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異世界転生した旅行手配員の予約記録 〜発券期限まで三十日、世界の旅程は私が結びます〜  作者: もしものべりすと


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第六章 忍び寄る改竄

私の旅程に、誰かが鉛筆で線を引き直していた。


 謁見の翌朝、王城の長官府の一隅に、新長官執務室と銘打たれた部屋を割り当てられた。窓は北向きで一つだけ、机は一つ、椅子は二脚、書棚は空。机の上には、黒澤の筆跡で「業務引継ぎ書」と表書きされた厚い紙束が置かれていた。


 束の最初の一枚を取って、目を通した。


 二枚目で、私は手を止めた。


 業務引継ぎ書には、私が組んだ三都市縦走の旅程が書き写されていた。完璧な複写だった。完璧すぎた。私の癖まで、忠実に再現されていた。


 Iの欄の旅程の途中で、ほんの一行だけ、書き換えがあった。湖畔都市カラリスへの中継宿場が、別の宿場に置き換わっていた。新しく挿入された宿場の名は、私の聞いたこともない名だった。


 その宿場を経由すると、エルナとロウが先行している隠れ宿の前を通る道筋になる。


 黒澤は、私の旅程をそのまま使いつつ、エルナとロウの居所を炙り出そうとしていた。


 私は、その紙を慎重に元の位置に戻した。手を引きながら、椅子に座り直した。


 誰にも気づかれていないかのように振る舞いながら、襟元の細紐を一度引いた。これはヴァレヌスから預かった呼び鈴の紐で、地下三階の彼の机の上にある鈴を、合計三回ならせる仕組みになっていた。三回鳴らせば、緊急の連絡事項あり、という意味になる。


 私は鈴を鳴らした。


 半時ほどして、書類運びの少年に化けたヴァレヌスが、執務室に入ってきた。彼は床に膝をつき、書類を私の机に置く動作で、声をひそめた。


「気づかれましたな」


「はい」


「エルナさんとロウさんの居所は、どこまで把握されているのでしょう」


「正確な居所は、まだです。けれど、引継ぎ書の改竄から推察するに、街道の北中継宿場までは絞られています。あと数日で、長官の手の者がカラリスに先回りしている可能性があります」


 ヴァレヌスは、しばらく床の石目を見ていた。


「私から、伝書鳩で連絡を試みましょう。ですが、王都を発する伝書鳩はすべて、長官府の検閲を経て放たれます。中身を盗み読まれないようにする工夫が要る」


 私は懐から、PRINTのノートを取り出した。


 ノートを開き、新しい一頁を破り取った。そこに、三行だけ書いた。


 第一行に、「Pは塔の鐘」。


 第二行に、「Rは王の真筆を急げ」。


 第三行に、「カラリス先回りの可能性大、発信地を変更せよ」。


 ヴァレヌスは私の手元を覗いて、微かに頷いた。


「これは、お二人にしか読めない暗号ですか」


「そうです。第一行と第二行は、エルナさんが私のノートを覗き見たときに、「PRINTを順に集めるなら、この順だな」と確認した、彼女自身の言葉の引用です。私の筆跡で書かれていれば、私が書いたと信じてくれます」


 ヴァレヌスは紙を畳み、書類運びの少年の懐に消した。


 彼は最後に一言、付け加えた。


「貴殿の指は、書類仕事の指でありながら、戦場でも動きますな」


 私は答えなかった。胸の奥で、何かが温かく波打った気がした。けれど、それを言葉にする時間はなかった。


 翌日から、私の業務は次々と妨害された。


 最初に、私の組んだ旅程に基づく護衛任務の発券が、長官府の押印を待つ段階で止まった。


 次に、辺境の村々への補給隊の手配が、書類不備を理由に差し戻された。


 差し戻しの形式は、毎日少しずつ違っていた。ある日は朱筆で「本書式不備、再起案を要する」と書き加えられて返ってきた。ある日は朱筆さえなく、ただ無言で私の卓の上に積み戻されていた。ある日は私が席を外している間に戻され、戻された書類の上に、長官府の事務長の名刺が一枚、置かれていた。名刺の裏には何も書かれていなかった。何も書かれていないことが、書かれていることよりも雄弁だった。


 差し戻しの理由はすべて、規定上、長官府の正式印が押されていない、という事務的な指摘だった。けれど、その押印を担当しているのは長官府の事務長で、その事務長は黒澤の従弟だった。


 事務長は、私の卓に書類を持ってくるたびに、口元だけで笑った。


「新長官、お手数ですが、書式不備でございます。再起案をお願いいたします」


 書式不備の指摘は、すべて、私が予め確認した規定に照らせば不適切なものだった。けれど、私が反論すれば、彼は王へ「新長官は事務長への協力が不足している」と報告するだろう。彼の権限は、書式チェックの最終判断にあった。


 彼の差し戻しの仕方には、黒澤の癖が、薄く滲んでいた。差し戻しの朱筆の角度が、彼女の削除線の角度と同じだった。長官府の正式な研修で習う朱筆の角度は、規定の通りなら罫線に対して垂直であるべきだったが、事務長の朱筆は、罫線に対して斜め下に二回引かれていた。彼は彼女から、その癖を受け継いでいた。あるいは、彼女が彼に、その癖を移植していた。


