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ヴィクアタールの太陽  作者: マスターオブあんかけうどん


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エリアーヌはそれからも踏ん切りがつかず、引き続きヴィクアタールに滞在していた。

ディランは物言いたげではあったが、何を思っているのか強くは意見しなかった。

それに甘えて、気づけば季節が進もうとしていた。


その日もエリアーヌは領主館を訪れていた。

前日にアデラと一緒に焼いた香草のパイを厨房に差し入れてから、勝手知ったるといった足取りで客間へと向かう。

もはや客人というより、良くて友人、もしくは通いの従業員といった調子で好き勝手させてもらっている。


廊下の向こうに警邏隊の制服が見えた。

大きな身体に気がつき、エリアーヌは手を振る。


「ゼノ! こんにちは。今日は報告の日?」

「ううん、定例報告ではないんだよ。峠の方でちょっとね」

「何か問題? また山崩れ?」

「違うよ。もうすぐ冬が来るんだ」


エリアーヌの胸に、暗いものが広がった。


ゼノと別れてから客間でしばらく待つと、案の定浮かない顔をしたウィルバートが入ってきた。

うわの空でエリアーヌに挨拶をして椅子に座って足を組む。

肘をついて考え事をして、見計らったように給仕されたお茶を飲む。

エリアーヌはその一連の動きを、黙ってじっと見守った。


部屋の埃が宙に舞ってキラキラと光る。

隙間から風が入ってきているのだろうか。


そうしてやっと、ウィルバートが口を開いた。


「エリアーヌ。明日か、遅くとも明後日には国へお帰りください」

「……そんな、急に」

「悠長に構えすぎました。私の失態です」


ここ最近では見せなかった、代官の顔だ。

これはどうやら、本気で言っているらしい。


「なぜ急にそんなことを言うの?」

「先ほど警邏隊から報告がありました。峠に近い方では、既に霜が降りている。冬が来ます」

「シャメン=ハルにはたくさん雪が積もることくらい知っているわ。そんなに警戒すること?」

「貴女はヴィクアタールの冬を知らないから、そんなことが言えるのです。霧のことで、自分の無知は思い知ったはずでしたね」


ピシャリと切られる。

今になってそんなに最初の失敗を蒸し返されるなんて。

エリアーヌは腹が立った。


「本来ならメルカトラへは朝方に出発すれば日が沈む前には着ける距離なのよ」


声が震える情けなさを、エリアーヌは必死で堪えた。


「確かにこちら側の霧があんなに濃いとは知らなかったけど、今回で分かったもの。次は雲と沢の様子をよく見てから動くわ」

「シャメン=ハルは確かに豊かで穏やかな山です。だが甘い山ではない。獣が出るし、岩や崖も多い。天気はすぐに変わり、冬は雪で閉ざされます」

「そういう山なのだと分かっていれば、そのように対処すればいいだけでしょう」

「では『そういう山』だというのはいつ分かりますか? 貴女は霧に迷ったあの日に、それを理解したはずだ」


ウィルバートの瞳は、どこまでも冷たい。

怒っているわけではない。だが、譲るつもりもないのだろう。

エリアーヌはそれが分かっているからこそ、ついむきになって言い返した。


「どんなことも、想像だけでは分からない。だからこそ色々と試すのよ」

「では貴女が分かるまでに、何人の従業員が霧に迷い、獣に襲われ、冬の山に閉じ込められればいい? それとも貴女自身が?」

「そんなことさせないわ!」

「どのようにして? 何が起こるかは、試してみるまで分からないのでしょう?」

「……すぐに答えが出せないことを今詰めるのは、ただの意地悪だわ」


やらずとも分かるだろうと、言外に責められる。

エリアーヌは言葉に詰まった。

そして当然、ウィルバートはその隙を逃さない。


「すぐに答えが出せないのなら、事を安易に考えてはいけない。あらゆる問題を探し、先人の知恵を活かし、その全てを悲観的に捉えるべきです」

「全てを悲観的に考えていたら何も前には進まないわ」

「悲観的に考えたら進まないことは、進めるべきではないと言っているのです」


ナディブ峠に霜が降りた以上、いつ雪が降ってもおかしくはない。


今朝は寒かった。日も短くなってきている。

現実に、冬がもうすぐそこまできているのだ。

もし今雪が降れば、今度は春まで足止めをくらう可能性すらある。

エリアーヌにだってそれくらいのことは想像がつく。


だがこんな言い方で、追い返されるように帰りたくなかった。

他でもないウィルバートからは、特に。


「貴方はそうなのでしょう。でも私は違う」

「貴女の身軽さは美徳です。だが、もう少し自分が周りに与える影響を考えるべきだ」

「……貴方だって、そうだわ」

「そうです。だから私は、私の思想のためには民を動かしません」


こっそり仕事を抜け出してエリアーヌの様子を見にきたり。

アデラのクッキーを喜んだり、話しながらうとうとして恥ずかしがったり。

部下に対するものとは違う、柔らかい声と顔を向けられていた。

昨日までは確かに、彼は友人としてエリアーヌと接していたのに。


だが今目の前にいるのは、ただのヴィクアタールの代官だった。

エリアーヌはそのことが酷く悲しかったし、彼との間に高く厚い壁が見えた。


所詮この人は貴族なのだ。


痛いほどに、思い知らされた。

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