地獄の体幹工事
[システム通知:最適人材の設置]
昨日、死ぬ思いで稼いだ銀貨1枚をカウンターに叩きつけ、俺はついに「初心者〜中級者向け特別訓練講座」の訓練場へと足を踏み入れた。
石造りの広い訓練場には、木剣の打ち合いや魔術の破裂音が響き渡っている。
案内された一角で俺を待っていたのは、全身傷だらけの大柄なベテラン冒険者――教官のバッシュだった。熊のような威圧感を放つ男だ。
「よし、お前が最後の参加者だな。……おい、腰の杖を置け」
「え? あ、はい」
「ついでに武器も防具も全部外せ。……そうだ。これからお前には『魔法なし』で、俺と素手で戦ってもらう」
「……は? 魔法なし、ですか?」
「そうだ。まずは基礎だ。お前がどんな体の使い方をして、土壇場でどう動くのか見させてもらう」
魔法なし。つまり、プロンプトを使ったあの裏技も使えない。純粋な生身の体だけで、あの熊みたいな男とやり合えということか。
「構えろ。遠慮はいらん、いつでも来い」
バッシュ教官は丸腰のまま、脱力した様子でそこに立っていた。隙だらけに見えるが、近づけば一瞬で潰される気配しかしない。
(チャッピー! 相手の動きを解析して回避タイミングを教えてくれ!)
『了解。バッシュ氏の重心、重心移動の予兆、および筋繊維の収縮を完全モニタリングします。最適回避ルートを視覚情報として網膜に描画します』
(よし……いくぞ!)
俺は意を決して踏み込み、バッシュ教官の間合いに飛び込んだ。
教官は動かない。ただ、静かな眼光で俺の足取り、視線の動き、体幹のブレを「観察」している。ゆっくりとした、しかし恐ろしいほどの圧迫感。
教官が軽く手足を動かし始めた。
バシッ、と空を裂く短いジャブ。ド足元を掠めるローキック。
殺気のない、だが正確無比な攻撃が次々と繰り出される。教官は俺の「反応」を見ているのだ。攻撃が来たとき、どこに重心が逃げるか、目がどう泳ぐか、受身が取れているか。
『左斜め前からの左フックを検知。右へステップして回避してください』
(もらった!)
チャッピーの指示通り、俺は右へ全力で踏み込んだ。
――しかし。
ガッ!!
「ぐはっ!?」
右へ移動した俺の顔面に、教官の右ストレートがドンピシャのタイミングでめり込んだ。視界が真っ赤に染まり、脳グラグラと揺れる。
(お、おいチャッピー! 左フックじゃねえのかよ!?)
『訂正。相手は左フックの予備動作を故意に見せ、カイト様の回避先へ右ストレートを合わせる【フェイント】を実行しました。人間の不合理な欺瞞行動により、予測に0.4秒の遅延が発生しました』
(自分から殴られにいったみたいになったじゃねえか!! 役立たず!)
「なるほどな……」
鼻血を拭う俺を見下ろし、教官が冷ややかに呟いた。
「お前、自分の頭で動いてねえな。何かに依存した妙な『予測』で動いてる。だから、一度フェイントを挟まれると、自分から俺の拳に突っ込んでくるんだ」
「くっ……!」
「観察は終わりだ。最後だ、耐えてみろ」
次の瞬間、世界のスピードが変わった。
ドカッ! ガガッ! ボガッ!!
「がふっ……!? ひっ……あぐっ!?」
反撃どころか、ガードすら意味をなさない。腹へ突き刺さる膝蹴り、視界を奪う掌打、体幹を砕くローキック。圧倒的な間合い管理と、無駄のなさすぎる連撃。
俺は完全に玩具のように翻弄され、最後は容赦のない一撃で床に叩きつけられた。
「ハァ……ハァ……っ……!」
天井の石造りがぐるぐると回る。全身が激痛を訴えており、指一本動かすのも億劫だ。
「最悪だな」
バッシュ教官が無情な言い放った。
「筋力も体幹も壊滅的。何より、お前は魔法を撃つときの『軸』がまったくできていない。強い魔法を撃とうとすればするほど、体幹が反動に負けてブレる。生身の軸が腐ってたら、どんな上等な魔法を覚えても自爆するだけだ」
教官は俺の目の前に、ずっしりと重い鉄板が入った大木をドンと置いた。
「弱点は明白だ。『体幹と魔力循環の同期不足』。……よし、今日からお前はそれ(20キロの重り)を担ぎ、体に魔力を巡らせた状態で【空気椅子3時間】と【スクワット千本】だ。体幹に魔力を定着させる基礎スキルを獲得するまで、実戦には参加させん」
『朗報です、カイト様。この地獄のメニューを完遂した場合、基礎スキル【魔力体幹(微)】の獲得率が大幅に上昇します。なお、筋肉断裂および心肺停止の確率は3.2%です。頑張ってください』
(どこが朗報だバカ野郎!!)
悲鳴をあげる暇すら与えられず、俺の地獄の基礎工事が始まった。
***
「……ハァ……ッ、ハァ……ッ……死ぬ……マジで死ぬ……」
数時間後。
汗と泥と鼻血にまみれ、俺は訓練場の床に文字通り「屍」となって転がっていた。全身の筋肉が小刻みに痙攣し、魔力も底をついて指先がピクピクと動くだけだ。
ふと、少し離れた別の訓練エリアから、派手な破裂音と歓声が聞こえてきた。
「……あいつら……何してんだ……?」
薄れゆく意識の中で、俺は視線だけを音のする方へと向けた。
俺がこの地獄のスクワットで死にかけている間、エフェメラとレトは一体どんな特訓をさせられているのだろうか――。
おつかれさまです。ゆきミです
ついに始まりました特訓が
この地獄を抜けた先に何があるのか
8月9日お楽しみに!




