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震える足の行く先

[システム通知:オーク配置、エリア1]

古びた民家のドアの隙間から顔を出したエフェメラは、幽鬼のように生気がなかった。

だが、俺の顔をはっきりと認識した瞬間――彼女の瞳に、極度のパニックが走った。


「ひっ……!」

俺という存在が、昨日の「理不尽な死」の記憶を強烈に引きずり出したのだろう。

エフェメラは小さく悲鳴を上げると、ドアを勢いよく閉め、そのまま家の裏口から飛び出してしまった。


「あっ、おいエフェメラ!」

俺が慌てて追いかけると、彼女はふらつく足取りで、街の外れにある森の方向へと逃げていく。討伐隊を目指す前の彼女ならともかく、今の精神状態であの薄暗い森に入るのは危険すぎる。


(チャッピー、痕跡を追えるか!)

『容易いです。足取りが乱れており、草花の踏み跡から進行方向を特定可能。……しかしカイト様、彼女は現在【逃走モード】です。深追いしても拒絶されるだけかと』

(理屈じゃねえんだよ! 放っておけるか!)


俺はチャッピーのナビゲーションを頼りに、薄暗い森の中へと足を踏み入れた。

しばらく進むと、前方の茂みからただならぬ物音が聞こえてきた。


「助けてっ……! だれか!」

幼い子供の、悲鳴のような声。


俺が茂みをかき分けて飛び出すと、そこには信じられない光景が広がっていた。

十歳くらいの少年が、背後に妹らしき小さな女の子を庇いながら、尻餅をついている。その前には、丸太のような腕を持った緑色の醜悪な魔物――オークが、涎を垂らしながら棍棒を振り上げていた。


そして、そのオークと子供たちの間に、ガタガタと両足を震わせながら、杖を構えて立ち塞がっている小さな背中があった。


「くる、な……っ!」

エフェメラだ。

彼女は魔法職でありながら、子供を庇うために無意識に前衛の位置に飛び出してしまっていた。手には杖を握っているが、昨日のトラウマのせいで呼吸が浅く、魔法の詠唱すら満足にできていない。


『分析。極度の恐怖で逃走したにも関わらず、他者を助けるために前に出た。人間の非合理極まりない【認知不協和】ですね。あのままでは3秒後に全員叩き潰されます』

(分かってる! 俺が魔法で援護する! おいチャッピー、エフェメラから教わった通りに風の魔法で右足を掬い上げて転ばせる。ドイツ語に翻訳しろ!)


『了解しました。対象の質量約200キロの二足歩行を崩すため、最も効率的なプロンプトを構築します。「右足首の関節部に対し、45度の角度から300パスカルの風圧ベクトルを局所的に発生させ――」』

(俺は物理の学会発表をしてるんじゃねえんだよ! もっとイメージしやすい『風よ、鋭く巻き付き、右足を掬い上げろ!』みたいなやつ!)

『……非論理的な言語表現ですね。翻訳します。読み上げてください』


俺はオークの背後に飛び出しながら、脳内に表示されたカタカナの文字列を叫んだ。

「『ヴィント、ヴィックレ・ディッヒ・シャルフ・ウント・ヘーベ・ダス・レヒテ・バイン』!」


細かく指示したプロンプトのおかげか、魔法の精度は劇的に跳ね上がった。

鋭い突風がムチのようにオークの右足に巻き付き、強引に空中へと掬い上げる。

「ブゴォッ!?」

バランスを崩した巨大なオークが、ドスンと仰向けに倒れ込んだ。


「エフェメラ! 今だ、撃て!!」

俺が叫ぶ。

ビクッと肩を揺らしたエフェメラが、俺の声にはっと顔を上げた。彼女の目に、無防備に倒れたオークの姿が映る。


「……『フォイアー』っ!」

彼女の杖の先から放たれた火球が、オークの顔面に直撃した。

熱を伴った爆発が起き、オークは断末魔の叫びを上げて光の粒子となって消滅した。


***


「本当に、本当にありがとうございました……!」

森を抜け、無事に子供たちを家まで送り届けると、少年は深く頭を下げた。


彼の後ろでは、妹がエフェメラのローブの裾をきゅっと握っている。

「お兄ちゃん、お姉ちゃん、すごくかっこよかった……」

「うん。僕も、お姉ちゃんたちみたいに強くなって、絶対に妹を守れるようになるんだ」


少年の目に宿る、真っ直ぐで強い光。

その言葉を聞いたエフェメラの瞳から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。彼女は妹と同じくらいの背丈に合わせてしゃがみ込み、「うん……うんっ」と何度も頷きながら、子供たちをきつく抱きしめた。


帰り道、夕日に染まる街の通りを二人で歩く。

エフェメラの顔には、まだ疲労の色が残っていたが、昨日までの死人のような虚ろさは消えていた。


「カイトくん。ごめんね……私、カイトくんの顔を見たら、試験官の人が死んじゃったのを思い出して、逃げちゃった」

「いいよ。あんなの、普通はトラウマになる」

「でも……あの子供たちを見た時、無我夢中で体が動いてた」


エフェメラは自分の両手を見つめ、ギュッと握りしめた。

「やっぱり私、みんなを守れる強さが欲しい。あの子のお兄ちゃんみたいに……私も、レトを守りたいから」


「……エフェメラは、強い子だよ」

俺は心からそう思い、口にしていた。

圧倒的な死の恐怖を知りながら、それでも誰かのために前に出られる。俺のようなAI任せの偽物じゃない、本当の強さが彼女にはある。


「カイトくん……」

「俺も協力する。一緒に強くなろう。お前が教えてくれた魔法の基礎、もっと知りたいしな」


俺が笑って見せると、エフェメラもようやく、花が咲くような本来の笑顔を取り戻した。


「でも、問題はレトだな。あいつ、エフェメラよりダメージ大きそうだったし」

「うん……レトは、昔から強がってるけど本当はすごく怖がりなの」


『提案。レトのトラウマを払拭するため、意図的に小型の魔物と遭遇させ、強制的な成功体験を積ませる荒療治を推奨します』

(却下だ。今のあいつに必要なのは戦うことじゃない。『心理的安全性』……まずは家が絶対に安全な場所だって安心させることだろ)


脳内のサイコパスAIの提案を切り捨てると、エフェメラも静かに首を振った。

「私、レトには無理に討伐隊に入らなくてもいいって伝えるつもり。あの子は、私が守るから……戦うかどうかは、レト自身がゆっくり決めてくれればいいの」


姉としての、優しくも揺るぎない決意。

俺たちはレトの心に寄り添うべく、彼が自分のペースで日常を取り戻せるようなケアの方向性を話し合いながら、夕暮れの街を歩いていった。

お疲れ様です。ゆきミです。

こんな感じの回が個人的に大好きです。

よろしくお願いします。

次回6月28日お楽しみに

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