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自由国家最初の一歩

魔王城グラン・ファーラの屋上には、心地よい風が吹いていた。


眼下には、どこまでも続く街並み。


石造りの建物が規則正しく並び、その間を様々な種族が行き交っている。


角を持つ者。


翼を持つ者。


獣の耳を揺らす者。


大きな尻尾を振りながら歩く者。


人間ではない者たちが、ごく当たり前のように笑い、働き、買い物をしている。


子どもたちは種族など気にも留めず、一緒になって走り回っていた。


魔王国。


その言葉から想像していた景色とは、あまりにも違う。


もっと暗く、禍々しく、力だけが支配する国だと思っていた。


しかし目の前に広がるのは、どこにでもある平和な街並みだった。


もちろん、人間の国とは住んでいる者たちが違う。


だが、それだけだ。


「さて。」


ドン・ファーラが街を見下ろしたまま口を開いた。


「ここから先は、お前の自由だ。」


タクは魔王へ向き直る。


「自由……ですか?」


「ああ。」


ドン・ファーラは頷く。


「余は、お前をこの国まで連れて来ると約束した。」


「その約束は果たした。」


「ここから先をどう生きるかは、お前が決めろ。」


「先ほども言ったが」


「この国は自由国家だ。」


「働くも自由。」


「商売をするも自由。」


「冒険者になるも自由。」


「勝手にいなくなるのも自由。」


「ただし。」


ドン・ファーラは真っ直ぐタクを見る。


「他者の自由を奪う者は、余が許さんからな。」


短い言葉だった。


だが、その一言だけで、この国の在り方がよく伝わってくる。


自由。


好き勝手ではない。


互いの自由を守るための自由。


それがノクスアーク魔王国なのだろう。


「とはいえ。」


ドン・ファーラが少しだけ表情を緩める。


「心配だから聞いておこう。」


「先立つものは持っているのか?」


「先立つもの……。」


タクはすぐに意味を理解した。


「お金、ですね。」


「ああ。」


タクはズボンのポケットから財布を取り出す。


見慣れた黒い革財布。


中には五百円玉が1枚。


百円玉。


五十円玉。


十円玉。


五円玉。


それと数枚のカードしか入っていない。


ラスターが興味津々で顔を近付けた。


「わぁ!」


「何これ!」


「丸くてピカピカ!」


一枚摘まみ上げる。


「穴が空いてる!」


「不思議なのだねぇ!」


タクは苦笑した。


「やっぱり使えませんか。」


ラスターは首を傾げる。


「これ、なんなの?」


「私の世界でお金になりますね。」


「へぇー。」


興味深そうに眺めている。


サツキの蜂たちも近付いてきて、


『初』


『め』


『て』


と書かれた紙を並べていた。


カンブリボンも三つの顔で硬貨を眺める。


「面白い。」


「綺麗。」


「飾りみたい。」


どうやら、本当に見たことがないらしい。


タクは財布を閉じた。


「まぁ、期待はしていませんでした。」


「異世界ですもんね。」


最初から半分諦めていた。


日本円がそのまま使えるほど都合の良い話ではない。


それでも、一応確認しただけだった。


財布を鞄へしまおうとして。


「あ。」


一つ、思い出した。


鞄の奥へ手を入れる。


指先に触れた革の感触。


取り出したのは、小さな革袋だった。


バーのマスターから渡された、お釣り。


あの時は重いとは思った。


だが、まさか異世界へ来るなど考えてもいなかったため、中身を確かめることもなく鞄へしまっていた。


袋の紐をほどく。


中身を手のひらへ出した。


チャリン。


銀色の硬貨が九枚。


赤銅色の硬貨が三枚。


全部で十二枚。


「これは……。」


タクは硬貨を見つめた。


あの店で支払ったのは一万円札。


会計は七百円。


だから細かいお釣りが欲しいと思い、


「細かいお金にしていただけると助かります。」


そう言った。


するとマスターは、


「承知した。」


そう言って、この革袋を渡してきた。


「全部小銭になっちゃったな。」


あの時はそう思っただけだった。


だが今なら分かる。


あれは日本円ではなかった。


「あの店……。」


誰も見向きもしなかった。


誰も入ろうとしなかった。


マスターは「良い旅を」と言った。


そして、この革袋を渡した。

 

