↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
28/53

生ヒャムリュッケ

夕暮れ。


休憩を終えたタクは、厨房で小さく腕を組んでいた。


「今日は、これを使ってみようかな……」


手にしているのは、昼間に顔なじみの肉屋からおまけでもらった、生ヒャムの塊。


淡い桃色。


脂が白く細かく入り、薄く切れば向こう側が透けるほど柔らかい。


「いい物だねぇ。」


エレノアが覗き込む。


「ええ。でも、このまま出すだけじゃ面白くありません。」


少し考え込み、ふっと笑った。


「リュッケにしましょう。」


「ほう。」


「生ヒャムを細切りにして、ギュウリと合わせます。ギョマ油とニャンニクで香りを付けて、生タメェゴォの黄身を落として……。」


「酒は?」


「もちろん、よく冷えたヴィールです。」


エレノアは満足そうに頷いた。


「大正解。」


店の扉が開く。


カラン……


「いらっしゃいませ。」


夜の営業が始まった。


————————


今日も常連席は自然と埋まっていく。


奥にはネズミ獣人のミズネ。


「いつものを。」


「かしこまりました。」


ドライチーズュ。


そしてドライ・ジィンを使った一杯。


静かに置く。


「ありがとうございます。」


隣の端ではカッパ族のミズハ。


「今日はヴィールを。」


「はい。」


叩きギュウリを添える。


入口近くではドワーフのガルム。


「ヴィールとソージーセだ。」


「ポトテサラダもお付けします。」


「分かってんな。」


三人とも、それぞれの席で、それぞれの夜を楽しんでいる。


タクは穏やかに店を見渡した。


(今日は静かな夜になりそうですね。)


そう思った、その時だった。


カラン……


店内の空気が少しだけ変わる。


入ってきたのは、一人の獣人だった。


コノハガエルの獣人。


全身にぴったりと張り付く、滑らかな質感の黒い服。


肩には赤いマント。


目元は細く、歩き方にも無駄がない。


(……怪しい。)


(みためがスパイっぽい…)


(スパイですよって格好のスパイはいないよな?)


誰も口にはしない。


だが、全員がそう思った。


本人だけは堂々としている。


カウンターへ座る。


「マスター。」


少し訛ったような話し方。


「オススメヲ……オネガイ。」


カタコトだった。


タクは微笑む。


「承知いたしました。」


そのスパイ風の女性は鼻で笑う。


(この程度の文化か。)


(調査もすぐ終わりそうだ。)


そんな風に顔に書いてあった。


————————


タクは冷蔵庫から、生ヒャムを取り出す。


新しい深淵鋼の包丁。


刃が静かに滑る。


薄い。


どこまでも薄い。


向こう側の光が透けるほど。


その様子を見た女性が少しだけ目を細めた。


(……ほう。)


包丁の腕だけは悪くない。


そう思った。


生ヒャムを細切り。


ギュウリも細く。


同じ高さ。


同じ細さ。


美しく揃えていく。


そこへ。


ギョマ油。


削りたてのニャンニク。


塩。


胡椒。


軽く和える。


皿へ高く盛る。


中央を少し窪ませる。


そこへ。


黄金色の生タメェゴォの黄身。


とろり。


最後に黒胡椒を一振り。


横には、霜が付くほど冷えたヴィール。


静かに左側から置いた。


「本日のおすすめ、『リュッケ』です。」


女性は皿を見た。


「……。」


鼻で笑う。


(生肉料理か。)


(どこの国にもある。)


(この程度で驚くものか。)


そう思いながらスプーンを入れる。


黄身を崩す。


ゆっくり混ぜる。


一口。


「…………。」


止まった。


もう一口。


そして。


ヴィール。


ごくっ。


喉が鳴る。


次の瞬間。


「――――素晴らしい!!」


店中が振り向いた。


先ほどまでの片言はどこへやら。


「まず、この生ヒャム!!」


「塩味が決して前へ出ない!」


「しかし旨味だけが幾重にも重なり、まるで熟練した楽団が一斉に演奏を始めたかのようだ!!」


ミズネが目を丸くする。


ガルムがヴィールを吹きそうになる。


「さらにギュウリ!!」


「この瑞々しさ!!」


「まるで草原を駆け抜ける風!!」


「重くなりがちな肉料理へ見事な軽快さを与えている!!」


誰も止めない。


止められない。


「そしてこの黄身!!」


「全てを一つへまとめ上げる黄金の調和!!」


「いや!!」


「これは調和ではない!!」


「芸術だ!!」


ヴィールをごくり。


「そして、このヴィール!!」


「苦味が脂を洗い流し!!」


「次の一口を待ちきれなくさせる!!」


「永久機関だ!!」


ガルムが笑う。


「ははははは!!」


ミズハも肩を震わせる。


「面白い方ですね。」


女性は立ち上がった。


「マスター!!」


「おかわりだ!!」


「ありがとうございます。」


タクは落ち着いて作る。


二皿目。


三皿目。


四皿目。


その頃には周囲のお客も。


「私も。」


「俺も同じもの。」


「追加で。」


厨房は忙しくなる。


だがタクの手は止まらない。


十皿。


女性は最後まで綺麗に食べ切った。


ヴィールも十杯近く空いていた。


————————


満腹そうに椅子へもたれる。


「いやぁ。」


「美味しかった。」


急に肩の力が抜ける。


「自己紹介が遅れたね。」


誰も聞いていない。


「私はリフロギア=マニュカード。」


「マニュカード家の者なんだ。」


店内が静まる。


「今日はね。」


「このノクスアーク魔王国へ戦争を仕掛ける価値があるか、見に来てたんだ。」


ガルムのジョッキが止まる。


ミズネの手も止まる。


本人だけが気付いていない。


「最近さぁ。」


「ドン・ファーラのやつも、ずいぶん尻尾を見せ始めたって聞くし。」


この世界で『尻尾を見せる』とは、『弱みを見せる』ということわざだ。


「だから侵略するなら今かなぁって。」


タクは静かにグラスを磨いている。


「でもさ。」


リフロギアは笑う。


「やめた。」


「こんな料理を出す国を滅ぼすなんて馬鹿馬鹿しい。」


「もっと美味いものがあるかもしれない。」


「それを食べられなくなる方が損だ。」


ガルムが吹き出した。


「はははは!!」


ミズハも笑う。


「それは確かに。」


「ありがとうね。」


「マスター。」


男は金貨一枚を置いた。


「ごちそうさま。」


「また来る。」


立ち上がる。


その時だった。


いつもの一番端。


琥珀色のヴィースキーを静かに楽しんでいた、長身の人物が立ち上がる。


男か女か分からない。


長い外套。


深く被った帽子。


誰も名は知らない。


ただ常連だった。 


お代をを机に置いて立つ。


「……。」


無言でリフロギアの後ろへ付く。


二人は並んで店を出た。


カラン……


扉が閉まる。


しばらくして。


店の外から。


「ひぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」


悲鳴が聞こえた。


ガルムがヴィールを飲む。


「……気のせいだな。」


ミズネが眼鏡を直す。


「ええ。」


ミズハも静かに頷いた。


「風でしょう。」


タクは何も言わない。


ただ。


カウンターを拭き続けた。


閉店準備の音が響く頃には、その悲鳴も夜の静けさへ溶けて消えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。