっ」
宣言どおりのごく軽いパンチがマルクの胸に当たった。だが軽すぎて音も出ない。
「……? とにかくリヒャルト、こうなったらお前とは直に決闘を……」
「パーンチぱんち、甘噛みパンチぱんち! 駄目ならくすぐって……」
「やめい!!!」
意味不明すぎて無視していたマルクだが、くすぐりには反応してしまった。
「なんだようるさいな! 俺は今リヒャルトと話してるんだが」
「そんなことよりエミィと遊ぶですの! マルク様、格闘のご経験はありますの?」
「はぁ? なにいってんだお前」
「エミィ、剣じゃなくて拳も自信あるんですの。だからマルク様と拳でトークしてみたいと思ってたんですの。しましょう、拳でトーク!」
「だから俺は今リヒャルトと話してるんだよ。見て分からないのか?」
「それよりあっちで拳でトークですの! マルク様、剣しか使えないですの?」
「馬鹿言うな、格闘技も一通りやっとるわ」
「じゃー行くですの! わーい、マルク様、エミィのパンチ見きれるかなー、楽しみですわー!」
と言いつつマルクの手首を握って引っ張る。
「ちょっ……、しょうがないな。いいかお前ら、ちょっとエメリーヌの相手してくるからそこにいろよ!」
連行されながら振り返ってそう告げるマルクの顔の、口元がにやけている。
生徒会室でリズムに乗って殴る練習をしていたくらいだし、もともと身体を動かすのが好きなのだろう。
というわけで、マルクとエメリーヌは行ってしまった。小犬のルルも付いていってしまったので、正真正銘、アレリアとリヒャルトの二人だけが残されたことになる。
「まあ……。もしかしてエメリーヌ、本当は本当にマルク殿下のことが好きなのかしら」
エメリーヌがマルクをアレリアから取ろうとしたことも、騒動のきっかけの一つであった。
「いやあ、違うと思うよ。彼女は彼女なりにあなたに忠実なんですよ、アレリア。ちょっと強引すぎるけど……」
「?」
小さく首を傾げるアレリアの横に、リヒャルトは長い足を組んで座った。
「まああっちのことはあっちに任せて、我々はここでお茶でもしましょう」
ポットからとぽぽぽぽ……と空いていたカップに紅茶を注ぎはじめる。
「さ、アレリアは? おかわりいる?」
「お願いしますわ」
と、冷めきった自分のカップから紅茶を飲みきるとティーソーサーに載せてトレイの上においた。
まだ温かい紅茶が注がれるその向こう……アレリアたちからは随分離れたところで、バシィッという鈍い打撃音がする。
早速エメリーヌがマルクのストレートパンチを自分の顔の横で拳で弾いて受け流したのだ。
これがエメリーヌのいう拳でトーク……。
「エメリーヌもよくやるな、さすがいい人仮面」
リヒャルトが感心したように呟いた。
しかし格好は白を基調とした女子制服を着たピンク髪の本当に可愛らしい女の子であり、それが男子生徒とあんなに本格的に拳を交えているのはギョッとする。案の定、周りには人だかりができ始めていた。
「これからもっと濃くなるよ、アレリア」
「え?」
いきなりの言葉に、アレリアはきょとんとしてしまう。
リヒャルトは灰色の瞳を優しく微笑ませた。
「あなたは歴史を変える濃さを持っている……」
彼の青い髪がそよ風に揺れる。
「だからあなたを妃にしたいと思っていた。だけど、そんなのもうどうでもいいと思う」
「あら。もうわたくしとの結婚を諦めたのですか?」
「そんなことないさ。君といると楽しいし、落ち着く。だから君が濃かろうが薄かろうが一緒にいたいんだ。そういう意味で、君にとても惹かれてる……」
「……………」
アレリアは顔が真っ赤になってしまう。落ち着くために紅茶を飲むが、ドキドキする心臓はいっこうに収まってくれない。
「存在感の濃いものを惹き付ける君にこんなにも惹かれるなんてね。僕も濃くなってきたってことかな?」
「存在感のコントロールがうまくなってきたから、濃くもなれているということではありませんか?」
心中のドキドキを隠しつつ言ったアレリアの言葉に、リヒャルトは頷いた。
「ああ、なるほど。では僕も君が歴史を変えるのを手伝えるんだね。それは嬉しい。一緒に歴史を変えるのが楽しみだよ。それまでは……」
リヒャルトは紙袋を手に取った。
「これでも食べてよう。……食べていいよね?」
「え、ええ、とうぞ。エメリーヌもみんなで食べようって言ってましたし」
言いながら気づいたのだが、エメリーヌのいう「みんな」にはマルクもリヒャルトも入っていたのだろう。エメリーヌのことだから木の上のマルクには当然気づいていただろうし、犬が警戒しているからリヒャルトにも気づいていたはず。
ということはわざとアレリアにリヒャルトとの恋バナを振って、それをマルクに聞かせたのか。マルクに現状を見て理解させたかった……ということか?
「そうだね。いやあ、嬉しいな。ここのクッキー、美味しくて大人気なんだ。僕も好きでね」
「そうなのですか」
身近な学園なことなのに。知らなかった。
「知らないのかい? 喫茶室のクッキーは種類が沢山あってどれも美味しいって評判なんだよ。僕は特に紅茶味が好きだけど、女子にはオレンジマーマレード味が一番人気だね。さてこれは……おお、プレーン味か。これも美味しいんだよな」
マルクとエメリーヌが『遊んで』いるほうでは、バシッ、バシッと打撃音がしている。
実力伯仲らしい。エメリーヌが手加減しているのかもしれないが……。
友人たちが遊ぶのを眺めながら別の友人とクッキーを頬張りながら世間話をする……。
こんな平和、前世からは考えられない。なんて幸福なのだろう。
もっと、この世界のいろんなことを知りたいと思った。これから、もっともっと。
この人たちと一緒に。もしかしたらゆくゆくは、隣りで紅茶を飲む青髪のリヒャルト皇太子と二人で。
世界を変える濃さ……というのは、正直よく分からないけれど……。前世のような濃いことになったとしても、きっと助かると、何故か楽天的に思ってしまえる。
……甘いだろうか。少なくともこの仲間たちはアレリアを信じてくれる。誰も信じてくれなかった前世とは違うのだ。そんな根拠のない確信がアレリアにはあった。
それともやっぱりあのマルクなのだろうか。
それとも違う未来もまたあるかもしれない。これからもっと沢山の人と知り合うのだから。
エメリーヌと一緒に生きていくのも悪くない。専属騎士なのだし。彼女のことももっと知りたい。
そうだ、こんどエメリーヌの群れを紹介してもらおう。
野犬の群れの王。……野犬の群れを率いている人間の女性というのも珍しいし。
やっぱり、いろいろなことを知っていくのを先にしよう。
アレリアはしみじみとそんなことを思いながらクッキーを口にした。
ちょっとだけ、涙の味がした。
お読みいただきありがとうございました!
これにて完結となります。
このあとは、追加エピソードや番外編なんかを考えています。
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