全部知っていたのだろう。


あの店も。


あのマスターも。


だから、


「良い旅を」


だったのか。


タクは思わず苦笑した。


「最後まで不思議な店だったな……。」


運が良かったのか。


運が悪かったのか。


今となっては、もう分からない。


その呟きを聞いたカンブリボンが、硬貨を覗き込む。


「持ってるじゃん。銀貨九枚と銅貨三枚。」


「新人には心細いね。」


「宿屋で一泊か、安宿二泊したら終わりかな。」


ラスターが苦笑しながら肩を竦める。


「安い宿なら何とかなるけど。」


「ご飯も食べるでしょ?」


「装備も必要になるし。」


「冒険者登録もしなきゃいけないし。」


「新人さんには、ちょっと足りないかなぁ。」


タクは銀貨を見つめた。


異世界最初の財産。


思っていたより、ずっと少なかった。


「……仕方あるまい。」


銀貨を見つめていたタクへ、ドン・ファーラが小さく息を吐いた。


「その程度では心許ない。」


「サツキ。」


名前を呼ばれた狐夜鳥サツキは、眠たげな目のまま小さく頷く。


すると、彼女の周囲を飛んでいた働き蜂たちが一斉に飛び立った。


ぶぅぅぅん……


数匹の蜂が城内へ消えていく。


しばらくすると、そのうちの一匹が小さな桃色のがま口を抱えて戻ってきた。


続いてもう一匹。


さらにもう一匹。


数匹がかりでようやく運べるほど、中身は詰まっているらしい。


蜂たちはドン・ファーラの前へ丁寧に置くと、一斉に敬礼するように羽を震わせた。


「ご苦労。」


ドン・ファーラはがま口を手に取る。


ぱちん。


小気味よい音が響いた。


中を覗き込む。


「…………。」


そのまま動かなくなった。


「魔王さま?」


ラスターが不思議そうに顔を覗き込む。


ドン・ファーラは何も答えない。


ゆっくりと手を入れた。


金貨を三枚つまみ上げる。


そのままタクへ渡そうとして。


ぴたり、と止まった。


「…………。」


じっと金貨を見つめる。


ゆっくり手を下ろす。


二枚戻そうとする。


また止まる。


ラスターが首を傾げる。


「魔王さま?」


「……いや。」


ドン・ファーラは小さく首を振った。


もう一度金貨を見る。


少しだけ名残惜しそうに眺める。


「…………。」


結局、一枚だけがま口へ戻した。


ぱちん。


静かに口を閉じる。


残った二枚を、そっとタクへ差し出した。


「貸してやる。」


「生活の足しにしろ。」


タクは慌てて両手で受け取る。


ずしり、と重い。


思っていた以上に重厚な金貨だった。


「ありがとうございます。」


「必ず返します。」


ドン・ファーラは真面目な顔で頷く。


「ああ。」


「必ず返しに来い。」


最後だけ少し声が小さかった。


ラスターが金貨を見ながら口を尖らせる。


「二枚って中途半端じゃない?」


「三枚でいいじゃん。」


「そんな慣例は無い。」


ドン・ファーラは即答した。


「貸付とは必要最低限で行うものだ。」


「必要以上に貸せば、相手のためにならん。」


「ふーん?」


ラスターは納得したような、していないような顔をする。


「でもさぁ。」


「二枚より三枚の方が切りが良くない?」


「良くない。」


「えー。」


サツキの蜂たちが飛んできて、紙を並べる。


『け』


『ち』


ドン・ファーラの眉がぴくりと動いた。


「お前たち……。」


今度は別の蜂が飛んでくる。


『本』


『音』


ラスターは吹き出した。


「ぷっ!」


カンブリボンも三つの顔で笑う。


「確かに。」


「ちょっと。」


「惜しそうだった。」


「違う!」


珍しくドン・ファーラが声を荒げた。


「余は節約していただけだ!」


「給料日前だし!」


「魔王といえど、金は無限ではない!」


「分かったから笑うな!」


ラスターは肩を震わせながら笑っている。


サツキ本人は無表情だが、蜂たちだけが楽しそうに飛び回っていた。


その光景を見て、タクも思わず笑ってしまう。


人間の王よりも威厳があると思っていた魔王は。


案外、親しみやすい人だった。


「では。」


ドン・ファーラは一度咳払いをして話を戻す。


「魔王城は本来、誰でも立ち入れる場所ではない。」


「入城には手続きが必要になる。」


「タクも、今後ここへ来ることは可能だ。」


「ただし、受付で身分証を提示し、許可を得ろ。」


「分かりました。」


「今日はこやつらがお前を送り出す。」


ドン・ファーラはラスターたちへ視線を向けた。


「後は任せる。」


「余は執務へ戻る。」


「今日は解散だ。」


三人が同時に頭を下げる。


「はーい!」


「了解。」


「承知。」


ドン・ファーラはタクへ最後に一度だけ頷いた。


「また来い。」


「金も返してもらわねばならんからな。」


そう言って城内へ姿を消した。


ラスターがすぐにタクの腕へ飛び付く。


「それじゃ!」


「街を案内するね!」


「まずはギルド!」


「その前に市場かな!」


タクは笑いながら頷いた。


「お願いします。」


魔王城を出る。


正門を抜けると、街の様子がよく見えた。


魔王城の周囲には豪華な屋敷が建ち並んでいる。


白い石壁。


色鮮やかな庭園。


美しく整えられた街路樹。


身なりの良い魔族たちが談笑しながら歩いていた。


「この辺はお偉いさんが多いよー。」


ラスターが説明する。


「大臣とか。」


「貴族とか。」


「将軍とか。」


「研究者とか!」


さらに歩く。


建物は少しずつ庶民的になっていく。


飲食店。


服屋。


雑貨屋。


武具店。


子どもたちが元気よく走り回り、その横では露店が賑わっている。


さらに外周へ近付くと、空気が変わった。


カンカンッ!


