涙の夕食
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翌朝、俺がエフェメラの家を訪ねると、ドアを開けた彼女は昨日とは打って変わって、本来の明るい表情を取り戻していた。
「おはよう、カイトくん!」
「おはよう。……うん、昨日の様子だと心配だったけど、よく眠れたみたいだな」
「ええ。カイトくんのおかげだよ。さ、入って入って」
招き入れられた家の中は、白い石造りの壁にオリーブの木で作られた家具が並び、どこかギリシャの古代建築のような雰囲気があった。だが、テーブルの上に置かれた「文字が刻まれた木簡のような魔導書」や、壁に立てかけられた杖が、ここが異世界であることを静かに主張している。
「カイトさん、昨日は本当にありがとうございました」
奥から出てきたお母さんが、深く頭を下げた。
「エフェメラはすっかり元気を取り戻したみたいで……。でも、レトはまだ、部屋に引きこもったままで……」
お母さんの沈んだ声に、エフェメラも心配そうに目を伏せる。
「俺たちで声かけてみますよ。エフェメラ、行こう」
レトの部屋の前に立ち、エフェメラが小さくノックをする。
「レト、入ってもいい?」
「……いいよ」
ドア越しに聞こえた声は、蚊の鳴くように小さかった。
部屋に入ると、ベッドの上に膝を抱えたレトがいた。目は赤く腫れ上がり、泣き疲れたことが一目でわかる。俺たちの顔を見ると、彼はギュッと唇を噛み、無理やり背筋を伸ばした。
「な、なんだよ。僕なら大丈夫だから、姉さんたちは任務に行って――」
「無理すんなよ。手が震えてるぞ」
俺が指摘すると、レトは悔しそうに顔を伏せた。強がろうとしても、体がまだあの理不尽な死の恐怖を覚えているのだ。
「レト。昨日カイトくんとも話したんだけど……レトはもう、討伐隊で無理に戦わなくてもいいんだよ」
「えっ……」
「お姉ちゃんがレトを守るから。だから、今日は気分転換に、三人でお出かけしよう? ね?」
エフェメラの優しい説得と、俺からの後押しもあり、10分ほど押し問答をした末に、レトはしぶしぶといった様子でベッドから降りた。
***
外に出た当初、レトはうつむきがちで、俺たちの後ろをトボトボと歩くだけだった。
これはいかんなと思い、俺はわざと大げさにキョロキョロと辺りを見回してみせた。
「いやー、実は俺、この街に来たばっかりでさ。あそこにある変な形の果物とか、全然知らないんだよな。レト、あれって美味いのか?」
「……あれは『太陽の実』。甘いけど、種が苦いんだ。そんなことも知らないの?」
「へえ! じゃあ、あそこの屋台で焼いてる肉は?」
「あれはただの猪肉だよ……。焦げてるからやめたほうがいい」
俺が「何も知らないよそ者」を演じて質問攻めにすると、レトは呆れたように答えながらも、少しずつ口数が増えてきた。
『見事な手腕です。自身の弱みを見せることで相手の【アンダードッグ効果(判官贔屓)】を誘発し、【自己開示の返報性】によって対象の自尊心と優位性を回復させる。計算し尽くされたメンタルケアですね』
(違うわ。ただ普通に子供と遊んでるだけだ!)
脳内の面倒くさいAIにツッコミを入れつつ、昼には屋台で串焼き(焼き鳥のような味で美味かった)を買い食いし、広場でこっちの世界の子供たちがやっているボール遊びに混ざった。
『カイト様。球体の放物線軌道および風圧抵抗の計算が完了しました。最適解の投擲角度は42.5度、筋繊維の出力は――』
(だからただの遊びだよ! スポーツのプロ目指してんじゃねえんだよ!)
「ほら、カイト! こっちこっち!」
「おっと、そらよ!」
無駄に本気を出そうとするチャッピーを無視してレトにボールを投げ返す。受け取ったレトは「へへっ、カイトって案外どんくさいんだな!」と、ようやくいつもの少し生意気な調子を取り戻して笑った。
***
日が落ち、夕飯の時間。
俺たちが向かったのは、仮入隊試験の合格祝いの時に三人で行った、あの定食屋だった。
運ばれてきた温かいスープと肉料理を一口食べた瞬間。
レトの手がピタリと止まり、その瞳からポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
「レト……っ!?」
エフェメラが慌てて身を乗り出す。俺も一瞬、味がまずかったのか、あるいはまたトラウマを思い出してしまったのかと焦った。
『警告。対象の目から分泌物を確認。香辛料によるアレルギー反応、もしくは食事への毒物混入の可能性が――』
(お前はマジで黙ってろ、そういう涙じゃない)
「おいしい……」
レトは、ボロボロと涙をこぼしながら、震える声で言った。
「すごく、おいしい……」
それは、死の淵を覗き込み、心が壊れかけた少年が、再び「生」の温かさを実感した涙だった。俺とエフェメラは顔を見合わせ、ホッと息を吐いて微笑んだ。
「……なぁ、レト。この後、どうしたい? お前の好きなように決めていいんだぞ」
食後の落ち着いた時間、俺が静かに問いかけると、レトは目元を乱暴に袖で拭い、顔を上げた。
まだ少し赤い目には、しかし、はっきりとした光が宿っていた。
「僕……パーティーに残る」
「レト……でも、無理しなくて」
「無理じゃないよ、姉さん。……姉さんだって、昨日一人で魔物と戦ったんだろ? 僕だけ逃げるわけにはいかない」
レトは俺の方をチラリと見て、鼻を鳴らした。
「それに、カイトみたいな頼りない奴に、姉さんを任せきりにできないからね」
「おいおい、今日一番どんくさかったのはお前だろ」
俺がからかうと、レトは「うるさいな!」と笑った。
強がりだが、そこには確かな矜持があった。この世界は容赦がないが、人間はAIが思っているよりずっと、不合理で、泥臭くて、タフなのだ。
「わかった。じゃあ、明日はもう一日ゆっくり休んで……明後日から、また三人で討伐隊に行こう」
エフェメラの言葉に、俺とレトは大きく頷いた。
俺たちのパーティーは、こうして再び前を向いたのだった。
おつかれさまです。ゆきミです。
29日24:08は日曜日です。
来週7月5日。もう7月だね。




