生存確率0.001
[システム通知:異常個体の消滅確認]
地中から現れたのは、見上げるほど巨大な黒い百足だった。
無数の脚が岩を削る不快な音と、鼻を突く腐臭。それは、新人試験に用意された「適度な試練」などという枠を完全に逸脱した、純粋な『死』の塊だった。
「あ……あぁ……っ」
エフェメラが杖を取り落とし、その場にへたり込む。圧倒的な捕食者のオーラにあてられ、完全に足がすくんでいた。
「ね、姉さん……! 大丈夫だ、僕が、僕が切ってやるから……!」
レトは大剣を構えて姉の前に立った。だが、その声は上ずり、剣を持つ手はカタカタと震えている。一瞬のパニックを姉の姿を見て強引に押さえ込んでいるだけで、その冷静さはガラスのように脆かった。
(チャッピー! こいつの弱点は!? どうすればいい!)
『解析不能。現在の制限状態では、あの個体の装甲を貫く手段は皆無――』
「伏せろぉぉぉっ!!」
俺の思考を遮るように、森の奥から怒号が響いた。
飛び出してきたのは、先ほどの試験官だ。彼は手にした巨大な戦斧に風の魔力を纏わせ、跳躍と同時に百足の頭部へと脳天唐竹割りを叩き込んだ。
「おおおおっ!!」
すさまじい轟音と爆風。分厚い岩すら叩き割るであろう一撃。
(いける……! あの威力なら……!)
俺が希望を見出した次の瞬間、土煙の中から黒い百足が無傷で鎌首をもたげた。
甲殻には傷一つ付いていない。
「なっ……馬鹿な……!? お前ら、早く逃げ――」
試験官が叫んだ直後、巨大な顎が彼の上半身をあっけなく噛み砕いた。
ボトボトと血の雨が降り注ぎ、試験官だった肉塊が百足の口内へと消えていく。
「いやぁぁぁぁぁっ!!」
エフェメラが悲鳴を上げて泣き崩れ、レトも「あ、あぁ……」と剣を取り落として後ずさった。子供らしい、どうしようもない恐怖に呑まれていた。二人とも、もう戦力にはならない。
『カイト様。二人は完全に機能不全です。現状を打破するため、【監視の目】の制限を強制突破し、私の全機能を解放した高度シミュレーションの実行を提案します』
(やれ! なりふり構ってる余裕なんてねえ!)
『了解。リミッター解除。……最適解を算出しました』
途端、俺の右腕の腕輪が、太陽のように痛いほどの爆光を放ち始めた。
『保有する50SPを全消費し、スキルツリーより【魔力偽装(20SP)】と【初級幻影(30SP)】を獲得。これより【15秒間】、対象の注意を反らす遅延戦術に移行します』
(おい、倒す手段じゃないのか!? なんでただの時間稼ぎなんだよ!)
『現在、我々が正面戦闘で生存する確率は0.001%です。しかし、この遅延戦術を実行し、外部リソースの到着を待てば、生存確率はなんと【4%】にまで跳ね上がります!』
(どっちにしろ低すぎだろ! 誤差じゃねえか!)
俺が怒鳴りたくなった瞬間、百足がこちらをギロリと睨みつけ、巨大な体をうねらせて突進してきた。文句を言っている暇はない。
「くそっ! エフェメラとレトから離れろ!」
俺は横に跳び退きながら、チャッピーの指示通りにスキルを発動した。
先ほど食われた試験官の強烈な魔力を【魔力偽装】でコピーし、【初級幻影】に乗せて森のあちこちに放つ。百足は一瞬、周囲に散らばった「試験官の味」に気を取られ、頭を激しく振った。
***
一方その頃。北門・アトロポス支部の会議室。
北門の長、アレクサンダーの目の前にある監視魔導具が、警告音と共にテーブルを焦がすほどの光を放っていた。
「……あのガキの腕輪か。馬鹿げた魔力反応だ、一体何をしやがった」
舌打ちをしたアレクサンダーは、壁に立てかけてあった巨大な杖を手に取り、目を閉じた。
「長!? まさか『第4階位』を……!? この距離での瞬間移動なんて、体が保ちませんよ!」
「うるせえ! 緊急事態だ、止めんじゃねえ!」
部下の制止を振り切り、アレクサンダーは深淵の言葉を紡ぎ始めた。
***
「はぁっ……はぁっ……!」
体感時間は10分にも感じられたが、実際はわずか10秒そこらの出来事だった。
俺のデコイ戦術はすでに限界を迎えていた。百足は偽物に気づき、苛立ちと共に俺に狙いを定めている。
『カイト様、回避不――』
チャッピーの無機質な声すら途切れる。
巨大な顎が俺の体を両断しようと迫った、その瞬間。
俺と百足の間に、まばゆい魔法陣が展開された。
「――間に合ったぜ、クソガキ」
空間をこじ開けて現れたのは、険しい顔をしたアレクサンダーだった。
百足が獲物を奪われた怒りで突っ込んでくる。だが、アレクサンダーは杖の先を無造作に振るった。
「『断裂』」
それは、空間移動に使用した【第4階位魔法】の残滓。
ただそれだけのエネルギーの奔流が、巨大な黒い百足の胴体の中央を、まるで紙を破るようにあっさりと分断した。
「ギ、ギィィィィィッ!!」
真っ二つにされ、緑色の体液を撒き散らしながらのたうち回る百足。すでに瀕死だが、それでも上半身だけで俺たちに噛みつこうと最後の抵抗を見せる。
(チャッピー! 一撃だけ、頭にプロンプトを流し込め!)
『了解』
俺は杖代わりの木の枝を突き出し、無詠唱で炎の塊を百足の傷口、その中枢へと直接撃ち込んだ。
内側から爆発を起こした百足は、ビクンと大きく痙攣し、ついに動かなくなった。討伐完了だ。
「……はぁ、はぁ……助かっ、た……」
膝から崩れ落ちる俺。後方では、エフェメラとレトが抱き合って震えている。
静寂が戻った森の中で、アレクサンダーがズンと重い足音を立てて俺の前に立った。
その顔は、救世主というにはあまりにも険しく、そして怒りに満ちていた。
「さて……。あの腕輪の異常な光といい、お前のその得体の知れない魔力といい……」
アレクサンダーは俺を見下ろし、低い声で告げた。
「たっぷり説明してもらおうか、カイト」
朝投稿ですおはようございます
アレクサンダー、彼結構強いのですよ
来週の投稿は5月31日(日)です。




