13話 保健室にて:悪役令嬢を守ってくれる人がいる世界
エメリーヌの犬の鼻自慢に皇太子は顎を引いて声を低くする。
「野犬の群れの王……。承知した。僕の天敵は君だ」
話の要は、犬をけしかけてリヒャルトの命をとる、ということではないようである。
彼の特殊能力、『影が薄いから誰にも気付かれずに行動できる』。これを破るのは人間ではなく犬だということだ。そして犬を使うエメリーヌは影薄隠密皇太子にとっては天敵になる、と。
特殊な力を使いこなす楽しさに目覚めたらしい皇太子リヒャルトにとっては、これは由々しき事態ではあるだろう。これで勝てる! と思った人生に、即座にもっとも相性が悪い敵が現れたのだから。
「アレリア様、今夜学園を出て街の教会に行くのでしたら、エミィの群れに守らせますの。リヒャルト様にもその他にも気を煩わせる必要なんかまったくないですのよ。夜に犬の群れに立ち向かえる人間なんていませんわ。かっ、勘違いなさらないでほしいんですのよ、アレリア様がマルク様から離れるなんて、エミィにしたら好都合ってだけですから!」
「それなら僕と結婚すればマルク君からは離すことになるぞ。どうする? 共同戦線、張るかい? 犬を率いる君と僕が組めば無敵だよ」
「それはアレリア様次第ですの。アレリア様があなたと結婚したいというのならエミィは群れのみんなと一緒にあなたに協力しますわ。けど、修道女になりたい、けど邪魔された、となったら……ぶっ潰すだけですわ、あなたのこと」
他国とはいえ皇太子を殺せばどうなるか……当然エメリーヌだって犬だって処刑だろう。前世のアレリアは、その未遂のしかも免罪で処刑されたのだ。奇しくも相手は同じ皇太子という立場……。
それでも一歩も引きそうにない。エメリーヌはやる気た。
エメリーヌはアレリアが修道女になることを援護してくれている。それはマルクから離れるのがエメリーヌにとって都合がいいという理由があるからで、同一人物であるいい人仮面として剣闘大会で優勝し、マルクの婚約復活を阻止する構えだ。
しかしいい人仮面形態だと、はっきりと、『あなたのことはボクが必ず護ります』と言っている。アレリアを運命から解放する、とも。それはただアレリアを油断させるための麗句の可能性もあるが……。
まあ、何にせよかなり突拍子もない子である。帝国の皇太子リヒャルトを相手どってのこの振る舞いでもあるし、常識では計れないし計らないほうがいいのだろう。きっと深く考えないほうがいいタイプだ。
一方のリヒャルトも、アレリアと婚約したいがためではあるが彼なりにアレリアを守ろうとしてくれている。
つまり各人には各人の考えがあるし、別にそんなことはなく特に何も考えてないかもしれないし、でもそれぞれが反する部分があって、しかし基本的に二人ともアレリアを守ろうとしてくれている、ということだ。
……それを理解した途端、アレリアの目に光るものが溢れ、仰向けのままの顔の横に溢れて滑り落ちていった。
「えっ、アレリア様……!?」
「アレリア?」
二人は驚いてアレリアを見る。
アレリアは布団で顔を隠した。学園の布団、借り物の布団に涙を染み込ませてしまったことは、あとで謝ろう。
「す、みません……わたくし……」
「どうしましたの? どこか痛いんですの? 気分がお悪いのですか? やっぱり急なジャンプはアレリア様にはキツかったですかの?」
「いえ、なんだか、すごく……ありがたくて……」
誰も信じてくれず、誰も守ってなどくれなかった前世の最後。全ての人に罵られるだけだったあの時、こんな人たちの登場をどれだけ待ち望み、そして叶わず、絶望したことか。
それが、今、こうしてアレリアを守ろうとしてくれる人がいる。なんという幸福だろう。
同時に思うのだ。
どうしてあの時、あんなにも望んだのにこうはならなかったのだろう、と……。
「なんで……こんな幸せなのかしらって、思ったら……。どうして、って……」
「……アレリア様、エミィは人間のことはよく分かりませんの。でもでも、犬のことならちょっとは分かりますから言いますの。犬って今しか生きていないって言いますのよ」
と、なんだかすごく良いことを言い出しそうな気配を漂わせ始めるエメリーヌ。
