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叩きギュウリ

ギュウリ=キュウリ

ヴタ肉=ブタ肉

ヴシ肉=牛肉

ドォリ肉=鶏肉

ギョマ=ゴマ

ニャンニク=ニンニク

ソージーセ=ソーセージ

朝日が窓から差し込み、店内を優しく照らしていた。


「おはようございます。」


一階へ降りると、すでにエレノアがカウンターの中でグラスを磨いていた。


「おはよう、マスター・タク。」


昨夜の開店を終えた今、その呼び名もどこか自然に聞こえる。


それでもタクは少し照れくさそうに笑った。


「まだ、その呼び方には慣れませんね。」


「そのうち慣れるさ。」


エレノアは楽しそうに笑った。


「さて、今日は仕入れだよ。」


「昨日頼んだ品が届く頃だからね。」


二人は朝食を済ませると、店の戸締まりを確認し、市場へ向かった。


朝の市場は活気に満ちている。


店先では野菜が山のように積まれ、香辛料の香りが風に乗って漂う。


魚屋では大きなアジュが並び、肉屋ではヴシ肉やヴタ肉が豪快に吊るされていた。


道行く人々も様々だ。


角の立派な魔族。


猫耳を揺らす獣人。


翼を畳んだ悪魔族。


荷車を押すドワーフ。


誰もが当たり前のように笑いながら朝を迎えていた。


「本当に賑やかですね。」


「朝の市場は、この国の台所だからねぇ。」


エレノアはゆっくり歩きながら答える。


「まずは八百屋さんだ。」


市場の一角。


色鮮やかな野菜が所狭しと並ぶ店があった。


「おや!」


犬耳をぴんと立てた大柄な獣人が大きく手を振る。


「エレノアさん!」


「久しぶりだな!」


「おやおや、ガロンじゃないか。」


エレノアも笑顔になる。


「元気そうだねぇ。」


「当たり前だ!」


ガロンは豪快に笑った。


肩幅が広く、腕は丸太のように太い。


しかし笑顔は人懐っこく、大きな尻尾が嬉しそうに揺れていた。


「店をまた始めるって聞いたぞ!」


「耳が早いねぇ。」


「市場じゃもう噂だ!」


ガロンは豪快に笑う。


「ラック・ラックだったか?」


「Rack of Luckだよ。」


エレノアが訂正すると、


「そう、それそれ!」


と頭をかきながら笑った。


「で、そっちが新しいマスターか!」


タクは軽く頭を下げる。


「桝棚卓です。」


「タクと呼んでください。」


「よろしくお願いします。」


「おう!」


ガロンは大きな手を差し出した。


握手すると、思わず肩が引っ張られるほど力強い。


「いい手してるな!」


「料理人の手だ!」


タクは苦笑する。


「まだ始めたばかりです。」


「謙遜するな!」


ガロンは店の奥へ歩いていく。


しばらくして、細長い緑色の野菜を何本も抱えて戻ってきた。


「ほら。」


「餞別だ。」


「ギュウリ。」


「え?」


タクが驚く。


「いいんですか?」


「開店祝いだ!」


「今日は朝採れでな!」


「出来がいい!」


表面には細かな粒が並び、みずみずしい緑色をしている。


太さも揃い、真っ直ぐ伸びていた。


「ありがとうございます。」


タクは丁寧に頭を下げた。


ガロンは照れくさそうに鼻をこする。


「いい店にしてくれよ。」


「エレノアさんの店は、昔よく世話になったからな。」


「もちろんさ。」


エレノアは優しく笑った。


「またよろしく頼むよ。」


「任せろ!」


市場を歩きながら、タクは籠の中のギュウリを見つめる。


「立派ですね。」


「ガロンの野菜は評判だからね。」


「鮮度が違う。」


エレノアは一本手に取る。


「ほら。」


ぱきっ。


「これが新鮮な証拠。」


タクは思わず見入った。


「僕の故郷で見ていた野菜と、とてもよく似ています。」


「今日はこれで一品作ってみるかい?」


その一言で、タクは少し考え込む。


ギュウリ。


みずみずしい。


心地よい歯ごたえ。


さっぱりしていて酒にも合う。


頭の中で、いくつもの料理が浮かんでは消えていく。


(……何か出来る。)


