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49話




「ふざけるなッ!」


 ガンッ、と激しい音と共に銀製の杯が叩き付けられる。入ったままだったワインが飛び散り、絨毯に無惨な染みを作った。


 アーミテイジ商会の長であるオルロフ・アーミテイジの私室である。

 一地方の海を牛耳り、海運業に強大な影響力を持つオルロフの私室は、王族のそれと比べても遜色が無いほど豪勢であった。


 夜も更け、海獣油の蝋燭の灯りが揺らめくオルロフの部屋には、主人である彼と、私兵である傭兵団の長が額を付き合わせているのだった。


 といっても、オルロフは当然のようにベッドに腰掛け、ナイトテーブルに置いた壺からワインを飲んでおり、傭兵は扉の側で立っているのだが。


 齢60に近いオルロフだが、彼の体にはまだ老いの波は押し寄せていないように見える。

 傭兵団の長と比べれば流石にやや見劣りはするものの、誰もオルロフを見て60歳とは思わないだろう。

 赤銅色に潮焼けした体は、いまだ40と言っても通用しそうなほど精悍であった。


 それもそのはずで、彼は今でこそ並ぶ者のない海運王、大商人であるが、財を為す前は私掠船の船長として周囲の国々を荒らし回った伝説的な海賊なのだった。

 今でも海賊オルロフの名は他国に知れ渡っており、子供への躾の言い回しや、各地の伝記、童話に登場するほどなのだ。


「貴様等にいったい幾ら払ってやっていると思っているんだ! こういう時の為だろうが!」

「……とは言いますがね、ありゃ十中八九ダンジョン化してますぜ、そこのボスが娘ッコを気に入っちまったってんなら、手は出せねぇ。むしろ難破して失った筈の積み荷を回収して貰ってたんだ、ラッキーってなもんでしょうが」

「ダンジョンだと? あのような場所に? はん、お前は何も知らんのだな、ダンジョンとは挑戦者が訪れやすい場所に出来るものなのだ、海のど真ん中に出来る筈がない」


 傭兵は肩を竦めた。

 オルロフが何と言おうと、彼はしっかりとダンジョン化した海をみており、恐るべき威圧感を放っていた人型のモンスターを見ているのだ。


 傭兵団の長である彼も、普段は私掠船を率いて他国を襲う、国に雇われた海賊だ。

 オルロフに対しては雇い主、というよりも船長に対するような敬愛と気安さを持っているのだった。

 

「まぁ、普通はそうなんですがね」

「『鮫殴り粉砕傭兵団』とやらも大したことが無いのか? 大言壮語を吐いて酒を飲むだけか、ん?」

「はははっ、そりゃ旦那が気前よく酒を振る舞ってくれますからね」

「そういうことを言ってんじゃねぇんだよタコ」


 オルロフから殺気が漏れる。

 歴戦の海賊の殺気は、新米騎士程度であればそれだけで意識を失うほど恐ろしい。

 だが傭兵は殺気をするりと受け流し、軽くため息を吐いた。


「旦那、納得できないのは分かりますが、俺等も馬鹿じゃない。ダンジョンが出来てたなんて嘘は吐きませんよ。それに、そこはまだオープンもしてないみたいでしたから。ホラ、ダンジョンがオープンしたらカミサマから宣託が下るんでしょう?」


 飄々としながらも退く様子のない傭兵の姿に、オルロフの目が僅かに細められた。

 頭の中で損得勘定をしているときの顔である。

 酒精で曇っていた彼の頭に、段々と冷静さが戻っていた。

 老いて腐っても海賊商人、何よりも金の臭いに敏感である。


「それが無いから信用できないんだが……ふむ、そうか、まだオープンしていない……その可能性は失念していたな」


 杯を投げてしまったので、オルロフは壺に口を付けてそのまま下品にブドウ酒を煽る。

 一頻り喉を潤した老人の顔は、怒りと欲にまみれたジジイではなく、打算と奸計を巡らせ、自ら鉄火場に飛び込んで財を成した大商人のものとなっていた。


「まだお前達を解雇するには早い、か。お前の言い分に一定の筋が通っていることは理解した。その時の様子をもっと詳しく話せ」

「……いや、旦那、まさかダンジョン攻略に乗り出すおつもりで?」

「昔は10からなる船団を率いて海という海を暴れまわったもんだ。隠された財宝、密林の秘宝、色んなモンを見つけてきたが、出来たばっかりのダンジョンってのは初めてだな」


