第3潜 初ダイブと小さな違和感 ①
8月上旬。
蝉の声が青空に響き渡り、神津島は本格的な夏の日差しに包まれていた。
夏休みが始まってすぐのこと。
ガレージで幾度もの調整と組み立てを重ね、ついに完成した水中ドローン――『めんだこ1号』の、記念すべき最初のテスト航行の日がやってきた。
しかし、いきなり深海に沈めるわけにはいかない。
まずは水深が浅く、潮の流れの様子がよくわかる場所で機体の挙動を確かめる必要があった。
選んだ場所は、多幸湾の端に位置し、普段から菜月が素潜りの練習でよく泳いでいる「丸島の浅瀬」だった。
透明度の高いエメラルドグリーンの水面が、きらきらと夏の太陽光を反射している。
「よし、それじゃあ準備はいい?」
ガレージから運び出した特製の特設テーブルの上に『めんだこ1号』を置き、朱音と凪が最終の配線チェックを行う。
今回は機材一式や工具を運ぶため、菜月のじいちゃんに軽トラックを出してもらい、荷物を積んで一緒にやってきていた。
「お前らがワイワイやってる間、わしは堤防で釣竿でも垂れてのんびり待っとるよ」
と、じいちゃんは愛用の折りたたみ椅子を持って少し離れた日陰へと歩いていった。
万が一のトラブルや水没、あるいは機体がコントロールを失って行方不明になる最悪の事態を想定し、安全のために菜月がウェットスーツを着て海上で待機することになっていた。
「まかせて! 私がしっかり近くでサポートするから!」
シュノーケルを額に引っ掛け、水中メガネをキリッと装着した菜月が、ザプンと海に入って波打ち際で手を振る。
「じゃあ、電源入れるわよ……システム、オールグリーン」
朱音がノートパソコンのエンターキーを叩くと、『めんだこ1号』の内部で小さくファンが回り、カメラのインジケーターランプが青く点灯した。
「了解、こっちのコントローラで受けるわ。それじゃあ、行くよ……!」
操縦を担当する凪が、ゲームパッド型のコントローラのジョイスティックに指を添える。
「いってらっしゃい、めんだこ1号!」
海上で待っている菜月のほうへ向かって滑り出す機体に、凪が声を張り上げた。
オレンジ色の耐圧アクリルドームを太陽の光にきらめかせながら、『めんだこ1号』は滑らかに海面へと滑り出し、静かに水中へと潜っていった。
最初は、すべてが順調に見えた。
モニター越しに映し出される浅瀬の白い砂紋や、機体の周りを興味津々に泳ぎ回るルリスズメダイの群れの姿が、開け放たれたガレージの作業台に置かれたノートパソコンの画面にクリアに映し出されている。
「わあ、すごい! ちゃんと綺麗に映ってるよ! めっちゃ可愛い!」
作業台の脇で画面を覗き込みながら、朱音も思わず小さく歓声を上げた。
しかし、その平穏はほんの数分で打ち破られた。
「……あれ?」
モニターを見つめていた凪の指の動きがピタリと止まる。
画面の中の『めんだこ1号』は、推進スクリューを回しているはずなのに、なぜかスーッと、まるで重りに引っ張られるようにゆっくりと沈み続けていた。
「ちょっと、沈んでるよー! 砂にぶつかっちゃう!」
海上でプカプカと浮きながら様子を見ていた菜月が、慌てて水面から顔を出して叫ぶ。
「なんでよ!? 浮力計算は完璧だったはずなのに……!」
朱音は青ざめながらノートパソコンのキーボードを激しく叩き直す。
「バラストが重すぎたのかしら……! いや、でも設計通りの重量のはず……っ!」
「っ、これ以上潜らせたら危ない、一旦出力を反転させる!」
凪が焦った表情でコントローラのスティックを押し込み、上昇レバーをめいっぱいに引いた。
機体のスラスタがうなりを上げ、どうにかこれ以上の沈降を食い止めようとする。
しかし、トラブルはそれだけでは終わらなかった。
「わっ……! ちょっと、まっすぐ進んでないよ! こっちだよ、凪ちゃーん!」
菜月のいる方向とは全く違う、右へ右へと機体が勝手に流れていく。
「やってるわよ! スティックはまっすぐ倒してるのに、勝手に右に曲がっちゃうんだってば……!」