金属を打つ音が響く。


大きな工房ではドワーフたちが汗だくになって鉄を打っていた。


巨大な炉。


赤く焼けた鉄。


飛び散る火花。


「ここは鍛冶街。」


カンブリボンが説明する。


「武器。」


「防具。」


「農具も。」


タクは思わず見入った。


「すごい……。」


まさに異世界だ。


少し魔王城側に戻ると、一際賑やかな場所が見えてきた。


「市場だよ!」


ラスターが元気よく指差した。


威勢の良い呼び声が響いている。


「大玉トメトだよー!」


「朝採れキャベル!」


「新鮮ネギィー!」


「産みたてタメェゴォだよ!」


見慣れた野菜ばかりだ。


しかし、名前が少しずつ違う。


その違和感が、ここが異世界なのだと改めて実感させてくる。


一軒の露店の前で、ひときわ大きな声が響いた。


「オラの育てたネギィは絶品だぁ!」


犬の獣人だった。


筋骨隆々の身体にエプロン姿。


立派な野菜を高々と掲げると、そのまま豪快に一本かじりつく。


シャクッ。


「ほら見ろ!」


犬獣人はネギィを掲げたまま、大きく頷いた。


「うめぇぇぇ!!」


白い部分を豪快に噛み砕き、満足そうに尻尾を振る。


「甘くてみずみずしい!」


「これだから朝採れはたまんねぇ!」


その様子に周囲の買い物客たちも笑いながら頷いていた。


「一本銅貨一枚!」


「今日のネギィは出来がいいぞー!」


次々と客が集まり、買い物籠へネギィを入れていく。


タクはその光景を見て、思わず口を開いた。


「えっ……。」


「犬さんなのに、ネギを食べるんですか?」


一瞬。


市場が静かになった。


犬獣人がきょとんとした顔でタクを見る。


「ん?」


「ネギィだけど?」


「いや、その……。」


タクは少し言いづらそうに頭を掻いた。


「僕のいた世界だと、犬さんはネギを食べると体に毒なんです。」


その言葉を聞いた犬獣人は目を丸くした。


「毒?」


「ネギィが?」


「何で?」


今度は周囲の客たちまで不思議そうな顔になる。


「えぇ?」


「毒になるの?」


「そんな話初めて聞いた。」


「ネギィが?」


「美味いのに?」


まるで意味が分からないという反応だった。


犬獣人は腕を組み、少し考える。


「お兄ちゃん。」


「それ、本当か?」


「はい。」


「僕の世界では有名な話なんですけど……。」


「へぇー。」


犬獣人は感心したように何度も頷いた。


「世界が違うと、そんなこともあるんだなぁ。」


「オラたち犬獣人は産まれたときからネギィ食って育ってるぞ!」


「農業が得意だからな!」


そう言って胸をどんと叩く。


「特にネギィ作りなら、オラに任せろ!」


「この辺りの畑は、ほとんどオラたちが育ててる!」


「土の匂いを嗅げば出来も分かる!」


「水加減だってお手の物だ!」


自慢げに語る姿に、周囲の客たちも笑いながら頷いている。


「そうそう!」


「犬獣人の野菜は美味しいんだよ!」


「ネギィならここが一番!」


「今日は当たりの日だねぇ!」


犬獣人は照れ臭そうに頭を掻いた。


「へへっ。」


「照れるじゃねぇか。」


「見ろ!」


一本抜く。


その場で土を払う。


ガブリ。


「うめぇぇ!」


シャクッ。


「うんめぇぇぇ!!」


市場に笑い声が広がった。


タクもつられて笑う。


「なるほど……。」


「異世界なんですね。」


「そうだよー!」


ラスターが笑顔でタクの背中を叩く。


ぺたっ。


「この世界じゃネギィは普通の野菜!」


「毒なんて聞いたことないよ!」


「それどころか栄養満点!」


「いっぱい食べる!」


「いっぱい働ける!」


カンブリボンも続ける。


「犬獣人。」


「畑仕事。」


「すごく上手。」


サツキの蜂たちが紙を並べる。


『豊』


『作』


『祈』


『願』


「農業の神様みたいな扱いなんですよ。」


ラスターがそう補足すると、犬獣人は照れながら大きく手を振った。


「そこまでじゃねぇよ!」


「でも嬉しいな!」


「ほら、お兄ちゃん!」


「一本どうだ!」


「負けとくぞ!」


