サイコロマクロステーキ
夕暮れ。
『Rack of Luck』は、開店直後の静かな時間を迎えていた。
タクはカウンターを拭き終え、常連になっているメンバーのファーストプレートを用意しようとした、その時だった。
ガララララ……。
何か重たいものを引きずる音が近付いてくる。
「エレノアーおばさーん!」
元気いっぱいの声が店先へ響いた。
タクが顔を上げる。
そこには、一人の女性が立っていた。
黒と白の美しい体色。
長く伸びた黒髪。
軍服を思わせる濃紺の制服を寸分の乱れなく着こなし、肩には金色の肩章。
腰には細剣。
立ち姿だけ見れば、歴戦の軍人そのものだった。
しかし、その足元には──
自分の身長ほどもある木箱を、ずるずると引きずっていた。
「開店祝い持ってきたよー!」
エレノアはその声を聞くなり額へ手を当てる。
「ああ……。」
「来たねぇ。」
「タク、この子はオルカ=ハナビィ。」
「昔からの知り合いさ。」
「とにかく自由なんだけど……。」
一拍置いて苦笑した。
「何かズレてるのよ。」
「ひどいなぁ。」
オルカは笑いながら木箱を開ける。
「はい!」
「開店祝い!」
中から姿を現したのは──
一本丸ごとの巨大なマクロ。
血抜きまで完璧に施され、青銀色の鱗が夕日に美しく光っていた。
店の外にいた常連たちから小さなどよめきが起こる。
「一本丸ごとか……。」
「すごいな。」
オルカは満足そうに胸を張った。
「頑張って獲ってきた!」
エレノアは苦笑したまま言う。
「ありがたいんだけどねぇ。」
「オルカ…」
「あんた。」
「店を始めたの、三か月前だよ。」
「…………。」
オルカは首を傾げた。
「え?」
「そうだった?」
「まあ、気持ちだから!」
――――――
店に入り、タクはマクロを見る。
「血抜きされている。」
タクは深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。」
「すぐに料理いたしますね。」
その瞬間だった。
「……え?」
オルカが固まった。
「……?」
タクも首を傾げる。
エレノアも最初は分からなかった。
しかし数秒後、
「ああっ!」
と手を叩いた。
「そうだった!」
「ハナビィの故郷の風習!」
オルカ激しく頷く。
「そうそう!」
エレノアはタクへ向き直る。
「祝いに魚を一本贈る。」
「祝われた側は、その魚を半分にして。」
「半身を返す。」
「幸せを分け合うって意味なんだよ。」
タクは目を丸くした。
「そんな文化があるんですね。」
「うん!」
オルカは満面の笑みだった。
「返してもらえないと帰れない!」
――――――
タクはガルムが鍛え直してくれた包丁を握る。
静かに刃を入れる。
迷いのない動き。
三枚に卸す。
身は崩れず、美しい。
半身を木箱へ戻し、
透明な氷をたっぷり敷き詰めた。
「どうぞ。」
オルカは大切そうに箱を抱えた。
「ありがとう!」
「家のみんなも喜ぶよ!」
――――――
残った身を見つめる。
新鮮そのもの。
タクは微笑んだ。
「せっかくです。」
「本日のファーストプレートは変更いたします。」
「皆様にも召し上がっていただきます。」
開店と同時に入ってきた常連たちから拍手が起こる。
――――――
赤身を大きめの角切りにする。
塩。
胡椒。
熱したフライパン。
ジュウゥゥゥ……
表面だけを香ばしく焼く。
中は半生。
肉汁を閉じ込める。
最後にレモソを添え、
一皿ずつピックを刺した。
『サイコロマクロステーキ』
タクはまずオルカの前へ置いた。
「本日は、こちらに赤ヴァインを合わせてみました。」
深い紅色。
ゆっくりとグラスへ注ぐ。
オルカはまずステーキを一口。
「んーっ!」
「おいしい!」
続けて赤ヴァイン。
口へ運ぶ。
「……。」
少し眉を寄せた。
「うーん……。」
「お魚は美味しいけど……。」
「このお酒、ちょっと渋い。」
タクはすぐ微笑む。
「失礼いたしました。」
「でしたら。」
よく冷えたヴィールを少しだけ注ぐ。
「まずはこちらを。」
オルカは飲む。
「!!」
目が輝いた。
「これ!」
「これが好き!」
「最高!」
店中が笑顔になる。
タクも胸をなで下ろした。
(よかった……。)
――――――
その様子を見ていたミズハが、静かに手を挙げる。
「マスター。」
「私にもサイコロマクロステーキを。」
「かしこまりました。」
料理を置く。
タクは尋ねる。
「ヴィールをお持ちしましょうか?」
ミズハは少し考え、
微笑んだ。
「……いや。」
「白ヴァインといきたいところだけれど。」
グラスを見つめながら首を横に振る。
「これは違うねぇ。」
「赤身の旨味がしっかりしている。」
「それなら。」
「私は赤ヴァインだ。」
タクは静かに頷いた。
「承知いたしました。」
深い赤を注ぐ。
ミズハは一口。
肉。
赤ヴァイン。
静かに目を閉じる。
「……うん。」
「これだ。」
「肉が酒を引き立て。」
「酒が肉を引き立てる。」
「互いに主役を譲らない。」
「見事な組み合わせだ。」
タクは自然と笑みがこぼれた。
――――――
ガルムはヴィールで流し込み、
豪快に笑う。
「俺ぁこれで十分だ!」
ミズネはナイフとフォークを静かに置き、
赤ヴァインを口へ運ぶ。
「なるほど。」
「好みは違えど、赤ヴァインも確かに良いですね。」
旅猫はストゥトを合わせ、
「これはこれで好きにゃ。」
店内では、それぞれが思い思いの組み合わせを楽しんでいた。
誰一人、
「これが正解だ。」
とは言わない。
それが『Rack of Luck』だった。
――――――
閉店後。
グラスを磨きながらタクが呟く。
「今日は勉強になりました。」
「料理に合うお酒と。」
「その人が好きなお酒は違うんですね。」
エレノアは穏やかに笑った。
「そう。」
「料理に合わせるのは技術。」
「好みに合わせるのは、おもてなし。」
「その二つが重なって初めて。」
「その人だけの一杯になる。」
タクは赤ヴァインの瓶を静かに棚へ戻した。
今日もまた一つ。
バーテンダーとして、大切なことを学んだ夜だった。