 夜、執務室で、私は規定集を膝の上で開いた。指先で頁を繰りながら、明日もまた持ち込まれるであろう書式不備の指摘に、どう対応するかを考えた。考える時間さえあれば、私は規定の範囲内で道を見つけられた。けれど、考える時間こそが、私には残されていなかった。


 私は反論しなかった。反論すれば、王の前で恥をかくのは私になる。


 代わりに、私は新しい押印不要の文書様式を起案した。


 ヴァレヌスから古文書を借りて読み込み、王朝の創建期に使われていた「直接署名様式」――押印ではなく、王自身の手書きの一文字を文書の右下に書き加えるだけで効力を発する古い様式――が、現行法でもまだ廃止されていないことを確認した。


 私は、王に直接謁見を申し入れた。


 謁見は許された。けれど、謁見の場に、黒澤も同席することになった。


 玉座の前で、私は王に直接署名様式の復活を上申した。理由は、地方の補給が滞っており、書類処理速度を上げる必要がある、というものだった。


「卿は、いかが思う」


 王は、私の左斜め後ろに立つ黒澤に意見を求めた。


 黒澤は、口元だけで笑った。


「新長官の上申は、興味深いものでございます。ただ、直接署名様式は陛下のお手を煩わせるため、頻発するのは陛下のご健康に障ります。新長官には、現行の押印手続きを踏んで、辛抱強く事務長に書類を上げ続けることをお勧めいたします」


 王は、頷いた。


「では、現行手続きを継続せよ」


 謁見は終わった。


 謁見の間を出る私の背後で、黒澤の声が、独り言のように落ちた。


「あなた、変わらないわね。あの頃も、いつも、誰かに何かを通そうとして、結局通らない」


 私は振り返らなかった。


 振り返らなかったが、彼女の言葉は、聞こえていた。


 彼女は十年前、私が新人の頃に、同じ言葉を一度、口にしたことがあった。研修の最後の課題で、私が提案した予約処理の改善案を、講師が採用しなかったときだった。私は廊下で項垂れていて、黒澤がその脇を通り過ぎる瞬間、彼女は同じ抑揚で、同じ言葉を投げた。「あなた、いつも、誰かに何かを通そうとして、結局通らない」。あの時の彼女の声と、今、玉座の間の出口で聞いた彼女の声は、十年の時間を挟んでもなお、同じ周波数で振動していた。


 通らない、という結論は、十年前の私自身が信じていた結論だった。今の私は、その結論を、まだ信じていない。信じていないのに、通せないでいる、というのが、より正確な現在地だった。


 その日の夜、執務室の机の上に、新しい封書が置かれていた。


 封の表に、黒澤の筆跡で「これ今日中ね」と書かれていた。


 中身は、ゼフィ村への撤退命令だった。


 ゼフィ村は、長官府の判断により、近隣の魔物騒動の責任を問われ、村ぐるみの取り調べ対象になっている、という内容だった。私が修復した村のPNRが、改竄の容疑をかけられていた。


 封書の隅に、小さく、長官府の正式印が押されていた。


 今度は、押印は完全に正規だった。


 私は、その封書を二度読んだ。三度読んだ。


 そして、執務室の窓際に立って、北の空を見た。北のずっと先に、ゼフィ村があった。私が泊まった納屋の蜘蛛の巣の揺れ方を、覚えていた。村長の頭の下げ方を、覚えていた。子どもが石蹴りをしていた音を、覚えていた。


 あの村のPNRを修復したとき、修復された旅程の中に、子どもが石蹴りをする時間帯があった。十時から十一時までの一時間。その時間帯は、本来、削除されていた三時間のすぐ前にあって、子どもたちは午前の遊びを終えてから、午後の三時間の空白に入っていく日課だった。私はその一行を、自分の手で書き戻した。書き戻したとき、子どもたちの石蹴りの音が、紙の上から聞こえた気がした。


 その村が、燃えた。


 左手を、右肩に置こうとして、置けなかった。


 肩が、震えていた。


 その夜、王都の北方の空が、暗いはずの空が、わずかに赤かった。


 私は、それを見ていた。


「火事ですね」


 扉の向こうから、女官の声がした。


「北方の村が、夜中に出火したそうです。風が強くて、一晩でほぼ全焼でございました」


 女官の声は、台本を読んでいるようだった。


 彼女は、長官府が事前に用意した文言を、決められた抑揚で読み上げているだけだった。声には、自分の感情が一切含まれていなかった。それは女官個人の冷酷さではなく、長官府の中で、村が一つ消えるという出来事が、こうして決められた文言で報告される慣習になっている、ということを示していた。


 慣習が、ここまで来ていた。


 私は窓ガラスに、自分の手のひらを押し当てた。手のひらの体温が、冷たいガラスを少しだけ温めた。


 ガラスの向こうの赤は、それでも、ゆっくり暗くなっていった。

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