タクは思わず笑ってしまう。


「ありがとうございます。」


「でも、もう少しこの世界のお金の価値を知ってからにします。」


「ははは!」


「堅実だな!」


犬獣人は豪快に笑うと、また別の客へ声を張り上げた。


「さぁさぁ!」


「朝採れネギィだよー!」


「売り切れ御免!」


市場には再び活気が戻る。


魚を売る者。


果物を並べる者。


香辛料の香りが漂う露店。


子どもたちが走り回り、店主たちの威勢のいい声が飛び交う。


そのどれもが、生き生きとしていた。


人間も。


魔族も。


獣人も。


虫人も。


種族は違っても、皆が同じ街で暮らしている。


タクはゆっくりと市場を見渡した。


「魔王国って……。」


「もっと怖い場所だと思っていました。」


ラスターは少しだけ笑う。


「みんな最初はそう言うよ。」


「でもね。」


「住んでみると、案外悪くないんだから。」


その言葉に、タクは静かに頷いた。


少なくとも今のところ。


この国は、自分が想像していた"魔王国"とはまるで違っていた。


市場を抜けると、人通りは少し落ち着いた。


それでも通りには様々な種族が行き交っている。


大きな角を持つ者。


羽を背負った者。


岩のような身体をした者。


人間では見たこともない姿ばかりだったが、不思議と誰も互いを気にしていない。


それが当たり前なのだ。


「着いたよー!」


ラスターが元気よく指差した。


石造りの三階建て。


正面には巨大な剣と盾を交差させた看板。


その下には大きく、


『冒険者ギルド

——ノクスアーク支部』


と書かれていた。


「ここがギルド。」


「ノクスアークで仕事を探すなら、まずここだね!」


建物へ入ると、一気に賑やかな空気が押し寄せてきた。


酒場のような広い空間。


長机には様々な種族が腰掛け、酒を飲みながら笑っている。


鎧姿の者。


ローブ姿の者。


巨大な斧を背負う多目の悪魔。


受付前では依頼書を眺める冒険者たちが列を作っていた。


「結構、人がいるんですね。」


「朝一はもっと多いよー。」


ラスターが答える。


「今は昼すぎだから少ない方!」


タクは思わず周囲を見回した。


魔王国。


そう聞いて想像していた陰鬱な雰囲気はどこにもない。


むしろ活気に満ちている。


「受付はあっち。」


ラスターに案内され、受付へ向かう。


そこには、一人の女性が立っていた。


いや。


女性というより――。


「……トカゲ?」


思わず口に出してしまう。


全身を細かな鱗で覆われた、二足歩行の大きなトカゲ。


人間の女性ほどの身長。


黄色い瞳が縦に細く伸び、細長い尻尾が受付の奥でゆっくり揺れている。


まるで巨大なトカゲが、そのまま立ち上がったような姿だった。


「あら?」


トカゲの女性はぱちりと瞬きをした。


長い舌がぺろりと口元を舐める。


「初めてのお客さんですねぇ。」


どこか間延びした話し方だった。


「冒険者登録ですかぁ?」


「はい。」


タクが頷くと、ラスターが横から身を乗り出した。


「この人、転移者!」


「魔王さまが連れてきた人だよ!」


「ほぉ。」


受付嬢の目が少しだけ丸くなる。


「珍しいですねぇ。」


「ではぁ。」


ぺろり。


細長い舌が口元を舐めた。


「登録料として、銅貨四枚いただきます。」


タクは財布……いや、革袋を開いた。


銅貨は三枚。


銀貨は九枚。


金貨は二枚。


銅貨だと一枚足りない。


「銀貨でも大丈夫ですか?」


「もちろんです。」


タクは銀貨を一枚差し出した。


受付嬢は受け取ると、机の下から小さな木箱を取り出す。


慣れた手つきで銅貨を六枚数え、タクの手へ載せた。


「おつりになります。」


「ありがとうございます。」


ようやく、この世界のお金の感覚が少しずつ分かってきた。


銅貨一枚が百円ほど。


銀貨一枚が千円ほど。


確かに、さっき市場で見た値段とも合っている。


「では、お名前を。」


「升棚卓です。」


受付嬢は羽根ペンを止めた。


「えっと……。」


「長いですねぇ。」


「こちらでは名字を持つ方は、ほとんど貴族だけなんです。」


