魔王国へ
崩れ落ちた王城には、静寂が戻っていた。
先ほどまで響いていた悲鳴も、剣戟も、今はもう聞こえない。
ドン・ファーラは卓から手を離すと、小さく息を吐いた。
「……少し待て。」
「はい?」
「もうすぐ来る。」
来る。
誰がだろう。
卓は自然と身構えた。
その様子に気付いたドン・ファーラが片手を軽く上げる。
「警戒するな。」
「我が配下だ。」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに。
ぺたぺたぺたぺた。
廊下の向こうから、妙に軽快な足音が聞こえてきた。
やがて勢いよく扉が開く。
「魔王さまーーーっ!」
飛び込んできたのは、一人の少女だった。
いや、人ではない。
全身が鮮やかな蛍光緑色。
丸く大きな瞳。
頭の横には小さく膨らんだ頬袋。
身体つきは人間で言えば高校生くらいだろうか。
きちんと軍服のような服を着ているが、身体から滲む粘液のせいで歩くたびに床がぴちゃ、ぴちゃ、と音を立てる。
卓は思わず瞬きをした。
カエル……だ。
「魔王さまー!」
少女は勢いよく敬礼した。
「北側区域、制圧完了です!」
「住民の避難も終わってます!」
「確認済みです!」
「ご苦労。」
ドン・ファーラは短く頷く。
続いて、もう一人。
ゆっくりとした足取りで女性が入ってくる。
狐を思わせる耳。
細い目。
どこか眠たそうな無表情。
身体には幾本もの蔦が巻き付き、小さな葉が揺れていた。
本人は何も喋らない。
代わりに。
ぶぅぅぅん……
数匹の働き蜂ほどの小さな虫が彼女の周囲を飛んでいる。
それぞれが紙切れを抱えていた。
虫たちはドン・ファーラの前で綺麗に整列する。
紙には、それぞれ一文字ずつ。
『西』
『側』
『問』
『題』
『無』
『し』
卓は思わず二度見した。
「……しゃべらないんですね。」
「うむ。」
ドン・ファーラは当たり前のように頷いた。
「本人は面倒くさがりだからな。」
女性は小さく欠伸をすると、そのままこくりと頷くだけだった。
最後に。
ドスン。
ドスン。
重い足音が近付く。
扉をくぐってきたのは、巨大な馬の身体。
その上には女性の上半身。
……だけではない。
顔が三つ。
首から縦一列に並んでいた。
一番上が前を見る。
真ん中が横を見る。
一番下は後ろを見ていた。
三つの顔が、それぞれ別々に瞬きをする。
卓は思わず固まる。
「南、問題なし。」
一番上が言う。
「東も制圧完了。」
真ん中が続ける。
「中央地区で抵抗していた冒険者も数名いたけど、全員投降したよ。」
最後の顔が締めくくった。
三人が喋っているようで。
一人だった。
「ご苦労。」
ドン・ファーラは三人……いや、一体へも頷いた。
「各地の被害は。」
カエルの少女が元気よく手を挙げる。
「建物の火災が十七件!」
「今、水担当が消火中です!」
働き蜂たちが新しい紙を並べる。
『略』
『奪』
『行』
『為』
『無』
『し』
三つの顔が順番に話す。
「捕虜。」
「保護済み。」
「怪我人は治療班へ回した。」
卓は驚いていた。
戦争。
侵略。
そう聞けば、もっと滅茶苦茶なものを想像していた。
だが目の前の報告は。
どこか災害現場の報告にも似ている。
ドン・ファーラは満足そうに頷いた。
「よし。」
「各軍へ伝令。」
「火の後始末を優先。」
「水を撒いて完全消火。」
「略奪は禁止。」
「投降した者には手を出すな。」
「負傷者も放置するな。」
三人は同時に敬礼する。
「了解!」
「承知。」
「了解しました。」
ドン・ファーラは続けた。
「これより一時間後。」
「王都南側へ転移魔法陣を形成する。」
「全軍集合。」
「遅れた者は……。」
そこで一度言葉を切る。
「帰りは自費。」
「現地解散だ。」
一瞬。
沈黙が流れた。
「ええぇぇぇぇっ!?」
真っ先に叫んだのはカエルの少女だった。
「魔王さま!」
「王都から歩きは遠いですー!」
「なら急げ。」
「あぅ……。」
肩を落とすカエルの少女。