それに惹かれ、アレリアは布団を下げてアレリアを見つめた。
「でも、今を生きるというのは当たり前ではなくて? 過去を生きたり、未来を生きたり、そんなこと犬でなくともできませんわ」
「あのね、アレリア様。犬はすぐに忘れちゃうんですの。例えば昨日酷く打たれても、今美味しい骨をもらって幸せ! ってなったら、もう打たれて辛かったこととかまあいいかってなって、忘れちゃって、わーい骨くれた! って喜んじゃうんですの。打ってきたのと骨をくれたのが同一人物でもですわ。嬉しいから尻尾振っちゃうんですの。それって哀しくもあるし、羨ましくもあるなって、エミィは常々思うんですの。あ、エミィは犬のこと打ったりはしませんことよ」
リヒャルトが考え深げに頷く。
「なるほど。それで『今しか生きていない』か。犬というのはそんなに極端な動物なんだね、知らなかった」
「人間と犬は違いますわ。だって犬ですの。でも嬉しかったことはちゃんと覚えてますのよ? だから躾をするときには打つよりも褒めてあげた方がいいんですの。そっちのほうが躾をしている人間も楽しいですし」
そしてエメリーヌは濃ピンクの瞳をにっこりと微笑ませる。
「だからアレリア様も、今、幸せになっていいんですのよ」
その言葉に、アレリアはハッと息をのんだ。
「エメリーヌ、わたくし……」
「人間は過去に縛られる動物ですの。でもそればっかりじゃ何も出来なくなりますの。今しか生きていない犬から人間が学ぶことも、きっとありますわ。今骨もらって嬉しかったら、今心の底から尻尾振っちゃっていいんですの。だってそうしないと、せっかくの嬉しいことが嬉しくなくなっちゃうんですのよ」
裏切られ、罵られ、処刑された前世。
だからこそ今世はそうならないようにと気をつけていた。結婚はしない、人を好きにはならない、と。
だが、それは過去を生きている、ということだったのかもしれない。
過去の教訓を活かすのは大事なことだが、それによって今の楽しさを捨てるのは犬的にNGだったのだ。アレリアは人間だけれども。エメリーヌのいうとおり、犬に学ぶことも時には必要だろう。だって人間だもの。
「……ありがとう、エメリーヌ。ありがとう……」
アレリアは涙が流れるのを止めることができなかった。
本当に、本当に……こんなに泣いたのは久しぶり、というくらい泣いた。布団で涙を拭くのが追いつかないくらいだ。
「わたくし、今夜は教会には行きませんわ」
「いいんですの?」
「ええ。もしかしたら将来的に行くことになるかもしれませんが……、少なくとも、け、剣闘大会だけは、見ますわ。たとえマルク殿下が優勝しても、それはそれで……」
受け入れられるだろうか……? マルクと結婚することになったら、マルクを愛する? ……愛して、いいのだろか? えっ、あのマルクを?
私設弦楽四重奏団に演奏させたテンポの早い曲でリズムに乗って殴る練習をしたり、人に断りもなく勝手にアレリアとの婚約権を剣闘大会の優勝賞品にしてしまうような王太子のマルクを? いくら美少年だからって、ギャグセンスがどうにもおかしいあのマルクを?
それはそれで過去にとらわれていたこととは別問題な気がする。
が、まあ、過去の問題と今世の問題は別問題、マルクの問題はマルク個人の問題だ、というふうに切り分けることも、『今を生きている』ということなのかもしれない。
「それは大丈夫ですの」
「そうだよアレリア。あなたのことは、必ず僕が助ける。捕らわれの姫を救うなんて、なんだか騎士になったみたいでワクワクするよ」
「リヒャルト様は皇太子ですのよ? 騎士はエミィですの。……それからいい人仮面様もお忘れなきように」
そういえばそうだった。
この二人……いや三人? がアレリアを助けてくれようとしている。それぞれの理由はどうあれ……。それだけでも前世とは違うのだ。前世のようには、きっとならない。
「はい……」
アレリアは布団かから二人に向かって微笑んだ。
「楽しみに、しています。どうなるのか分からないけれど、今を……今だけを見つめて……」
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