頭の中で、日本で食べていた料理が浮かんでは消える。


浅漬け。


酢の物。


サラダ。


どれも悪くない。


だが──


(叩きギュウリだ。)


思わず足が止まった。


「どうしたんだい?」


「いえ。」


タクは小さく笑う。


「ちょっと作ってみたい料理を思い出しました。」


エレノアは興味深そうに目を細める。


「ほう?」


「どんな料理だい?」


「まだ完成してないので。」


「上手く出来たら、ファーストプレートに出してみようかと思います。」


その返事に、エレノアは嬉しそうに笑った。


「いいねぇ。」


「料理人はね。」


「思いつきを形にして初めて、自分の料理になる。」


「失敗もする。でも、その積み重ねが腕になるんだよ。」


市場を回りながら、


ヴタ肉。


ヴシ肉。


パォン。


ルタス。


タメェゴォ。


香草。


ギョマの実。


必要な物を少しずつ買い揃えていく。


昨日注文していたヴィールの樽も、酒屋から夕方には届く予定だという。


「これで今夜も開店できそうですね。」


タクがそう言うと、


エレノアは満足そうに頷いた。


「うん。」


「今日は昨日より、もっとお客さんが来る気がするよ。」


二人は荷物を抱えながら、ゆっくりとRack of Luckへの帰り道を歩いていく。


その籠の中で、朝露をまとったギュウリが陽の光を受けて瑞々しく輝いていた。


その一本が、今夜──


この店の新しい名物になるとは、まだ誰も知らなかった。


市場から戻ると、エレノアは両手を軽く叩いた。


「さて。」


「今日も開店まで、あっという間だよ。」


「仕込みを始めようか。」


「はい。」


タクは買ってきた食材を一つひとつ食材庫へ運び込んでいく。


ヴタ肉は吊るし棚へ。


ヴシ肉は冷蔵庫へ。


ルタスは湿らせた布を被せた木箱へ。


香草は水を張った瓶へ差し込む。


食材にはそれぞれ適した置き場所があり、それを丁寧に教えてくれるエレノアの説明は分かりやすかった。


「食材はね。」


「大事に扱えば、それだけ応えてくれる。」


「料理人は腕も大事だけど、食材を無駄にしない心も大事なんだ。」


「はい。」


タクは真剣に頷く。


最後に籠へ残ったのは、八百屋のガロンから貰ったギュウリだった。


朝露は消えたが、鮮やかな緑色は変わらない。


一本手に取る。


ずっしりとした重み。


包丁を軽く当てるだけで、みずみずしさが伝わってくる。


(これなら……。)


