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十四話:鈴の音

「直殿!」


 飛び込んだ並行世界、目の前で裂け目が消えるのを見て遅かったことを知る。鬼が空間の違和に気づいたのはつい先程だった。同時に鼻先に届いた匂い、二体の見知った鬼の匂いに急いで空間を移動したが、向こうの方が上手だった。障壁が複数挟まれていたために道を開けるのに時間がかかってしまい、誘拐の瞬間に間に合わなかった。


 今閉じた裂け目の先がどの空間に繋がっていたのか分からない。もし空間の狭間をすり抜けているのであれば追跡はほぼ不可能。だが。


「……我から奪えるものと思う勿れ。」


 左手に黒の大刺又を出現させ、その柄の先で地を突く。周囲をぐるりと青き炎が取り囲み、鬼の頭には二つの青い角が。眼鏡が焼け消え、瞳の燐光が瞬く。風を切るように刺又を横に振れば、柄を飾る金の鈴の音が、響いて。


 沸々と沸く激しい怒気を抑え込みつつ、空気を吸う。他の人間とは違う、独特な直之の匂い。辿れぬことはないだろうが向こうもそれは考慮しているだろう。辿ったその先が厄介かも知れぬ。果たして。


 鬼は刺又を振るう。裂け目があった箇所目がけて振り下ろし、その切っ先で、空間を引き裂いた。






 壁が見える。どこかが、痛い。


 霞み、焦点の合わない視界に何度か瞬けば、戻ってくる視覚、聴覚。何やら騒々しく、見える色も灰色ばかりで、一体自分はどこにいるのか、何をしていたのか、今どうなっているのか、直之は認識に時間がかかった。連れ去られた、シンの声が聞こえて、でも意識がなくなって、今は、どうやら自分は地面に横になっているらしいと分かった辺りで、直之の耳に怒鳴り声が飛び込んできた。


「――から! 聞いてねぇっつってんだよ! コイツもう誰かが喰った後じゃねぇか! 青鬼が付き纏ってっからそれだけの価値があるんだろうと踏んで面倒なところを念入りに手筈して攫ってきたっつうのによ!」

「ですから、某も『咬み痕』は予想外と言ってるじゃないですか。分かってたら話しませんでしたよ。」

「ああ!? 百てめぇ独り占めするつもりだったってか!? ふざけんな!」

「どっちなんですか全く……これ以上苛立たせないでくれませんか牢舌様。これでも某……キレそうなんですよ。」


 うずくまってしまいそうなほどの鋭い痛みが右手に走る。直之は呻いた。見れば、大斧の先が手のひらに深く刺さっている。これ、貫通してるんじゃ、とゾッとしたところで、怒鳴っていた青年、牢舌が直之の横腹を強く踏んだ。


「っく」

「よぉお目覚めかぁ人間。喰ってくださいと言わんばかりの匂い振り撒いておきながら俺より先に誰に喰われやがったんだぁ? まぁ、覚えてねぇんだろうがなっ」


 腹を蹴飛ばされ声も出ない。そこに少女、百がぐり、と斧を捻り、傷口の広がる痛みに直之は息が詰まった。


「はぁ……ですがまぁ、二通りだと思っていた未来が三通りになった、だけです。消滅するか、餓鬼になるか……神になるか。くふふ、確かに神気にしては少々香りが高くありませんが、尻込みなんてしてられませんよ。神気を纏っている可能性があるというだけで十分です。それも人間が纏っているなんて珍事も珍事、見逃せるわけが。」

「ハッ、てめぇも中々に貪欲じゃねぇか。あの青鬼から掻っ攫うっつう話を持ち出してきやがった時点でマジなんだろうとは思ってたが。」

「本気じゃなきゃシン様から奪取する計画なんて立てませんよ。嗚呼……今頃悔しがる顔をされているのかと思うとそのご尊顔、疾く拝見したい思いです、もしかしたら褒められるかも? くふふ……ですが……この屑、シン様にそこまで気に入られるなどと、一体どんな手を使って取り入ったのですか。え? どこまでのご関係で? 肌には触れたのですか? 顔には? 既に睦み合いはお済みで? 吐けこの屑人が。」


 斧を揺らしながら問う百の声には嫉妬と憎悪が入り混じっている。神経を削るような痛みが右手を串刺した。直之は逃げたくも、体が痺れているように動かない。見上げれば見下ろしてきている青年の赤と少女の白い燐光が怪しく揺れていて。直之は目だけで周りを確認するが、灰色の箱の中のような空間に出入り口は見受けられず、逃げ場がないことを知る。


「いいだろそんなことはどうでも。それより早く喰っちまおうぜ。消滅したらそれまでだが、こんなイレギュラーも中々いねぇ。他の奴らに取られちまったらここまで苦労した意味がねぇだろ。」

「ええ……そうですね。ですがこの人間の意識はそのままで。こいつには最後の最後まで苦しんでもらいたいので。」

「ハハッ、鬼だな。」

「鬼ですから。」


 斧が手から引き抜かれる。痛みに呼吸が浅くなりながら、直之は声を上げようとした。きっと今シンが探してくれているはず。このままだと喰われる、その前に、シンに俺のいる場所がわかる何かをしないと。だが声帯を掠るような声しか出ず、依然として体も指一本ぴくりともせず。


 これじゃ、シンに気づいてもらえない。


「さぁて? 全くもって腹の底を撫ぜてくる匂いだ……その血肉、どれほどの旨味があるか、しかと楽しませてもらうぜ。」


 直之を跨いで屈み込む牢舌に直之の鼓動が早まる。額から汗が流れ落ち、焦りを全身で覚えるもどうやろうと体に力が入らなくて。


 なんとか、なんとかしないと。


 伸びてくる手が肩を掴んでくる。雑に仰向けにされ、上着のポケットに入れていたスマホが滑り落ちる。近づいてくる牢舌に、直之は目を強く閉じた。


「……なんだ?」


 不意に牢舌が顔を上げる。その方向へ百も振り向き、どうしたのかわからないままに直之は恐る恐る目を開けた。

 シャラン、と聞こえる、何かの音。続けてもう一度。近づいてきていることがわかった直之の手が僅かに動く。空間が揺れる。温度が、下がる。


「……牢舌様、何か来ます。」

「おいおい待てよ、黒蝋界を通ってきたんだぜ? 誰にしろここが探知されるわけが」


 突然、四方の壁が燃え上がった。青い炎。徐々に焼け崩れる壁の一部が、空を切り裂くような音と共に吹き飛ぶ。シャン、と音が。炎が避けるように両端へ動き、その中央から、現れたのは。


「……我に消される覚悟は、できておろうな。」


 身長を優に超える大刺又を担ぎ、青き瞳を怒りに燃やした、鬼だった。




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