 ニヤリ、とオルロフが笑う。既に海賊の血も商人の血もふつふつと音を立てるほど沸き立っていた。

 そんな雇い主の顔を見て傭兵は手を額に当て、天を仰ぐ。


「オープンしてないダンジョンを落としちまうのはご法度ですぜ? ダンジョン攻略の名誉も旨味もないでしょうが」

「馬鹿野郎、こちとら真っ当な商人なんだ、お国のルールは守るさ」

「よく言いますぜ」

「あ?」


 この話題に危険を感じ取った傭兵はすぐさま何も無かったように話題を変えた。

 危険を察知する能力はならず者には必須の能力である。


「そういや、ダンジョンモンスターがやたらめったら強そうなんですがね。向こうの兵隊は、こっちの船とヤリ合えますよ」

「『鮫殴り粉砕傭兵団』と『青塩党』それに『夜鳴き妖鳥女ハーピー』を加える」

「旦那お抱えの海賊……じゃなくて私兵全部じゃないですかい!」

「それだけこの話には金の臭いがするってことだ。まぁ、お前の嘘だという可能性もまだ無くなった訳じゃない。もしもそうなら、海賊の掟に乗っ取ってケジメを付けなきゃならんからな。どちらにせよ都合がいい」


 信用されてねぇなぁ、と傭兵がぼやく。


「馬鹿野郎、信用してなかったら積み荷回収できなかった時点でテメェはフカの餌になってんだよ」

「はぁ、お優しいお頭ですぜ」

「陸ではせめて旦那と呼べと言ってるだろうが」

「お頭が海の時の口調になってるんですが?」


 我慢できなかった余計な一言で、傭兵はハッ倒されることになったのだった。




◆◆◆




 報告に来た傭兵を帰し、一人になったオルロフはベッドに腰かけたままジッと考え込んでいた。


 この仕事は、珍しい獣人の奴隷を買い付け、王家に献上するだけの簡単な仕事であったはずだった。

 他国の奴隷商ということで調査を念入りにしなければならず、そのせいで納入が遅れてしまい、大時化の時期がやってきてしまったのは誤算だった。

 さらなる誤算は、その時化の中を奴隷商が突っ込んできたことだ。

 全く馬鹿なやつだ、これだから素人は困る。


 だが、なんの偶然か、運んでいた獣人の奴隷の中でも、目当ての少女だけ助かったという。しかも助けた相手が海のど真ん中に出来たばかりのダンジョンの主だというのだ。


 これは本当にただの偶然なのだろうか?


 この世界には神がいる。

 神はダンジョンを作り人間に試練を与え、挑戦する者に祝福を、踏破した者には加護を授け願いを叶えるという。

 そしてそれだけでは無く、時には個人に充てて試練を課すこともあるのだ。


 それは呪いでもあり、また同時に祝福でもある。

 特別に試練を授かった者は、神の寵児と呼ばれ、地域によっては信仰の対象になることさえあるのだ。


 もし、もしも、獣人の奴隷が神の寵児であったら、その価値はいったいどれ程ものになるのか?

 だが、神の寵児に手を出すことがどんなことを引き起こすのか、それは分からない。


 船が難破した場所にたまたま出来立てで脅威度の低いダンジョンがあったということも驚きだし、そこで獣人の奴隷が気に入られたというのも、作為めいたものを感じる。


「これも神の采配の一つである、とでも言うのか」


 ならば自分が行動することで何かが分かるはず。

 たとえそこに神が関わっていないとしても、未熟なダンジョンを手中に納めることは悪くない。オマケとして諦めていた獣人の奴隷が付いてくるのだから、悪いわけがあるだろうか?


 『鮫殴り粉砕傭兵団』だけならば厳しくとも、『青塩党』『夜鳴き妖鳥女ハーピー』まで送り込めば負けることはあるまい。

 最悪負けたとしても、壊滅的な被害を被る前に有益な情報を持ち帰ることはできるだろう。


 今後のことはじっくり考えねばなるまい。


 オルロフはワインを口に運びながら思案を重ねるのだった。



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