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カプリーゼ

地下セラー。


木の珠は、何事もなかったかのように飾り棚へ戻されていた。


ほんのりと木の香り。


どこか甘く、落ち着く匂い。


あの酒蔵で交わした約束など、まるで夢だったかのように静かにそこへ収まっている。


タクは一度だけ視線を向ける。


(……秘密です。)


そう心の中で呟くと、いつも通り営業の準備を始めた。


カラン。


入口のベルが鳴る。


「速達便です!」


聞き覚えのある声だった。


扉の前には、人の背丈ほどもある甲虫人。


艶のある黒い外殻。


長い触角。


背中には革製の郵便鞄。


配達員ギルドの制服は相変わらず皺一つなく、靴まで磨かれている。


以前、監査官からの速達を持ってきたあの配達員だった。


「こんにちは。」


「Rack of Luck様宛に速達便です。」


「ありがとうございます。」


受領印を押し、封筒を受け取る。


表には差出人も紋章もない。


中には一枚だけ、上質な紙。


流れるような美しい文字で書かれていた。


『予告状 明日の夜、そちらの料理と酒を嗜ませていただきたい。


 よろしければ、表の看板へ黄色いハンカチを結んでおいてくれたまえ。


           怪盗ノレパン三世』


「……予約状?」


タクは首を傾げる。


その日の夕方。


いつものようにエレノアが来店した。


「やあ、タク。」


「おかえりなさい。」


「それはなんだい。」


タクは苦笑しながら紙を差し出した。


「こんな予約状が届きまして。」


エレノアは目を通す。


「怪盗……ノレパン三世?」


「ご存じですか?」


「いや、私は知らないねぇ。」


「そうですか。」


「まぁ予約なら予約だ。」


「席だけ用意しておけばいいじゃないか。」


「ですね。」


タクは予約帳へ静かに書き込んだ。


『明日 カウンター一席』


『ノレパン三世様』


その日の夜。


店はいつも通り賑わっていた。


常連達が笑い。


酒が進み。


料理が運ばれていく。


その時だった。


初めて来た若い冒険者が、棚に飾ってあった予告状を見つける。


「あれ……?」


「怪盗ノレパン三世?」


店内が少しだけ静かになる。


ミズネが顔をあげた。


「え?」


「本物?」


隣の初見客も立ち上がる。


「うわ、本物じゃないか。」


タクだけがきょとんとしている。


「そんなに有名な方なんですか?」


店内が一斉に笑った。


「有名なんてもんじゃない!」


「知らないのか?」


別の冒険者が肩を竦める。


「初代ノレパンは伝説の大怪盗。」


「悪徳貴族から財宝を盗み。」


「貧民街へ金貨をばら撒いた。」


「今の三世も似たようなもんさ。」


ミズネも頷く。


「盗まれた貴族は怒るけど。」


「助かった人も多い。」


「変わった怪盗なのです。」


旅猫が笑う。


「でも安心安心。」


「ラックラックに盗られる物なんて無いよね~。」


店内は笑いに包まれた。


タクも苦笑する。


「そうですね。」


「盗られて困る物は……。」


一瞬だけ地下の木の珠が頭をよぎる。


(……いえ。)


(あれは誰にも分かりません。)


