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第7話 深淵

翌朝、封筒が届いた。

差出人はない。

消印もない。

ドアの隙間に、静かに挟まれていた。

ここの住所を、知っている人間がいる。

鋼二は封筒を手に取る前に、部屋全体を確認した。

窓。

天井の隅。

換気口。

異常はない。

封筒を開ける。

中身は、写真が一枚と、紙が一枚。

写真には——男が映っていた。

四十代。

がっしりした体格。

空港のロビーで、誰かと話している。

その顔に、見覚えがあった。

公安の人間だ。

名前は知らないが、顔は知っている。

三年前、別の任務で同じ現場にいた。

紙には、一行だけ書いてある。

この男が、次に動く。

それだけだ。

鋼二は写真を机に置き、椅子に座った。

「次に動く」——何を意味する。

排除しろということか。

監視しろということか。

それとも、接触しろということか。

九条は何も言わなかった。

選択肢ごと、投げてきた。

「……試しているな」

煙草に火をつける。

どう動くかを見ている。

言われた通りに動くのか。

自分の頭で考えるのか。

鋼二は写真を見つめる。

公安の男。

もし九条の言う「次の役目」が、この男を消すことなら——

断る。

理由は単純だ。

それは、また駒になることだ。

与田と同じ構図だ。

だが——

「監視なら、話は別だ」

この男が何を知っているか。

誰と繋がっているか。

それを掴めば、九条に対する——カードになる。

鋼二は立ち上がった。

動く方向は、決まった。

男の名前を調べるのに、半日かかった。

三島修。

公安部外事二課。

表向きは、ごく普通のキャリア官僚だ。

だが、冴子に写真を送ると、十分で返信が来た。

この男、内調との二重契約疑惑がある。三年前から。

二重契約。

つまり——九条の手の届く場所にいる。

だとすれば、九条がこの男を「次に動く」と言った意味は——

「内側から何かを動かすつもりか」

鋼二はコートを着る。

三島の行動パターンは、写真の空港で絞れた。

週に一度、同じ便でどこかに飛ぶ。

行き先は——札幌だ。

今日が、その曜日だった。

羽田のターミナル。

鋼二は保安エリアの手前で待った。

三十分後、三島が現れた。

一人だ。

キャリーバッグを引き、足早に歩く。

目が、泳いでいる。

緊張しているのか。

それとも——怯えているのか。

鋼二は距離を保ちながら、後を追う。

搭乗ゲートの前。

三島が立ち止まった。

携帯を見る。

画面を閉じる。

また開く。

誰かを——待っている。

五分後。

男が一人、三島に近づいた。

スーツ姿。

四十代後半。

顔は見えない。

二人が、小声で話す。

鋼二は離れた席に座り、雑誌を広げる。

唇の動きだけを読む。

三島が、封筒を渡した。

相手が受け取る。

その手の甲に——古い火傷の痕があった。

鋼二の視野が、一瞬だけ狭くなる。

九条だ。

九条自身が、ここにいる。

男はすぐに立ち去った。

三島は搭乗列に並ぶ。

鋼二は動かない。

頭の中で、整理する。

九条は封筒を受け取った。

中身は分からない。

だが——三島は何かを渡した。

情報か。

証拠か。

それとも——

「命令書か」

どちらが上なのか。

三島が九条に仕える側なのか。

それとも、九条が三島に何かを握られているのか。

分からない。

だが——

「一つだけ分かった」

鋼二は立ち上がる。

九条は、内調の首席顧問でありながら——

まだ、その外側にいる。

組織の中にいながら、組織を使う側にいる。

「どこまで外側にいるんだ、あの男は」

出口に向かいながら、携帯を取り出す。

冴子に、短くメッセージを送る。

九条と三島の関係を調べてくれ。主従が逆かもしれない。

すぐに既読がつく。

返信は——なかった。

外に出ると、風が強かった。

滑走路の向こうで、飛行機が離陸していく。

三島を乗せた機体が、空に吸い込まれていく。

鋼二はそれを見上げながら、思う。

九条は自分に封筒を送った。

そして今日、自ら動いた。

あの男は——何かを急いでいる。

余裕があるように見えて。

計算されているように見えて。

その内側に——焦りがある。

「時間が、ないのか」

風が、髪を揺らす。

敵の焦りは、こちらの武器になる。

だとすれば——

急ぐ必要はない。

待てばいい。

九条が次に動くまで。

煙草に火をつけようとして——風で消えた。

三度目で、やっと点いた。

煙を吐く。

空は、高く晴れていた。

その夜。

冴子から、返信が来た。

メッセージは、一行だけだった。

逃げなさい。

鋼二は画面を見つめる。

続きを待つ。

だが——

それきり、冴子からの連絡は途絶えた。

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