宴会
カラン……
夜。
いつものようにRack of Luckへ最初のお客様が入ってくる。
「こんばんは。」
「いらっしゃいませ。」
ミズハだった。
「いつもの。」
「かしこまりました。」
ヴィール。
叩きギュウリのサラダ。
ポーチドタメェゴォ添え。
いつもの席。
いつもの笑顔。
食事を終え、お会計になる。
タクが伝票を見ながら言う。
「銀貨三枚になります。」
ミズハは銀貨を四枚置いた。
「……?」
「ミズハさん、一枚多いですよ。」
ミズハは笑って首を振る。
「違う違う。」
「建国祭の分。」
「建国祭……ですか?」
「また来るからね。」
そう言って手を振り帰っていった。
タクは銀貨を見つめる。
「……建国祭?」
何かの間違いだろうか。
そう思いながら帳簿の端へ『預かり』とだけ書き添えた。
その日の夜。
ガルムがやってくる。
「ヴィール!」
「かしこまりました。」
ハーヴソージーセを焼き、ヴィールを注ぐ。
いつものように飲み、笑い、帰る時間。
ガルムも銀貨を一枚多く置いた。
「ガルムさん。」
「多いですよ。」
「違う違う。取っとけ取っとけ。」
「建国祭の分だ。」
「……またですか?」
「また!だ。」
豪快に笑って帰っていく。
翌日。
ミズネ。
「これも建国祭分です。」
さらに翌日。
料理人のオーク。
「祭りの日、楽しみにしてるぞ!」
銀貨を一枚。
さらにラスター。
「タクー!」
「建国祭だから!」
「これ!」
銅貨を何枚も両手いっぱいに並べる。
「私、お金あんまりないけど!」
「その代わりハグマリいっぱい持ってくるね!」
「ありがとうございます。」
蜂たちを連れたサツキまで、小さな袋を机へ置く。
『建国祭』
そう書かれた紙だけを残し、静かに帰っていった。
数日もすると。
帳簿には建国祭預かりの文字がずらりと並ぶ。
銀貨。
銅貨。
金貨まで混じっている。
タクは困り果てた。
「エレノアさん。」
「皆さん、お金を多く置いていかれるんです。」
「何かのお祝いでしょうか。」
グラスを磨いていたエレノアが、ふっと笑う。
「もうそんな時期だったね。」
「建国祭。」
タクは椅子へ座る。
「建国祭?」
「ノクスアーク魔王国が建国された日さ。」
エレノアは静かに語り始めた。
「この国じゃね。」
「一年で一番大切な日。」
「一週間前になると。」
「みんな、自分の好きな店へ少しずつお金を預ける。」
「銀貨一枚でも。」
「銅貨一枚でも。」
「余裕がある人はもっと。」
「余裕がない人は無理しない。」
タクは頷く。
「それで……?」
エレノアは微笑んだ。
「当日は。」
「財布なんて出さない。」
「食べても。」
「飲んでも。」
「全部無料。」
「えっ?」
思わず大きな声が出た。
「店が、みんなを招待する日なんだよ。」
「一年に一日だけ。」
「誰も値段を気にせず。」
「腹いっぱい食べて。」
「心から笑う日。」
「それに店も答える。」
タクは帳簿を見る。
そこには、この数日で積み重なった皆の想いがあった。
「……素敵ですね。」
「そうだろう?」
エレノアは優しく笑った。
「だから忙しいよ。」
「一年で一番ね。」
翌朝。
二人は市場へ向かった。
肉屋。
魚屋。
八百屋。
チーズ工房。
パン屋。
酒屋。
町中がいつもより賑やかだ。
「おっ!」
「ラックラックじゃないか!」
肉屋の店主が笑う。
「初めての建国祭だろ?」
「はい。」
「だったら少し多めに持っていきな!」
ヴシ肉を一塊、おまけしてくれる。
「ありがとうございます!」
魚屋へ行く。
「アジュも今日は安くしとくよ!」
「祭りだからな!」
野菜屋。
「ポトテ、多めに持ってけ!」
パォン屋。
「焼きたてパォンだ!」
「朝一番だから香りが違うぞ!」
チーズュ工房。
