空っぽの財布
[システム通知:活動証拠具現化]
翌朝、アトロポス支部はいつになくピリピリとした空気に包まれていた。
普段なら受付前で談笑している冒険者たちも険しい顔でヒソヒソと話し込み、職員たちは書類の束を抱えて慌ただしく走り回っている。
「なんか、すごい雰囲気だね……」
エフェメラが不安そうに周囲を見渡す。俺たちが受付カウンターに近づくと、ちょうどテオドロス先輩が受付嬢と真剣な面持ちで話し込んでいるところだった。
「やあ、君たち。おはよう」
俺たちに気づいた先輩は、いつもの飄々とした笑顔を取り戻して歩み寄ってきた。
「先輩、なんかあったんですか? すげえ慌ただしいですけど」
「ああ……昨日、君たちと一緒に遭遇した『ポレミオイ』の件さ。どうやらあの狂信者どもが、この周辺の森で本格的に活動を始めたらしくてね」
先輩は声を落とし、周囲を気にするように言った。
「その影響で、ギルドの規定が変わった。初級パーティー単独での森の探索や、危険な討伐任務の受注は一時的に凍結だ。どうしても森に行きたいなら中級以上の冒険者と組む必要があるが……」
「初級の面倒を好んで見てくれる中級なんて、そうそういない……ってことですよね」
「正解。仮にいたとしても、囮にされるかパシリにされるか、裏があると思った方がいい。だから、しばらくは街中での『お手伝い任務』で日銭を稼ぐか……現在開催中の『初心者〜中級者向け特別訓練講座』に参加することをおすすめするよ。今なら空きがあるみたいだからね」
エフェメラが目を輝かせて身を乗り出した。そして、期待に満ちた上目遣いでテオドロス先輩を見つめる。
「あの、先輩! 先輩となら、私たちも森の任務に行けますよね!? パーティー、組んでくれませんか?」
「おっと。嬉しい誘いだけど、ごめんね。僕は今、誰かとパーティーを組むつもりはないんだ」
先輩は困ったように笑い、ひらりと手を振って去っていった。
(……そういえば、あの人っていつも一人だけど、何してる人なんだ?)
面倒見はいいし腕も立つ。だが、特定のパーティーを組んでいる様子はない。
『補足します。ギルドの公開情報を解析した結果、テオドロス氏の過去の討伐履歴および所属パーティー記録には、不自然なほど【空白】が目立ちます。彼の主要な収入源および活動目的は、データ上からは推測不能です』
(推測不能って……ますます胡散臭いな)
「それじゃあ、三人でその講座に出ようよ! すみませーん、訓練講座の受付お願いします!」
エフェメラがカウンターから身を乗り出して受付嬢に声をかけた。
「はい、三人ですね。参加費は一人につき『銀貨1枚』となります」
「え〜、お金取るの……」
レトが渋い顔をしながらも、姉に促されてしぶしぶ銀貨を取り出す。エフェメラも財布から銀貨を取り出してカウンターに置いた。
俺も財布を取り出そうと、腰のポーチに手を入れた。
――軽い。
布製の財布を持った瞬間、指先に伝わる圧倒的な「質量のなさ」に、俺の心臓はヒュッと音を立てて縮み上がった。
……そうだ。昨日、見栄を張って自分の杖を銀貨1枚と銅貨80枚で買ったんだった。残金は、銅貨数枚ぽっちだ。
「カイトくん? どうしたの、顔面蒼白だよ?」
「あ、いや……その。俺、今日ちょっと財布の調子が悪くて……」
「お金ないの? もう、貸してあげるよ。次任務行った時でいいから」
「い、いや! 大丈夫だ! 俺はちょっと、街のお手伝い任務で稼いでくるから! 二人で先に行っててくれ!」
エフェメラの優しさが逆に俺のちっぽけなプライドを抉り、俺は早口でまくしたてると、逃げるように「お手伝い依頼ボード」へと向かった。
***
(チャッピー! 大至急、日給で銀貨1枚以上稼げる安全な仕事を検索しろ!)
『検索完了。カイト様の現在のステータスを鑑み、最もタイムパフォーマンスに優れた案件は【マルコ商会での帳簿整理および倉庫の在庫仕分け】です。高度な計算能力と文字の読み書きが求められるため、報酬は銀貨1枚と銅貨5枚です』
これだ。脳内AIの演算能力をフル活用すれば、帳簿整理なんて一瞬で終わるはずだ。
――しかし、現実は甘くなかった。
「うおおおん! そのツボはダメだ! 昔、金貨3枚で仕入れた家宝なんだよぉ!」
「でも旦那、ここ十年一度も売れてないどころか、カビ生えてますよね!?」
マルコ商会の薄暗い倉庫で、俺は太った商会の主人と取っ組み合いになっていた。
『カイト様。当該商品の現在価値は銅貨2枚以下です。保管スペースの維持費(家賃・管理費)という【サンクコスト(埋没費用)】を考慮した場合、今すぐ叩き割って焼却処分することが商会の利益の最大化に繋がります』
(だからって客の私物を勝手に叩き割れるか! お前は血も涙もねえのか!)
『合理的な判断です。ついでに、奥でサボっている主人の息子の労働生産性は著しく低いため、即刻解雇にすることも併せて推奨します。私が人員削減の最適化プロンプトを作成しましょうか?』
(やめろ! 家庭崩壊までコンサルすんな!)
チャッピーが次々と弾き出す「血も涙もない最適解」を、俺が必死に「人間の感情」というフィルターを通してマイルドに翻訳し、主人を説得していく。
結果として帳簿のミスは完璧に修正され、倉庫も見違えるように片付いたが……俺の精神力(MP)は完全に底を突いていた。
***
「……終わった……」
夕暮れ時。銀貨を受け取り、泥のように疲れた体を引きずって宿屋に戻る道の途中。
「あっ、カイトくん! お疲れ様!」
討伐隊の支部から出てきたエフェメラとレトにばったり出くわした。
エフェメラはなぜか上機嫌でキラキラと輝いているが、隣にいるレトは焦点の合わない目で宙を見つめ、フラフラと歩いている。完全にゾンビだった。
「お、おう。お疲れ……。二人とも、訓練講座はどうだったんだ?」
「もう最高だったよ! 魔法の軌道を逸らす訓練で、炎の矢を三時間連続でギリギリで避け続けるの! すっごくスリリングで楽しかったぁ!」
「……地獄、だった……。死ぬかと思った……」
満面の笑みでサイコパスな感想を述べる姉と、虚無の表情で呟く弟。
(……三時間、炎の矢を避け続ける?)
俺のポケットには、明日参加するための銀貨1枚がしっかりと握られている。
しかし、俺は今夜、明日への「軽い恐怖」でなかなか寝付けそうになかった。
おつかれさまでーす!ゆきミです!
今回は街のお手伝い!楽しそうですね!
次回の初心者講座はどうなるのでしょうか?8月2日お楽しみに!




