19話 決勝戦の勝敗決まる
「いったい何が……!?」
驚きがアレリアの口を突いて出る。
マルクが鎖を投擲し、それがいい人仮面の足下に当たった。
攻撃を失敗したのかと思った直後、いい人仮面の足下の地面が崩れたように見えた。
見えた、というのはすぐに土煙が舞い上がり何も見えなくなってしまったからだ。
場内は当然ながらどよめきが起こっている。
そのどよめきの中、アレリアの隣で冷静に猫耳夫人が解説していた。
「さっきのマルクの投擲ね、あれは失敗じゃなかったってことよ。あの子の狙いは最初から地面だったわけ」
「それはどういうことなんですか?」
「あそこに落とし穴が掘ってあったってこと。それのスイッチを鎖で叩いて発動させた。それで蓋が崩れていい人仮面くんが落ちちゃったのよ」
「そんな。いい人仮面さん……!」
酷い。なんでこんなことをマルクはするのだろう。
これではまるで騙し討ちではないか。
「なんで鎖剣なんて持ち出してきたのかと思ってたけど、こういうことだったのね」
「これは剣闘大会です、こんなの無効ですわ!」
しかし猫耳夫人はあっさりとしたものである。
「この大会のレギュレーションには『落とし穴を掘ってはいけない』なんてなかったわよ?」
「そ、そりゃそうですけど……」
普通、剣闘大会で落とし穴なんか掘らない。
そんなのをわざわざ規約に入れるわけないではないか。
「ルールを破っていない以上、マルクに否はないわ。どうしても勝ちたかったんでしょうねえ」
「そんな……」
マルクは常識を突いてきたということか?
常識を逆手にとった上に簡単に切り裂く男、マルク・マレシャル……。
その存在に、アレリアは寒気がした。
騒然とする場内を穿つように、甲高い金属音が響いた。
試合はまだ続いているのだ。
しかし、数度の打ち合いののち音は聞こえなくなる。
それだけだった。
二人が剣を交したということは、とりあえずあの罠が発動した後もいい人仮面は生きていたのだ。しかしすぐに終わってしまえば、今も無事かどうかは怪しい。
不安をなんとかしたくて、アレリアは胸の前で手を組み、土煙を見つめながら一心に祈った。
(神様、どうかいい人仮面さんが無事でありますように。ご加護を。もうあなたを怨んだりしませんわ。わたくしがあなたに救ってもらえなかったのは、もう、もう、自分で片を付けます。ですからどうかいい人仮面さんだけは、どうか助けて下さい……!)
階段から落ちそうになったときに助けてくれたいい人仮面。その後、エメリーヌに戻って保健室でリヒャルトと言い合いになったけれども、結局は二人ともアレリアを助けてくれようとしていた……。
アレリアを守ろうとして怪我を負ったり、あまつさえ死んでしまったりするのでは可哀想すぎる。
自分のせいで誰かを巻き込んでしまうなんて……。もう、そんなことはしたくない。それは前世で嫌というほど味わった。もうそんなものはいらない……!
「土埃が収まってきたわ!」
となりに座る猫耳夫人が興奮したように声を上げる。
「さあ、戦況はどうなってるかしらね? 立っているのはマルクか? それともいい人仮面か? こうご期待っ!」
なんでこの人こんなに楽しそうなのだろう、とアレリアは引き気味に思う。
息子が大怪我をする可能性だってあるのに……。いや、いまは正体を隠しているからそういうことは言及してはいけないのだろうか?