「そうなんですか。」


「なので、お名前だけで大丈夫ですよぉ。」


タクは少し考える。


この世界で「升棚」と名乗る意味は、あまりないのかもしれない。


「では、タクでお願いします。」


「タク様ですねぇ。」


受付嬢はさらさらと紙へ書き込んでいく。


「これで登録完了です。」


金属で作られた小さな札を一枚渡された。


表には『タク』。


裏には冒険者ギルドの紋章が刻まれている。


「これが冒険者証になります。」


「失くさないでくださいねぇ。」


「ありがとうございます。」


受付嬢は尻尾をゆっくり揺らした。


「ちなみに宿は、お決まりですかぁ?」


「まだです。」


「でしたら、この近くにも何軒かありますよぉ。」


「魔王城寄りだと高めですが、中間地区なら銀貨五枚から六枚くらい。」


「朝食付きなら、銅貨五枚追加くらいですねぇ。」


思ったより安い。


だが、長く泊まればすぐに金は尽きる。


仕事を探さなければならない。


「今日はどうされますかぁ?」


ラスターが先に答えた。


「今日はギルドの仮眠室を借りる予定!」


「魔王さまからお願いされてるから!」


「ああ、それなら問題ありません。」


受付嬢はにこりと笑った。


「では奥をご利用ください。」


案内された仮眠室は、とても質素だった。


広い部屋。


木の床。


壁際へ等間隔に敷かれた木製の寝台。


寝具らしいものは薄い毛布だけ。


決して豪華ではない。


それでも、今のタクには十分だった。


「じゃあ私たちはここまで!」


ラスターが笑う。


「また会おうね!」


カンブリボンの三人も、それぞれ手を振った。


「またね。」


「頑張って。」


「生き残ってね。」


サツキも小さく一礼する。


その周囲を飛ぶ蜂たちが紙を並べた。


『また』


『あおう』


タクは自然と笑みを浮かべた。


「ありがとうございました。」


「本当に助かりました。」


三人はそれぞれの持ち場へ戻っていく。


気付けば。


この世界へ来てから初めて、一人になっていた。


木の寝台へ腰を下ろす。


疲れが一気に押し寄せる。


送別会。


バー。


異世界召喚。


王城。


魔王。


ノクスアーク。


一日で起きたとは思えない出来事ばかりだった。


「……疲れた。」


鞄を枕代わりに置き、横になる。


硬い。


異世界へ来てから張り詰めていた緊張が、一気にほどけた。


眠気に抗うことはできなかった。


目を閉じると。


意識は、あっという間に闇へ沈んでいった。


「……さん。」


「お客さん。」


肩を軽く揺すられる。


タクはゆっくり目を開けた。


トカゲ受付嬢が覗き込んでいる。


「あ。」


「すみません。」


「もう閉館ですよぉ。」


窓の外は赤く染まっていた。


どうやら夕方まで眠ってしまったらしい。


「よく眠れましたかぁ?」


「はい。」


「久しぶりにぐっすりでした。」


受付嬢は満足そうに頷く。


「それは良かったです。」


「お気を付けて。」


「ありがとうございました。」


ギルドを出る。


夕暮れの街は昼間とはまた違う顔を見せていた。


店先にはランプが灯り始め。


食堂からは香ばしい匂いが漂う。


子どもたちが笑いながら走り回り。


仕事帰りらしい魔族たちが談笑している。


平和だった。


少なくとも。


タクが想像していた『魔王国』とは、まるで違っていた。


受付嬢から聞いた宿屋は、この辺りから少し歩いた場所にあるらしい。


「今日は宿を取って。」


「明日から仕事探しか。」


そう独り言を漏らしながら歩き始める。


財布代わりの革袋を軽く叩く。


金貨は2枚、銀貨はまだある。


しばらくは困らない。


だが、無駄遣いはできない。


「まずは生きること。」


「その次に、帰る方法を探す。」


それが今の目標だった。


夕日に照らされた石畳を、一歩ずつ踏みしめながら。


タクは宿屋へ向かって歩き続けた。


――その時だった。

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