働き蜂たちは『急』『げ』と書かれた紙を並べる。
三つの顔は、
「歩きは嫌。」
「絶対嫌。」
「急ごう。」
と、見事に意見が一致していた。
ドン・ファーラは満足そうに頷き、卓へ視線を向ける。
「それと。」
「この男も連れて帰る。」
「異世界から来た転移者だ。」
その一言で。
三人の視線が一斉に卓へ集まった。
「えっ。」
「……。」
「ほぉ。」
卓は少しだけ居心地悪そうに頭を下げる。
「升棚卓です。」
「よろしくお願いします。」
返事は返ってこない。
ただ三人とも、まるで珍しい生き物でも見るように卓を見つめていた。
その沈黙が、少しだけ気まずかった。
「さてと。」
ドン・ファーラが三人へ視線を向けた。
「紹介しておこう。」
「これからしばらく行動を共にすることになる。」
「余の部下たちだ。」
蛍光緑の少女が勢いよく卓の前まで駆け寄る。
「はじめまして!」
「私はラスター!」
「よろしくね!」
言うなり卓の両手をぎゅっと握った。
「うわっ。」
ぬるり。
冷たい感触が掌いっぱいに広がる。
卓は思わず声を漏らした。
ラスターは満面の笑みで笑う。
「あっ、ごめんごめん!」
「つい嬉しくて!」
「私、すぐベタベタ触っちゃうんだ!」
そう言いながら肩を叩く。
ぺた。
腕を掴む。
ぺた。
背中を押す。
ぺた。
そのたびに透明で少しひんやりした粘液が付いていく。
「……結構付きますね。」
「えへへ。」
まったく悪気はないらしい。
卓は苦笑しながらハンカチを取り出そうとした。
「取れないよ?」
ラスターが笑顔で言う。
「え。」
「乾くまで!」
卓は小さく空を見上げた。
「……そうですか。」
運が悪い。
いや。
これくらいなら、まだ運が良い方かもしれない。
続いて、狐のような耳を持つ女性が一歩前へ出た。
何も喋らない。
眠そうな目のまま卓を見つめるだけだった。
その身体を改めて見る。
最初は蔦だと思っていた。
だが違う。
身体中から伸びるそれは、まるでテヅルモヅルのように無数の枝を広げ、その合間から小さな葉が揺れている。
さらに、その奥。
もふもふとした鳥のような身体。
そして全身を覆う巨大なムカデが、まるで鎧のように身体へ巻き付いていた。
服だと思っていたものは、生き物だった。
卓が固まっていると。
ぶぅぅぅん。
数匹の働き蜂が飛んできた。
紙を一枚ずつ持っている。
卓の前で並び替えられる。
『狐夜鳥』
『サツキ』
『よろしく』
卓は思わず頭を下げる。
「升棚卓です。」
「よろしくお願いします。」
サツキは小さく頷くだけだった。
蜂たちは満足そうに飛び回っている。
最後に。
巨大な馬体が一歩前へ出る。
三つの顔が一斉に卓を見る。
一番上が元気よく言う。
「カン!」
「ブリ!」
「ボン!」
卓は数秒考えた。
三人とも真顔である。
「……えっと。」
「お名前、ですか?」
「「「うん!」」」
三つ同時だった。
卓は思わず笑ってしまう。
「よろしくお願いします。」
三人は嬉しそうに笑う。
よく見ると。
一番上の赤い顔の腕は、鋭いハサミムシのような大きな鋏になっていた。
真ん中の青い顔は長い前髪で目元が完全に隠れている。
一番下の黄色い顔は、五つの瞳が複眼のように並んでいた。
どこを見ているのか分からない。
それなのに愛嬌がある。
ラスターが卓の肩へ腕を回した。
「大変だったねぇ。」
「急に知らない世界なんて。」
カン。
「帰れないんだって?」
ブリ。
「災難。」
ボン。
「かわいそう。」
卓は苦笑する。
「そうみたいです。」
ドン・ファーラは腕を組んだ。
「余はそちを国へ連れて帰る。」
「だが。」
「面倒を見るのはそこまでだ。」
卓は魔王を見る。
「この国は自由国家。」
「ノクスアーク魔王国。」
「自由とは、好き勝手ではない。」
「互いの自由を侵さぬ限り、何をして生きても構わん。」
「働くもいい。」
「店を開くもいい。」
「冒険者になるもいい。」
「何もせず飢えるも自由だ。」
「ただし。」
ドン・ファーラの声が少し低くなる。