凪の額に冷や汗がにじむ。
行きたい方向に行こうとすると機体が妙な挙動でスピンし、コントロールがまったく言うことを聞いてくれない。
「ちょっと朱音、一度ノートパソコン側でスラスタの出力バランスの数値を確認して! ジョイスティックじゃ微調整できないわ!」
凪が叫び、朱音も「わかってる!」と返すが、状況は悪化するばかりだった。
「だめだ、これ以上無理やり動かしたら完全に制御を失う……! 一回上げる!」
凪が苦渋の決断を下し、回収信号を送る。
水面から引き揚げられ、ずぶ濡れの状態で浜辺に降ろされた『めんだこ1号』を、浜に上がった菜月が心配そうに両手で優しく包み込んだ。
「メンチ、ごめんねー……怖かったよねー。凪ちゃんの運転が荒かったせいだよねー、よしよし」
「ちょっと待ちなさいよ! なんで私のせいになるのよ、って言うか何その名前……!」
「うん、だって『めんだこ1号』だから、略して『メンチ』だよ。可愛いじゃん!」
「全然可愛くないし、むしろ私の操縦技術が下手くそみたいじゃない!」
言い争う二人をよそに、朱音は「一度みんなでガレージに戻りましょう。おじいさんを呼んで機体を片付けるわよ」と告げ、遠くの堤防で釣りをしているじいちゃんに手を振って呼び戻した。
じいちゃんの軽トラックの荷台に機体を乗せ、3人は重い足取りでガレージへと戻ったのだった。
ガレージに戻り、作業台の上に機体を載せて、朱音は唸り声を上げた。
「やっぱりモーターやスラスターのハードウェア自体には何の異常もない。駆動系のトルクも十分だし、防水も完璧よ。……問題なのは、間違いなく制御系、つまりソフトウェアのほうだわ」
しかし、ノートパソコンの画面に表示されたPythonのコードを上から下まで何度見返しても、論理的なバグや文法ミスは見当たらない。
「コードを見る限りでは、どこも間違っているとは思えないわ……。でも、実際に海に入れるとあんなにピーキーで制御不能になる。どちらにせよ、今の私たちの手には負えない領域だわ」
普段は理路整然としている朱音が、めずらしく頭を抱えてガックリと肩を落とした。
「プログラムかぁ……うーん、どうしようか」
腕を組んで天井を見上げていた菜月が、ふと手を叩いた。
ナーイスアイディアといった顔で、菜月は言った。
「あ、そうだ! 校内のパソコン同好会に相談してみない? あそこなら、なんか知ってる人がいるかもしれないよ!」
---
翌日。
夏休みの真っ最中で静まり返った校舎の一角にある、パソコン室のドアを3人は叩いた。
室内には冷房の心地よい冷気が漂い、サーバーファンの低い駆動音がウィーンと響いている。
中には夏休みの課題やプログラミングに没頭する生徒がパラパラといるだけで、空気はどこかまったりとしていた。
「あのー、すいません」
菜月がひょっこりと顔を出すと、分厚いメガネをかけた部長らしき男子学生が面倒そうに顔を上げた。
事情を話し、ROVの姿勢制御がうまくいかないとノートパソコンのコード画面を見せると、部長は「ふーん、水中ドローンの制御ねぇ」と興味なさそうに画面を眺め、すぐに隣の島を指さした。
「こういうハードウェアと直結する制御系のPythonコードなら、俺たちよりあいつに聞いたほうが早いよ。おい、史奈、ちょっとこっち来てくれ」
部長に呼ばれて振り返ったその人物を見て、菜月、凪、そして朱音は思わず
「え……?」と声を揃えて絶句した。
そこにいたのは、高校生というよりも、まるで小柄な中学生、いや下手したら小学生が高等部の制服を着せられているのではないかと見紛うほどに小さな、あどけない少女だった。
ショートヘアの黒髪、目の下にはうっすらとクマが浮かんでいる。
「……なに、ボクに用?」
少女は不機嫌そうに目を細め、だるそうに椅子をクルッと回した。
毎日18:50に更新中!続きが気になる!と思ってくださったら、ページ下部の【☆☆☆☆☆】をポチッと押して応援していただけると励みになります!