「ウェットチーズュ、熟成ドライチーズュ、どっちも持っていきな!」
タクは何度も頭を下げた。
「皆さん、本当にありがとうございます。」
すると酒屋の主人が、大きな樽を転がしながら笑った。
「ラック・オブ・ラック。」
「初めての建国祭だったよな。」
「はい。」
「これはオマケだ。」
そう言って、小さな樽を一つ差し出した。
「祭り限定で仕込んだヴィールだ。」
「えっ。」
「当日になったらよ。」
「俺たちも飲みに行く。」
「どんな店になってるか楽しみにしてるからな!」
周りの店主たちも笑った。
「私も行くよ!」
「家族連れてな!」
「今年はラクラクにも寄る予定だ!」
「忙しくなるぞ!」
「覚悟しときな!」
市場中が笑い声に包まれる。
タクは樽を両手で抱えたまま、深く頭を下げた。
「……はい。」
「皆様に楽しんでいただけるよう、精一杯おもてなしさせていただきます。」
店へ戻る頃には荷馬車いっぱいの食材。
地下セラーも厨房も食材で埋まり始める。
エレノアは腕を組みながら満足そうに頷いた。
「さあ。」
「ここからが腕の見せ所だ。」
タクも大きく息を吸う。
「はい。」
「今までで一番、たくさんの笑顔を迎えられるように。」
厨房に立つ。
仕込みは、まだ始まったばかりだった。
————————
夕暮れ。
太陽が山の向こうへ沈み始める。
昼間とは違う熱気が町を包み始めていた。
通りには色鮮やかな旗が揺れ、露店からは焼いた肉や甘い菓子の香りが漂う。
子どもたちは走り回り、大人たちは肩を組みながら笑い合っていた。
遠くでは楽団が演奏を始め、建国祭の夜がゆっくりと幕を開ける。
Rack of Luckの入口にも、小さな木札が掛けられていた。
『本日 建国祭
ご自由にお入りください』
タクは深く息を吸う。
厨房には仕込み終えた料理がずらりと並んでいた。
叩きギュウリのサラダ。
ポーチドタメェゴォ。
フライドォリ。
ハーヴソージーセ。
ドライチーズュとウェットチーズュ盛り。
ハグマリの白ヴァイン蒸し。
マッシュルールのアヒージョ。
生ヒャムのリュッケ。
焼きたてのパォン。
ジィンジャークッキー。
アイシングカップケーキ。
クラッカの上には様々な食材が並んでいる。
ノンアルコールカクテルの材料も十分。
地下セラーには冷やされたヴィールやヴァインが静かに出番を待っている。
エレノアは店内を見回し、満足そうに頷いた。
「いいねぇ。」
「これなら誰が来ても迎えられる。」
タクも笑顔で答える。
「はい。」
「今日は皆さんに楽しんでいただきます。」
カラン……
最初の扉が開いた。
「こんばんは。」
「いらっしゃいませ。」
ミズハだった。
「今日は飲むよ。」
「建国祭だからね。」
いつもの席へ腰を下ろす。
「まずはヴィール。」
「それと叩きギュウリ。」
「今日はポーチドタメェゴォも乗せてね。」
「かしこまりました。」
続いて。
カラン。
「おう!」
「今日は仕事の話は禁止だ!」
豪快に笑いながらガルムが入ってくる。
「ヴィールだ!」
「あとソージーセ!」
「今日は色々混ぜたやつを食わせろ!」
「はい。」
さらに。
「こんばんは。」
ミズネも姿を見せた。
「数日は帳簿も監査も忘れます。」
「建国祭ですから。」
店内に笑いが広がる。
エレノアは三人へヴィールを注ぎながら言った。
「乾杯は全員揃ってからさ。」
その時だった。
カラン。
「タクーー!!」
元気いっぱいの声。
ラスターだった。
大きな籠を抱えながら飛び込んでくる。
「今日は食べるだけ!」
「ハグマリは持ってきてないよ!」
「お客様ですから。」
「いっぱい食べてください。」
「やったー!」
ラスターは飛び跳ねる。
その後ろから、静かにサツキが入ってきた。
相変わらず無表情。
周囲を飛ぶ蜂たちが小さな紙を掲げる。