「他人の自由を踏みにじる者は、余が潰す。」
卓は自然と頷いた。
厳しい。
だが、不思議と納得できる言葉だった。
「まずは冒険者ギルドへ行け。」
「登録すれば国民として認められる。」
「依頼を受けて生きる者も多い。」
卓は一つ気になったことを尋ねる。
「冒険者ということは……。」
「ダンジョンがあるんですか?」
「ダンジョン?」
ドン・ファーラは少し考えた。
「……ああ。」
「お前達の世界ではそう呼ぶのか。」
「こちらでは深淵と呼ぶ。」
「深淵?」
「街外れにある巨大な迷宮だ。」
「魔物が生まれる。」
「魔族ではないぞ。」
「知性も理性も無い、本能だけの存在だ。」
「それを倒し。」
「素材を持ち帰ればギルドが買い取る。」
「運が良ければ宝箱もある。」
「その一つで一生遊んで暮らせる者もいる。」
「逆に欲を出し。」
「身の丈以上の階層へ潜れば。」
ドン・ファーラは肩をすくめる。
「深淵に飲まれる。」
「帰って来ない。」
卓は静かに息を呑んだ。
ゲームのようで。
ゲームではない。
命を懸ける仕事なのだ。
「もちろん。」
「深淵へ行かなくても生きられる。」
「掃除でも。」
「配達でも。」
「料理人でも。」
「好きに生きろ。」
その言葉は、不思議と心へ残った。
その時だった。
遠くから大きな角笛が鳴る。
ラスターが耳をぴくりと動かした。
「あ。」
「集合時間!」
ドン・ファーラは崩れた王城の外へ歩き出す。
卓たちも後を追う。
王都南門の外。
そこには数え切れないほどの魔族たちが整列していた。
悪魔。
獣人。
ゴーレム。
翼を持つ者。
角を持つ者。
巨大な者。
小さな者。
種族は様々だった。
ドン・ファーラが前へ出る。
「皆、ご苦労だった。」
その一言だけで、大歓声が上がる。
「我々の目的は達成した。」
「負傷者を優先しろ。」
「帰還後は十分休め。」
魔族達が拳を掲げる。
「おおおおっ!!」
ドン・ファーラは卓の肩へ軽く手を置いた。
「それと。」
「紹介しておく。」
「こいつは卓。」
「異世界から来た転移者だ。」
一瞬の静寂。
そして。
「おぉー!」
「魔王様がお持ち帰りした!」
「ついに春ですか!」
「婚約!」
「結婚!」
「お婿さん!」
「披露宴!」
「子どもの名前考えました!」
一斉に囃し立てられる。
「早い!」
「気が早い!」
「ち、違う!」
ドン・ファーラの顔が真っ赤になる。
尻尾だけが、本人の意思とは裏腹に
ぶんぶんと左右へ揺れていた。
「うるさい!」
「余はそんなつもりではない!」
「さっさと帰るぞ!」
魔族達はさらに笑う。
卓は思わず吹き出した。
恐ろしいと思っていた魔王は。
案外、親しみやすい人なのかもしれない。
やがて巨大な転移魔法陣が地面いっぱいへ広がる。
禍々しい黒い光。
それなのに、不思議と温かい。
卓は足元を見つめる。
身体がふわりと浮く。
尾てい骨の奥が小さく震えるような、不思議な浮遊感。
景色が歪み。
世界が溶けていく。
次の瞬間。
卓の足は固い石畳を踏みしめていた。
吹き抜ける風。
眼下には、どこまでも広がる街並み。
石造りの建物。
色鮮やかな屋根。
市場。
煙突から立ち昇る白い煙。
様々な種族が笑いながら行き交っている。
遠くには深い森。
さらにその向こうには、雲へ届くほど巨大な山脈。
卓は息を呑んだ。
その景色は、美しかった。
ドン・ファーラが城の屋上から街を見下ろし、静かに笑う。
「ようこそ。」
その声は、王を名乗った時よりもずっと穏やかだった。
「全てを受け入れる箱舟。」
「ノクスアーク魔王国へ。」
そして巨大な城へ手を向ける。
「ここが、余の居城。」
「魔王城グラン・ファーラだ。」
卓は何も言えなかった。
運が悪く、異世界へ召喚された。
けれど。
この景色を見た瞬間だけは。
ほんの少しだけ。
運が悪く、
異世界へ召喚された。
けれど。
この景色を見た瞬間だけは。
ほんの少しだけ思った。
――悪いことのあとには、
ちゃんと良いことも来るのかもしれない。
そんな気がした。




