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異世界転生した旅行手配員の予約記録 〜発券期限まで三十日、世界の旅程は私が結びます〜  作者: もしものべりすと


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第四章 三都市縦走の旅程

私はパンフレットの中の女ではない。けれどここでは、旅程を組めるのは、私だけだ。


 ゼフィ村を出てからの七日間は、地図と睨めっこの日々だった。


 ヴァレヌスから持たされた手帳には、世界の発券に必要な五要素を集めるために訪れねばならない場所が、点線で繋がれて記されていた。北の湖畔都市カラリス、南の港町ミトロン、東の山岳都市ドラケンザール。三都市縦走。距離にして、合計千二百ロワ、馬で進んで二十日強の道のりだった。


 残り日数は二十二日。


 失敗は許されなかった。


 毎晩、宿場に入ると、私は宿の食堂の隅で地図を広げ、その日の進捗を、PRINTノートの余白に書き込んだ。馬の体力の消耗具合、馬車隊の遅延、補給品の残量、天候の予報。翌日の発進時刻を、十五分単位で計算し直した。エルナは私の作業を、あぐらをかいた姿勢で眺めていた。彼女は時折、無造作に黒パンを千切って私の口元に運び、「食え」とだけ言った。私は黙って受け取り、書きながら食べた。書きながら食べるのは、現実の発券課の残業時間の癖そのままだった。違いは、隣に黒パンを千切って渡す人がいる、ということだけだった。


 最初の朝、私はエルナとロウを納屋の前に座らせて、地図の上にチャコールで線を引いてみせた。


「直線で結ぶなら、北、南、東の順です。けれどそれだと一度王都に近づきすぎます。長官の目を避けるには、南、東、北の順で、しかも本街道ではなく旧街道を使うのが安全です」


「旧街道は治安が悪い」


 エルナが眉をひそめた。


「分かっています。だから旧街道を使うのは、ロウさんの商人組合と連絡が取れる三日間だけです。残りは本街道を使います。本街道で目立たないために、護衛の馬車隊にぶら下がる形を取ります」


 私は別の紙に、馬車隊の出発時刻と、私たちが追いつくべき宿場町の名を書き出した。出発時刻に間に合うためには、毎日の宿場町をいつ何時に発って、何時に着けばよいかを逆算する必要がある。馬の体力、補給の頻度、季節の天候、街道の傾斜。一つずつ条件を当てはめていくと、最適経路は一つに絞られた。


 ロウが目を丸くしていた。


「姐さん、これ、商人組合の上のほうの旦那衆でも、ここまで詰めて組まないですよ」


「組まないんじゃなくて、組めないんだ」


 エルナが口を挟んだ。


「組合の連中は、自分の商品が一番多く売れる経路だけ覚えてる。世界全体の経路は組まない。そういう仕事は、こいつのいた世界の連中が、毎日やってきてたんだろう」


 私は地図を畳んだ。手の指先に、いつもの修正の癖が、まだ生きていた。


 南の港町ミトロンに着いたのは、出発から十日目の午後だった。


 港の塩気と、魚の腑の匂いが入り混じった風が、胸の奥まで届いた。私は防潮堤の上に立って、貨物船と漁船とで埋まった内湾を見下ろした。船尾に立てられた旗が、それぞれ別の色をしていた。