『建国祭』
『乾杯』
タクは笑顔で頷いた。
「ミィードをご用意いたします。」
蜂たちが一斉に頷く。
カラン。
「今日は魚は持ってきてないよー!」
オルカも笑いながら入ってくる。
「今日は客!」
「食べに来た!」
「歓迎いたします。」
その頃には店内はほぼ満席になっていた。
常連たちは自然と席を詰め合い、新しく来た客へ椅子を譲る。
誰一人として嫌な顔をしない。
祭りの日。
それが当たり前だった。
さらに魔法大学校の制服姿が見える。
「こんばんは!」
スネイリリーだった。
「今日は勉強は禁止です!」
その後ろからマロバンも苦笑しながら入ってくる。
「今日は私も学生として楽しみます。」
「ノンアルコールをお願いします。」
「かしこまりました。」
青く輝くノンアルコールカクテル。
箒を模したクッキー。
魔法陣を描いたカップケーキ。
学生たちは歓声を上げる。
「かわいい!」
「食べるのがもったいない!」
店の中は笑顔で満ちていく。
タクは料理を作り続ける。
焼く。
混ぜる。
注ぐ。
切る。
その手は休まらない。
けれど不思議と疲れは感じなかった。
目の前で皆が笑っている。
それだけで十分だった。
そんな賑やかな時間の中。
カラン……
扉が静かに開いた。
誰も気付かないほど、小さな音。
入口には一人の少女が立っていた。
灰色のフード付きの外套。
袖口は擦り切れ。
裾は泥で汚れている。
長い旅を続けてきたことが、一目で分かる姿だった。
深く被ったフードの奥から。
艶のある黒髪が一房だけ静かにこぼれ落ちる。
その黒髪を伝い。
ぽたり……
一粒の液体が床へ落ちた。
少女は慌てて袖で拭う。
誰にも見られないように。
何事もなかったように。
小さく俯いたまま立っていた。
タクだけが、その姿に気付く。
包丁を置き、静かに入口まで歩く。
「いらっしゃいませ。」
少女は小さく首を振った。
「……お金、ない。」
その声は消え入りそうなほど小さかった。
タクは優しく微笑む。
「今日は建国祭です。」
「この国では。」
「今日だけは、皆さんが大切なお客様なんですよ。」
少女はゆっくり顔を上げる。
赤く潤んだ瞳。
驚いたようにタクを見つめていた。
「どうぞ。」
「空いている席へ。」
少女は何も言えず、小さく頭を下げる。
タクは厨房へ戻る。
焼きたてのパォンを一つ。
香ばしく焼き上げたヴシ肉のソテー。
付け合わせを少しだけ添える。
そして。
炭酸水へレモソを一切れ。
しゅわ……
小さな泡が静かに弾ける。
「お酒ではありませんので。」
「安心して召し上がってください。」
少女は両手でグラスを包む。
一口。
冷たく爽やかなレモソの香り。
肩から、ほんの少しだけ力が抜ける。
続いてパォンをちぎる。
ヴシ肉を口へ運ぶ。
噛むたびに広がる肉汁。
焼きたての香り。
少女は何も言わない。
ただ。
頬を一筋だけ、新しい涙が伝っていた。
その涙は、先ほどの涙とは少しだけ違って見えた。
————————
店内は、夜が更けるにつれてさらに賑わっていった。
「マスター! こっちにもヴィール!」
「ハーヴソージーセ追加!」
「スモークチーズュもお願いします!」
「はい!」
タクは笑顔のまま厨房とカウンターを何度も往復する。
焼く。
切る。
盛り付ける。
注ぐ。
洗う。
その動きは止まらない。
それでも、不思議と忙しさは苦にならなかった。
店中が笑顔だから。
「タクー!」
ラスターが大きく手を振る。
「このハグマリの白ヴァイン蒸し!」
「今日が一番美味しい!」
「ありがとうございます。」
隣ではガルムが大笑いしている。
「おいミズハ!」
「その叩きギュウリ、一口くれ!」
「やだ。」
「自分で頼みな。」
「ケチ!」
「ふふっ。」
ミズネまで笑い出す。
普段は静かなバーが、
