第3潜 初ダイブと小さな違和感 ②
「はじめまして、1年の潮見朱音です。あの、私たちが作ったROVの姿勢制御のコードを見てほしくて……」
「ボクは2年の磯崎史奈だ。で、どれどれ?」
史奈と名乗ったその少女は、なぜか一人称が「ボク」の、いわゆる男の子言葉を使うタイプだった。
史奈は朱音からノートパソコンを受け取ると、画面をひと目見ただけで、フッと鼻で笑った。
「なんだ、これじゃあまともに動かないわけだね」
「え……?」
「スラスターの制御変数に『遊び』がなさすぎるんだよ。これじゃあ出力がピタッと反映されすぎて、わずかな外乱ですぐにオーバーシュートを起こしちゃう。操縦がピーキーになって当然だし、トライアンドエラーでゲイン調整を追い込んでいかないと使い物にならないね」
流暢かつ専門的すぎる史奈の解説に、3人は「すごーい……!」と思わず感心して見入ってしまった。
さらに、史奈はコードの別の部分をスクロールさせ、スッと指を差した。
「あとさ、ここ。これ、ROVの測位システムの制御コードでしょ。このままだと、この機体はすぐに海の中で『迷子』になるよ」
その指摘に、朱音はビクッと肩を跳ね合わせた。
「そんなはずないわ! 有線ケーブルでリンクした母船のGPS測位と、自機のジャイロセンサー、そしてドップラー対地速度測位を組み合わせて、ちゃんとした『推測航法──デッドレコニング』のアルゴリズムを組んでいるはずだわ!」
しかし、史奈は冷ややかに首を横に振った。
「理論は合ってるけどさ、このコードの書き方だと、ドップラー対地速度とジャイロのバイアス誤差──ドリフトを積分する際の時間刻み(dt)の線形近似誤差がモロに累積するんだよ。潮の流れがある実際の海じゃ、数分も潜らせたら数十メートル単位で位置がズレて、計算上の現在地と現実のポジションが完全に乖離するね」
「あ……っ……!」
図星を突かれた朱音は、顔を真っ赤にして言葉に詰まった。
自分が何日もかけて悩んでいた核心を、一瞬で見抜かれたからだ。
その様子を見て、隣にいた菜月は目をキラキラと輝かせ、猛烈な勢いで史奈の両手をギュッと掴んだ。
「ねえ、あなたすごすぎっ! 私たちの仲間になって、このコードの調整、手伝ってよ!」
「は? ちょ、急になに!? やだよ、めんどくさい」
史奈は顔をしかめて露骨に嫌そうな顔をした。
「今夏休みじゃん! クーラーの効いた部屋でパソコンいじったり、ゲーム作ったりしてるほうがよっぽど楽しいよ。そんな海で塩まみれになるような、めんどくさいこと、やってられるかよ」
「それって、毎日ずっと部屋でゲーム作って画面ばっかり見ているだけでしょ?」
朱音がすかさず冷ややかなツッコミを入れる。
「それのなにが悪いのさ!」
「悪くはないけどさ……私たちの仲間になってくれれば、本物の『生の深海』が見られるのよ。誰でも見られるわけじゃない、誰も足を踏み入れてない海の底の映像がね」
「そうそう! 海の中には可愛い魚や、見たこともない奇妙な生き物がいっぱいいるんだよ! 一緒にロマンを追いかけようよ!」
菜月が必死の形相で力説する。
さすがに押され気味になった史奈が「うーん……」と腕を組んで唸っていると、凪が呆れたようにため息をついた。
「こら菜月、無理強いは良くないでしょ。どこがダメなのか原因はわかったんだから、あとは自分たちの――」
「あ、待って。条件があるよ」
史奈はパッと顔を上げ、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「その……深海魚?ってのがさ、もし綺麗に撮影できたら、ボクのSNSのチャンネルにアップしてバズらせていいなら、手伝ってもいいよ。プログラミングのテストベッドとして面白そうだしさ」
「えっ? やった! 全然いいよー! みんなもいいよね!?」
「……まあ、それくらいなら構わないわよ」
「仕方ないわね、史奈ちゃんがそこまで言うなら歓迎するわ」
こうして、予想外の助っ人――天才プログラマーの磯崎史奈が、強引にメンチチームのメンバーに加わることになった。
数日後。
史奈の的確なアドバイスをもとに、朱音はスラスターの制御変数(PID制御のゲイン値)を全面的に書き直した。
再び丸島の浅瀬に赴き、今度は機体が潮流に流されて行方不明になったり余計な場所へ暴走したりするのを防ぐため、水面に浮かべた小型のブイから専用のテザーロープで行動範囲を限定し、その場で安定してホバリングテストができる状態を作った。
「あ、今の切り返し、さっきより滑らかになった!」
「よし、測位コードのタイムステップの近似処理も直したから、ジャイロのドリフト補正が効いてるわ」
史奈がノートパソコンのコンソール画面を覗き込みながら、満足そうにうなずく。
「うん、これなら浅瀬の潮流くらいじゃ流されないね。上出来だ、お前ら」
史奈の加わったチームは、まさに鬼に金棒だった。
ハードウェアの設計・工作は凪と菜月、理論とシステム構築は朱音、そして卓越したプログラミング力による実戦調整は史奈。
4人の力が噛み合い、メンチは水中で驚異的な安定性を手に入れた。
メンチのセットアップと最終テストが完全に終了した日の夕方。
菜月は、実家の漁具倉庫で網のメンテをしていた祖父のところへ真っ直ぐに歩み寄った。
「じいちゃん、お願いがあるんだけど……!」
「ん、なんだ、またあの赤い潜水艦か?」
「うん! メンチ! 海底探査の準備が完璧にできたから、今度のお休みに、沖合まで漁船を出してほしいの!」
海の男である祖父は、最初は「危ないからダメだ」と渋ったものの、菜月の真剣な眼差しと、すでに高校の部活(同好会)として正式に認められていること、そして朱音たちが作成した万全の安全マニュアルを見せられると、最後には大きな太い手で髭をさすりながら豪快に笑った。
「はっはっは、いいだろう! 子供の遊びに付き合うって体なら、漁のついでにアンカーを下ろしてやるくらいお安い御用だ。せいぜい、海の底の面白いもんを撮ってきやがれ!」
数日後、風もなく波も穏やかな最高のコンディションの日。
メンチを積んだ漁船が、多幸湾の港を威勢よく出港した。
エンジン音を響かせながら、船は海岸線からぐんぐんと遠ざかっていく。
島民たちが手を振る港が小さくなり、やがて周りは紺碧の水平線だけになった。
「ここならどうだ? ちょうど岸から約4キロ、水深は約250メートルってところだ」
操舵室から顔を出した祖父の言葉に、菜月たちは息を呑んだ。
こここそが、今回の目的地だった。
「よし、ここでアンカーを下ろすぞ!」
船のエンジンが停止し、周囲に静けさが戻る。
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