頭の中には、もう一つの料理しかなかった。


「エレノアさん。」


「このギュウリ、少し使ってもいいですか?」


「もちろんさ。」


「餞別なんだから好きに使いな。」


「ありがとうございます。」


タクはまな板へギュウリを並べた。


包丁を持つ。


……しかし、すぐには切らない。


包丁を横へ置き、代わりに包丁の腹を持った。


「切らないのかい?」


「はい。」


「この料理は、叩くんです。」


「叩く?」


エレノアが目を丸くする。


タクは少し笑った。


「断面をきれいに切るより、味が入りやすくなるんです。」


そう言って、ギュウリへ包丁の腹を軽く当てる。


ごん。


小さな音。


ひびが入る。


もう一度。


ごつっ。


ぱきっ。


今度は自然に割れた。


真っ直ぐではない。


ごつごつとした断面。


さらに手で食べやすい大きさへ割っていく。


エレノアは興味深そうに覗き込んだ。


「そんな切り方、初めて見たよ。」


「味を染み込みやすくするためです。」


「なるほどねぇ。」


タクは木鉢へ移す。


そこへ塩を振った。


さらさら。


白い粒が緑色へ散っていく。


両手で軽く混ぜる。


「ここで少し置きます。」


「すぐ作らないのかい?」


「はい。」


「水分を出します。」


しばらく待つ。


その間に別の準備を始める。


小さな石鉢を取り出し、ニャンニクを一欠片だけ入れる。


ごり、ごり。


石棒でゆっくり潰していく。


強すぎない香り。


酒の邪魔をしない程度。


「少ないんだね。」


「香り付けくらいで十分なので。」


「ほぉ。」


次はギョマの実。


黒く小さな粒を石臼へ入れる。


ゆっくり回す。


ごろ、ごろ、ごろ。


香ばしい香りが立ち始めた。


「いい香りだねぇ。」


「炒ったギョマの実から搾った油です。」


「香りが強いので、少しだけ使います。」


「ギョマ油か。」


「ほんの少し?」


「はい。」


エレノアは感心したように頷く。


「使いすぎない。」


「それも料理なんだね。」


「そう教わりました。」


タクは少し照れながら答えた。


その頃には、ギュウリから水滴がじんわりと浮かび上がっていた。


「これくらいですね。」


両手で軽く握る。


ぎゅっ。


余分な水だけを落とす。


完全には絞らない。


少しだけ瑞々しさを残す。


そこへギョマ油を細く回しかける。


とろり。


続いて、すり下ろしたニャンニク。


最後に、軽く砕いたギョマ。


白と黒の粒が散る。


木匙で優しく混ぜる。


かしゃ。


かしゃ。


器の中で、ギュウリが艶やかに光り始めた。


「……。」


エレノアはしばらく黙って見つめていた。


「綺麗だねぇ。」


その一言だった。


派手ではない。


豪華でもない。


それでも、なぜか食べたくなる。


そんな一皿だった。


タクは小鉢へ少しだけ盛り付ける。


高さを揃えすぎず、自然に。


最後に香草を一枚だけ添えた。


「完成です。」


エレノアは目を細める。


「名前は?」


タクは少し考える。


まだ名前は決めていなかった。

 

「……まだ決めていません。」


「料理は出来ましたけど、名前はこれからです。」


エレノアは優しく笑った。


「なら、お客さんが付けてくれるかもしれないね。」


その言葉に、タクも小さく笑う。


「そうだったら嬉しいです。」


エレノアは一口味わい、ゆっくりとうなずいた。


「いい味だ。」


もう一口食べる。


「これはヴィールによく合う。」


少し考え込んでから続けた。


「でも、ヴァインやズコッチには少し違うかもしれない。」


「お客さんに合わせて出してあげな。」


「料理は味だけじゃない。」


「誰に出すかも、大事だからね。」


外では夕日がゆっくりと街を染め始めていた。


もうすぐ開店時間。


今日もまた、『Rack of Luck』に灯りがともる。


そして、この小さな一皿が──


店の新たな名物となり、


思いもよらない騒動を巻き起こすことになる。


————————


夕日が沈み、ノクスアークの街に夜が訪れる。


店先へ吊るしたランプへ、エレノアが魔力を流し込む。


ぽっ。


柔らかな橙色の灯りがともった。


「よし。」


「今日も始めようか。」


タクは深く息を吸う。


「はい。」


木製の看板には、『Rack of Luck』の文字。


その灯りに誘われるように、人々が少しずつ足を止め始める。


「お、開いてるぞ。」


「昨日の新しい店だ。」


「今日は入ってみるか。」


扉のベルが鳴る。


――からん。


夜の店内はすぐに活気に包まれた。


「ヴィール一杯!」


「ポトテサラダ追加!」


「ソージーセ焼いてくれ!」


昨日と同じ料理が並ぶだけで、客たちは満足そうに頷く。


「このポトテ、妙にいいな。」


「芋なのに重くない。」


「いつもの煮たポトテだけよりは何倍も美味い」


「ヴィールが進む味だ。」


タクは小鉢を次々と出しながら、少しずつ店の流れを掴んでいく。


エレノアはカウンターの内側で満足そうに頷いていた。


「うん、もう立派な店だねぇ。」


やがて一度、客の波が入れ替わる。


最初の酔客が帰り、店内に少しだけ“空気の余白”が生まれた頃。


からん。


扉が静かに開いた。


入ってきたのは一人の女性だった。


水を思わせる静かな足取り。


青みがかった黒髪。


落ち着いた切れ長の瞳。


見た目は長身の河童族の女性。


整った顔立ちに、どこか涼しげな雰囲気を纏っている。


頭の皿に張られた水は透き通り、歩くたびに静かに揺れていた。


彼女は店内を一度見渡す。


賑わいの余韻。


笑い声の残り香。


グラスの音。


それを確かめるようにしてから、カウンターへ腰を下ろした。


「へぇ……」


小さく息を漏らす。


「ちゃんと“店”になってるじゃないか。」


「昔ここが閉まる前に何度か来たミズハってものだ」


タクは顔を上げる。


「いらっしゃいませ。」


ミズハは軽く手を振る。


「ヴィールを一杯。」


「かしこまりました。」


黄金色の酒が注がれる。


ミズハはそれを一口飲み、静かに頷いた。


「うん。」


「やっぱりここはいい。」


そして少しだけ間を置く。


タクを見て、ゆっくりと口を開いた。


「ねぇ、マスター。」


「はい。」


「何か。」


「私に似合う料理はないかい?」


その言葉に、タクの手が止まる。


(似合う料理……。)