今夜だけは町の酒場のような温かさに包まれていた。
魔法大学校の学生たちも楽しそうだった。
スネイリリーは箒型のクッキーを掲げて笑う。
「これ、食べるのもったいない!」
マロバンは青いノンアルコールカクテルを眺めながら小さく呟く。
「……やっぱり。」
「綺麗。」
オルカはヴィール片手に豪快に笑う。
「赤ヴァインも美味しかったけど!」
「私はやっぱりヴィールだね!」
ミズハも頷く。
「赤身には赤ヴァイン。」
「でも今日は祭り。」
「ヴィールで乾杯が一番だ。」
店中から、
「乾杯!」
という声が何度も響く。
その光景を。
フードの少女は静かに見つめていた。
手元のお皿は空。
パォンも。
ヴシ肉も。
レモソの炭酸水も。
きれいに飲み干していた。
少女は椅子から立ち上がる。
静かにタクの前まで歩いてくる。
「……ごちそうさまでした。」
それだけ。
小さく頭を下げる。
タクも微笑み返した。
「ありがとうございました。」
「…また、いらしてください。」
少女は少しだけ口元を緩めた。
それは今夜初めて見せた笑顔だった。
扉へ向かう。
途中で一度だけ振り返る。
笑い合う人たち。
乾杯する人たち。
料理を囲む家族。
仲間たち。
その光景を、
どこか懐かしそうに見つめる。
そして再びフードを深く被り、
祭りの人混みへ静かに溶け込んでいった。
その姿を見送ったタクは、
ただ一言だけ呟く。
「…また、いつでもお越しください。」
名前も聞かない。
事情も聞かない。
それが、この店だった。
やがて時計の針が真夜中へ近付く。
店の外から歓声が聞こえ始めた。
「もうすぐだ!」
「始まるぞ!」
エレノアが笑う。
「タク。」
「少しだけ外へ出ようか。」
「はい。」
店中のお客様が自然と席を立つ。
誰に言われるでもなく、
皆が店の外へ集まった。
夜空を見上げる。
「十!」
誰かが数え始める。
「九!」
「八!」
町中の声が重なる。
「三!」
「二!」
「一!」
――ドォォォォォン!!
夜空いっぱいに魔法の花火が咲いた。
真紅。
蒼。
黄金。
翠。
幾重にも広がる光の輪。
龍が空を駆け、
鳳凰が羽ばたき、
最後には巨大な魔法陣が夜空いっぱいへ描かれる。
その中心に浮かび上がる、
ノクスアーク魔王国の紋章。
歓声が町中へ響いた。
子どもたちは飛び跳ね、
大人たちは肩を組み、
誰もが笑顔だった。
タクはその景色を見上げる。
「……綺麗ですね。」
エレノアは静かに頷く。
「ああ。」
「この国も。」
「悪くないだろう?」
「はい。」
心からそう思えた。
祭りは夜更けまで続いた。
やがて最後のお客様が帰る。
「また来年!」
「ごちそうさま!」
「最高だった!」
扉が閉まる。
店内には静かな余韻だけが残った。
ふたりで店を見回す。
空になった大皿。
積み重なったグラス。
山のような食器。
タクは思わず笑ってしまう。
「これは……すごいですね。」
エレノアも笑った。
「片付けるかい?」
少しだけ考えて、
首を横へ振る。
「……やめます。」
「今日はここまで。」
タクは頷いて
「明日から少しだけ。」
「お店もお休みにしましょう。」
「うん。」
「たまにはしっかり休まなきゃね。」
店の灯りが一つ、また一つと消えていく。
地下セラーへ降りたタクは、
棚を眺めて思わず微笑んだ。
空いた瓶。
減った樽。
たくさんの酒が、
たくさんの人の笑顔へ変わっていた。
「こんなに減ったんですね。」
エレノアは静かに答える。
「それだけ。」
「今日は、みんなが幸せだったってことさ。」
タクはもう一度、
静かな酒棚を見渡した。
そして、小さく微笑む。
「また来年も。」
「皆さんに、笑っていただけますように。」
建国祭の夜は、
幸せな余韻を残したまま、
静かに更けていった。