翌日。


タクは黄色いハンカチを看板へ結び付けた。


「これでよし。」


夜。


営業開始。


一時間ほど経った頃。


カラン。


扉が開く。


入ってきたのは、ドビンダニの獣人だった。


細身だが筋肉質。


深いフェルトハット。


鋭い目付き。


長い茶色の外套。


まるで刑事そのものの格好だった。


店内を一度見回し。


静かに近付いてくる。


「店主。」


「はい。」


懐から手帳を取り出す。


「魔国際警備局特別捜査課。」


「ドビンダーだ。」


警察手帳を開く。


本物だった。


「俺は長年。」


「怪盗ノレパン三世を追っている。」


タクは驚く。


「そうだったんですか。」


「予告状が届いたと聞いた。」


「奴は必ず来る。」


「迷惑かもしれないが。」


「協力してくれ。」


「もちろんです。」


タクは笑顔で頷く。


「ではこちらへ。」


予約席の隣。


一席だけ空けていた場所へ案内する。


「ありがとう。」


ドビンダーは腰を下ろす。


タクは少し考えた。


「刑事さん。」


「はい。」


「何も注文されないと。」


「逆に目立つかもしれません。」


ドビンダーは少し笑う。


「確かにな。」


「なら今日のおすすめを頼む。」


「かしこまりました。」


タクは厨房へ向かった。


まず真っ赤なトメト。


包丁で均等な厚さに切る。


続いて真っ白なモッツァーレチーズュ。


こちらも同じ厚みに。


最後は朝摘みの香り高いバヅル。


皿へ。


赤。


白。


緑。


赤。


白。


緑。


美しく交互に並べていく。


仕上げに黄金色のオリーヴオイル。


細挽き胡椒。


ほんの少しだけ塩。


シンプル。


だからこそ誤魔化しが利かない。


「お待たせしました。」


皿を置く。


「これは?」


「カプリーゼです。」


「初めて聞くな。」


「ファーストプレートです。」


「まずはこちらから。」


「そして。」


白ヴァインを注ぐ。


さらに。


棚から古びた銀色のデキャンタを取り出した。


静かにヴァインを移し替える。


ゆっくりと回す。


透明な液体が空気へ触れ。


香りがふわりと花開く。


ドビンダーの目が細くなった。


だが何も言わない。


タクは気付かない。


グラスへ静かに注ぐ。


「どうぞ。」


「この料理。」


「白ヴァイン泥棒と呼ばれることもあるんです。」


「泥棒?」


「はい。」


「お酒が止まらなくなるので。」


ドビンダーが笑う。


「ほう。」


「それなら俺が逮捕しなきゃならんな。」


店内から笑いが起きる。


一口。


トメト。


チーズュ。


バヅル。


白ヴァイン。


「……。」


もう一口。


「これは。」


「うまい。」


「酒が。」


「止まらんな。」


タクも笑う。


「でしょう?」


「恐ろしいファーストプレートです。」


ドビンダーはタクの手元へもう一度視線を向ける。


その目だけが鋭かった。


(あれは……。)


(まさか。)


しかし何も聞かない。


ただ静かに料理を味わった。


やがて夜も更け。


常連達は帰り支度を始めたころ。


ドビンダーも席を立った。


「どうやらやつは現れなかったようだ。」


「そうですね。」


「いや。」


「来ていたのかもしれん。」


「ただ。」


「何も盗まない日もある。」


「現行犯でなければ逮捕できん。」


懐から金貨を二枚取り出す。


「これは代金だ。」


タクは慌てる。


「多すぎます!」


「お釣りを。」


ドビンダーは首を振った。


「捜査協力費だ。」


「領収書を書いてくれ。」


「経費で落ちる。」


「……そういうものなんですね。」


タクは領収書を書く。


宛名。


少しだけ考え。


『上様』


と書いた。


ドビンダーは吹き出した。


「ははっ。」


「細かいことは気にしない店か。」


「ありがとうございます。」


「いい店だった。」


「今度は。」


「個人としてゆっくりと来たい。」


そして。


帰り際。


一度だけデキャンタを見る。


「……。」


「良い道具達だ。」


「大切にしろよ。」


「はい。」


「ありがとうございます。」


タクは入口まで見送った。


ドアが閉まる。


カラン。


「ふぅ。」


店へ戻ろうとした。


その時だった。


カランッ!!


勢いよく扉が開く。


「店主!!」


さっきのドビンダー刑事が息を切らして飛び込んできた。


「はい?」


「今ここに俺が来なかったか!?」


「え?」


タクは固まる。


「ええ……。」


「さっきまで……。」


ドビンダーは頭を抱えた。


「くそっ!!」


「やられた!!」


「俺じゃない!!」


「それがノレパンだ!!」


店内に残っていた常連達も一斉に立ち上がる。


「えぇぇぇぇ!?」


ドビンダーは踵を返した。


「待てぇぇぇぇぇぇ!!」


「ノレパ〜ン!!」


夜の街へ全力疾走。


残された店内。


しばし沈黙。


そして。


ミズハさんが叩きギュウリを食べながら


「結局なにも盗まれなかったねぇ」


ワクワクしていたミズネが苦笑する。


「いえ。」


「彼はとんでもないものを盗んでいきました。」


旅猫がぽつりと呟く。


「……。」


「我々の時間ですニャ。」


タクだけが最後までほほ笑んでいた。


「ハンカチ片付けてきますね。」

ノレパン三世ですので!

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