「お前、書類を頼んでいいか」


 エルナがそう言った。


「港湾事務所に預けてある護衛任務の確認書を、こちらの名前で受け取らないといけない。本来は俺が行くんだが、俺の顔は港でもう知られてる。お前の方が安全だ」


「分かりました」


 私は港湾事務所に向かった。


 事務所は石造りの三階建てで、入り口の脇に黒い衣を着た役人が立っていた。背の低い、口元の薄い男で、私を見る目つきには、品定めの色があった。


「あんた、どこの所属だ」


「予約記録庁の」


「身分証は」


 私はヴァレヌスから預かった、長官府の押印が入った銅板を差し出した。


 役人はそれを受け取り、表と裏を入念に眺めた。それから、彼の手元の書類束をひらいて、どこかを指でなぞった。


「悪いが、この銅板は今日付で失効している」


 失効。私の鼓動が一拍乱れた。


 失効するはずがなかった。ヴァレヌスはこの銅板を「今後三十日間有効」と明言した。今日はまだ、三十日のうちの十日目だった。


 役人は薄く笑った。


「失効した身分証で書類を取りに来た者は、本来、拘束する。だが今日は私の機嫌が良い。荷をすべて置いて、王都に戻れ。それで見逃してやる」


 私は俯いた。


 うつむいて、自分の靴を見た。馬で擦れた革のつま先が、土埃で白くなっている。


 左手で、右肩を押さえた。


 顔を上げた。


 役人の手元の書類束が、机の角からほんの少しはみ出していた。一番上に挟まれた書類の右上に、押された印影。私はそれを見て、息を吸った。


「失礼します。お手元の書類、印影が二つ重なっています」


 役人の顔色が、わずかに変わった。


「上に押されているのは、長官府の正式印。下に押されているのは、長官府の旧印で、三年前に廃止された印影です。廃止された印影が下にあるということは、この書類は三年以上前に最初に作成されたものを、上から正式印で塗り直したことになります。本来、塗り直し書類は新たに番号を取り直す必要があります。番号は付いていますか」


 役人は答えなかった。


「答えられないということは、無番号塗り直し書類です。長官府の規定に照らせば、無番号塗り直し書類によって他者の身分証を失効させることはできません。私の銅板は有効です。書類を、お返しください」


 私の声は、自分でも驚くほど冷静だった。


 役人は数秒の間、私を睨んだ。それから、唇の端に薄い笑いを残して、書類束を引き寄せた。


「次、来るな」


 彼は私に銅板を返した。


 私は事務所を出た。


 外で待っていたエルナが、私の顔を見るなり眉をひそめた。


「何があった」


「何も。書類を受け取ってきました」


 私は手にした書類を見せた。


 エルナはそれを見て、視線を私に戻した。彼女の目が、初めて、敬意のような色を含んでいた。


「お前、人前で、長官府に喧嘩売ったのか」


「喧嘩は売っていません。書類の不整合を指摘しただけです」


「同じだ」


 エルナは大笑いして、私の肩を強く叩いた。私はよろけた。


 その夜、ミトロンの宿の食堂で、私たちは焼いた小魚と黒パンを食べた。


 食堂は壁が漆喰の白で、低い天井から吊られた鉄製の燭台が三つ、それぞれ短い蝋燭を灯していた。客は私たちのほかに四組ほど。商人らしき男が二人組で隅の卓に座り、その向こうの卓では老夫婦が静かに食事をしていた。給仕の女は若く、痩せていて、私たちの卓に料理を運ぶときに、エルナの兜の傷を一度だけ目で追った。


 ロウは、町の壁に新しい告示が貼られていたのを見たと言った。


「黒の手配長官、ご視察により、近日中に本町に到着」


 ロウの声は、いつもの飄々とした調子を保とうとして、わずかに震えていた。


「姐さん、長官に追いつかれそうだ」


 私は、小魚の骨を皿の縁に並べていた。骨は細く白く、皿の縁に並べると、規則正しい一列の点線になった。私はその点線を、しばらく目で追っていた。誰かに教わったわけではないが、骨を並べるのは私の小さな癖だった。


 追いつかれたいわけではない。けれど、向き合う日は、来る。それがいつかは知らないが、もう遠くない。


 私は、左手で右肩を一度押さえてから、地図を取り出した。


「東のドラケンザールへ、明日の朝、出発します」


 予定より、二日早く出発を切り上げる旅程だった。


 地図の上で、私は新しい線を引き直した。ミトロンからドラケンザールへの最短経路は、本来であれば内陸の本街道を通る道だった。けれど、本街道には長官の手の者が先回りしている可能性が高い。私は、海岸沿いの旧街道に変更し、途中で本街道に合流する複雑な経路を組み直した。所要日数は二日延びるはずだったが、ロウの組合の隠し馬車網を使えば、その二日分は取り戻せる。


 エルナは私の手元の地図を覗き込み、低く呟いた。


「お前、いつのまに、こんな経路を頭の中に持ってた」


「持っていません。今、組み立てました」


「それを今組み立てるのが、すごいんだよ」


 彼女は、笑った。彼女の笑いには、感心と諦観が、半々ずつ混じっていた。


 翌朝、私たちはミトロンを発った。

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