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第9話 王を討て

場所は、横浜だった。

みなとみらいの夜景が見える、高層ビルの最上階。

エレベーターを降りると、広いフロアが広がっていた。

照明は落としてある。

窓の外、港の灯りだけが部屋を染めている。

待っていたのは——九条だった。

「来たか」

「冴子は」

「隣の部屋にいる。無事だ」

鋼二は九条を一瞥し、部屋全体を確認する。

出口。

窓。

死角。

人間は——三人。

九条。

壁際に立つ男が一人。

そして——

「北条鋼二」

奥から、声がした。

窓際に、男が立っていた。

六十代。

小柄だが、姿勢が完璧だ。

オーダーメイドのスーツが、港の光を受けている。

顔は——穏やかだった。

怒りも、警戒も、緊張も——何もない。

まるで、客を迎える主人のような顔だ。

御堂隆三。

「噂は聞いていた」

御堂が近づいてくる。

手を差し出す。

鋼二は、取らない。

御堂は気にしない。

手を下ろし、窓の外を見る。

「与田の件は、申し訳なかった」

「謝罪のつもりか」

「いや」

振り返る。

「説明のつもりだ」

御堂は静かに話した。

与田は、三年前から二重スパイだった。

武装勢力と、日本側の両方から金を取っていた。

いずれ、どちらにも不都合な情報が漏れる。

「処理が必要だった」

「それで俺を使った」

「あなたは優秀だ。疑われない人間が必要だった」

「俺が生き残ったのは」

「想定内だった」

鋼二は、奥歯を噛む。

「砂漠の夜。私が見ていたのは——あなただ。北条鋼二という人間を、確認したかった」

「確認して、どうする」

御堂は、また窓の外を向く。

「世界は、法では動かない。あなたも知っているはずだ」

「知っている」

「法の外側で動ける人間が、必要だ。九条のような頭脳と——あなたのような腕が」

「組織に入れと言いたいか」

「共に動こうと言いたい」

部屋に、静寂が落ちる。

港の灯りが、揺れている。

鋼二は、御堂の背中を見る。

穏やかな老人。

だが——この男が動かした金で、砂漠で人が死んだ。

与田が死んだ。

冴子が攫われた。

「一つだけ聞く」

「どうぞ」

「冴子を攫ったのは、お前の指示か」

一拍。

「九条の判断だ」

鋼二は、九条を見る。

九条は——目を逸らさなかった。

「抑止が必要だと判断した」

「そうか」

鋼二は、ゆっくりと御堂に向き直る。

「俺の答えを聞くか」

「聞こう」

「断る」

沈黙。

御堂が振り返る。

初めて——表情が動いた。

驚きではない。

困惑だ。

「理由を聞いていいか」

「お前たちのやり方では、また同じことが起きる」

「同じこと」

「駒が死ぬ。そして誰も責任を取らない」

御堂は、しばらく鋼二を見ていた。

やがて——小さく笑った。

「やはり、面白い人間だ」

壁際の男が動いた。

銃を抜く。

鋼二は、動じない。

「殺すか」

御堂は首を横に振る。

「殺さない。あなたは必要だ」

「だったら——」

その時。

銃声が、一発。

壁際の男が、崩れた。

全員が、音のした方を見る。

九条が、銃を持っていた。

硝煙が、薄く漂う。

御堂の目が——初めて、揺れた。

「九条」

「申し訳ない」

九条は、銃口を御堂に向けたまま言う。

感情のない声。

いつもと、同じだ。

「あなたに仕えて、十五年だ」

「……何をしている」

「十五年で、分かったことがある」

一歩、近づく。

「あなたは——終わらせるつもりがない」

御堂の顔が、固まる。

「駒を替えながら、永遠に続けるつもりだ」

「それが——」

「それが、世界を動かすことだと言いたいのだろう」

九条は、静かに首を振る。

「違う。それは——ただの支配だ」

鋼二は、動かない。

この男が、今何をしているか。

全部、見ている。

「北条鋼二を呼んだのは——私の判断だ」

御堂を見ながら、九条は言う。

「この男なら、あなたを止められると思った」

「止める?私を?」

「証拠は、すでに動いている」

御堂の顔色が、変わった。

「アークの資金ルート。武装勢力への迂回送金。与田への指示書」

「……お前、まさか」

「三島から預かった封筒の中身だ」

空港での封筒。

鋼二は、全てを繋げた。

三島は九条に弱みを握られていた——ではなく。

三島は九条に、証拠を託していた。

「三島も——限界だったのだろう」

九条が言う。

「あなたの駒であることに」

御堂は、しばらく動かなかった。

窓の外。

港の灯り。

その前に立つ小柄な老人。

やがて——力が抜けたように、椅子に座った。

「……終わりか」

「ええ」

「九条。お前は——」

「私も、駒でした」

静かな告白だった。

「ただ——最後くらいは、自分で動きたかった」

鋼二は、隣の部屋に向かった。

ドアを開ける。

冴子が、椅子に座っていた。

手首を縛られている。

だが、目は——しっかりしていた。

「遅い」

開口一番、それだった。

鋼二は縛めを解きながら言う。

「待たせた」

「三日も待たせておいて、それだけか」

「他に何か言うことあるか」

冴子は立ち上がり、腕をさすりながら鋼二を見た。

眼鏡の奥の目が——わずかに、揺れた。

「……生きてたな」

「ああ」

それだけだった。

それで、十分だった。

御堂は、その夜のうちに身柄を拘束された。

九条が、全ての手を打っていた。

検察への情報提供。

証拠の保全。

三島の証言。

十五年かけて、準備した終わらせ方だった。

鋼二は、全てが終わった後も——その場に残っていた。

九条が隣に立つ。

二人で、港を見る。

「最初から、これが目的だったか」

「ええ」

「だから、俺を呼んだ」

「あなたが動けば——御堂も動く。そう読んでいた」

「俺は、お前の駒だったか」

九条は、少し黙った。

「最初は——そのつもりだった」

「今は」

「今は——分からない」

鋼二は、小さく息をついた。

「正直な男だ」

「お世辞は苦手でね」

二人の間に、静けさが落ちる。

「これからどうする」

九条が聞く。

鋼二は、港の灯りを見ながら答える。

「しばらく、何もしない」

「珍しい」

「疲れた」

それだけ言って、歩き出す。

九条は追わない。

ただ、背中に言う。

「また、会うだろう」

鋼二は振り返らない。

「かもな」


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