猫耳夫人の言葉のとおり、土埃が晴れてきていた。
グラウンドの片隅に、大きな落とし穴が見える。教室ほどの大きさだろうか。底すら見えない。よくぞあれだけの大きな穴を掘ったものだ……。お金に物を言わせて人を雇ったのだろうけれども。
そして肝心の選手の姿だが……、グラウンドのどこにもいなかった。さきほどの剣戟は落とし穴の底でやっていた、ということだろうか。
「あら? いないわね。とどめを刺しに穴に入ったってこと?」
猫耳夫人もアレリアと同じような結論に至ったらしいが、とどめ――。その不穏な言葉に、アレリアは身震いした。
いくらなんでも学園内の剣闘大会で命まで取るとは思えないが、マルクに常識は通用しない。
と、落とし穴の縁に白いものが掛かった。
一つ、二つ――手だ。
誰かが下から這い上ろうとしている。
それは、ピンクの髪をした……。土まみれのいい人仮面だった。
腕で身体を持ち上げ、穴から出てくる。
彼女の上腕にぽつりとした赤い染みを見つけたとき、アレリアは両手で口元を押さえ、小さく悲鳴を上げた。
切られたのだ。
しかしいい人仮面は切られた腕には頓着せず、ゴホゴホと咳をしながら落とし穴の中を指さした。なかにマルクがいるよ、ということらしい。
しばらくの静寂。なかにいるだろうマルクの反応はない。
「マルク殿下! 勝敗を決めてしまってよろしいでしょうか、マルク殿下!?」
審判席にて審判役の生徒が叫ぶが、やはり静寂。いい人仮面の咳が治まってきているのが響きによって分かるくらいだ。いい人仮面、マルク、アレリアに猫耳夫人。いやこの闘技場に詰めかけた全てのものが、少しの物音でも聞き漏らすまいと息を殺して耳を澄ませている。
それでも、無音。
審判役の生徒が、ゴホン! と芝居がかった咳払いをした。
「ではここに宣言いたします! 勝者! いい人仮面!」
場内が凄まじい歓声に沸き立つ。
あまりの歓声にアレリアは身をすくめた。
そんななか、いい人仮面はゆっくりとした動作で地面に座るとそのまま寝転んでしまった。
やはり辛いのだろうか? あの怪我、小さく見えるだけで本当は深いのか。
ヒヤヒヤするアレリアだが、身体のどこかを庇うようなそぶりも見せないところを見ると、見たとおり怪我はあまり深くないようだ。白い制服を着ているのであの血の赤が目立っているのだろう。他に怪我をしている様子もない。
上腕の怪我がどうこうというよりとにかく疲労困憊なのだろう。穴の底ではかなりの死闘があったようだ。
横臥したいい人仮面のもとに、学園の救護班の生徒たちが駆け寄っていく。
もういい人仮面は大丈夫だ。
怪我は心配だが、とりあえず、無事。
となれば、あとはマルクだ。マルクは無事なのだろうか?
……と、その前にやるべきことがある。
アレリアはそっと両手を組み、神に語りかけた。
(神様、ありがとうこざいます。いい人仮面さんを……エメリーヌを助けて下さって、本当にありがとうございます……それから、もののついででいいですので、マルク殿下のこともお助けくださいませ……契約は必ず果たしますから……)
アレリアが自ら願い出た神との契約。願いを叶えてもらったのだ、その契約は果たそう。ついでにマルクの分もだ。
もう神を怨みはしない。前世に天が自分を見捨てたことは、自分で片を付ける。
だが今のアレリアにとって、それは苦ではない。
今だけを生きよう、そう決めたあとだったから……。
そんなアレリアの手を引くものがある。
猫耳夫人だ。
「行くわよ、アレリア!」
「マルク殿下ですか?」
「もちろんよ。ま、大丈夫だとは思うけどね。あの子はあの子でこういう悪運だけは強いから」
剣闘大会を無事に終えることを悪運と言っていいのだろうか……?
「それにこれから表彰式するでしょ。あなたがいないと締まらないわよ! それに……」
猫耳夫人はフードの下でニヤッと笑う。
「ルールを破った人にはそれ相応の処罰が必要ですからね」
ルールを破る?
マルクが落とし穴を掘ったことは、先ほどはルール違反ではない、といっていたのに。やはりいくらなんでもこれはない、と思ってくれたのだろうか?
とにかくアレリアは立ち上がった。
特に表彰式には呼ばれていないのだが……。本当に、アレリアの意思なんて軽んじられているのだ。
だが優勝賞品なのだし、少しくらいは融通も利くだろう。
いい人仮面の怪我の様子も心配だし、いまだ穴のそこにいるマルクのことも一応心配である。
早くどんな様子か、詳しく知りたい。
◇ ◇ ◇
落とし穴の底ではマルクが腕を広げて大の字になっていた。
輝く金髪も白い男子制服も土にまみれさせているが、どこにも血は滲んでいない。ただ、胸鎧から露出した袖のあちこちに切られた後がある。
傍らには土に刺さった二本の剣と、そして鎖の切れた鎖剣が地面に転がっていた。
「強ぇ……なんだあいつ……」
マルク王太子は小さくそう呟くと、自分を呼ぶ救護班の声を聞きながら青い瞳を閉じた。