店内にはまだ、ポトテサラダや焼き物を楽しむ客がいる。


だが、その中に“ミズハのための一皿”はまだ存在していない。


タクは厨房へ視線を向ける。


素材はある。


ギュウリ。


昼に仕入れた、少しだけ瑞々しい香りの残る野菜。


(あれならいけるか……?)


ただの料理ではない。


“この人に似合うもの”。


「少々お待ちください。」


ミズハは楽しそうに笑う。


「期待してるよ。」


タクは厨房へ戻る。


ギュウリを取り出す。


軽く水気を切り、木鉢に置く。


叩く。


ぽん、ぽん、と軽い音。


表面が割れ、断面が荒くなる。


そこへギョマ油をほんの少し。


香りがふわりと立ち上がる。


塩。


控えめなニャンニク。


最後に香草を一枚。


静かだが、香りは確かに生きている。


タクは小鉢へ盛り付ける。


一瞬だけ迷い、そしてカウンターへ置いた。


「ファーストプレートです。」


ミズハは小鉢を見つめる。


「ギュウリ……?」


「見たことはあるけど、料理にするのは初めてだね。」


そう言いながら、フォークを取る。


一切れ。


口へ運ぶ。


タクは河童の見た目に偏見を持ってしまい、彼女の同行に注視してしまう。


しゃくっ。


その瞬間――


ミズハの動きが止まった。


ゆっくりと目を見開く。


そして立ち上がる。


「……っ。」


天井を見上げる。


数秒の静寂。


店内の音が遠のく。


そして――


「――美味いッ!!」


店中に響くほどの声だった。


客たちが一斉に振り向く。


一気に空気が弾けた。


「なにこれ!」


「食感が最高だ!」


「叩いているのに完成してる!」


「味が、噛むたびに変わる!」


一口、もう一口。


ミズハの言葉が止まらない。


「塩が最初に来る!」


「そのあと油が広がる!」


「なのに重くない!」


「むしろ酒の邪魔をしない!」


ヴィールを飲む。


ごくり。


「むしろこれ……」


「ヴィールを飲むために作られてる!」


店内が静まり――


次の瞬間。


「俺にもそれくれ!」


「こっちも!」


「追加だ!」


「ヴィールもう一杯!」


一気に店が再点火する。


タクは微笑みながら厨房へ戻る。


皿が増える。


声が重なる。


グラスが鳴る。


その中心で、ミズハは満足そうに笑っていた。


しばらくして。


ミズハはグラスを置き、静かにタクを見る。


「マスター。」


「はい。」


「この店の名前は?」


「Rack of Luckです。」


「いい名前だ。」


「じゃあもう一つ。」


「マスターの名前は?」


タクは少しだけ姿勢を正す。


「桝棚卓です。」


「皆さんにはタクと呼ばれています。」


ミズハはその名前をゆっくりと繰り返す。


「タク。」


「覚えた。」


そして小鉢を軽く持ち上げた。


「今日からここは、私の帰る店にする。」


タクが目を瞬かせる。


「つまり──」


「常連ってやつさ。」


タクが目を瞬かせる。


ミズハは笑う。


「私が来た日は、これを出してくれ。」


「叩きギュウリ。」


タクは自然と笑った。


「はい。」


「いつでもご用意します。」


ミズハはヴィールを飲み干し、立ち上がる。


「また来るよ。」


ベルが鳴る。


――からん。


その音を聞きながら、タクは店内を見渡した。


笑い声。


満足した客たち。


空になった皿。


そして、まだ続いていく夜。


『Rack of Luck』は、この夜また一人、“常連”を得たのだった。

※今後この食材の名前設定忘れてたり、間違えていたら誤字や感想でご報告してくださいw

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