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第六章「隣」

世界は燃えていた。  母船への攻撃が失敗してから三日が経った。  アメリカが「独自の対応を検討する」と言った。ロシアが「西側の単独行動を容認しない」と言った。中国が「対話による解決を求める」と言った。三カ国が同じ日に別々の声明を出した。全部意味が違った。全部意味がなかった。  国連安保理が三回目の緊急会合を開いた。議長が開会を宣言した。ロシアが拒否権を使った。アメリカが拒否権を使った。中国が拒否権を使った。会合が終わった。何も決まらなかった。  渋谷はまだ燃えていた。  新興宗教が十九団体になっていた。二団体増えた理由は誰も知らなかった。  田村副総裁は「体調不良」を理由に国会を欠席していた。スローモーションの動画はまだ再生され続けていた。マリオのやられ音バージョンが一億再生を超えた。  防衛大臣は毎日窓の外の母船を見ていた。何かを考えていた。何も決めていなかった。  金相場は三十一パーセント下落していた。誰も気にしていなかった。それどころではなかった。

 石神井公園は、静かだった。  人が減っていた。最初の頃の熱狂はなかった。規制線の外から眺める人はいたが、スマートフォンを向ける人は少なかった。  おばさんはいた。座布団を三枚重ねて、手を合わせていた。  佐伯はいた。ベンチに座って、空を見ていた。ノートパソコンはもう持ってこなかった。ただ座っていた。  倉田と三浦はいた。隣のベンチに並んで座っていた。倉田の手帳は開いていなかった。三浦のタブレットは鞄の中だった。  諸星はいた。いつものベンチ。いつもの缶コーヒー。いつもの場所。  公園の空を、金色の鳩が旋回していた。何羽いるのか、誰も数えなかった。

 その朝、公園に一体の宇宙人がいた。一体だけだった。  その宇宙人は、他の宇宙人と少し違った。小柄だった。動きが、少し違った。草を採る動作が、他の宇宙人より、どこか、ゆっくりだった。  そして髪があった。長い、緑色の髪が、風に揺れていた。

 諸星は缶コーヒーを飲みながら、その宇宙人を眺めていた。特に何も言わなかった。  宇宙人は公園の花を採取していた。タンポポを採った。スミレを採った。名前のわからない小さな白い花を採った。一つ一つ、丁寧に。他の宇宙人より、明らかに丁寧だった。花を採るたびに、少しだけ、止まった。  見ているようだった。花を、見ていた。

 おばさんが目を閉じたまま言った。 「今日は、雰囲気が違いますね」 「そうですね」と諸星は言った。 「優しい感じがします」 「そうですね」  おばさんはまた黙った。手を合わせ続けた。

 宇宙人が動いた。花の採取を続けながら、公園の中を移動した。  諸星のベンチに近づいてきた。ベンチの前に、タンポポが生えていた。  宇宙人はしゃがんだ。タンポポを採った。立った。そのまま、少し止まった。  ゆっくりと、振り返った。  諸星を見た。

 諸星は缶コーヒーを持ったまま、宇宙人を見た。  宇宙人は諸星を見た。  緑色の髪が、風に揺れた。  目が、広い範囲を占めていた。深い色だった。宇宙の色だった。でも、何かがあった。その目の奥に、何かが。  諸星には、わかった。  わかったが、何も言わなかった。

 宇宙人はくるりと向きを変えた。ベンチを見た。諸星の隣を見た。ゆっくりと、座った。

 誰も動かなかった。  おばさんが手を合わせたまま、止まった。佐伯が空を見たまま、止まった。倉田が手帳を持ったまま、止まった。三浦がタブレットを持ったまま、止まった。規制線の外の人々が、スマートフォンを持ったまま、止まった。  世界が、一瞬、静かになった気がした。

 諸星は空を見上げた。  四月の空だった。青かった。  金色の鳩が旋回していた。光を受けて、きらきらしていた。綺麗だった。本当に綺麗だった。

 宇宙人も、空を見たようだった。

 どれくらいそうしていたか、誰もわからなかった。一分かもしれなかった。十分かもしれなかった。時間が、よくわからなかった。

 やがて宇宙人は立ち上がった。ゆっくりと。採取した花を持ったまま。タンポポと、スミレと、名前のわからない白い花。  歩き始めた。公園の出口に向かって。  小型飛行体が降りてきた。乗った。飛び去った。

 諸星は缶コーヒーを飲んだ。空になっていた。  立ち上がって、ゴミ箱に投げた。きれいに入った。

 佐伯が、小さな声で言った。 「……今のは」  諸星は少し考えた。 「さあ」  また考えた。 「花が、きれいだったんじゃないですか」  佐伯は空を見た。倉田は手帳を開いた。何かを書こうとした。やめた。三浦はタブレットを出した。何かを入力しようとした。やめた。  おばさんが目を開けた。空を見た。  金色の鳩が旋回していた。 「きれいですね」おばさんは言った。  誰も返事をしなかった。でも全員が、そう思っていた。


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